観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

話す側になってみて

2014-08-22 16:27:52 | 14
3年 土方宏冶

 私はこの夏休みに小学生のキャンプのバイトや、インターンシップに参加し、ガイドや昆虫観察会などの自然観察プログラムのお手伝いをした。お手伝いではあったが、このようなプログラムを実行する側に立ったのは初めてのことで、今までにない経験ができた。
 キャンプは長野県の川上村という場所で行われたもので、80人余りの小学生が参加した大規模な企画だった。その中で私は子供たちの世話、ガイドの補佐と昆虫観察会での解説を行ったが、難しいと思ったのは奔放な子供たちを制することと子供たちが楽しめる話をすることだった。私の役割は、山道で子供が危ない目に合わないように誘導することだったのだが、たった十人を扱うことすら難しく、30人前後の生徒を扱う小学校の先生の苦労がうかがえた。また、昆虫観察会は水生生物観察会と夜の昆虫観察会でわかれており、そこで解説をした。私はヘビトンボを調べる中で、ヘビトンボのサナギは噛みついてくるくらい激しく動くということを知り、おもしろいと思ったので、それを子供に話してみた。だが、反応は薄かった。皮肉なことに、私の方から話しかけた時よりも、子供たちの質問に答えて話をする時の方がずっと受けがよかった。たぶん子供には大人とは違う興味の対象があり、それをうまく把握しなければいけないのだろうと思った。
 インターンシップは神津牧場と川上村で行い、神津牧場では木を使ったクラフトと水生生物観察を手伝った。こちらはキャンプに比べると相手は少なく、親子だったので子供の扱いに困ることはなかった。ここでは、事前にキャンプでの経験があったので、それを活かせたのか、ややうまくいった。図鑑と照らし合わせて種類を当ててもらったり、顕微鏡で見たいものを自分で選んでもらったりと、子供の主体性に任せたのがうまくいった要因だと思う。クラフトでは見本をまねしたようなものしか作っていなかったが、これは私が見本の存在を推しすぎたために、子供の自由な発想を邪魔してしまったように思う。子供たちの自主性を活かすことが子供たちを楽しませるためのキーになるのだと思った。
 川上村でのインターンシップでは大人を相手にしたプログラムのガイドの補佐を行った。メインのガイドの人の話す内容が子供たちに話す内容のそれとは明らかに違っていた。ガイドの人がキャンプの時とは違うというのもあるのだろうが、子供たちの時は「目に見える現象」の話が多かったのに対し、このガイドでは「目には見えない仕組み」の話が多いという印象を受けた。途中の休憩では自分の研究対象のアナグマの話をした。アナグマの巣がキツネやタヌキに間借りされてしまう話をしたら結構笑ってもらえたのでうれしかった。
 この夏休みで私は大学での「話を聞く側」から、「話す側」に立ったわけだが、最もよかったのは大人と子供相手に似た内容を話し、その反応の違いを見られたことだった。神津牧場での水生生物観察会では、相手が親子だったため、その違いがよく表れていて、親御さんは水生生物が水質の指標になる話を真剣に聞いていたが、子供たちはそんな話には耳も傾けず、ブヨの幼虫が水面に上がろうと必死に体をくねらせる様子に夢中だった。逆に親御さんの方はそんなブヨの様子には「がんばってるなぁ」と一瞥をくれただけであった。またヘビトンボの話も同じで、子供たちは「ふーん」、という感じだったが、親御さんは「それはすごいですね」と驚いていた。他にもガイドの時は子供たちの質問が飛び交っていたのだが、大人たちからの質問は少なくやや受動的であった。
 話をする側に立つということは話をする相手にその内容を理解してもらわないと意味がない。そのために重要な事は、理解してもらいたい内容について自身が十分な知識と理解を身につけることだと思っていた。しかし、それと同じくらい重要なことが、話をする相手の特徴を知ることなのだと体感できた。そう遠くないうちに自分の研究を発表する機会があるし、人前で話す必要が生じる場合もあるだろうから、今回の経験を忘れず、また話す側になったときは相手のことをよく考えて話を組み立てたい。

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