仁淀川ファンクラブ 

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その3

2011-02-22 | 仁淀川こども祭&めだかフェスティバル

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その3

9~竹村分家(マル久呉服店)

 分家の初代は、安右衛門守信で安政6年(1777)に
 本家より分家する。
 当初は質屋を営み、次第に発展して呉服商となる。
 三代目安七守本のころ、土佐国西部では唯一の
 絹織物商として繁盛した。
 この安七が店舗と住居を別棟として
 連続させた家を新築している。

10~五段鉢巻の蔵

 司牡丹酒造の本社の西隣りの漆喰壁の蔵。
 その壁には、五段もの鉢巻がある。
 水切り瓦も大変多く、下のなまこ壁も見事に残っている。

11~臨済宗妙心寺派「青源寺」

 開山したのは慶長8年(1603)。
 掛川・長蓮寺の高僧だった丈林宗規が、戦国大名、
 山内一豊や重臣である深尾重良と交わりが深く、
 静観の地 佐川を好んで青源寺を開いた。
 深尾家の菩提寺となる。
 この高僧は特に天皇が許す僧衣に紫の衣があり、
 紫衣僧(しえそう)として人々から尊敬されている。
 青源寺は代々紫衣僧の高僧、名僧を輩出している。

12~青山(せいざん)文庫

 幕末の勤皇志士から、伯爵に登りつめた田中光顕が蒐集し、寄贈した志士の墨書や史書を展示している。
 領主深尾家に関るものや、河田小龍のもの、西谷の蔵書、坂本龍馬の手紙なども残っている。

13~酒ギャラリー「ほてい」

 昭和初期、浜口家「野菊」から譲り受け、料亭を経営。
 骨薫貿易商「布袋商会」を京都で営んでいた竹村仁作は
 「布袋さん」と呼ばれていたため、料亭もいつしか「ほてい」
 となったそうで、人々の集まる場所でもありました。
 料亭とはいえ、対象客は文人墨客の集う司牡丹の社交
 クラブの様なもので、土佐の酒文化の発信基地でした。

14~佐川町 鳥瞰図

 佐川町上町の東の入口に立つ看板。
 ここから、西に約300mが「酒造の道コース」です。
 さらに、「地質探訪コース」、「桜花見コース」、
 「歴史・文教探訪コース」と広がって行きます。

      ~空を飛ぶ鳥になって~

15~土居八枝生家

 佐川深尾家家臣、林 繁の次女。
 上野の音楽学校に入学、本科に進んだ年に、
 詩人の土居晩翠と結婚する。
 八枝は著書「仙台の方言」、「土佐の方言」、
 「随筆」を出版している。

16~西谷の清水

 西谷地区。金峰神社西麓に沿って流れ、春日川に注ぐ
 西谷の川の上流にある。
 清水の傍らには、芭蕉句碑が苔むして佇んでいる。
 「むすぶより 早や歯にひびく 清水哉」

 

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羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その2

2011-02-22 | 佐川町ファンクラブ

羽迫さんの町屋あれこれ・・・佐川の町並み~その2

1~町並み模型館
 
 ここには佐川町の上町周辺の古民家を、1/20に縮小した
 模型を展示しています。
 建物の外観は勿論のこと、内部の障子やふすま・
 掛軸まで細かく再現しています。
 なお、模型造りと製作者のガイドを通して、
 建物の構造と昔の職人の技が見学できます。

2~伊藤蘭林塾(寺子屋)

 蘭林は深尾家に仕える儒官となり、郷校「名教館」及び
 「蘭林塾」で教授すること50余年であった。
 当時の佐川では、大半の学徒の人々は蘭林塾の教えを
 受けている。
 牧野富太郎、田中光顕、広井勇、古沢滋などもすべて
 門下生で、この寺子屋から育っていった。

3~司牡丹 酒蔵

 長大な酒蔵は、長さ85mで国内でも有数の長さを誇る。
 建築は天保9年(1839)で、東西2棟を繋いでいる。
 幕末の頃は、上町だけで9軒の造り酒屋があったが、
 大正7年には3軒になり、竹村本家・竹村出店・浜口家が
 合併して「佐川醸造」を設立した。
 その後、「司牡丹」に発展した。

4~牧野富太郎の生家跡

 植物学者で「日本植物学の父」と呼ばれている。
 富太郎は造り酒屋「岸屋」の跡とりであったが、幼少の
 時代から植物に関心を示し、東京帝大植物学教室に
 出入りするも、さらには独学で研究を深めながら、
 日本人では初めての植物の新種を発見、
 命名を数多く行っている。
 ~草をしとねに木の根をまくら、花を恋して50年~

5~元青山文庫 庫舎

 旧須崎署佐川分署として明治19年に建てられた。
 県内では、最も古い洋風建築である。
 その後、図書館として川田文庫に。時の宮内大臣、
 田中光顕から大量の書物を寄贈され、田中光顕の
 雅号「青山(せいざん)」をとり、青山文庫となる。
 民具館を経て、現在はイベント等で利用されている。

6~浜口家住宅

 浜口家は天正の頃、長宗我部信親の家臣であり、
 江戸中期に香南市手結から移り住み、
 高知・佐川・須崎で酒造業を営んだ。
 屋号を「生金屋(あらがねや)」と言い、大正7年に
 竹村本家、出店、浜口家 三軒の酒屋が合併し、
 佐川醸造(後の司牡丹)を設立した。

7~竹村家住宅  国指定重要文化財

 東の店舗部分は230年、西の客間は170年前のもの。
 幕府の巡検使を迎えた程の格式の高い住宅で、
 高知城「懐徳館」と同様の貼り付け壁(和紙貼り付け)。
 付け書院の花頭窓は、土佐でしか見られない特徴である。
 東棟(店舗)、中棟(住居)、西棟(客間)の
 三棟からなっている。
 入口は西と東の2ヵ所で、西門は巡検使や高官を迎える
 正門で、東門は家人の入口である。

8~町の駅、観光案内所

 この建物は武村本家の貸家棟であり、
 三軒長屋の形式を留めた古い建物である。
 中央の家は、町の駅として観光案内や、
 おみやげの販売もしています。
 一寸一服いかがでしょう

 

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