夏野菜、キュウリは収穫しだしてからしばらくたちますが、ミニトマトやナス、オクラの収穫が始まりました。
毎日糠漬け三昧。キュウリとナス、オクラ、ニンジン。もう少し種類が欲しい!
今年は、畑の面積を考えて、ピーマンは苗づくりしませんでしたが、5月に借りた畑が1反、来年は、ピーマンも、ズッキーニも、トウモロコシも、、、
今、秋作に向けて、何を植え付けていくのかいろいろ妄想、構想していますが、合わせて来年何を作付けるのか、今から作付け戦略を練っています。妄想は楽しい!百姓って本当にクリエイティブで楽しい仕事です。
ゴマの不思議
農作業をしながら、ふと思ったのがゴマ。
今、背丈が1.2m位でしょうか。いったいどこまで伸びる続けるのか?1本でどれくらい収穫できるんだろうか?
秋になれば収穫時期ですから、もうすぐわかることなんですが、この不思議な樹形とあわせて、頭の中に不思議マークがいくつも(^^♪
この不思議って、調べ学習コンクールとかの題材にするとしたら、どんな?が、どんな!が、何てことを考えると面白い。
でも、子どもの発想の柔軟性には全く歯が立ちませんね。創造力が発展しない(^^;;
灰色の脳細胞が、相当硬直化しつつあるのかも、、、
松江市内のある学校の管理職の先生が、「松江市は一層学力向上に力を入れようとしている。学校の図書購入費などはもっと削減される方向だろうと思う」と仰っていたとか。
松江市では学力テストの学校ごとの結果公表に踏み切ったのは周知のことですが、それでも、効果が現れない、学力向上がママならないことに、教委のトップは焦燥感さえ感じているのだろうか?いや、感じるんだろうなあ。学力公表に踏み切る思考回路だから。
そこで、学力観を考える意味で、資料購入費を減らそうとすることに関連して、もう一度、鎌田先生から聞いた「村を育てる学力」と「村を捨てる学力」について、触れることにしたいと思います。
しばらくは、他サイトの紹介になるので、最初にそのサイトにリンクを張り(今、改めて問われる「村を捨てる学力」と「村を育てる学力」―資料紹介―)、引用部分は文字色を変えることにします。
まず、「村を育てる学力」と「村を捨てる学力」の出典は、東井義雄(1912年~1991年)の『村を育てる学力』(明治図書、1957年)です。東井は、1950年代に「村」と「学力」の問題に焦点をあて、「生活綴方教育」の実践者(「綴方教師」)として高い評価を受けた一人です。とのこと。
1950年代に、このことに言及された東井先生の達観は、正直凄いと思います。
サイトに紹介された『村を育てる学力』の中から、特に2か所だけ紹介させていただきます。
進学指導・就職指導によって、たしかに村の子どもの学力は伸びるだろう。農村人口の都市へ移行も必然的な動向であろう。しかし、村の子どもが、村には見切りをつけて、都市の空に希望を描いて学ぶ、というのでは、あまりにみじめすぎる、と思うのだ。そういう学習も成り立つではあろうが、それによって育てられる学力は、出発点からして「村を捨てる学力」になってしまうではないか。
……「村を捨てる」立場から育てられた「主体性」が、「村を捨てる学力」を形成していくことは必然だが、……
この行き方に欠除しているものは「土」への「愛」である。「村」は、愛することもできないほど、暗く、貧しい。しかし、それがそうであればあるほど、それは、何とかせねばならぬ。「愛」が注がれねばならぬ。このような村をも愛することができるなら、この貧しい「国土」をも愛してくれるだろう。そして、そのことの中に、「生きがい」を見つけてくれるようにもなるだろう。たとい、村を出ていくことになっても、行ったところで、生きがいを切りひらいていってくれるだろう。
そして、そのような立場からの学習が、私は可能だと思う。客観的、普遍的な学問の価値が、そのような立場から消化されたら、どんなにすばらしいことだろう。
東井先生は、「綴り方」によって「村を育てる学力」を涵養されようとしました。
今、文科省は教育のゴールとして、「キー・コンピテンシー」を21世紀型能力として位置付けています。それは、実は文科省が看板を掲げ続けている「生きる力」。
その学力観に基づいた個々の力の涵養方法として「アクティブラーニング」が推奨され、義務教育にも取り入れようとされています。その一番のカギは思考力なんですね。それは、実践力に繋がる。
その思考力、敷衍する判断力、表現力は、今の学習指導要領の要。その力の涵養のため、学校図書館が位置付けられ、その活用が教科書の随所に表記されている。
であるのに、、、指導要領に位置付けられた学校図書館機能の弱体化につながる、というか、今でさえ、資料不足に四苦八苦する学校現場をさらに窮地に追い込む資料費削減?
その管理職の見方が正しいとすれば、まさに「村を捨てる学力」を松江市は目指しているとしか思えないし、更に言えば、本当に、企業や社会が希求する若者の「生きる力」を義務教育段階で涵養しようとしているのか?と思わざるを得ません。
松江市教委は、もっともらしい常識に迎合するのではなく、真の学力とはと正面から問い、保護者や市民と真摯に向き合うべきではないでしょうか。聞いた話が正しければですが。
台風、大したことはなさそうですね。雨はちょっぴり期待しましたが、まあ取りあえずは。
天気予報では、早朝を除き午前中は雨予報。夏野菜の収穫だけと思って全部の畑を回りました。が、行ってみると気になってついつい雑草に向かってしまいます(^^;; 百姓の性のようなもの?
サツマイモを立てて育てる
さて、以前にも書いたことがありますが、果樹もお野菜も立てて育てると無肥料・無農薬でも慣行農法と比べても収量が多く、味も良いと聞き、夏野菜でお試し中です。
トマトもナスも2本立ちで、なるべく立ててを基本にやっていますが、土ができていないので、有意な差があるのかどうか?今のところは不明です。
一番わかり易いだろうと思い、写真の畑で挑戦中なのがサツマイモ。4畝に植え付けましたが、半分は這わせ、半分はキュウリのようにネットに這わせるようにしています。結果やいかに。
成り疲れしないナス
その他、ナスもやっと取れだしました。同じやり方で育てている出雲の内藤さんは、ナスも成り疲れしないので、11月頃まで取れ続けると仰っていました。
土ができていないからなあと思いながらも、秘かに期待しています (^o^)/
里芋は今年も元気。内藤さんはどうしているんでしょうか?これも試してみる?
ヤブツルアズキも順調。今年はしっかり支柱も立てました。
また、頂いた白豆、初挑戦ですが順調です。
全国学力テストの成績上位県は、地域のニーズに応える教育を行っているのだろうか?
「村を育てる学力」が「村を捨てる学力」になっているのではないかと言った研究者があると。
東京での“School Library Academy”キックオフ・ミーティングに続き、島根での第1回“School Library Academy”を4人の県議の皆さんの参加を頂き開催させていただきました。
講師陣は、帝京大学の鎌田教授と学校図書館界では「東の五十嵐、西の門脇」と並び称される前揖屋小学校、現松江市立大庭小学校の門脇司書。
市町村議員の皆さんの参加も可能としていたのですが、こちらの広報が悪くて来たかった皆さんも参加できず。反省。次はしっかり広報したいと思います。
西の門脇と言われるだけあって、門脇さんの実践報告はとても説得力がありました。
学校図書館を活用した教育の効果を実感すると、先生は自分の子どもをこの学校に通わせたいと思うようになる。それだけ子どもが変わるということ。
学校では、読書や図書館に関したさまざまな行事があるが、子どもの力を育てるのは授業です。学校図書館は授業を豊かにするためにある、んですよね。でも、十分理解されていない。
冒頭は鎌田先生の講義の中の言葉。地域は、地域を愛し、問題を解決してくれる人に育って欲しいのでは?で、問題意識醸成支援が今後の教育のキモ、先生の話のキモかもと思います。
リスクが一層高まる時代にあって、リスクヘッジを可能にする力を持たないと幸せになれない時代。その力を育てる鍵が学校図書館とそれを活用する授業、その理解者・実践者を広げたいものです。
家に帰りつくと、西の空も東の空も夕陽に染められていました。
今日のAcademyの余韻と重なって、尚更感動的だったかも。
酷暑の様相です。ということもあり、農作業は早朝と夕方にと決め2日目。
5時起きして一作業。早目の朝ごはんを終えてもう一仕事。
朝早いのは、体のこと以外にもステキがあります。でも、1時に寝ての朝作業は堪えます。
今日は、残していた里芋の追肥(ボカシを一掴み)と土寄せ。秋ジャガ植え付けに向けての準備。
自然農風で設えられた2つの畝、伸びるに任せられていた雑草を2度ほど刈り、初めて管理機を入れました。幾ら自然の循環を大切にする自然農とは言え、手をかけてやらないと作物は育たないし、土もできないよなあ。
8月、お盆前には秋ジャガの種芋を植え付ける予定です。
左上は、鮮やかなレモンイエローのオクラの花。明日辺りからでしょうか?本格的に収穫できるようになると思われます。
今夜の居酒屋で、焼きナスとオクラとの和え物?が出ましたが、これは美味い!
今日初めて収穫したナスもいくつかづつ収穫できそうなので、名前は覚えていませんが、この料理にはチャレンジしたいものです。