ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

いつか来た道

2015-12-26 | 日記

 

ことし最後のテクノフォロー相談会。

忘れ納め?で、メガネを忘れてしまいました。

ほんとうに今年はよく忘れ物をしました。何をどれだけ忘れたか、すでに忘れていますが。

 

脳のある部分に刺激を与えると、記憶のフラッシュバックが起きるそうです。

外部から刺激を与えられたわけではないのですが、わたしも一度経験したことがあります。

過去の記憶がリアルに次々と蘇ってきて、自分の意志ではコントロールできませんでした。

 

脳細胞と記憶の対応付けがあるのではないか。

一時期、そういう説があったようです。

でも、いまは、個々のニューロンは記憶を蓄えてはいない、と考える研究者が多いそうです。

 

記憶はあてにならない、と言われます。

思い出した時の状況によって、新たに再構成されるともいわれます。

たしかに、何が本当のことだったのか、自分でも確信が持てなくなった記憶というものもあります。

 

記憶は、単にものを覚えることではないとも言われます。

たしかに、場所、季節、人など、その時々の状況も含め、一体となって記憶される感があります。

突然、過去の記憶を思い出したりするのは、環境条件がその時と似ていたとも考えられます。

 

デジャビュ(既視感)というのも記憶と関係するのでしょう。

初めて出会う光景なのに、過去のいつかどこかで見たことがあると感じてしまう。

これまた原因はわかっていないようですが、抑圧された願望の表れだという人もいます。

 

そういえば、このデジャビュ感覚というのも久しく体験していません。

願望はすべて実現してしまったので、抑圧されているものなど何もないからでしょうか。

それは冗談ですが、あの不思議な感覚の記憶、これまた再構成されたものかもしれません。

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試験管の中の小さな街

2015-12-25 | 日記

 

事務所で10時から、の約束で、新しく入会したメンバーと面談。

一度、約束したことを忘れて、すっぽかしたことのある相手です。

時間ギリギリに着いたので、すでに待っていた相手が「また忘れられたかと心配しました」。

 

いえ、2度と過ちは犯しません、と入ったものの、自信はありません。

年明けから、最寄りの講習会場などで、見学や研修を始めてもらうために簡単なレクチャー。

勤めていた会社で時々仕事の声がかかるそうで、昨日も午後はそちらへ出かけるとか。

 

何かわからないことがあったら、いつでもメールや電話で、と1時間ほどで切り上げました。

事務所では、メンバー2人が、1月から始まるAdobeの新設コースのテキストの読み合わせ。

そちらも終わったようなので、しばし雑談をして引き上げました。

 

買い物があったので、四ツ木のスーパー経由で帰宅。

曳舟川の親水公園、少し紅葉が残っていますが、さすがに冬の光景になりました。

年の暮れも残すところ1週間です。

 

去年のイブは、テクノのレストランでディナーショー、チェロの演奏を聴きながらの食事でした。

今年はやらないんですか、と先週聞いたら、演奏者が見つからなくて断念したとのこと。

なかなか、いい雰囲気だったので、残念です。

 

Facebook、Twitterからのお知らせメールがわんさか来て、ちょっとワズラワシイ。

でも、Twitterには時々面白い情報があって、昨日もつい幾つかを追いかけてしまいました。

中に一つ、アムステルダムのアートディレクターの作品に興味を引かれたのでご紹介。

 

これは試験管に小さな街を詰め込んだ作品「MICRO MATTER」の一つ。

TwitterにはMICRO MATTERだけでしたが、面白そうなので作者のポートフォリオサイトへ。

ハイセンスなデザインの数々にしばらく見入ってしまいました。

 

サイトの作りも全画面サイズでなかなか凝っています。

左サイドにメニュー。右にある大きなプラス印をクリックすると個々の作品が表示されます。

見ていても楽しく、ON THE DAYという動画が特に気に入りました。

http://www.byrosa.nl/work/micro-matter/10500

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わからずに生きています

2015-12-24 | 日記

 

これと決まった座右の銘はありません。

気に言った言葉があれば、その時々の座右の銘にしたりすることはあります。

ただ、これしかない、と思ったことは一度も無かったように思います。

 

この広い世の中、これしかないと決めつけて生きてゆくのは勿体ないと思います。

と本気で思い込んでいるわけでなく、何事につけてもゆるゆる状態が好みなのでしょう。

強いて座右の銘らしきものをあげれば、「何事にも拘らない」ことに拘る?

 

といいいながら、いま、かなりこだわっていることが一つあります。

それが何かというと、生命とは何か? 

これだけ科学が進んだように思える現代でも、その答えはありません。

 

生命の起源についてもさまざまな説があって、生物学的には3つ。

地球誕生の時に宇宙から降下してきた。SFっぽいけれど、れっきとした学説です。

地球の歴史上のある時期に、化学反応で有機物が生じ、生命を持つ有機体に進化した。

 

最後は、生命は遠い昔に発生しただけでなく、現在でも無生物から容易に自然発生する。

これもかなりSFっぽいのですが、もとからいた生命じゃないとどうして判断するのか。

いずれも、永遠に仮説で終わってしまいそうな気がしていますが・・・。

 

以前の脳死による臓器移植でも、人が死ぬとはどういうことかが、大きな議論になりました。

死が定義できないということは、生きていることが定義できないということです。

ということは、わたしたちは今でも科学的とはいえない生き方をしている?

 

もちろん冗談として書いているのですが、行き過ぎた科学信仰への皮肉でもあります。

脳死を人の死とすることについても、私自身は疑問を持っているところです。

脳の活動が止まっても、身体の組織や器官は死んでいないので、個体死とは言えない・・・。

 

個体死と言えるためには、すべての細胞が活動を停止しなければならない。

細胞が死んだというには、細胞が生きているとはどういうことかがわかっていないといけない。

というように生と死を考えると、わけがわからくなってしまいます。

 

だからこそ、生死は人間にとって、宗教、哲学上のテーマにもなるのでしょう。

科学者が晩年、その死生観において宗教に近づいてゆくことも珍しくはないようです。

わたしはそれほど深く考えてはいませんが、けっこう拘っています。晩年だから?

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承知、了解、了承・・・違いが判らない

2015-12-23 | 日記

 

日常茶飯事になったメールですが、時に使う言葉が気になることがあります。

それは、相手からのメールで、わかった、理解した、という時に、どういう言葉を使うかということ。

わかりました、承知しました、了解しました、了承しました・・・。

 

実際には、それらを深く考えもせずに、その時の気分?で、使っています。

ただ、わかりました、とは殆ど書きません。書き言葉としてはふさわしくない感じがするからです。

頻度的には、承知、了解が多く、了承は滅多に使いません。

 

それぞれにニュアンスの違いがあるような気がします。

だから、相手によって使い分けているかな、と考えてみましたが、そうでもないようです。

ニュアンスの違いも、どこがどう違うかと訊かれるとうまく説明できません。

 

そこで、類語辞典を調べてみました。

了承の項には、承知すること、と書いてあって、何だ同じじゃないか。

承知の項には、許すことと書かれていて、ふ~ん、許す、という意識では使っていないなあ。

 

ウソをつくと承知しないぞ、という言い方はあります。

その時は、許さない、ということでしょう。

だから、承知しました、と言う時には、許す、許さない、は無関係なのでしょう。

 

結局、使う状況や前後の文脈で、使い分けるということでしょうか。

たしかに、依頼か、報告か、単なるお知らせか、などによっても使い方は変わります。

それを厳密に考えだすと、メールひとつ簡単に書けなくなるので、これ以上はやめましょう。

 

ただ、こんなことが書いてあるのを眼にしました。

相手から何かを頼まれたときに、了解しました、というのは軽い感じがする。

だから、ビジネスなどでは、承知しました、を使うケースが多くなってきている。なるほど。

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一陽来復の日

2015-12-22 | 日記

 

寒さがつのって来て、床離れがだんだん悪くなってきています。

今朝も、6時ごろ目が覚めましたが、布団から出たくなくてうとうと・・・。

起きた時には7時半を回っていました。

 

今日は冬至です。いちばん昼の時間が短い日。カボチャの日、ユズ湯の日でもあります。

先日、大きなユズを3個貰ったので、今日はユズ湯に入ろうかな。

その前には、大きなレモンをもらったので、これはレモン湯にしました。

 

小さなミカンもたくさんもらったので、ミカン湯もやってみました。

大きな柿も何個かもらいましたのでこれはカキ湯に・・・冗談です。

やはり香りが強い柑橘類でないとダメのようです。

 

陽光がいちばん衰え、この日を境にして再び蘇ってくる。

そのことから、冬至を一陽来復の日ともいいます。

ユズを使うのは、暖かい地方の産物ということからなのでしょうか?

 

風呂に結びつけるのは、禊ぎに通じることからでしょう。

陰の気を洗い流し、陽の気を身にまとえば、一陽来復の日にふさわしい。

今日はユズ湯に決まりました。

 

というところで疑問が一つ。

柚子は丸ごとがいいのか、半分に切って入れたらいいのか?

切って入れるなんて、見たことも聞いたこともない、とカミさん。

 

たしかに、丸ごと浮かんでいる風呂の光景しか思い浮かびません。

でも、香りとか中の成分の効能を高めるには、切ったほうがよい気がします。

1個だけ輪切りにして湯に浮かべてみよう・・・カミさんに内緒で。

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