布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

木下弘人牧師

2005-04-26 23:50:00 | 聖書
きのした、ではなく、きしたひろと。
職業:牧師。社会福祉家でもあった。福祉施設の充実では全国屈指と言えるだろう千葉県富津市のその福祉は、ドイツから来た「ミッドナイト・ミッション」の宣教師たちと木下先生によって拓かれたものだったと言っていいと思う。

1911年生まれ。2005年4月24日、94歳で天に召される。
今日、前夜式(いわゆるお通夜)に列席させていただきました。

木下先生は日本同盟キリスト教団中野教会の、今から数えて先々々代の牧師。中野教会の主任牧師は、教会付属の上ノ原幼稚園の園長を兼任するので、布忠が幼稚園のときの園長先生でもありした。

といっても、当時の木下先生のことはあまり覚えてないかなぁ。
中野教会の牧師を退かれたあとも名誉牧師として時々は説教に来られたのですが、そのときのことのほうが覚えているかも。
とにかく、「説教するのがとにかく喜び」という感じの説教でした。
身振り手振りが大きく、講壇の左右に歩き回るので、マイクが声を拾えなくて聞こえなくなったりすることもしばしば。

木下師を含めて中野教会の牧師を4代知っているのだけど、この4人の中で一番、子供に聖書のお話しをすることに喜びを感じていると見えたのも木下先生でした。

中野教会の牧師は園長として、上ノ原幼稚園の子供たちにも聖書のお話しをしなければならないわけだけど、小さい子にお話しするというのはかなり難しいものです。
布忠も教会学校で奉仕して、中学高校生のクラス、小学生のクラス、幼稚園児のクラスと経験しましたが、年齢が下がるほど難しかったですね。

木下先生の次の牧師も、幼稚園でお話しする日の前後には毎回「難しい」と言っていました。

その次の牧師も、幼稚園でのメッセージが近づくと、祈祷会で必ず祈祷課題に上げられていました。この方は論理を緻密に積み重ねるタイプだったから、その分、子供相手は苦心されたんじゃないかなぁ。私はこの先生の説教は波長が合ったんだけど。

今の牧師は、教員資格を持っているそうだから、前の二人ほどではないかもしれない(苦心しなかったということもないかもしれないけど)。
けれど木下先生はかなわないと思う。それくらい木下先生は、まるで「私は子供たちにイエス様を伝えるために牧師になったんだ」とでもいうかのように、ニッコニコしながら夢中になって話していた。

そう、いつもニコニコしている先生だったんだ。それも、子供たちに負けないくらい元気なおじいさんのニコニコだから、見てるだけでもパワーをくれる人だった。
元気ということでは、福祉施設「望みの門」の責任者として活躍していたときも「ここの特別養護老人ホームの入居者には、私より若い人がたくさんいる」と言っていた。
まさに八面六臂のパワフルさ。で、その八面ともがニコニコというわけ。

笑顔というのは案外クセモノで、常に笑顔の人だと逆に「腹が見えない」なんて思わされたりもする。でも木下先生のニコニコにはまったくそういうところがなかった。

さすがにお年を召されてからは、体も少しずつ弱くなっていたようで、富津教会でお会いするたびに(富津教会には先代牧師の頃までは、ときどき礼拝に出席させていただいていた)、「さすがに昔のような元気はないかなぁ」と思ったりしたけど、今年2月で94歳だったっていうから、それにしてはやっぱり元気な人だったのだろう。

今は天国で、イエス様のそばであのこぼれるような笑顔(本当にこの表現が似合う人だった)でイエス様を賛美しているだろうと思う。

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2 コメント

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木下先生について (ひろりん)
2005-05-06 16:40:14
私も同盟教団の教会に通って、木下先生の説教の虜になった一人です。昨日、西千葉教会の葬儀に行って来ました。にこやかな写真を見て、『もう二度とお会い出来ないんだなー』と寂しくなりました。
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コメントありがとうございます。 (布忠)
2005-05-12 13:21:10
この5月中に、キリスト新聞社から「木下弘人説教集」が出るとのことですよ。(もう出たのかな)



紙に書かれた字でどれくらい木下先生の説教が伝わるかわからないですけれど。
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