白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

日本の伝統芸術と芸能-037

2013-01-12 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と伝統芸能

         

                     仏像と仏像彫刻

          青い目の人形答礼人形

                                            -037

 

 

                   刺繍五髻文殊菩薩像

                (ししゅうごけいもんじゅぼさつぞう

                          大和文華館

* 文殊菩薩を刺繍で表した繍仏です。同様の図像は鎌倉時代に描かれた仏画にしばしば見られるものですが、本作品は、平繍、繻子繍、纏い繍を基調に運針を巧みに使い分け、まさに絵画のような高い表現効果を生み出しています。

 文殊菩薩

                                                 Manjusri

先々回から「文殊菩薩」をご紹介しております。「知恵の文殊」、「三人寄れば文殊の智慧」などの諺などで有名な菩薩です。先回までは安部文殊院、西大寺の文殊菩薩を紹介してきました。

文殊菩薩は作例が多く、全国至るところの仏閣や博物館などに祭られております。今回は余り見る機会がない仏画や博物館に祀られている文殊菩薩をご紹介しましょう。

 

八字文殊菩薩及び八大童子像(重要文化財)

                         MOA美術館

 

 上下いずれも鎌倉時代の作とされております。仏画は彫刻と違って非常に細密に表現できる反面、絹紙に二次元的に日本画の顔料を塗っていくので、保存状態が悪いと破損しやすいことが難です。しかし、持ち運びが簡単ですから火災などの被害には仏像よりは遭い難いかもしれません。

 

                       文殊渡海図 

                      醍醐寺・霊宝館

     拡大図

 

 

 文殊菩薩

マンジュシュリーを音訳して文殊師利と書き、文殊ともいいます。インドでは二世紀にその信仰が確立していた。文殊菩薩は舎衛国のバラモンの子とされ、釈迦如来入滅の後に生まれた実在の人物であるとか。菩薩道を修し仏典結集に深い関係を持ったとされています。

経典に説く文殊菩薩

文殊菩薩は維摩経(ゆいまきょう)の問疾品(もんしつぼん)に出てくる菩薩で、仏弟子である維摩居士と病床で問答が繰り広げられたことで有名。

法華経においては文殊菩薩が釈迦如来の師であると説かれています。華厳経においてはこの入法界品で、善財童子が文殊菩薩の教えに従い、あらゆる階層の人々を訪れ、その後、弥勒菩薩、普賢菩薩に教示を受けるとされております。

       維摩経による            陀羅尼集経による   

          

 上の写真は同じ文殊菩薩の木彫像ですが、仏画も含めて2種類の形があります。維摩経に由来するものは結跏趺坐の形を取り、陀羅尼集経に由来するものは威猛獅子王(いみょうししおう)に騎るのが一般的です。

結跏趺坐のほうが歴史が古く、古代中国ではこの形を基本としている。古代インドでは8世紀の密教に関連がある。日本では平安以降の作例になる。安部文殊堂の文殊は鎌倉時代である。

渡海文殊  

厳経には文殊菩薩の居所を清涼山としており、中国では唐代後期頃に五台山(中国の北京北西部)がその居所とされ、「五台山文殊」という像容形式が生まれました。この形式は入唐した天台僧円仁によって、わが国にもたらされました。上の右の陀羅尼集経による形式の像を「文殊五尊像」といいます。 

文殊五尊像 海を渡りわが国に来臨する姿の像を渡海文殊といいます。作例は平安時代の終わり頃から盛んに造られるようになります。

次回は「文殊菩薩像」の最終回を書いてみましょう。

 

 

それでは<青い目の人形に移りましょう。 

               

           青い目の人形  -003

 

 北海道上川郡和寒町立三和小学校二現存する青い目の人形の<サミー>ちゃんです。正式な名前は不明です。筆者はこの近所の旭川市で生まれておりますので、とても懐かしいですね。この辺りは北海道でも寒いところで有名で、近くの朱鞠内という辺りではマイナス40℃位の記録すらあります。

町教委は町文化財に指定したばかりの「青い目の人形」を、町公民館ロビーの展示ケースで公開しているそうです。

             サミーちゃん


上川管内ではこの人形が唯一という。50センチほどの大きさで、小豆色の洋服と帽子を着用している。保存状態が良く、淡いブルーの目がかわいらしいの評判です。

                         

 最後に筆者の所縁の地の当別でもう一体。会社の勤務の転勤の関係で2年ほど暮らしていたことが有りますので、大変懐かしいですね。札幌から電車で当時は1時間位かな。今は30分程度でしょうか?

北海道石狩郡当別町立弁華別小学校

          



                  「エリザベス・アン

 

保存状態もとても良いですね。大事にされているのが良く分かります。現在、北海道には20体前後の青い目の人形が保存されております。

 

 <答礼人形>に移りましょう。

 

           

 

 今回の初めは九州・鹿児島に行って見ましょう。Miss 鹿児島です。この写真は高岡美知子著「人形大使」から掲載したものです。Miss 鹿児島の資料が余り見当たらないのです。本の写真の撮影ですので鮮明ではありません。

                     Miss 鹿児島 ・薩摩 昭

下の写真はアリゾナ州フェニックスのフェニックス歴史博物館で所蔵されているMiss 鹿児島 のものです。 着物の色合いが一見違うように見えますが、写真の解像度の違いで同じものです。

2002 年10月に人形は鹿児島県のホームカミング展示、山形屋デパートの山形屋文化ホール展示のために里帰りされております。その際に修復しておりますので。見た目が少し違って見えますし、帯揚げが違って見えてますね。修復は東京・吉徳で行われました。

                    保管状態 

人形は頭、首は痛みは酷くなかったが、足の傷みが激しく立つことは出来ませんでした。人形を入れるトランクは別なところに有ったのを、博物館で回収し元に戻りました。 

 

人形の紋

丸に橘
道具の紋

丸に橘

 

                    Miss 鹿児島 ・薩摩 昭               

 トランクの中に入っている状態のMiss 鹿児島 です。アメリカの博物館の記述にも「それは綿と革トランク内部のホワイト ペーパーに包まれた保管されていたので、人形の条件は良いです。松の木や緑がかった茶色着物、ピンクの口紅の上の鳥のデザイン、鮮やかな色を保持します。当時、最高の価格で作られたこの人形は、絶妙な手首の関節およびふっくらした頬上の小さなディンプルなど」のように書かれて居ります。

Miss 鹿児島は当時日本から贈られた人形で取り違いはなかったそうです。良かったですね。高岡美知子氏の鑑定でも、間違いはないそうです。

 

次回はMiss 兵庫、静岡を再度ご紹介。

 

今年の一番のバラの花の開花!