キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

傀儡と 自覚しなけりゃ それまでよ~

2012-12-01 08:32:31 | Weblog

汚沢はさすがだ、良く言えば老練、言い方換えれば老獪がぴったりだ。滋賀の嘉田バアサンに3回会っただけでその気にさせてしまった。世間では学者バカと言う、世俗、娑婆には疎いからだ。池部鈞(池部良の父、洋画家、風刺漫画家、随筆家)が昭和の初頃に上梓したノミキン博士なる、漫画入りの随筆集を読んだことがある。学者の専門バカを風刺して『蚤のキンタマを研究しても博士になれる』のを称してノミキン博士とカラカッタものだ。たった140万の県知事になってスッカリ官僚を使いこなした錯覚を起こしたままだったのが嘉田。そこへ政治好きな飯田哲也が橋下を離れて側近になって反原発の入れ智慧して新党立ち上げを煽っていた。そこは『蛇の道は蛇』で小沢の子分、岩手知事の逹増が橋渡しして嘉田と汚沢を引き会わせた、渡りに舟だった嘉田は擽られたから堪らない、クラクラとのぼせあがった、これで汚沢は自家薬籠中の物にして『汚沢の生活第一』を軸に嘉田を党首に祭り上げて新党を立ち上げさせてしまった。正に電光石火の早業だ。30日の日本記者クラブの与野党11党首による討論会で汚沢と合流したのは小沢の傀儡ではないかとの指摘に対して、嘉田は反論して「小沢さんを使いこなせずに、官僚は使いこなす事は出来ない・・」また「小沢さんの力を自分の為に利用してきた方たちが怖がっているのだろう、国民が求める政治を実現する為に小沢さんの力を使わせて頂きたい」と強調した。錯覚も永い間起こしていると現実に思えてくるから恐ろしい。すっかり自信過剰になっているバアサンを、大政治家汚沢が会って虚心坦懐を装って煽てて口説いたから堪らない、嘉田のバアサンすっかり、いい気持ちになってしまった。何もしないのに一夜明けたら、自民党に次いで第3党の党首だ。下には公明党以下8党が雁首並べている、天にでも昇ったような気分で我が身を抓った、夢かと思って。当初は汚沢色を隠そうとしたが隠せるものではないから開き直って「私は政治家として小沢さんを尊敬している。その力を政策実現、未来の為に使わせて頂く」というが、肝心の政策がない。小学生が七夕の短冊に書くような願い事をパラパラと6個並べたに過ぎない。付け焼刃もいい所だ。冷静に現実をみれば嘉田は知事経験のみで国政に携わったこともなく、ましてや政党を運営したことなどない、実務にあたるスタッフもいないし、智慧もないし、おまけに資金もない。ナイナイ尽くしだが『脱と卒と反』と現状否定の3文字の嘉田は『何とかの一つ覚え』で『卒原発』のシングルイッシューだ。国政全般の政策立案など土台無理、汚沢屋の表看板になって汚物を遮蔽する役に過ぎない。傀儡だと本人が自覚しないだけの話しだ。結局嘉田は『未来の党』本部事務をそっくり汚沢の生活第一事務局に丸投げしてしまった。選挙実務から衆院選の公約となる政策綱領も小沢が民主党で使った実現不可能だったマニフェストの焼き直しだ。月2万6000円の『子供手当』を12倍して年31万2000円に表現を変えたに過ぎない。嘉田は小沢と3回会って小沢の示す政策全体に合意した、ただ『卒原発』を私が党首なら入れてくれと要望しただけだと語っている。汚沢側近の参院森裕子が政策は生活第一と全く同じですからと述べている。その森は副代表になって、飯田哲也は副代表から格下げされて原発・エネルギーの担当になった。汚沢はヒトラーと同じ独裁者だ、盾を突けば一刀両断される。山岡以下幹部数人を呼んで己の意見を述べて己の思う通りに行動するよう命じる。手下はハッハーと平伏して小沢の意のままを末端の石コロ達に命令一下、全員夢中で走る。木枯らしが吹く師走を元先生と先生になりたい症候群の輩が走る。ジングルベルにのってトナカイみたいに走る、ハシル・・・

 


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