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見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

失敗したら自分が腹を切る

2015-09-12 22:13:38 | 日記

 新国立競技場とエンブレムをめぐる迷走とドタバタ、東京オリンピック組織委員会の無責任体制が浮き彫りになり、批判が集まっています。
 でも、それって、東京オリンピック組織委員会だけの問題?って思いますが。

 かねてから、問題が起こると必ず規制をする動きが出てきて(あっ、国民の側からもそれを求める声が上がる)、法や決まりごとの網目が小さくなるって最悪と思ってきました。
 それは、いくら網目を小さくしようとも、それを縫って悪知恵を働かす奴や、確信犯が現れて世論を扇動するんですよね。マスコミも見事に踊らされたりする。
 その上、決まりごとが多くなると、市民生活はどんどん息苦しくなるんですよね。ファジーなところって必ずあるんですが、杓子定規にすると首を括るしかないことだって起きる。

 昨日から、内田樹と高橋源一郎の「どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?」を読み始めましたが、冒頭からそうなんだよなあ!って思うことが。
 今の政治がダメなのは、ルールが整備されていないからでも、制度設計が間違っているからでもなく、政治家たちがリアリストじゃなくなっているから、という箇所があります。
 政治に限らず、すべてのシステムは、現場にいる人間が自分の体を賭けて固有名で債務保証しないと機能しない。「失敗したら自分が腹を切る」っていう人間。

 その一番の象徴は、領土問題などに見るナショナリズムを煽るやり方かもしれませんね。
 領土問題でナショナリズムが高揚するのは、ガバナンスが不調だってことの証拠なんだから、と手厳しい。
 選挙では、幼児的な市民感情に配慮して、本当に愚にもつかない政策をやり続ける。と。

 自分もその真っただ中でしたが、選挙に落ちたらただの人以下、という現実があるからでしょうか、政治家はついつい迎合的になり、痛みや厳しい判断を先送りしようとします。
 「一億総白痴化」、1952年に大宅壮一が生み出した言葉ですが、そうではない人づくりをしていかないと、我々の未来は?って心配になります。
 政治にとっては煙たいかもしれませんが、、、


浮世絵師 歌川国芳展とHPAMコレクション展

2015-09-12 20:23:43 | 日記


 写真は広島の路面電車。機会があり、広島県立美術館で開催中の「奇想の絵師」と称される「浮世絵師 歌川国芳展」に行ってみました。
 浮世絵と言えば、広重、歌麿、写楽、北斎あたりしか思い浮かびませんで、それらの絵師の有名な作品のイメージくらいでしたが、国芳の作品の数々、面白いです!
 浮世絵版画は、標準で縦39cm×横26.5cm、大きい作品はこれを何枚も繋いで一つの作品になりますが、作品数が200点ほど。彫りの具合や作品の表情などを見ようと思うと、近くでじっくり見てしまうことになり、時間がかかって。

 国芳展のチケットで、HPAM(広島県立美術館)コレクション展「戦争と平和展開催記念展示 日本とアジアの工芸作品 ―つながる心 平和の礎」も見ることができました。
 ウズベキスタンの女性用外衣(ハラト)や刺繍布(スザニ)、インド更紗、象嵌や螺鈿などを施した品々、伊万里焼などの焼き物等々、自分的には、こっちの方が興味ありでした。
 中でも、トルクメン人の装飾品の数々には驚き!それは、トルクメニスタンという全く意識にもない国にもこれだけの豊かな文化が育まれているということ。人はスゴイ!


 国芳展に続いてのHPAMコレクション展、都合3時間半ほど。
 とても疲れましたが、とっても見ごたえのある浮世絵の錦絵と工芸作品の数々でした。 


スマート・テロワールと島根の農村の未来

2015-09-10 09:03:39 | 持続可能社会

 10年後に農村は存続できるのだろうか?
 そんな危機感を抱く関係者の方は多いのではないかと思います。だって、農業就労者の高齢化は目を覆うばかりですし、政府の示す大規模化が可能な地域なんて限定的。
 僕は、正直そんなに心配はしていませんでした。その訳は、若者を中心としたトレンド変化と、将来必ず来るであろう食糧問題の逼迫化で、自給的農業が広がるだろうという希望的観測。しかし、明確な処方箋を持っていたわけではありません。

欧州に広がる豊かな農村風景
 語られる危機感や、僕の考える希望的観測に明るい展望を開いてくれたと信じられる提案に出会いました。
 離島の公務員から一転、出雲の生姜農家に転身した方から、今春一読を勧められた、松尾雅彦著「スマート・テロワール」で提案されている考え方です。

 フランスやドイツ、イタリア、イギリスなど、ヨーロッパの国々でも、わが国同様、30年前ほど前に崩壊の危機に瀕した農村地域、かの国々では、見事に再生し、素晴らしい農村地域となっていると。
 そういえば、十数年前に視察等で訪れたヨーロッパの農村には、とても素敵な景観が広がっていました。
 一方、わが国では、農村地域に明るい未来を想起させる素晴らしい景観が残され、作られているのでしょうか。

新しい自給圏構想~スマート・テロワール
 契約栽培で北海道や九州の農業を支えた経験を持つ、元カルビー(株)社長だった著者の提案、スマート・テロワールとは、人口規模40万人程度の新しい自給圏構想。
 僕も、地域自給をどう進めるかが大切だと考えてきましたが、著者の提案は具体的。
 その一番のカギは、ゾーニングに基づいた水田から畑地と牧野への思い切った転換。

 転換した畑では、輸入に依存した小麦や大豆、飼料用トウモロコシなどの輪作栽培や地域にあった作物の栽培と、牧野での豚などの自然放牧。
 栽培した作物や家畜は地域内で加工し、地域内での自給を高めたり、特色ある食の提供で交流人口増加を目指す。余剰分を大都市に供給する。
 フードマイレージは低くなって地球環境にも優しいし、身土不二的にも人に最も優しい。そして、地域内循環が可能になれば、地域経済は潤い、自然と自給率も上がる。

島根の農村の未来は?
 良いことづくめのような提案ですが、補助金行政に馴染みすぎた農村で、しかも、瑞穂の国という思い入れ。自力に近い形で進めようと思えば相当の覚悟と長期戦略が必要です。
 覚悟を持った首長や議員、農業者、商工業者などが必要と思いますが、著者は、覚悟を持った人が3人いればできると書いています。

 今、「日本で最も美しい村」を目指す動きが始まり、全国で14の自治体が加盟し取り組んでいます。
 島根にも、邑南町や旧柿木村など、先進の取り組み事例がありますが、スマート・テロワールのように、さらに高みを目指した取り組みに進化できたら。
 中山間地域研究センターを擁する島根、覚悟と戦略次第では揺れる人口目標を凌駕することも可能かもしれません。


ブリッジコーディネーターの冥利~中山さんの施術会

2015-09-09 21:41:47 | 日記

 秋!ですね。寒いくらいで長袖シャツにジャケット。
 施術会で来てくださった中山さんを案内したところでは、銀杏がいっぱい落ちていました。イチョウの葉はまだ青いのに、ちょっと焦りすぎでは?(*^^*)

女っぷりが数段上がり(^^♪
 一昨日、昨日と行った中山さんの施術会、皆さん大満足だったようで、次も必ず!って。
 それも当然?みなさん、終わると姿勢の変化が歴然。そして、顔の表情や髪の質感がが全く違うし、肌に透明感が出る。女っぷりが数段上がっています。体が変わると心も変わる。
 これって、説明は難しいですが、体幹を整え、本来の体に戻すってことではないかと思っています。でも、施術後の体を持続するのは簡単ではありません。
 しかし、自分の経験上、施術を受け続けると、持続力や回復力が全く違います。

ブリッジコーディネーターの冥利
 昨日は、施術の合間に、そんな体をどう意識づけして持続させるかを学ぶ中山さんのサロンを開催。
 その模様ではありませんが、その前にサロン参加者の食事会。僕の畑の無施肥無農薬のお野菜などを使ったお料理をみんなで作って、いざ食事会!の写真。
 施術を受けたばかりの方や、その経験をした皆さんですから表情が輝いています。いやあ、明るいし話がどんどん弾む、ステキなステキな時間が流れました。

 来月も中山さんを招いての施術会を予定していますが、今回受けたかったのに受けれない方や、リピーターが多く、人数大丈夫かなあとちょっぴり心配。
 僕の新しい名刺の裏には、ブリッジコーディネーターとも書いていますが、ブリッジ役って、そんなマネジメントもすることになるんですよね。
 でも、新しいつながりもどんどんできてくる、面白いですね。冥利かなあ。
 


人が育つことでその地域が育つ~竹内先生の講演会

2015-09-06 20:18:12 | 本や図書館

 そうだよなあ、公共図書館も学校教育、わけて学校図書館活用教育も「人の自立」を支援することこそが、最も求められるんだよなあ。

 01年から05年まで、日本図書館協会理事長を務められた竹内サトル先生の講演会が本の学校で開催されました。88歳とのことですが、矍鑠たるものですし、話が深い。
 演題は「図書館のめざすもの~としょかんがつくるひと・地域・未来~」。
 先生の講演で一番心に響いたのは、米子出身の宇沢弘文先生とインドの図書館学の父と呼ばれ、「図書館学の五法則」を著した世界的に著名な学者ランガナタンとの共通点。


自ら考える力と方法を養う
 お二人は、共に数学者なんですね。そして、一人一人の学生を対象にした授業実践をした。
 宇沢先生の授業は「日本の教育を考える」に詳しいようですが、学生一人一人はそれぞれ違った蓄積を持ち、問題意識も多様だから、こうした教え方でないと効果的ではないと。
 ランガナタンは、学生の数学に対する関心と能力差が大きく、同じ教科書を使っていては何の効果もないことがわかり、能力に応じた教科書で学習させた。

 竹内先生の恩師でもあるルイス・ショアーズは「ライブラリー・カレッジ構想」で、学生の自主的な学びの意欲を育てて、「自ら考える力と方法を養う」ことを目的とした手法を提唱。
 レファレンス・ライブラリアンが自主的な学びをサポートし、学生は知識と情報の世界に入り、自分の考えを育てる。
 1970年代には米国の400の大学が何らかの形でこの考えを取り入れたと。

人が育つことでその地域が育つ
 これらの事例は、教育は何を目指すのかということをよく表しているのではないかと思います。
 竹内先生は、教え込むことが中心になりつつあるのではないかと危惧している。「育」とは待つこと。集団学習と「ひとり」。それぞれの長所を本人が融合させる、ことだと。
 さてさて、全国学力テストの結果を受け、教育委員会も学校現場も親も、待つことができるのか?教委と学校は一人をしっかり見ながら支援できるのか?

 人が育つことでその地域が育つ。当たり前なことが当たり前に取り組めるのか?
 G20でも未来への確かな展望が開けない時代にあって、教育現場も図書館も、そんなことが求められているのではないでしょうか。
 ランガナタンの「図書館学の五法則」はどのように昇華されていくのでしょうか。