ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ5回目行:ペギー・チュン ペギーの足たち

2022年04月28日 | ハワイ:マウイ島

ハワイで最も愛される画家の
1人ペギー・チュンは、常に
全力で、自由で、大きな心を
持った人でした。新しい友だ
ちを作りながらも旧友を大切
にし、パーティーを企画して
はみんなをもてなしました。


朗らかで分け隔てなく、誰も
が認めるカリスマだったペギ
ー。彼女が2002年に筋萎縮性
側索硬化症(ALS)と宣告され
人工呼吸器装着を決めるのと
同時に、自発的に発足したの
が彼女を24時間体制で支える
有志の輪「ペグズレッグズ」
(ペギーの足たち)でした。


数人で始まったぺグズレッグ
ズは晩年には100人にもなり
まさにペギーの手となり足と
なって彼女を支援し続けまし
た。電気で作動する人工呼吸
器を使っている以上停電は命
取りで、ぺグズレッグズは急
な停電にさえ対応しました。


ペギーがホノルルのあるオア
フ島からマウイ島に行くスー
パーフェリー(現在操業停止)
に乗りたがっていたのを思い
出したぺグズレッグズの有志
で、ポータブル人工呼吸器を
持ちマウイまで行ったことが
あったそうです。ペギー以外
全員が船酔いしたそうです。


ペギーの周りには愛と笑いが
溢れ、ぺグズレッグズは彼女
を助けることを誇りに思い、
「ペギーが私たちを導いてく
れ、いつも楽しみがあった」

と、異口同音に証言します。


人工呼吸器、ペグズレッグズ
そして何よりも本人の意思で
ペギーは息子が結婚し、孫が
生まれるのを見届け、別れた
夫エルロイと再婚しました。


しかし、2008年の夏にはペギ
ーがずっと恐れていた、意識
があっても目を動かすことが
できなくなる状態にたびたび
陥りました。目は人とのつな
がり、コミュニケーションを
可能にする最終手段でした。


この病を深く知る彼女はこの
状態を「ロックイン」(閉じ込
め)と呼び、意思の疎通を図れ
ないまま自分の身体に閉じ込
められ、生命維持装置で命だ
けを長らえると恐れました。


2008年11月、発症から6年以
上が経過した日曜日、繰り上
げ感謝祭と称してペギーの最
期のパーティー、アロハパー
ティーが催されました。多く
の人が集まり、笑いと涙の中
で感謝と別れを告げました。


そしてペギーはロックインを
解かれ、愛と栄光に包まれつ
つこの世を去り、彼女が信じ
続けた神のみ元へと戻ってい
きました。享年62歳でした。



今度ハワイに行ったらペギー
の絵を探してみましょう。



そして彼女の黒猫の絵本も。



次回のマウイもペギーの絵が
かかるプランテーションイン
で過ごしたいと思います。



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