見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

警察から電話、さて、どうする?お一人様の老後と最後

2017-12-31 20:27:38 | 持続可能社会

 大晦日になってですが、関西のある警察署から電話がありました。
 すわ何事か!?でしたが、電話は、僕の知人らしい方に異常と思える行動があって保護していますが、ご存じありませんか?との内容。
 彼であれば、知っているんじゃないかと思えるところに連絡を取ってみて折り返しますと、いろいろ調べて聞いた番号に電話するも、ず~~~っと話し中。これおかしいんじゃ?

 ということで、相手の所属確認を十分してなかったと反省しつつ、県警に電話を入れたら、そんな刑事はおりませんが、大事なことならまた電話があると思うのでお待ちください、って。
 聞いた番号も復唱して尋ねたけど、そんな対応でしたから、てっきり愉快犯かと。
 数時間後、問い合わせた知人から電話で、自分のところにも電話がありました!とのことで、もう一度電話すると、何度目かの電話で問い合わせた刑事さんが電話口に。

どうする?お一人様の老後と最後
 ことの概略は、僕より一つか二つ上の知人が、関西で異常な行動をしたため警察で保護しているので、誰か引き取りに来て欲しいということです。
 知人と、そう言えば、年末にも言動が少し変だったね、って。
 てっきり、身寄りがないものと思っていましたが、ちゃんと兄弟もあり、知人には年末に関西の兄弟を訪ねると話していたらしいけど、話していたところとは随分方角も距離も離れていて、、、

 考えちゃいましたね、お一人様の老後と最後。
 埼玉にいた僕の叔母は、正月2日に自宅で亡くなっているのを数日たってから発見されましたし、その妹に当たる叔母は、認知症になったものの、頑として自宅住まいを希望し、家内が通いながら面倒を見ていましたが、最後は病院で息を引き取りました。
 今保護されている彼は、事業に失敗していますから、ひょっとして兄弟にも不義理があったのか?誰からも色よい返事がないとのことでした。

政治は透徹した眼が必要だけど、さて、今どうする?
 昨日のブログには、穿った見方だけど、国家戦略?って書きましたが、誰にも看取られずに亡くなる人が急増し、2025年問題とか言われているのって、就職列車に象徴されるような経済成長至上主義の国家戦略の当然の成れの果て、と言えるように思います。
 ただ、ほぼ全ての国民は、豊かな生活を夢見て所得倍増計画に快哉を叫んだんだよなあ、僕もその一人でしたから、今頃こんなことを書くのは卑怯かもしれませんが、、、
 為政者って、時代を見据え予見し創造する透徹した眼が必要だなあって、今さら思います。
 その為政者を選ぶ目を持った国民も。

 取りあえずのところは、いまさら、政治の責任を追及しても仕様がないのでどうするか、そのための手厚い手当って、膨大なコストがかかりますが、株バブル崩壊やハイパーインフレもささやかれる昨今ですから、どこまでできるか?
 となると、どこかで野垂れ死にしたくないなら、自ら考えるしかないけど、認知症って自己認識力低いだろうし、早めに考えて手を打っておく必要ありそうですが、さて、、、

 今日のYahooニュースには、“「ソロ当たり前」時代、独身者が備えるべきこと 2035年は半数が独身に”とありましたが、さて、本当にどうするか!
 一年の最後を、こんなブログで閉めるっていやだよなあと思いましたが、敢えて書きました。

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まさか自分が、、、~それ、国家戦略?

2017-12-30 20:45:32 | 教育

 「まさか自分が…」年末年始に突然、路上生活を強いられる人々”というネット記事、現代ビジネスの配信ですが、凄まじいコメントの嵐。
 明日は我が身、それがそこに見えそうなご時世を肌身で感じている故なんでしょうね。
 松江に住んでいると、そこまでの切迫感を感じることができないのですが、ひょっとしたら、今の時期、交差点の連絡地下道で段ボールと毛布で過ごしている人はほぼないにしても、これだけ空き家が広がっていますから、ちゃっかり住みついている人もあるかもしれません。

 いやあ、スゴイ時代だなあ。
 それにしても、明日は我が身かもという切迫感を持ちながら都会に住み続ける意味は?

 田舎の大都市・松江でさえ山ほどの空き家があり、同じく耕作放棄地も山ほどあるうえ、海にも山にも近く、その気になれば山海の恵みは無尽蔵とも思えるほどにあります。
 自然の山海の恵みは、添加物や農薬・化学肥料の心配がない上、ミネラル分も豊富ですから、工夫次第でこれらの食べ物だけでも自給は可能かもしれませんし、耕作放棄地が借りれれば、お野菜もたっぷり。
 家族7人、お野菜の自家消費分は完全自給、とまではいきませんが、百姓見習いの僕でさえ、例えば、今年の大豆は4~50キロは収穫できそうですので、味噌だけ作るのであれば、200キロものお味噌が出来上がることになりますから、作付け計画をきちんとすれば完全自給は〇です。

 松江でさえこうですから、島根の隅々を見たら、もう、やたらめったらです。
 という具合に日本の国土を眺めると、どこでも生活できそうなのに、なぜ、路上生活をしてまで都会や便利そうに見える生活に執着するのか?
 僕から見れば、完全に目が曇っていると思えるのですが、そんなことさえ思い浮かばせない教育だったり、社会環境を整えているのは、経済最優先だと、国民の多くが田舎に移り住んでも困るからという国家戦略ですかねえ(^^;;

 ついつい穿って見ちゃいますね。

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漢和辞典が届きました!

2017-12-29 13:46:52 | 日記

 以前から一冊欲しいよなあと思っていた漢和辞典が届きました!
 確か、中学校でも高校でも買って持っていたはずですが、どこに入れたものか?それとも捨ててしまったのか?いくら探しても見つからない。
 ということで、アマゾンで本体価格1円!箱にほんの少しの潰れがある以外は新品でです(@@


 さて、今読んでいる相似象、1号の発刊は1970年ですが、旧仮名づかいで書かれていて読みづらい上に、漢字の使い方にも使う日本語の趣旨によって普段見ることのない使い方がされています。
 例えば、「もっている」に有を使い「有っている」が多用されています。
 もともと有るものだから、持つという使い方がされていないようです。

 日本語の乱れが言われて久しいのですが、本来、日本語の1字1字には考え抜かれた深い意味があると言われてているように、その言葉を使うことによって伝わる世界観があり、それがまた、物事を動かしていく起点にもなりうるのではないでしょうか。
 そんな思いを込めて、1970年でありながら、若い人にも伝いたいという思いをも包み込んで、敢えて旧仮名づかいで表した相似象、編者の宇野多美恵さんの思いが伝わってきます。
 その思いを少しでも汲み取れたらと、今さらですが漢和辞典を手元に置くことにしました。
 ネットでも、調べることはできるんですけどね、、、

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猪肉に舌鼓でしたが

2017-12-28 20:51:45 | 日記

 こんなにお肉を食べたのは、本当に久しぶりです。
 山王寺の忘年会で牡丹鍋に舌鼓、調達先を聞くとすぐ近くで買えるよと聞き、家内に話すと、お正月のお客様にはこれが良いかもとか言いながら、調達してきてくれました。
 しかも、見てはいませんが、熊の肉のおまけまで頂いたんだとか(@@
 ということもあり、今夜は早速猪肉の焼肉でした。

 僕は、島根で鳥インフルエンザが発生した時、養鶏場で飼われる鶏の様子と飼料に混ぜるクスリの話を聞いたこと、その話をした友人が何気なく言った「幸せでない家畜の肉を食べても幸せになれないよね」との一言を聞いて、基本的にはお肉は食べないと決めました。
 外で、一切れ二切れ食べることはありますが、外でも食べないことにしています、、、が、ジビエは食べるぞと思っていますが、そうそう機会もないし量もない。
 今夜は、大量消費地である娘一家はよそで御呼ばれ、なので、90になる母と僕と嫁さんで!僕は、どれほどぶりになるのか、恐らく150gくらいは食べたよなあ!


 もともと肉大好き人間で、週1回は焼き肉屋に行き、数人前は食べたいほうだったのが、180度方向転換して以来(7年です!)のお肉の量ですから、さぞや胃袋も驚いていることでしょう。
 今日改めてですが、確かに、お肉は美味しいけど、まあ、それほど食べなくても良いかなあ、というのを今の自分の身体が語っているようです。
 変われば変わるものだし、そう意識していると、身体も変わるものですね(#^^#)

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清々しく生きたい!

2017-12-27 21:16:46 | 日記

 とっても冷たくて強い風、本当に寒い日が続きます。
 昨日、大豆の脱穀作業も殻が飽和状態に近づいた、ということで、畑の畝間に脱穀殻を戻しに行ったのですが、いやはや冷たい、寒い!!
 帰ってから、一応自分の部屋の大掃除もどきが終わったので、年末は、年賀状と大豆の脱穀。

 畑の帰り、叔父の家に寄って、来年思い描くプログラムへの思いなどを話したのですが、ついつい口角泡を飛ばしながら思いを語る場になってしまいました。
 自分の思いがある程度理解してもらえるとそんな結果にはならなかったのですが、真っ向からバッサリと来られると、おじさんの言うことも十分わかるけど、“だけど”ってなっちゃう。

 ことの発端は、自分で得心がいって満足できれば、計算に合わなくてもいい、何て軽々しく口にしたもんですから、それは余裕がある人間だから甘いことが言えるとズバリ!
現実の社会は、長いものに巻かれてでも自分の陣地を守り、利口に立ち回ることが美徳で、甘い考えで身上を潰した何て言うと、余ほど世に認められない限りバッサリですよね。
 そういう価値観も織りあって社会は調和して皆精一杯生きている、それはそれでいいのですが、価値観が少しでも変化し、その調和の姿も変わったらという思いが口に上った。

 
特に価値観が合わないのは、現実と迎合して生きるかどうかという点でしょうか。
 迎合して生きるくらいなら、なけなしの自分が裸になってもいいという思いがあるからですが、それは、贅沢しなければ自分が食べていけるベースがあるからなんでしょう。
 痛いところだけど、そういう環境にある自分への感謝とともに胸を張りたいというのもある。

 僕的には、その目的が我慾ではなく、一人でも満足してくれる人があればいいという私心のなさでさえあればとの気持ちですが、それも我欲かなあ?
 う~む、突き詰めると結構難しいけど、清々しく生きたいものだ!ってまとめてみました。
 チャンチャン!(^^)!

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