今年の初め、新聞にある神社の「厄除け祈願申込書」なるちらしが入っていた。その中に「長寿祝い年齢早見表」があり、それを見てガックリ! 何と私は今年「喜寿」だって、びっくりしたなあ、もう!
今は誕生日で年を数えるが、昔はお正月で年を数えていた。長寿祝いは数え年で祝うものだとは知っていたが、まさか私が…。昨年6月の誕生日で75歳、後期高齢者に仲間入りし健康保険証も変わった。だから、まぎれもなく喜寿なのだが、正直いうと、実年齢がピンとこないのである。だが、進む老化は如何ともしがたい。毎朝、鏡で老醜の顔を見て愕然とし、大きなため息をつくのである。
最近、老いを痛感せざるを得ない決定的な出来事があった。2月末のこと。ある朝、ウオーキングから帰ってエントランスに入ろうとしたら「ドーン」。漫画ではないが目から星が飛んで、一瞬何が起きたのか分からなくなった。普通の人ならおでこか鼻を打つだろうが、鼻が低い私は思いっきり勢いよく上唇あたりを「ドーン」。痛いのなんのって唇が切れたかと思った。
中側のドアは自動だが、外側の玄関ドアは、私が毎朝、ウオーキングに出るときドアストッパーで留めて開け放つのである。。だから当然、開いているものと思って勢いよく入って「ドーン」。痛みをこらえながら吹き出しそうになったが、笑いどころではない。これこそ老化による注意力散漫ということだろう。
そして一昨日、エレベーターが点検中なので、階段を使って2階まで下りたら、ベビーカーに乗せた赤ちゃんと2歳くらいの女児を連れたお母さんが階段を下りかけていた。お母さんはベビーカーを提げて下りていて、女児は階段のところでじっとしている。手を引いて下りてあげようかと思ったが、まどろっこしいので抱っこして階段を下りた。が、2歳の女児がこれほど重いとは…。あと3段というところで腕はしびれてくるし、足がもたついてよろめいた。これはヤバイ! でも、絶対に子どもを落としてはならない、と一生懸命踏ん張った。
女児を下ろしてヤレヤレ。お母さんにお礼を言われても上の空、「女児にケガをさせないでよかった」とそればっかり考えていた。自分の実年齢を忘れ、体力を過信してこのざまである、「もし転んで女児にケガをさせていたら…」、今でもあの時のことを思い出すと恐怖心が沸き上がって肝を冷やしている。
また、最近「ヒヤリハット」することが多くなった。スリッパを脱ぐとき、足が引っかかってスリッパが飛んでしまう。こたつの周りを歩いていたら布団に躓く。電気コードに足を引っかけてよろける、などなど…。部屋の中でいつもすり足で歩いているからだろう。ウオーキングのようにしっかり足を上げて踵からおろして歩くようにしなければ、いつか大けがをするだろう。精神を若く保つことはいいことだが、年相応の老人であることを忘れてはならない。体力、能力を過信しないこと、急がず慌てず落ち着いて行動すること、改めて肝に銘じなければと思うが。何しろ肝に銘じることが多すぎて困っている。
余談だが、100歳の精神科医・高橋幸枝著『心の匙加減』に、「頑張り過ぎず・自分を甘やかしすぎず・我慢しすぎず・他人を頼りすぎず」という人生訓があるそうだ。自然の老化には抗えないが、せめて心意気だけでもこうありたいものと思う。
喜寿」とは悩ましい!喜ぶのには少々複雑心境、とは言え現実は紛れもなく76歳をむかえますね。
足腰鍛えていらっしゃっても、過信は禁物よ~く解りました。肝に銘じて
古来稀なる「古希」をこの前迎えたように思うのに、いつの間にか「喜寿」。もう3年ほどしたら今度は「傘寿」です。考えたらガックリくるので、普段は実年齢を忘れることにします。でも、何事もし過ぎない、年相応に頑張るってことを肝に銘じながら…。
足腰鍛錬していてもこれですから、何もしないでいたらどうなるか。
最近、お地蔵さまへのお願いを「認知症は勘弁してください」から「ピンピンコロリでお願いします」に変えました。どうぞ叶いますように!
最近 老人病に対する対症薬が次々開発され
治験に入った、とか聞きますが、まだ生きて
いていいの?と思ったり、健康保険を抑制するため「ピンコロ」を狙っているのか?と疑心暗鬼! どうすりゃおクニのためにいいのかなぁ。
何事もほどほどにいうことだろうと思いますので、寿命もほどほどにお願いしたいです。
薬も治療も必要ない、ただ自然に死なせてくれれば十分。そう言いながら、ちょっと調子が悪ければ病院へゆくのですから、笑いますよね。
死ぬも生きるも神頼みです。