お手伝いできませんでしたが、竹切から始まった一日。
新しい顔ぶれも一気に増えそうなので、ひご作りの材料調達。
午後からは潜象道塾(カタカムナ)の勉強会。
いつものように面白い話がてんこ盛り、極めつけの一つは臨床整形外科!?
肩、腰、首のスペシャリストが揃った整形外科医院、そこでどうにも原因が特定できない患者が紹介されてくるのが“臨床”整形外科医院。
患者の様子を観察していたドクターが、勤め先に大嫌いで恨みを抱いている方はいませんか?
患者にはその心当たりがあると、ドクターは、その恨む思いを消せたら治るよって、自分の恨みが自分に帰ってきて原因不明の腰の痛みなっていた。
それがわかって、意識が変わると痛みは嘘のように消えた、、、
社会には邪念が渦巻いている、特にコロナでリモートワークが増え、直接顔を合わせず仕事をするようになり、そういう傾向が顕著になっていると。
例えば核家族化や個食、デジタル化などの社会の大きな流れによって、意識がかき乱されるようになり、原因の特定できない病って増えているのかもですね。
講師の芳賀さんが良く言っていますが、祈りの文化を取り戻すことって、今のわが国の喫緊の課題かもしれません。
勉強会の部屋の外では、コブシがそろそろ終わりに近づいているようですが、その手前でドウダンツツジが花を開き始めました。
目の前で競い合うように次々と花を開く花たち、贅沢な生活だなあ(*^^*)
エアコンがちっとも効果を発揮せず、底冷えがちっとも解消しない、、、
眠りについたのは1時前だった?
きっと素晴らしいお天気だろうと思っていたら、やはり、今朝はミルク色の霧にすっぽり覆われた新庄です。
熟柿もまだいくつか残っているいつもの窓からの景色、そして、ここのイチョウの木、やっと色づき始めたと思ったら、黄金色の樹形を見せることもなくどんどん葉を落とし、すっかり冬を迎える態勢です。
カタカムナ勉強会
昨日はカタカムナ勉強会、気分的には久しぶり!という感じ。
しばらく前から出自が気になりだしていた、勉強会でも大変お世話になっている放射状に並べられた“カタカムナ図象文字”の図。
聞くのも恥ずかしいかなと思いながら、一時の恥を忍んで聞いて良かった!
講師の芳賀さんのところにやってきて10年ほどになるとのこと。
カタカムナを世に出した楢崎皐月は、六甲山中で出会った平十字からウタヒを伝えられたけれど、図象文字の構造は教えられることなく研究を重ね、宇野民江さんとの勉強会を通じて公開に至ったとか。
目が離せないカタカムナ
楢崎皐月は遺言でカタカムナの究明を“新しい流れの人”に託したとのことで、その遺言を託された方の白羽の矢を受けたのが芳賀さんだったとか。
不思議なことに、芳賀さんの勉強会が始まって何年かが経ち、図象文字などのカタカムナの構造を伝えていたオウ家から“カタカムナ図象文字”の図が芳賀さんのところにやってきた。
ウタヒを伝承してきた平家とカタカムナ図象文字などの構造を伝えてきたオウ家、別々に伝えてきた古代の人たちの深甚の知恵があったようです。
その二つを手にした芳賀さんという人を得、カタカムナの神髄が輝きだすことで、自然と調和した私たちの未来が描き出されるのかも。
ますます目が離せないカタカムナかな?などと、、、
お日様に照らされた北山、抜けるような青空の中で見たいものです。
小林正観さんや斎藤一人さんも、“アリガトウ”と言い続けていると人生が変わっていく、幸せを引き寄せると言っているが、カタカムナの図象符ではアリガトウはカミなんだから当然だよなあ、という話です。
カタカムナの人たちの発想はとても深く融通無碍です。
そんなガッテンのお話も飛び出す深く楽しい勉強会ですよ。
芳賀さんを見送りに出る時、何気に通路脇の植え込みを見ると、、、
ええ~~っ!!どうしたん? キンカンの花がいくつも咲いています。
柑橘類の開花って、早春だったよね!?
先日の栗と言い、何かやたらおかしい。
この暑さのせいですか?
それはそうと、肝心な話。
昨日は、カタカムナ勉強会をリニューアルした“潜象道塾松江“の記念すべき第1回でした。
楢崎皐月の遺志を継いだ勉強会は、さらに深く面白い。
ちょっと脇道の話でしたが、ウタヒと鳴り物の音と舞いとのコラボレーション、昨年の隠岐では本の表紙を飾る妖精?が現れたり、静岡では杉の大木たちが大きく揺れたりするって?
ウタヒのコゑとヲオトとマイ、それが揃うと“ヤタノカガミ”と読みつけできる。
ヤタノカガミとは潜象界(カムナ界)に繋がることなんですね。
カタカムナ、知れば知るほど深い、面白い。
カタカムナの人たちって、日常的に直感的にそういうものを体感していたんですね。
今、世界中の人類が非人間的な生活をしています。
人類は自然から隔離された生活をするようになってから、欲が出たり、妬みが出たり、恨みを持ったりするので、悪しきエネルギーを出すわけです。
一つ一つの悪霊と言うか、そういうエネルギー体が生まれて、集まって、特に都会には充満している。
自死するに至り、三途の川をはるかに超えた向こうの世界で“カミ”に出会い、自分の回りの悪しきエネルギー体を向こうの世界(潜象界)に返し、この世(現象界)に復活したカタカムナの芳賀俊一氏の衝撃的な臨死体験の報告書。
“死”を体験したからこそ説得力を持って語れることなのかもしれません。
僕は、細々と自然農・自然栽培に取り組んでいますが、芳賀さんは、自然農業でさえ自然ではないと断言し、栽培は欲だとしています。
まさに、その通りで、その辺の野草で暮らせたら最高だと思いますが、やはり便利なものに頼ってしまい、なかなかそうはいかない。
まして、デジタル社会は超便利、顔を突き合わせなくたって会話ができるし、動かなくたって仕事ができる、でもそれって、、、顔を突き合わせるからこそ心が通うんじゃ?デジタルでは響かないんですよね。
豊かになったり楽になっていくのはいいけれども、大事なものをどんどん捨てて行っています。
意外に思うかもしれませんが一日1回でいいから、昔の人がやっていたように、お天道様、神様・仏様、ご先祖様に手を合わせる。そうして、見えない存在とコミュニケーションする。
今の日本にはそういう習慣がなくなっていますよね。
そういうことを忘れると、自然とのかかわりあいがなくなる。
だから、一日に1回、何にでもいいから祈る。
僕の紹介、全く意を尽くしてないなあと思いますが、目から鱗に出会えるカタカムナ人“芳賀俊一”さんの「カタカムナ人はこうして潜象界を動かす!」、ぜひ手に取ってみて欲しい一冊です。