これと決まった座右の銘はありません。
気に言った言葉があれば、その時々の座右の銘にしたりすることはあります。
ただ、これしかない、と思ったことは一度も無かったように思います。
この広い世の中、これしかないと決めつけて生きてゆくのは勿体ないと思います。
と本気で思い込んでいるわけでなく、何事につけてもゆるゆる状態が好みなのでしょう。
強いて座右の銘らしきものをあげれば、「何事にも拘らない」ことに拘る?
といいいながら、いま、かなりこだわっていることが一つあります。
それが何かというと、生命とは何か?
これだけ科学が進んだように思える現代でも、その答えはありません。
生命の起源についてもさまざまな説があって、生物学的には3つ。
地球誕生の時に宇宙から降下してきた。SFっぽいけれど、れっきとした学説です。
地球の歴史上のある時期に、化学反応で有機物が生じ、生命を持つ有機体に進化した。
最後は、生命は遠い昔に発生しただけでなく、現在でも無生物から容易に自然発生する。
これもかなりSFっぽいのですが、もとからいた生命じゃないとどうして判断するのか。
いずれも、永遠に仮説で終わってしまいそうな気がしていますが・・・。
以前の脳死による臓器移植でも、人が死ぬとはどういうことかが、大きな議論になりました。
死が定義できないということは、生きていることが定義できないということです。
ということは、わたしたちは今でも科学的とはいえない生き方をしている?
もちろん冗談として書いているのですが、行き過ぎた科学信仰への皮肉でもあります。
脳死を人の死とすることについても、私自身は疑問を持っているところです。
脳の活動が止まっても、身体の組織や器官は死んでいないので、個体死とは言えない・・・。
個体死と言えるためには、すべての細胞が活動を停止しなければならない。
細胞が死んだというには、細胞が生きているとはどういうことかがわかっていないといけない。
というように生と死を考えると、わけがわからくなってしまいます。
だからこそ、生死は人間にとって、宗教、哲学上のテーマにもなるのでしょう。
科学者が晩年、その死生観において宗教に近づいてゆくことも珍しくはないようです。
わたしはそれほど深く考えてはいませんが、けっこう拘っています。晩年だから?