ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ5回目行:ラハイナ歴史博物館

2022年04月23日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


目に留まった建物は1859年に
完成した裁判所兼税関で政府
機関が入居していたことも。
1925年に大改装が行われギリ
シャ復興様式を取り入れエン
タシスある壮麗な姿となり、
それからもかれこれ100年

ラハイナ歴史博物館(無料)
が併設されていたので見学へ


入ると外の明るさが際立ち、



裏には巨大なバニヤンツリー




200~130万年前
西マウイの海底火山が海面に
隆起🌋して島となりました。



西暦250~400年頃
ポリネシア民族が南太平洋か
らラハイナに到達。ここをレ
レと名付け、タロを植えて定
住。移住は数百年間も継続



400~1778年
人口が増え、灌漑によって食
料供給も安定し、古代ハワイ
の大酋長(アリイヌイ)の下、
平和と調和の時代が続きます。

ポリネシア人らしいタトゥー


マウイ島はラナイやモロカイ
など周辺の島も含めマウイヌ
イ(グレートマウイ)と呼ばれ
12カ所のモクに区切られて、



各モクは山から海へと通じる
地形で、農業と漁業ができる
ように配慮されていました。

大酋長ピイラニの偉業です。


ピイラニはレレを拠点に西マ
ウイを統治していました。



しかし、1700年代に入ると島
の支配を巡って他の酋長とた
びたび戦闘が繰り広げられ、



1778年にはキャプテン・クッ
クがやってきて、ハワイは初
めて西洋社会と接触します。

NZでもオーストラリアでも
ハワイでも、行く先々にこの
方あり。翌年ハワイで死去。


1802~03年
カメハメハ大王はラハイナで
戦闘用カヌー戦隊を造り上げ



1810年
カメハメハ大王がマウイを支配



1819年
大王没後カメハメハ2世即位



1920年
キリスト教伝道師がハワイに
プロテスタントの布教開始



同時に捕鯨船のラハイナ入港
が相次ぎ、貿易と混沌の開始



1824~1845年
2世の没後カメハメハ3世即位

(※みんな短命すぎ)


ラハイナはハワイ王朝の首都
となったものの、21年後の45
年にはホノルルへの遷都実施


ラハイナ



ホノルル

発展の差が歴然


1859年
ラハイナ裁判所完成

当初はラナイ(バルコニー)が大
きくパイオニアインに似てる


(※パイオニアインは1901年創業)



1893年
ハワイ王朝の崩壊

(※最後の様子はコチラでも)


1898~1959年
アメリカの支配下に入り1959
年より、アメリカの50州目に



1960年代
西マウイはサトウキビ栽培と
観光開発で今日の繁栄が開始



1999年
1860年創業のサトウキビ農園
パイオニアミルが操業停止。
西マウイ産業は観光業に特化

(※今も残るパイオニアミルの
煙突はかつての繁栄の象徴)


過去を大切に今を、未来を、
生きていくであろうラハイナ
ぜひ、また来ます

(※2階のラナイからの眺め)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:ラハイナ散策

2022年04月22日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
ハワイ6日目、マウイ4日目


プランテーションイン最後の
朝食



一度も泳がなかったけれどプ
ールサイドはよかったです。



最後は私が挟みモノ系で(笑)

クロックムッシュ


夫はエッグベネではなく、ク
ラシックなポーチドエッグ
グラタン皿もフレンチです。

でも3個は多いよ、3個は(笑)


いいホテルでした。立地の良
さだけでなく、香港つながり
や他にも心に残ることがあり

次回のマウイでもぜひまた


朝のフロント通りはさすがに
人影もまばらで静かです。



滞在中ずっと海は穏やかで、



これだけ近いとラナイ島にも
ますます行ってみたくなる



最終日になってラハイナ散策

1916年完成のラハイナストアー


一段と古そうな木造3階建て



1903年完成のキシ・ビル

日系人所有だったんでしょう。


1919年完成のイチキ・ビル

ファサードは洋風でも後ろは
三角屋根で和風だったりして


これも1919年完成でエンタシ
スが特徴的。元銀行なのかな



高校生たちがパフォーマンス
やっていたのはここでした



ひと際古い石造りの2階建て



樹の下にすっぽり収まった家

屋根の真上の枝がギリギリ


やって来たのはラハイナ埠頭

その昔は鯨漁の荒くれ男が集
まり、その後は農作物の輸出
基地という、NZやオーストラ
リアによくある港町と同じよ
うな経緯を辿って来たよう。


今は観光船の桟橋がズラ~り

時代とともに用途は違っても
海は永遠に人を惹きつける


海辺に建つパイオニアイン



1901年創業。100年以上の歴
史があるホテル。乗下船する
人々を見続けてきた宿です。



プランテーションインの部屋
にあった1915年当時の写真

外観はほとんど同じに見える。


この灯台の初代はカメカメハ
3世が1840年に捕鯨船の航行
のために建てた太平洋初の灯
台だったそうです。灯火の燃
料は鯨油で、高さは3m弱。

現在のものは1916年に米国沿
岸警備隊から贈られたもの。


ひと際大きな建物に人が出入
りしており、さっそくGO



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:マウイのメリマンズ

2022年04月21日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


ハワイ5日目、マウイ3日目
の夜は前から予約していた

カパルアのメリマンズ


アメリカ本土や海外からの物
こそ本物、高級品と目されて
いたかつてのハワイの食
地産地消へのこだわりという
新しいコンセプトを吹き込み
「農園から食卓へ」のパイオ
ニアと目されている、ピータ
ー・メリマンの店メリマンズ



ハワイ島ワイメア

(※2017年)


カウアイ島ポイプ

(※2018年)


に続く、3回目3店目の訪問



前の2店とは比較にならない
大きさと、そこを埋める客席
にマウイの需要をみる思い。

こんな写真がやっとなぐらい
の混み方でここもいっぱいに


一番窓際の席でラッキー



と思いきや外席も延々とあり



みんな思い思いの場所に座り

みんな外れがなくラッキー


白シャツの親子は結婚式関係
者かな?でもジャンダル
なのがとってもハワイです。

キウイかオージーかも
NZでもオーストラリアでも
結婚式はこんなものです


テーブルには小さな虹



窓ガラスがプリズムになって
いるのかこういう演出なのか

どちらでもアガります


スマートカジュアルな雰囲気

ビールでも十分イケる店(笑)


旅先で気軽に楽しめる洗練



なにはともあれのシーザー
ピーター氏オリジナル



アペタイザーやサイドディッ
シュからあれこれ見繕って。



食材の90%が地元産だそうで



鮮度の良さが光ります



メインは2人ともシーフード



私たちにもちょうどいい量

適量はいい食事の条件


徐々に暮れなずんで行き



西海岸ならではの夕暮れ



パタヤかペナンか漁火か

潮風に揺れる裸電球がいい味


こんなムーディーな演出も。

ないと食事には暗いかも。


ここは結婚式の貸し切り👰



さすがにデザートはパスして

コーヒーで〆


これだけ大勢が一堂に会して
も、食事だけでなくこの場所
を思い思いに楽しめるという
のは、この店が培った長い経
験と客をもてなす引き出しの
多彩さなのだと感じました。

マウイだけでなくメリマンズ
はどの島でも再訪したい店


なぜかオアフ島は未デビュー
ぜひ、いつかの次回にでも


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:南へのドライブ

2022年04月20日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
ハワイ5日目、マウイ3日目


この日も快晴。ホテルのプー
ルサイドの朝食からスタート



夫はやっぱり挟みモノ系(笑)



私はミューズリーに



この日もドライブへ。ハワイ
の島巡りはクルマが前提なの
で、夫の運転に頼りっきり



この日は南へ



どこも絵になる景色ばかり。



空港からラハイナへの途中で
も見た風力発電のタービン



ひょうたん型のマウイ島の小
さい方の西マウイと大きい方
の東マウイの南境のキヘイ着

ケアリア池国立野生動物保護
区といういかにも私が好きそ
うな場所にやって来ました。


マウイ最大の池というか湖で
こんな場所を歩けるの~

と思ったのですが、何かの事
情で(←2年半前で思い出せず)
歩けませんでした(工事中)
ぜひ次回に


さらに南下してやってきたの
は南端に近いマケナ州立公園

フードトラックが来ていても


山火事注意の看板がある程度



の素朴な海水浴場という感じ

週末だったので子どもが大勢


地元の人が多そうな場所です。



みんな大荷物で1日いる構え



沖合の島はモロキ二島という
三日月型の無人島だそう。



ビーチの裏手には広大なブッ
シュが広がっていました。



確かに森林火災が起きやすそ
うな乾燥度で、オーストラリ
アのブッシュに似ています。



鹿もいるんだそうです



コーヒーを求めてやって来た

ザ・ショップス・アット・ワイレア
(👆非常にまんまの名前)


周囲に高級ホテルが建ち並び

こういう店が入居していて、


ここがマウイの最高級リゾー
トだというのがよくわかる



カフルイ空港にたくさん駐機
していたプライベートジェッ
トのお客がたくさんいそう



私たちはホノルルコーヒーで
飲みたかっただけなのですが



ルルレモンのアロハはげっと
しておくべきだったかな~と

杢グレーなんて一番好みだし、
夫も大の白好きだったのに(笑)


また虹が出て気分がアガる~



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:マウイの醍醐味

2022年04月18日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


マウイの2日目はまず島の最
北端ナカレレブローホール
で行き、その後は道なりに西
端のラハイナまで戻るコース



NZの地方同様、道が限られて
いるのでドライブもシンプル

センターラインに凹凸があっ
てスピードの出し過ぎや居眠
り運転予防になるのかな?


次に停まってみたのは名前が
変った小さなビーチでした。

カラフルな階段を降りると、


思いがけず広がる荒波の浜



ここはスローターハウスビー
チ(と殺場ビーチ)というおど
ろおどろしい名前で、1960年
代まで崖の上にホノルア牧場
の食肉処理場があったゆえに
この名前になったそうです。



でもハワイ語の名前モクレイ
アは生物保護区という真逆の
意。響きも美しくこれに一票

(※ハトまでビーチに)


一帯はハワイ語どおり、ホノ
ルア=モクレイアベイ海洋生
物保護区に指定されおり、釣
りなどすべての漁の禁止区域



次に立ち寄ったのはマウイの
高級リゾート地、カパルア

ノーフォークパインの並木に
こういうクルマが絵になる


一帯は1909年創業のマウイ
ランド&パイナップル社(なん
NY証券取引所上場企業)
が、100キロ平米の広大な土
地を住宅、ホテル&リゾート
商工業施設、ゴルフ場に一大
再開発して、高級リゾートの
カパルアを築き上げたそう。


高層ホテルやコンドミニアム
がたくさん林立していました
が、自分に興味がないせいか
写真はこの1枚だけでした

どこに行ったのかわからない
モンキーポッドの写真のみ


端整な教会



素朴で美しいモザイクだけれ
ど、心臓にナイフは痛いよ💦



1929年創業の雑貨店が今も食
料品店兼デリ&カフェになっ
ていて、ここでひと休み



他に店らしい店がないせいか
大勢で賑わっていました



ラハイナに戻ってアウトレッ
ト・オブ・マウイ
というマウ
イ島唯一のアウトレットへ



高層ビルではなくラハイナら
しい木造平屋の店が連なり、
海のそばの解放感もあってか
買い物派ではない私たちまで
ついフラフラと買い物へ



あまりの可愛さに知り合いの
可愛い兄弟にTシャツげっと



送迎バンもありました。



フロント通りの夕暮れ



すぐそばのイタリアンへ

サレぺぺ
世界中にありそうなイタリア
料理店前ですが、サーレ(塩)
も胡椒(ぺーぺ)も基本のキ


でも英語でソルト&ペッパーだ
とゴマ塩頭で店名にならない❓

イタリア語だとその辺クリア❓


生粋のニューヨーカーとイタ
リア人夫婦がマウイに恋をし
て開いた店だそうで、地元の
人と思しき人も大勢来ており

席があったのが奇跡的な混雑


ビールは「ビキニブロンド」



ココにいました👙(笑)



新鮮な生野菜とチーズたっぷり



メインの量も味もばっちり



正統派マルゲリータでした。

こういうのがありがたい


デザート、コーヒーへと進み



ワイワイガヤガヤの中で観光
客もすんなりなじめるいい店



ここは必ず再訪しそうです



ドライブ、ビーチ、買い物、
美食とマウイの醍醐味をコン
パクトに回った1日でした。


大勢が「ハワイはマウイ
という意味が、判ったかも


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:見学は自己責任のブローホール

2022年04月17日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
も、NZを出て機中泊を含めて
早5日目。ハワイで4日目
マウイで2日目を迎えました。


ホテルの宿泊は朝食込みで、
プールサイドでゆっくりと、



朝ごはんこれにジュース



そしてメニューから1品。

挟みモノ系好きの夫は
クロックムッシュ


私はイマドキ珍しいトッピン
グのないフレンチトースト

ホテル内のフレンチレストラ
ンで作っているからなのか。
フレンチトーストは基本形の
こうであってほしいと思う


「キミは誰かな?」



グリーンが目に鮮やかな

ヒロオヒルヤモリでした


ホテル住まいとはシャレてる。




食後はマウイ島の北端へ

ホテルから40分ほどの場所に
ある、ナカレレブローホール
ブローホールは潮吹き穴の事


標識がなくてもクルマがたく
さん駐車していて判ります。



標識らしきものは手書きのこ
れだけ。しかも潮でボロボロ

ブローホール
駐車と散策は自己責任で



なるほど~

遊歩道も柵もないので、どこ
まで行くかは自己責任か~


えっ



けっこう人がいる



波をかぶってる❓と思ったら



思いきりかぶってました💦



お年寄りは安全な場所から(笑)



荒波が岩壁に挑んで来るよう

火山島ハワイでよく見る光景


眼下も絶壁で轟音に包まれ、
どれが潮吹き穴の音なのか



近づいたら聞き分けられた❓



みんなの後をついて戻ると、



警告
ブローホールには近づくな
岩に挟まり命を落とすかも


・・て戻って来てから発見(笑)


近くにはお墓~

ホントにここで亡くなった方❓


ハワイは大自然の中、万事ユ
ルめで、個人がマイぺースで
楽しむ場所。でもご安全に



沖の岩島の周りの輝く白波



正面はモロカイ島

いつか行けるかな?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:マウイ最初の夜

2022年04月16日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


路上のアウトドアみやげ店
マオリの彫刻に似ていたり、
タヒチの彫刻に似ていたり。

ポリネシアンの共通性を感じ
ます。こうした人型はハワイ
でもティキというそうで、マ
オリやタヒチと一緒です


ホテルに戻るのに裏通りを通
ったら、個性的なお庭発見



お気に入りが並んでいるよう。



キャストアイアンのゲートも
こんなにカラフルで個性的



これはパイナップルモチーフ



かつてパイナップルで当てた
パイナップル御殿か別荘か?



いったんホテルに戻って・・



日が暮れてから夕食へ

歴史博物館で合唱の最中


スマホで歌詞を見てるとか



フラもありました~💃



演奏も



パフォーマンスつき



地元の高校生の有志たちで、

「来年はアオテアロア(マオリ
語のNZ)にも行きま~す

とアナウンスがあり、こっち
までイェ~イとなりました
がコロナで中止だったでしょ
うから(NZはいまだに外国人
旅行者の受け入れ不可)残念


とうとう夕食となりました

マウイ最初の夜に乾杯


ここはダウン・ザ・ハッチ
いう魚料理レストランとかき
氷屋
が一緒にある不思議な店



アダルトシェーブアイスで
大人のかき氷🍧

どの辺が大人なんだろう


ロブスターとカニの焼きサンド

ラバラバ(溶岩流) ソースがけ


どこでもシーザーサラダ

ランチとディナー共通のメニ
ューと料金で軽く済ませたい
私たちにはびったりでした。
(👆ハワイは量が多めなので)


マウイの夜はまさにこれから



でも今日のところはホテルへ

また明日


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:フロント通り散策

2022年04月15日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


3日目にマウイ島入りして、
やって来たのは古都ラハイナ
の目抜き通り、フロント通り




この通りは米国企画協会(APA
都市計画の専門家協会)より、
『偉大な通りトップ10』の1本
に選ばれたこともあるとか

(※後日の写真。絵になる道)


ホテルのあるラハイナルナ通
と直角に交わる地点から、
散策開始



端整なオールドタウンの趣そ
のままで店や飲食店が鈴なり



海岸通りなので、どこからで
も海がもれなくついてくる



海側の店はどこもオーシャン
ビューがウリで飲食店多し

ここも海辺のカフェ


目の前はラナイ島

いつか行ってみた~い。


砂の上に建っている建物

建物のメンテは大変そうだけ
ど、眺めは最高でしょうね


1986年の建物なのでそんな
に古くはないけれど、町の雰
囲気に合わせたコロ二アル調



1933年にできたアールデコな
ファサードの劇場。今は店舗



魚専門の2階建てレストラン

バルコニーに船長がいる🚢


しかし、「今日のお魚」がハ
ワイ語のみでマヒマヒ(シイラ)
とアヒ(ツナ)しかわからず



アメリカンダイナーな雰囲気



忽然と現れた中華風の建物は
中華博物館兼おみやげ店



新旧の建物が上手く調和を保
って連なっているのは、入念
な都市計画の賜物なのかな?



町の雰囲気が統一されてる



これは歴史的建造物かな?

かつての劇場


昔はホテルだったのでは



大きなアートギャラリー

アメリカ人はこういうモノを
ポンと買ったりするのかも


店の賑わいをよそに静かな浜



そろそろ日が傾いてくる頃



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:ラハイナルナ通りの香港

2022年04月14日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目
チェックイン後は、街歩き


プランテーションインを出た



正面は、ラハイナルナ通り。

ルナはハワイ語で「眺める」
という意味だそうで、日本語
の富士見通りという地名のよ
うにラハイナ見通りとでも


道の反対側のラハイナイン



1938年開業のホテルなのか



と思ったら、たった今発見


ラハイナインはホテルラハイ
になり、ホテル予約サイト
の評価で2.5スターだったのが
5スターに大化けしてる


今の宿泊費は2泊1,000ドル
以上で今の為替で12万円超
スゴいことになっている


ここはホテルよりも1階のレ
ストラン、ラハイナグリル
知られる場所らしく、マウイ
の案内には必ず出てきます。

アメリカのファインダイニン
グでトップ10の常連だそう。


興味を持って調べてみると、
ここは1938年に雑貨屋として
建てられ、1960年に2階に部
屋を足して宿泊施設となり、
1999年にスイス人シェフのジ
ャーグ・マンチがレストラン
を購入してオーナーシェフに


その2年後の2001年にマンチ
夫妻はホテルを含む建物全体
を購入し、2007年には先代シ
ェフの名を冠したレストラン
の店名デビッドポールズを、
現在のラハイナグリルにリ
ブランドしたんだそうです。


驚いたことに、マンチはマウ
イに来るまで長年、香港の名
門ホテル、マンダリンオリエ
ンタルの総料理長でした

(※写真中央奥の黒っぽい建
物がマンダリン。香港人には
九龍のペニンシュラホテルよ
りも重んじられる老舗ホテル)


マンチは1997年の香港の中国
返還を前に職を辞しマウイへ
移住。自分も返還時の香港に
いて、あの時の空気感が思い
出せるだけに息を呑む思い。


要職にあった海外から来てい
た白人たちの大脱走は業種を
問わず凄まじいものでした。


マンチへの地元誌のインタビ
ューの中で、香港からマウイ
への転居は『マセラティから
フォルクスワーゲンのコンビ
に乗り換えるようなもの』と
いうなかなか言い得て妙なる
表現があり、唸りました(笑)


こんな場所から



こんな場所へ




さらに興味深いのは、斜め向
かいのプランテーションイン
を香港映画の開祖ランラン・
ショウが購入したのも1997年


2人が知り合いでなかったと
は到底思えず、ラハイナルナ
通りを挟んだ香港つながり

故ランラン・ショウもレスト
ランのゲストだったのかも。


今回は食事の機会がありませ
んでしたが、ぜひ次回にでも



プランテーションインに宿泊



ラハイナグリルで食事

そして香港に想いを馳せる


というマウイの滞在は、2004
年に香港からNZに移住した私
たちにはなかなか相応しい

私たちの移住もまた、香港の
返還と無縁ではありません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:ラハイナのプランテーションイン

2022年04月13日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


マウイ島のカフルイ空港から
ホテルを予約したラハイナま
ではクルマで約40分でした。

ほぼ西端のオールドタウン


ホテルはクラシックホテルの
プランテーションイン



しかし、クラシカルに見える
だけでカナダ人実業家が1987
年に開業したホテルでした。

100年以上前のホテルと言わ
れても信じられそうな造り。


前年にカウアイ島でプランテ
ーション時代の建物を改装し
ワイメア・プランテーショ
ンコテージ
に宿泊していたの
でなおさらそう思えました。


それを香港映画の開祖、Sirラ
ンラン・ショウが1997年に購
入したと知って、宿泊決定



ランラン・ショウはショウブ
ラザーズを率い1970年代の香
港映画の黄金時代を築いた人

14年も住んでいたせいか、ど
うも香港がらみには弱い(笑)


レプリカのあざとさがなく、
当時のマウイでは昔ながらの
建築方法で難なく造れたのか



調度品まで建物に合わせて、
よくできています まるで
映画の時代考証のようです。



部屋は18部屋のみ。一番好き
なグリーンの部屋がキター




100年前からのモチーフのパ
イナップルが見事に彫られ

当時のハワイ経済を支えた柱
への愛着度が感じられます。


調度品も驚くほど凝っていて

アンティークのようですが、
各部屋共通のものだったので


贅を尽くした特注品でしょう。

このランプもそのひとつです。


パイナップルだけでなく灯り
をともすとシェードの透かし
が浮き上がるという凝り方。



クローゼットのルーバードア



外の陽が引き立つブラインド



バスタブとシャワーカーテン
というのもコロ二アル調には
欠かせないアイテムなのでは



「これでもか!」の凝り具合



木目やラタンと緑の組合せは
私が一番好きな内装の配色



家のダイニングチェアもこん
な色に張り替えたばかり(笑)

色が馴染み、落ち着きます。


部屋に入ったのはホテルの好
意でチェックインタイムの3
時より1時間早い2時台で、目
が釘付けになった2時7分

2月7日は私の誕生日です。


その2年前にもこんな事があ
り、写真も撮っていました。



マウイでの定宿決定を確信

(※カードキーは部屋の写真で)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:いざマウイ

2022年04月12日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


3日目を迎えて、いよいよ今
回の旅の目的地マウイ島へ

国内はいつもハワイアン航空


虹も出てなんだかアガる出発



到着したカフルイ空港には凝
ったレトロ列車が走ってる



降車すると目の前はレンタカ
ー会社が軒を連ねていて、み
んな予約先へスタスタスタ



これは便利

クルマがないと話にならない
場所なので、ここまでやって
くれると、感謝+感動+感激


レンタカー会社の数が多い

ズラ~~~~(笑)


かつてサトウキビ畑を走って
いたような車両や駅のレトロ
感にも旅情をそそられます。



他の空港もマネしてほしい

と思うような便利さと演出


立体駐車場にクルマがズラ~

自分のをピックアップして
GO


山の尾根で風力発電



時速45マイルなので70キロ超



「腹へった~💦」
という夫のガマンが限界で



ホテルではなくこっちへ。

ハワイのスーパーチェーン


夫のお目当てはとにかくポケ



これだけあると選ぶのも悩む



ローカル色豊かなアイス

「溶岩流」というフレーバーも
さすがハワイ。どんなテイスト❓


マグロ好きの夫はこれに



私はNZで希少なタコで



映画村のようにレトロなショ
ッピングセンター。古き時代
の雰囲気を大事にしていて、
空港の列車といい演出が上手



これも演出のひとつなのかな



後がコレでした👰
ジャスト・マリッド

空き缶を引っ張ってガランガ
ランと行く映画のワンシーン
のような光景が目に浮かぶ


エコモマイ(e como mai)は
ハワイ語のウェルカム

マオリ語はハエレマイ(haere mai)
マイが一緒





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:ミッチズで海の幸三昧

2022年04月11日 | ハワイ:オアフ島

2019年の11月のハワイ5回目


機中泊があるのでNZを出て
からは3日目、現地2日目も
とうとう夜を迎えました


「クルマがあるんだったら
と、やって来たのが中心部か
らやや外れた普段は来にくい

ミッチズ・フィッシュマーケ
ット & 寿司バー
という長い
名前で、フィッシュマーケッ
トとはいっても海鮮問屋では
ない、寿司中心のレストラン


オーナーのミッチさん

HPによると1998年にミッチ
と奥さんのイボンヌがハワイ
にやってきてミッチズ・フィ
ッシュマーケットという名前
のポケボウルショップを開業


しかしイボンヌは5年後の20
03年に他界してしまいます。


そこで南アフリカからの移民
クレイグが2代目オーナーと
して事業を継承することに。


クレイグは1996年からハワイ
で鮮魚卸会社を経営し、寿司
レストラン開業の夢を持って
いたので、ポケショップは寿
司レストランになりました。



和風テイストを取り入れた開
放的で落ち着いた内装です。



現在はクレイグが鮮魚を提供
し、板前がカウンターで腕を
振るうという、いいとこ取り



おもしろいのはクレイグの名
字がミッチェルなこと。初代
は名前がミッチェルだったの
ではないかな。どっちも略せ
ばミッチで、ご縁ですかね~



鮮度の良さが光るお刺身



アワビはNZ産パウアです

イセエビはオーストラリア産
だったんじゃないかな~🦞


半身でこれもいただきました。



吸い物



じっくり味わう濃厚さ

ごちそうさまでした
いつかまたクルマがある時に


レンタカーを返して普段あま
り行かないワイキキを散策

クリスマスの飾りつけ


アヤシイ日本語でも、いわん
とすることはわかります



ペントハウスが70万ドルから

でもダイアモンドヘッドクラ
ブでググっても、今はなにも
出てこないのは気のせいか


インマケ(と日本人は呼ぶとか)
のアイコン、バニアンツリー

ここに来るのはほぼいつも、


コナコーヒー・パーベイヤーズ
のため。夜の1杯は助かる



いつからかNZとオーストラ
リアでのコーヒーの鉄板フラ
ットホワイトがメニューに

(※オセアニアではラテは不人気)


チラ見して買い物イメトレ

これからマウイに行くので荷
物は増やせず、見るだけに


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:カエナポイント州立公園自然保護区

2022年04月10日 | ハワイ:オアフ島

2019年11月の5回目のハワイ


カエナポイント州立公園を行
くと忽然と現われたフェンス



山側も



海側も

どこまでも続き海に出ない限
り反対側には行けません


ここからは公園の自然保護区

野生の動植物保護のための柵


アホウドリもいるのぉ

NZでもなかなか会えません。


ともあれドアを開けて中へ



えっ

その辺にいるんですけど


飛び回ってるんですけど



こんな近くで

コアホウドリ。羽を広げると
約2mと巨大。99.7%がハワ
イ諸島に生息しているそう。


何羽もいる信じがたい光景

1年前の2018年10~11月の
カウアイ島キラウエアポイン
ト国立野生生物保護区
ではお
目にかかれませんでした。そ
れがオアフ島で会えるとは


産卵期なのか

立派でふかふかな営巣です


激しい求愛のダンスがあって



可愛いヒナがここで誕生する



そう思うだけでも感動もので

みんながんばってね


自然保護区は砂丘の保護も目
的にしており、砂丘は環境保
全に重要な役目を担うそう。



最西端カエナポイントに到着



1919年に灯台が建設され19
90年にはライトの点滅に切り
変えられ今は別の場所に移転



西端から北に向かえばノース
ショアに出られますが、今回
はここまで。またいつか



大きな虹のアーチが出て、



ハワイモンクアザラシに遭遇



ゴツゴツでも痛くないのかな



遊歩道は所により劣化が激し
く、自然の威力を感じます。



ホノルルから1時間でこんな
にハワイの史実と大自然に触
れられる場所があったとは

(※青々と続くワイアナエ山脈)


ぜひまたいつか来ましょう



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:ハワイのヨコハマを出て

2022年04月09日 | ハワイ:オアフ島

2019年11月の5回目のハワイ


西の町ワイアナエ出てからも
道なりにひたすら北西へ

ここで突然道が途切れます。


左の山には月のような観測所



ワイメアキャニオンに比べる
と、島の若さを感じる山肌

ワイメアのあるカウアイ島は
510万年前、マウイ島は340
~220万年前にできたそう。


ここからはカエナポイント州
立公園となり、西端まで歩き
ます。アクセスは徒歩のみ。



出発点となるケアワウラベイ
(上の図右上の①部分)は別名

ヨコハマベイと呼ばれ一帯の
浜全体を指す通称なんだとか


実際の横浜とは似ても似つか
ぬ光景ですが(←横浜出身)
ここに横浜出身者が釣りに来
ていたのが名前の由来の有力
説らしいのは興味深いです。


官製出稼ぎだった日本人のサ
トウキビ農園労働者はほとん
ど同郷の地方出身者が集団で
来ていたので、横浜出身者が
混じる可能性は低いのでは
(👆という夢のない事を言う)


個人的には彼らが横浜から出
航したという説に賭けたい


ともあれ、ハワイのヨコハマ
を出て、カエナポイントへ


入口に案内板がありました。



かつてホノルルから最西端の
ここを経由して最北端カフク
まで鉄道が通っていたと知り

驚きました


サトウキビをホノルルの港ま
で運ぶために1887年に開業し
たオアフ鉄道土地会社(OR&L)

鉄道は観光でも人気を博し、
1900年代初めまではホノル
ルのゴミを集積場に運搬し、
第二次大戦中は兵員や軍事物
資輸送にも使用されたそう。


しかし、1946年のエイプリル
フールデー津波
の被害で廃線
となり歴史に幕を閉じます。
津波はこんな場所にまで、大
きな爪痕を残していました。


その鉄道跡が今では遊歩道に

幅が広く平らで歩きやすい


しかし、これはダイナマイト
で固い岩を砕いて広げた結果
で、そこで出た瓦礫は他の低
い場所に運ばれ、線路の高さ
を海から一定に保つために使
われたそうで、大変な労力💦




線路の下は荒波が打ち寄せ、



反対側には山肌が迫ります。



ワイアナエ火山の噴火で流れ
出たマグマからできた火山岩

玄武岩で黒々としています。


ボルダーと呼ばれる丸い巨石



道の真ん中にも大きな岩

ボルダーが転がってきたのか


火山岩が長年の波風に晒され
てさまざまな形に変化を遂げ

自然のアーチになった場所も


アーチを風が抜けていくため
か、笛のような音がします。



とうとう線路跡のある場所に



枕木がそのまま残っています。

さぞや良質の木なのでしょう。


前方にまさかのクルマ



こんな道を走ってきたよう💦



逃げに逃げてここで御用

となったんでしょうね


行く手を阻む万里の長城のよ
うなフェンスが見えて来た



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハワイ5回目行:西に住む思い出の人

2022年04月08日 | ハワイ:オアフ島

2019年11月の5回目のハワイ


2日目のドライブで立ち寄っ
た西の町ワイアナエで、急に
思い出した人がいました。


それは初めてワイキキを訪れ
た2017年に事前予約してお
いた、空港からのハイヤーの
若い運転手
🚕のことでした。

(※初めてのハワイでした)


大柄な見るからにハワイアン


「ボクは西に住んでいて、大
家族で、入社3日目。ピジョン
イングリッシュを話します」
とホテルまでの数十分のため
に律儀に自己紹介をしてくれ
名前は普通の英語名で、ここ
ではジョンにしておきます。


「私たちはNZから来てブロー
クンイングリッシュを話すの」
と答えると、大笑いになり一
気に打ち解けました。この辺
のノリはまさにポリネシアン


長年暮らしているNZのオー
クランドは人口の25万人以上
がポリネシアン系と言われ、
人口比では市の人口の15%超


その人数は本国の島よりも軒
並み多く、世界最大のポリ
ネシアンシティーなのです。


そのため、たかが数十分でも
狭い車内でお互い黙っている
ことができないというジョン
の習慣がよくわかりました。


ピジンイングリッシュは世界
中の旧植民地などで現地人が
現地語と英語をミックスして
話す英語とされますが、ハワ
イではそれをピジョンイング
リッシュとも称し、さらにピ
ジン化しているらしいので
す。「ハトのように囁いて話
すから」という眉唾な話も聞
きました。ジョンははっきり
とピジョン、と言いました。


私たちがたった今ハワイ島か
ら到着した日本人だと知り、
「ボクはむかしあの島でダイ
コンやゴボウを掘る仕事をし
てたんだ。でも辛すぎた~」
と言いお互い大爆笑でした。


話は尽きず、愉快で大笑いの
連続なのですが、ジョンは道
を知らず、ナビの使い方もあ
やふやで、クヒオ通りという
大通りに行くのに、夫が携帯
で道を確認しながら指示を出
すという状況に陥りました。


それでも本人は陽気そのもの
で、おしゃべりが続きます。


そこに私用電話がかかってき
てジョンは普通に答えます。
「やっと仕事が見つかって昨
日から始めたんだ。だからま
だカネがなくて貸してあげた
いけどムリなんだ。ゴメン」


ジョンは「愛してるよ」と言
って電話を切り、「姪っ子な
んだ。ボクらはみんなカネ
に困ってる」と言いました。


楽しいおしゃべりも、姪のカ
ネの無心の話も、もしやチッ
プのためなのかとつい勘ぐり
たくなるほどでしたが、すべ
ては天真爛漫な展開でした。


彼が運転手としてあのまま続
いたとは残念ながら思えず、
やっと見つけた仕事とはいえ
ジョンもそこまで熱心には見
えず、別の仕事を見つけ続い
ていることを願っています。

(※クヒオ通りの丸亀製麺)


私たちも今は、別のタクシー
会社を利用しています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする