海の向こうの国フランスの選挙が気になっていました。
テロが起きた結果、移民排斥を訴える極右勢力が第1党になるのではないか。
そんな懸念がありましたが、そこは自由の国、結果は杞憂に終わったようです。
米国大統領選でも共和党の候補が、移民の入国禁止を訴え。
これに対してもヨーロッパの各国から非難の声が出ています。
米国が共和党政府に変わったら、日本の政府もまたそのあとをついてゆくことのでしょうか。
夜、ラジオで杉原千畝の物語をやっていました。
ナチスに追われるユダヤ難民に、日本の通過ピザを出してやりたい彼。
彼の何度もの嘆願を聞き入れない本国政府。
国の命令か人の命か、選択をつきつけられた彼。
悩みぬいたあと、本国からの命令に背いて独断でビザを発給します。
彼らへの同情もあったのでしょうが、人の命に差はない、と思っての行動だったようです。
そんなの彼の話と、フランスの選挙結果とを、私の頭の中で結びつけた言葉があります。
それは、自由・平等・博愛、というフランスの建国の精神。
外交官として何か国語かを操った彼の中にも、その精神が宿っていたのではないか。
ラジオを聴きながら勝手にそう思ったものでした。
人の命に国境はありません。自分がどこの国に生まれるかは誰も自分では選べません。
自分で選べないことに、人は責任を負うこともできません。
選択ができてこその自由です。だからこそ自由には責任が伴います。
そこを踏み外すと、平等や博愛の精神も生まれて来ないのでは・・・。
正義感というだけでは薄っぺらい、そんなことを考えさせられた夜でした。