ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ5回目行備忘録:2019年11~12月

2022年05月09日 | 海外:ハワイ備忘録

2019年の11月のハワイ5回目
は日付変更線を跨ぐ関係で、
NZに戻った時は12月でした。


コロナ前最後の今となっては
記念すべきハワイ旅行に
さすがに書き終わって感無量


2年半が経過した今、世界各
国は閉じていた国境という扉
を順に開きだしました。いつ
かまた2019年までのように
自由に安全に旅行ができ、楽
しめる日が戻りますように。


そのためにも1日も早くウク
ライナに平和が戻らんことを


では12泊13日の旅行記33本
自分用備忘録にまとめます。


寝かせて

飛行機の関係で予定を2日早
め、慌ただしく出発~


朝はカパフルから

ぐっすり寝て翌朝はカパフル


後味が悪かった「日立の樹」

5回目にして初めてでした。


西の町ワイアナエ

かなりディープなハワイ体験


西に住む思い出の人

空港からクヒオまでの思い出


ハワイのヨコハマを出て

ハワイにあったヨコハマベイ


カエナポイント州立公園自然保護区

コアホウドリに会い放題


ミッチズで海の幸三昧

レンタカーを返す前にここへ


いざマウイ

初マウイ。空港の機能性に感激


ラハイナのプランテーションイン

これから定宿になりそうです。


ラハイナルナ通りの香港

通りを挟む意外な香港つながり


フロント通り散策

オールドタウンが息づく通り


マウイ最初の夜

ハズして夜サンドイッチ🥪


見学は自己責任のブローホール

どこまで行くかは自己責任


マウイの醍醐味

ドライブの後は買い物+美食


南へのドライブ

北とはまた違う雰囲気の南側


マウイのメリマンズ

早くから予約していたお愉しみ


ラハイナ散策

西マウイ最終日は徒歩で散策


ラハイナ歴史博物館

ホノルル遷都までの古都の面影


ラハイナの木

モンキーポッドとパンノキ🌳


19世紀と21世紀の共存

ぜひ次回のマウイもココで


ペギー・チュン ホテルでの出会い

貴重な出会いの機会でした。


ペギー・チュン 心で描く

絵とは心で描くもの


ペギー・チュン ペギーの足たち

最期は100人が支えた尊い魂


名無しという名の猫

また会おうね、ノナミ


ハリイマイレ・ゼネラルストア

すべてに余裕がある寛ぎの店


鎮魂の谷イアオ渓谷

豊かさと哀しみを包み込む谷


カラフル、パイア

誰がなにをしていてもよさげ


別世界ハレアカラ国立公園

標高3,000ⅿの意外な別世界


標高1,000mのクラロッジ

ハワイの避暑地が新鮮です。


通い詰めたマウイ・コーヒーロースターズ

カフルイに来る時は必ずここ


感謝祭当日のダイヤモンドヘッド

何度来ても感激と感嘆の眺め


ブラックフライデー当日

面白かったけれど最初で最後
若い頃だったら楽しかった


次に再訪できる日を楽しみに
日々の生活に勤しみます


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ハワイ5回目行:ブラックフライデー当日

2022年05月08日 | ハワイ:オアフ島

2019年の11月のハワイ5回目


ハワイ10日目の感謝祭当日の
ダイヤモンドヘッド登頂を終
えバスでワイキキに戻ったら
「えっ丸亀に行列がない?」



これ幸いと駆け付け一杯



並ばなければありがたい

夫はかき揚げプラス


ブラックフライデーのために
この時期のハワイに来ている
前日に会った友人夫婦のバー
ゲン攻略法によれば、前日の
感謝祭当日は大事な下見の日

(※彼らも私たちも好きなココ)


とことん見て、試着をし、ど
の店で何を買うかを徹底的に
シミュレーションしておけと
靴はほしかったのでまず試着


でもブラックフライデー当日
にこんなに空いていて整然と
並んでいるとは到底思えず、

きっと上に下にの大騒ぎで、
レジも長蛇の列🐍のはず💦


だったら、とその場で購入


とても私たちが戻って来ると
は思えず、目星を付けたもの
が残っているとも限らない。
すでに半額だったので十分


ワイキキの街中でファーマー
ズマーケットをやってる~



龍眼まで売ってる~



マラサダも種類がいっぱい。



この時点でアメリカの感謝祭
がいかほどのものか知らず、
ましてや観光地ハワイだし
と、甘~く見ていた私たち。


夜は見事ディナー難民に

なんとかかき集めて部屋食🥢


11日目は1年最大のショッピ
ングデー、ブラックフライデ
ー当日。物見遊山で朝6時か
らアラモアナショッピングセ
ンターに行ってみました


まだ夜のように暗い中、パー
キングにクルマがどんどん入
ってくるのには驚きました。



そして人もザクザクと中へ。

みんなニコニコ楽しそう


吹き抜けの空はまだ真っ暗



しかし、みなさん買ったり



並んだりで、昼間同様です。



バーゲンに参加しない店は、
行列がないのですぐ判る



参加するにしても営業開始
時間がいろいろ違うよう



唯一興味のあったルルレモン



どこよりも列が長く即断念



ようやく空が明るくなって、



飲食店も開く時間かな



何も買うことなくウロウロし
てかれこれ、2時間が経過



ここも驚くほどの列だった
ホームカミング・ホノルル

ホームカミングというネー
ミングが温かくていい感じ


やっと朝のコーヒー



アサイにたどりつきました。



この時期のハワイ訪問は件の
友人の勧めもあり、本場のブ
ラックフライデーを体験して
みようという意図だったので
すが、私たちはそこまで買い
物熱心ではなくこれが最後

定価$10~12.5のモノが10個
で$35が激安なのは判るので
すが10個もいらないお年頃


買い物も楽しいけれど、他の
楽しみもたくさんあるハワイ

落ち着いたらまた行きます


最終12日目は早朝から空港へ

帰りは機中泊ではなく、日付
変更線を超えるもののその日
のうちにオークランド着


NZ航空はラウンジがないの
でUA(ユナイテッド航空)の
を使いますが刷新されてる



食事の質も種類も良くなり、
嬉しく意気揚々と帰国の途に



NZ航空の都合で2泊追加した
12泊13日の旅行記終了です


長い間のお付き合い
ありがとうございました


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ハワイ5回目行:感謝祭当日のダイヤモンドヘッド

2022年05月07日 | ハワイ:オアフ島

2019年11月の5回目のハワイ


9日目は6泊したマウイ島か
らオアフ島に戻り、再び「ハ
ワイの子」
にチェックイン


マウイから



オアフへ


島が違うと景色も変わる


その後キウイの友人夫婦と落
ち合って、彼らのホテルの部
屋へ。彼らはワイキキに2部
屋物件を所有しており、ビー
チが見えるラナイ(ベランダ)
付きのステキな部屋でした。


友人は毎年ブラックフライデ
ーの買い物を楽しみに、この
時期のハワイに来ており、バ
ーゲン攻略法をいろいろ授け
てくれましたが、なにせ物欲
に乏しい私たち。話は面白く
て大笑いでしたが馬耳東風


「ベトナム料理が好き」とい
うのでフォービストロ2へ繰り
出したら感謝祭前夜で休み💦
別のベトナム料理店へ


10日目の感謝祭当日の朝は、

ボガーツカフェへ


前回とだいぶ様子が変ってい
てオーナーが変ったのかと思
ったほどですが改装したとか

行列もなくスッと入れたのは
感謝祭だったからなのかな?


アサイはちょっと凍ってた



その後はダイヤモンドヘッド



テクテク歩いてまるでお参り



観光客もいるしかなりの人出



コロナ前の密もなにもない頃

この5月12日から入園が予約
制になるそうですね。確かに
混雑緩和が必要な場所かも。


駆け上がるカッコいい彼女



夫もマネして駆け上がる~



何度見ても心打たれる眺め



オアフはオアフでまたいい



街中でないのがいいのかも



やはりハワイは海が絵になる



山肌に張り付くような住宅街

どの家も眺めが良さそう。


大爆笑だったカハラホテル



前回登頂したココヘッド

だんだん目にするものが何だ
かわかるようになってきた


Happy Thanksgiving🦃



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ハワイ5回目行:通い詰めたマウイ・コーヒーロースターズ

2022年05月06日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
ハワイ9日目、マウイ7日目


計6泊したマウイ島最終日の
朝もまたココに来ました

マウイ・コーヒーロースターズ


ゴチャゴチャガチャガチャが
不思議に調和する楽しい店内



いろいろあってもつい笑顔に
なれるものだから馴染むのか



独りよがりではない遊び心と
は、こういうものなのかな。



多くがその遊びを共有できる
ことがカギなんでしょうね。



その真骨頂がこの天井でした



飛び乗って寝たくなるよう

天井なのに


個性的なテーブル。初日はコレ



ロースタリーの新鮮な1杯

フラットホワイトがあります
ハワイにも浸透してきたのか


メニューが充実していますが

とりあえずアサイで


2日目はこのテーブルに☕



ガツンと朝の1杯

ファーン(シダ)っぽいアート


またまたアサイで。

バナナたっぷりがウレしい


店内はすでにクリスマスVer.



この手作り感も店に合う~



3日目はこのテーブルに☕

どれが空いているか楽しみ


この日はアートなしで来た。

変わらず美味しいですが。


国内線でオアフ島に戻る日で
ちょっとしっかりめの朝食
ターキーアドカド🦃ラップ

ハワイは季節を問わずターキ
ーがあるのが羨ましいです。


カニサラダサンド🦀

カニもNZではまずないです。


そしてやっぱりアサイ(笑)



3日間たっぷり堪能しました。

ぜひまた次回もヨロシク


店の外にあった新聞の自販機

現役だったのでビックリ


夕食は初日こそハリイマイレ
ゼネラルストア
に繰り出した
のですが、それ以降はナゼか



2日目



3日目

とポケボウル三昧でした🥢
山菜があって狂喜乱舞の私


3日目はタカミヤマーケット
というローカル色豊かな店
を訪ねて行ってみました

ザ・昭和な感じ
ご飯も玄米はなく白米一本
充実した食もマウイの魅力


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ハワイ5回目行:標高1,000mのクラロッジ

2022年05月05日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


マウイ島最高峰ハレアカラ
後に下界へ。3,000mの世界
から降りて来ると雲が目前



徐々に視界が開けて下が見え



雲の下に抜けてきました。

山頂より気温が低くなるのが
実感でき上空の貿易風スゴし


標高1,000mにあるクラロッジ

ここで遅いお昼にすることに


1948年に私邸として建設され
1950年代にロッジが増築され

食事と宿泊ができる商業施設に


見事なテラスは1984年にここ
を購入した現在のオーナーが
さらに増築したものだそう。



この立派なピザ窯も



注文をしてピザが焼けるまで

素晴らしいガーデンを散策


海まで続くハレアカラの山麓



傾斜を利用した独特のテラス



広大な多肉園が広がっていて



今まで見たことがあるものの
中で最高だったと思います。



凝ったディテールも好みで



多肉好きなので見習わなきゃ



ずっといても見飽きないほど
手の込んだ見事な庭園です。



ピザ窯奉行の最高の笑顔

おねえさん、ありがとう


手作り感満載のピザと



オーガニックコスのシーザー

いつも同じ物で済ませる2人


歴史を感じる室内もステキ



暖炉がいるほど寒くなるのも
わかるほどひんやりして、ハ
ワイの貴重な避暑地なのかも



いつか泊れる日があるかな
(👆基本、山好きな2人)



ロッジはとってもいいお値段



部屋数も限られているし~

でも心の隅に留めておこう


敷地内には地元アーティスト
や生産者のモノを売る可愛い
店舗も併設されていました。



庭を見に来るだけでも価値が
あり、ぜひ再訪したい場所



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ハワイ5回目行:別世界ハレアカラ国立公園

2022年05月04日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目
コロナ前最後の旅行記もよう
やく佳境に入ってきました。


ハワイ8日目、マウイ6日目
はマウイ観光のハイライト

ハレアカラ国立公園へ
ホテルのあるカフルイからク
ルマで約2時間の距離でした。


ハレアカラはマウイ島最高峰
標高3,055mで、ハワイ語で
「太陽の家」を意味するそう。

国立公園は海岸線から最高地
点まで3,000mの高低差がある
特異な地形で総面積120km²
と島全体の6%に相当します。


ハワイにはハワイ島にある最
高峰マウナケア(標高4,205m)
やマウナロア(同4,169m)など
富士山よりも高い山があるの
がなんとも不思議でしたが、
マウイにも3,000m級の山が


「でもさ、山って標高が100m
上がるごとに気温が1度下が
るって言わない?3,000mだ
と頂上は何度なんだろう❓」

(※木も疎らになっていく💦)


と急に心配し出した私に夫は
「ハワイだから大丈夫だろう」

(※まさかこの人も自転車+
この薄着で頂上を目指す?)


星条旗の翻る入口を通過し

外に出ても寒くないかも
やっぱりハワイはハワイ


いきなり見たこともない陸上
のイソギンチャクのような不
思議な植物が足元に登場

ギンケンソウ(銀剣草)



説明によればギンケンソウの
中でもこの種類(上の写真左)
はハレアカラにしか生育しな
い希少な高山植物で右はハワ
イ島マウナロアにのみ生育。


これはハワイ・フクロウ。ハ
ワイ語でプエオと呼ばれる固
有種。昼夜問わず狩りをする
そうで天敵がいない証拠か。



山頂手前のレレイウィ展望台

ここで海抜2,700mほどですが
海抜0mまで見渡せるせいか、
そんなに高いとは感じない


周囲は歩けるようになってい
て、トレイルの拠点でした。



19世紀に造られた牧場跡の小
さな石垣があり、こんな高地
でも放牧をしていたとは



牧場経営は入植者の生活を支
えた一方で、固有種の動植物
に壊滅的な被害をもたらしま
した。一帯には今もカウボー
イ文化が残り、国立公園とし
ては環境保全に全力で取り組
んでいるのが、21世紀の姿。

ハワイはアメリカで絶滅する
固有種の70%以上を占めてお
り懸命な保全活動が継続中


展望台の目の前はハレアカラ
の火口でまるで月面のよう。



よく見ると火口にも道が



月面は風によるものでした。



海や陸から発生した湿った雲
が上昇してきて火口に滞留。



しかし、より高い所を吹いて
いる高温の貿易風がこれ以上
の雲の上昇を抑え込むため、

山頂エリアは乾燥し砂漠のよ
うな様相を呈しているそう。


この日は雲もなく晴天でした。



クルマでいよいよ山頂へ



標高3,055mとは思えないほど



暖かく風もなく穏やかな天気

みんなの格好もこんなです


この高さでも携帯で話せるし

自転車でも来れます~


周囲は草木もなく一段と殺伐



雲は何層もあり、眼下にも



山頂の醍醐味は別世界のよう
な火口が目前に広がること。

(※アポロ計画前に宇宙飛行士
がここで訓練をしたんだとか)


なんとも不思議な色と形状

映画「2001年宇宙の旅」にも
ここで撮影されたシーンがあ
るそうで、宇宙空間的な場所


そしてハワイ島が見えること

お互い高い山があるからか
100km以上離れた島が見える
というのは感動的でした


クルマで簡単に来られる別世界

ぜひ、またいつか


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ハワイ5回目行:カラフル、パイア

2022年05月03日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


5日目のマウイはイアオ渓谷
を出た後、ガラリと違う場所
海沿いの小さな町パイアへ。

かつてはパイナップル農園で
栄えた現在人口2,500人の町


「ここでご飯を食べよう
とフラりと立ち寄りました。

パイア・フィッシュマーケット


この店はあちこちに支店あり

@ラハイナ


@ワイキキ



せっかくなので本店訪問

ハズした時間でも激混み💦


このメニューを読んで理解して

やっと注文
魚だけでなく調理方法も選ぶ


マヒマヒバーガーとキハダ
マグロのグリル・オン・ザ

スゴ~くボリューミーです


店のロゴのキハダマグロが描
かれた大テーブルにいた人が
詰めてくれて席を確保

みんなお互いさまな感じ
ワイワイガヤガヤ楽しい店


歩き始めたパイアはとにかく







英語のカラフルには色の多彩
さだけでなく、個性の多彩さ
という意味もありますが、



この町はそのどちらもある



ヒッピー、アーティスト、サ
ーファー、スピリチュアル系
よりちょっと前のニューエイ
ジ系らしき人たち、レインボ
ー、外国人そしてローカルが

(※素晴らしいハンドメイド)


互いを尊重して仲良くやって
いるような町に見えました。



その象徴がカラフルさ





(※チベット仏教寺院)


誰にでも居場所とお気に入り
が見つかりそうな場所かも



カラフルさの中にも町がしっ
かりとここに根付いている、



歴史と落ち着きが気に入りま
した。観光客を必要としてい
ても媚がない気がしました。

みんな好き勝手にやってる


ここは元教会なのかな。

ピケフェンスがステキです。


ファサードと後ろの建物が合
っていないハワイのあるある



フランス語の名前のカフェ



期待どおり大正解のコーヒー



なによりもバナナの数にバナ
ナ好きおサル夫婦はアガる

これぐらいが一番食べ頃


このカフェ隣がレストラン



地中海料理とインド料理

というこの町らしいコラボ(笑)


ビーチも地元の人が多そう



キミはまちがいなくロコだね。



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ハワイ5回目行:鎮魂の谷イアオ渓谷

2022年05月02日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
ハワイ7日目、マウイ5日目
毎日毎日快晴が続きます。


ホテル近くで発見したカフェ
すでにクリスマス仕様です

カフルイ滞在中は毎朝ここの
お世話になりましたが、この
話はまた別の機会にします


雄大な自然美を堪能できる場
所に恵まれている、西マウイ

朝食後まっすぐやって来た
イアオ渓谷州立公園


渓谷のイアオニードル(海抜
680m、谷からの標高360m)

ハワイ語正式名はクカエモク
ハワイの海神カナロアの男根
石として知られるそうです。


千年前の古代ハワイではハワ
イ正月マカヒキに人々が集ま
り、農業神ロノの恵みに感謝
と祈りを捧げた場所だそう。



4本の川がこの谷に注ぎ、肥
沃な土壌と豊かな水で広大な
タロ畑が広がっていたそう。

今は観光用にこれだけ


カメハメハ大王がマウイ島に
攻め入った1790年にはマウ
イ軍はこの狭い谷へと撤退を
余儀なくされ、クカエモクは
見張り台に利用されたそう。


近代は景勝地として観光地に

1890年代


1919年



なんとも美しい山肌です。



岩が剥き出しになった殺伐と
した光景とは異なり、低いブ
ッシュで覆われた緑の姿は、

なんとも優しく、豊かです。


ここがパワースポットに数え
られるのが納得できるような
静謐な感じさえ覚えます。



谷という地形が水を呼び込み
風を遮っているからなのか。



遊歩道は舗装されて歩きやす
く、展望台までは30分ほど

だいぶ上がって来ました。


展望台からさらに山道に入れ
てちょっと登ってみました。



さらに眼前に絶景が広がって



岩山が目の前に迫るようです。

隣り合わせの縦横の模様


縦の引っかき傷のような岩壁

流れ落ちる水による造形か


こちらはよくある段々の地層



湿った粘土質で滑りやすく、

ハイカーが造った獣道的な道
谷ではヌーディストが沐浴中


見る位置が変わるとニードル
の形もずい分と変わります。



谷間から臨むカフルイの街

プライドオブアメリカ


誰かが立てたハワイ州旗

この谷はハワイの古戦場


カメハメハ大王がイアオ渓谷
に攻め入った1790年の戦いは
ハワイ史上最も過酷な戦いと
して知られ、ケパニワイの戦
いと名付けられているそう。


ケパニ(堰き止め)+ワイ(水)で

兵士の遺体で川が堰き止めら
れるほど、双方の軍に多大な
犠牲者が出たのだそうです。


鎮魂の谷でもありました。



すべてを目にし静かにたたずむ

クカエモク
またいつか


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ハワイ5回目行:ハリイマイレ・ゼネラルストア

2022年05月01日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


西マウイのラハイナに3泊し
た後にやって来た東マウイの
カフルイ。島内最大の街で、
最大の空港と港があります。

マウイビーチホテルに宿泊


観光の拠点に便利な立地

ホテルの部屋にプレステ


岩場のビーチに面していて、



ものすごく風が強い浜です。



曇空にあっというに間に青
空が広がって行く上空の風



ホテルのサイトの動画でも
ヤシが揺れに揺れていて、

いつもこんな天気なのかな


自然のアート。流木と藻



ハワイ4島周遊クルーズの



プライドオブアメリカ
がすぐそばに停泊中でした。

「いつか乗ることがある?」


クルマがあるので夕食は遠出

ハリイマイレ・ゼネラルストア
ハリイ(覆う)マイレ(甘い香り)
という意味だそうでハワイ語
だと『芳香ヶ原』とでも。ブ
ッシュだった一帯はパイナッ
プルプランテーションとなり


1925年に農園労働者のために
雑貨店ができ、青果・精肉・
鮮魚から郵便局、衣類や日用
品まで何でも揃い、人々の社
交の場でもある典型的なゼネ
ラルストアだったそうです。


店はさまざまな経緯をたどり
ながらも1987年まで継続し、
1988年以降は今のオーナー
夫婦ビバリーとジョーがレス
トランを開業し現在に至る


すでに開業30年以上の老舗

店に入るや地元民で賑わって
いるのがすぐに判りました。


開業した時には雑貨屋も兼ね
ていて5、6席しかないところ
に100人以上が押しかけ、レ
ストランに全面改装したそう。

写真が撮れない混み具合


地元客観光客の分け隔てない
自然なサービスも素晴らしく

最初から寛げた店でした。


お冷もステキなジャーで



吹きガラスが素晴らしい



広い店に合う大き目のアート



こここそ元祖「農園から食卓
へ」
だったというシェフの主
張どおり、見るからに新鮮で



豊富な地元の食材がふんだん

(※夫は珍しくステーキ)


量も手頃で助かった(笑)

美味しく食べ終える条件


でもさすがにデザートは1個



ここはぜひ再訪したい店



旅先でこの寛ぎは貴重です。



他にもギャノンズとレッドバ
という姉妹店があるそう。


「いつか乗ることがある?」
という自問への答えは、

「やっぱり自分たちで動き回っ
てお気に入りを見つけたい

(※以前にはこんな記事も)


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ハワイ5回目行:名無しという名の猫

2022年04月29日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


ラハイナの話を終える前に、
ぜひ書き残しておきたいもう
ひとつの話はこの猫のこと😼



プランテーションインにチェ
ックインして、「さあ出かけ
よう」と外に出たらとたん



待っていたようにクルマの下
から、にゅ~っと出て来た



なんとも風格のある大きな😼



うーんと伸びをしていたので
相当長い間そこにいたのか



のっしのっしとこっちに来て



毛はボサボサ、おまけに足を
引きずってヨロヨロなのに、

スゴい気迫


「これ絶対『世界ネコ歩き』
やった方がいいよね~(笑)岩
合さん好みの猫じゃない
と、猫バカ夫婦は大喜び



ラハイナ滞在の最初から一緒
だったホテルの茶白の高齢猫



ホテルに戻るたびに会えて、
まるで駐車場の管理ニャン😼



ノラ猫以上飼い猫未満の地域猫

ホテルの敷地は自由に出入り
できプールで水を飲んでいる
のを見かけたりもしました。


ボロボロだけど誰かにごはん
をもらっているんだろうな~



と思ったら、ある夜駐車場の
裏通りを10ぴきほどの猫が走
り回っていて、何ごとかと思
ったら、ごはんを持った猫お
ばさんと思しき女性が登場



毎日会っていた猫の名前は、

『名無し』でした。
No Name(名無し)をつなげて
Noname(ノナミ)とはナイス


以来、ノナミ、ノナミと呼ぶと



そばに来ていつでもナデナデ



ある日、プールサイドで朝食
中植え込みに入るノナミ発見



ナゼかピンと来て見に行くと

疲れ切ったように隠れてる
私たちとわかり出てきました。


ひょいっと飛び降りた姿に、



ケガしてる

とすぐにわかりました。


肉球か爪が痛んでいるよう。



重心が掛けられずに腹ばい



猫おばさんによると、ノナミ
は一帯のボスで若いオス猫と
激しく対立してケンカが絶え
ないとか。初めて会った時は
後足を引きずり今後は前足。
顔も傷だらけでした💦

去勢猫なのに満身創痍で闘う
ノナミ


確かこれが若いオス猫



いつまでも元気でね

またラハイナで会おう


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ハワイ5回目行:ペギー・チュン ペギーの足たち

2022年04月28日 | ハワイ:マウイ島

ハワイで最も愛される画家の
1人ペギー・チュンは、常に
全力で、自由で、大きな心を
持った人でした。新しい友だ
ちを作りながらも旧友を大切
にし、パーティーを企画して
はみんなをもてなしました。


朗らかで分け隔てなく、誰も
が認めるカリスマだったペギ
ー。彼女が2002年に筋萎縮性
側索硬化症(ALS)と宣告され
人工呼吸器装着を決めるのと
同時に、自発的に発足したの
が彼女を24時間体制で支える
有志の輪「ペグズレッグズ」
(ペギーの足たち)でした。


数人で始まったぺグズレッグ
ズは晩年には100人にもなり
まさにペギーの手となり足と
なって彼女を支援し続けまし
た。電気で作動する人工呼吸
器を使っている以上停電は命
取りで、ぺグズレッグズは急
な停電にさえ対応しました。


ペギーがホノルルのあるオア
フ島からマウイ島に行くスー
パーフェリー(現在操業停止)
に乗りたがっていたのを思い
出したぺグズレッグズの有志
で、ポータブル人工呼吸器を
持ちマウイまで行ったことが
あったそうです。ペギー以外
全員が船酔いしたそうです。


ペギーの周りには愛と笑いが
溢れ、ぺグズレッグズは彼女
を助けることを誇りに思い、
「ペギーが私たちを導いてく
れ、いつも楽しみがあった」

と、異口同音に証言します。


人工呼吸器、ペグズレッグズ
そして何よりも本人の意思で
ペギーは息子が結婚し、孫が
生まれるのを見届け、別れた
夫エルロイと再婚しました。


しかし、2008年の夏にはペギ
ーがずっと恐れていた、意識
があっても目を動かすことが
できなくなる状態にたびたび
陥りました。目は人とのつな
がり、コミュニケーションを
可能にする最終手段でした。


この病を深く知る彼女はこの
状態を「ロックイン」(閉じ込
め)と呼び、意思の疎通を図れ
ないまま自分の身体に閉じ込
められ、生命維持装置で命だ
けを長らえると恐れました。


2008年11月、発症から6年以
上が経過した日曜日、繰り上
げ感謝祭と称してペギーの最
期のパーティー、アロハパー
ティーが催されました。多く
の人が集まり、笑いと涙の中
で感謝と別れを告げました。


そしてペギーはロックインを
解かれ、愛と栄光に包まれつ
つこの世を去り、彼女が信じ
続けた神のみ元へと戻ってい
きました。享年62歳でした。



今度ハワイに行ったらペギー
の絵を探してみましょう。



そして彼女の黒猫の絵本も。



次回のマウイもペギーの絵が
かかるプランテーションイン
で過ごしたいと思います。



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ハワイ5回目行:ペギー・チュン 心で描く

2022年04月27日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


西マウイ編を終える前に、
心に残ったことを綴ります。


ハワイで最も愛される画家の
1人ペギー・チュンが患った
筋萎縮性側索硬化症(ALS)と
は、手足や喉・舌などの筋肉
が徐々に痩せて機能が失われ
ていく病気です。問題は脳か
ら筋肉への指令が伝達されな
くなることで、筋肉自体は病
んでいないのに動けなくなる
ことで機能しなくなるそう。
そして治療薬がありません。


「車いすの天才科学者」とい
われた宇宙物理学者の故ステ
ィーブン・ホーキング博士が
この病と長年闘い続けていた
ので、発症から死に至るまで
通常数年とは知りませんでし
た。博士は享年76歳でした。


ALSは10万人に1.5~3人が発
症するといわれる非常に稀な
難病で、まず遺伝しないと言
われています。しかし、ペギ
ーは2002年に56歳でALSと診
断されるまでに、祖父、母、
双子のボビーをALSで失って
おり、自分が今後どうなって
いくのかが判っていました。


「やることはごまんとあるわ」
と、ペギーはすぐに人工呼吸
器の装着を決めました。装着
は寿命を延ばす可能性がある
一方で、辛い闘病も長引くこ
とになり、装着を選ぶか選ば
ないかは需要な選択でした。


ALSは筋肉が失われる反面、
感覚、視力、聴力、内臓など
の機能は保たれることが一般
的なんだそうで、ペギーは持
てる時間を精いっぱい創作
に充てることを選びました。


1年後の2003年、ペギーは右
手の自由を失うと、すぐに左
手で描くことを習得します。
しかし、それさえ2004年まで
で、その後は筆をくわえて描
きました。筆をくわえた満面
の笑顔のポートレートはその
頃に撮影されたのでしょう。

(※写真はコチラより)


懸命に生き、創作を続けるペ
ギーを病魔は容赦なく襲いま
す。全身が麻痺して筆が使え
なくなるとコンピューターの
視線入力で描き続けました。


それもできなくなると、板に
描かれたコマンドに視線を送
り、画学生がコマンド通りに
「右上から左下」といった具
合に代筆を行い、共同作業で
創作を続けていったのです。


同じ方法でペギーはアルファ
ベットをひとつひとつ目で追
いながら意思を伝えました。


最後は彼女の鼻に絵具を載せ
ケアギバーたちが紙を動かし
て描くというノーズペインテ
ィングまで試されました。


「結局のところ、絵は手で描
くものではなく心で描くもの」

ペギーは自分の言葉どおり心
で描くことを実践しました。


(つづく)

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ハワイ5回目行:ペギー・チュン ホテルでの出会い

2022年04月26日 | ハワイ:マウイ島

ラハイナの話を終える前に、
ぜひ書き留めておきたいこと
があり、もう数本続けます


宿泊したプランテーションイ
の部屋には素晴らしい絵
の複製が何枚もありました。



思わず見入ってしまったベッ
ドの上のハワイのコテージ

鮮やかさの中に気品があり、
思いもよらない色から植物の
瑞々しさが伝わってきます。


コテージが中央に描かれてい
ても、絵には主役も脇役もな
く、すべてのディテールが均
等に、美しく、丁寧に、心を
込めて描かれているようにみ
え、見入ってしまいました。


たわわに実る南洋のフルーツ

マンゴーでしょうか?


皇帝シダ(オキナワウラボシ)



葉の表面の星が特徴的なシダ



ホテルの庭にもありました。
 


画家の名前はペギー・チュン



このホテルかオーナーの故Sir
ランラン・ショウにゆかりあ
る中華系の画家なんだろうと
思いながらも、Chunという
スペルが北京語でも広東語で
もなく、19世紀早々に国を出
た華僑の子孫、華裔かもしれ
ないと思いました。当時は英
語表記が統一されていなかっ
たので、漢字は同じでもさま
ざまな表記方法があります。


検索して驚いたことに、ペギ
ーは白人のアメリカ人女性で
チュンはご主人の姓でした。
(※写真はコチラより)

絵筆をくわえた最高の笑顔に
は長く深い物語があります。



ペギーは1946年にオクラホ
マで双子姉妹の1人として生
まれ、1968年にハワイに移り
住みました。その後、ハワイ
モチーフのクリスマスデコレ
ーション事業で成功を収めま
したが、1987年に画家だった
双子のボビーが筋萎縮性側索
硬化症(ALS)で亡くなるのを
機に彼女も絵筆をとります。


才能はすぐに開花し、鮮やか
ながら柔らかで明るい水彩画
は、ハワイだけでなくアメリ
カ本土や世界からも認められ
ペギーはハワイで最も愛され
る画家の1人となりました。


画家としても順風満帆にみえ
たペギーですが、彼女は自分
にも病魔が迫ってきているの
を人知れず感じていました。


2002年56歳の時に、ペギー
もまたALSと診断されます。


(つづく)

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ハワイ5回目行:19世紀と21世紀の共存

2022年04月25日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


3泊したラハイナ最終日。グル
グル回ってやって来たのが、

ボールドウィン家博物館


最初の夜に高校生がパフォー
マンスをしていた場所です。




1834年に完成した宣教師の家

本や木綿の服と引き換えに地
元の人が石、珊瑚、木材など
で造った時代を反映した家。


ボールドウィンの家と呼ばれ
マウイに現存する最古の住居
今は博物館になっています。

ボールドウィン夫妻は1835年
にアメリカからここに移り住
み、キリスト教布教に励むか
たわら6人の子を育てました。


ボールドウィンは牧師である
とともに医師でもあり、天然
痘が流行したときは患者を収
容し、島民に読み書きを教え
るなど夫婦で地域に貢献し、
ハワイ王族や外国船の船長ら
とも交友を深めたそうです。



絵にもあるブドウ棚も健在🍇



ボールドウィンがやって来た
頃にはまだパンノキがあり、
ハワイの朝食にはしばしば焼
いたパンノキが供されたと彼
の手紙に記されていたそう。



隣の石造りの建物も1834年完成



こちらは石がそのままの状態



ここは船長の読書室と呼ばれ



捕鯨船の船長や職員(オフィサ
ー)のために新聞や本、筆記具
が用意されており、当時とし
ては非常に珍しい施設でした。



ラハイナは1820年代に捕鯨船



と宣教師がやってきました。



命がけで漁に出る捕鯨船の船
員たちは陸での狼藉で知られ
ハワイだけでなくNZやオース
トラリアでも地元民との小競
り合いが絶えませんでした。
(※NZでもそっくりな話)


行く先々で酒・女・喧嘩、時
には殺傷沙汰となる中、ラハ
イナでは宣教師たちとの対立
も先鋭化したたため、両者の
関係改善に向けて、船員たち
に休息と娯楽を提供するため
読書室の建設に至ったそう。


今回は時間の関係で中までは
ゆっくり見学できませんでし
たが、再訪した時にでも



ラハイナには他にもいくつも
博物館があり周ってみたい



パイオニアミルのサトウキビ
列車にも乗ってみたいし🚂



19世紀が深く息づいていなが
ら、しっかりと21世紀を生き
つつ、両者が共存している町



それを矛盾なく保っているの
は、ゆったりと流れる時間



それをともに楽しむ地元民と
観光客の思惑が合ってこそな
んだろうか、と思いました。



歩いてよし



学んでよし



買ってよし



食べてよし



本当に充実したラハイナ滞在



そして西マウイ観光でした。

ぜひ次回を楽しみに


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ハワイ5回目行:ラハイナの木

2022年04月24日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目
コロナ前最後の旅行記です。


ラハイナ歴史博物館を出た後
旧裁判所の裏庭の、この町で
一番有名な樹ラハイナバニヤ
ンツリーを見に行きました。



そこには今まで見たことがな
い、生き物のような巨木が



たこ足のようになったここか
ら始まっているのが判っても
その大きさに圧倒され、どこ
までも広がる巨大なアーチは
1本の木とは信じがたい光景



カーテンのように下がって来
る無数の気根は地面に到達す
ると幹のようになっていく



ケアンズでさんざん見てきた
イチジクと同じ展開なのは、
この木もイチジク属だから



幹のように育った部分から、
また気根が垂れてきて、同じ
事を繰り返えして永遠の命を
手に入れるかのよう。一部を
切ったぐらいでは死にも倒れ
もしない不老長寿のような木



この木は1873年にキリスト教
布教50周年を記念してウィリ
アム・オーエン・スミスとい
う弁護士が植えたものでした。
だから裁判所の裏庭なのか

ウィリアム・オーエン・スミス
(※写真はウィキペディアより)


スミスは宣教師の子としてハ
ワイで生まれたアメリカ人。


50年前の1823年はカメハメ
ハ大王の妻にしてカメハメハ
2世と3世の母ケオプオラニ女
が、ハワイ王族として初め
てキリスト教に改宗✟した年

(※ケオプオラニ女王)


樹齢150年近いラハイナバニ
ヤンツリーは、米国で最大、
ハワイ最古のバニヤンツリー

(※1908年のメーデーの様子)


高さは20メートル近くあり



木が覆う面積は約1,800平米



バニヤンツリーパークとして
人々に巨大な木陰を提供し、
憩いの場となってきました。

(※2008年)


しかし、まさにここで今まで
ハワイで見かけた中では最も
悲惨な状況のホームレスを見
かけ、木陰とベンチがかろう
じて彼らを守っていました。

胸にバッジをつけた宗教関係
者と思しき人が彼らに話しか
けている姿も見かけ、木の来
歴を知ると一段と複雑な思い
で、早々に立ち去りました。


歩いているうちに気づいた、
この実



今しがた博物館で見てきた

パンノキ(パンの木)


15世紀のマウイのカカアラネ
オ王はラハイナにパンノキの
果樹園を築いたことで知られ
当時はタロ、バナナ、サトウ
キビ、サツマイモに並ぶ重要
な栽培作物だったそうです。

熟した実を調理するとパンの
ような食感があるそうです


しかし、今は食料としては廃れ



木に解説がついているほど、
珍しい木になっているよう。



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