お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「テレワーク」とは・・・

2007年02月25日 | エッセイ・日記・意見
テレワーク(Telework)とは、勤労形態の一種で、情報通信機器等を活用し時間や場所に制約されず、柔軟に仕事する働き方をいう。テレワークの形態により在宅ワーク、モバイルワークなどに分類され、またテレワークする人により、給与所得者などの雇用型テレワーカー、小規模事業者や自営業者などの自営型テレワーカーに分類される。テレワークは、交通渋滞や大気汚染などの大都市問題や地域活性化、少子高齢化などの社会課題解決の手段として有効であると期待されており、経営者や労働者それぞれにとってもメリットがあるとされ、世界各国にテレワークの研究や普及促進する団体が存在する。

2003年3月発表の国土交通省テレワーク実態調査によると、2002年10月現在日本には雇用型テレワーカー311万人、自営型テレワーカー97万人、合計408万人のテレワーカーがいる。2003年7月策定の「eJAPAN戦略Ⅱ」によると、2010年に日本の労働人口の2割をテレワーカーにする目標をかかげている。

但し、研究者の間ではテレワークにも固有の問題があることも指摘されている。その中には、次のようなものがある。

就労時間を尺度とする賃金の適用が容易ではないこと
仕事と家庭が隣接、重複している面があるために経費の算定が困難な場合があること
テレワーカーはしばしば家事や子育てと仕事の切り換えが難しく、集中が困難な場合があること
実際に上司などと顔を合わせて働く機会が少ないため、信頼の醸成などが難しく、昇進に不利である可能性が考えられること



確かに、これだけインターネットが発達してきたら、在宅で仕事もできると思う。「忘年会」「新年会」「歓送迎会」等の飲み会が無くなるのは残念だが・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本で唯一「マンガ学部」がある大学。

2007年02月25日 | 本・雑誌・漫画
世界中から高い評価を得て、いまや国家的なプロジェクトにも取り上げられる日本のマンガ・アニメーション。京都精華大学マンガ学部はこの新しいかたちの芸術・エンタテインメント表現を総合的に学ぶことのできる、日本の大学で初めての学部です。カートゥーン、ストーリーマンガ、アニメーションと、マンガのあらゆる表現スタイルをカバーし、作家・クリエイターはもちろん、編集者、プロデューサー、研究者の育成も視野に入れた教育を行なっています。  



指導にあたるのは、第一線で活躍する現役のマンガ家、大手出版社の元編集長、世界的に注目を集めるアニメクリエイターたち。しかも、その活動領域は大学内にとどまらず、企業や自治体との連携によるマンガ制作、現役マンガ家のアシスタント体験、国際展覧会への出品など、きわめて実践的で広がりのあるものです。



ここには、次代のマンガ文化の担い手を生みだす最高の環境がそろっています。


イギリスで生まれた一枚もののユーモア絵画・カートゥーンを学ぶマンガ学科カートゥーンコース、いまや日本のエンタテインメントの中核となっているコミックのつくり手になるためのマンガ学科ストーリーマンガコース、世界的な評価を受けているアニメーションのすべてを体系的に学ぶアニメーション学科。マンガ学部の学科・コース編成は、マンガが持つあらゆる表現スタイルをカバーするものです。また、マンガ学部にはもうひとつ、マンガプロデュース学科が置かれ、編集、原作、プロデュース、批評という観点から、マンガ文化を学ぶこともできます。



そして、これらの学科・コースの間では、マンガプロデュースの学生の企画・原作を、ストーリーマンガの学生がマンガ化する、あるいは共同でコミック誌を編集・刊行するというように、さまざまなかたちのコラボレーションも行なわれ、他大学にはない立体的で実践的なマンガ教育が展開されています。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/education/manga/index.html

今や、日本のマンガ・アニメションは「日本から世界に発信される大きな、そして貴重な『文化』」であると僕は思う。それにしても、「ギャグマンガ家」に多く自殺者が出るのはどうしてだろう。やはり、「多くの人を笑わせるギャグ」を量産する事は物凄くたいへんな事なのだと思う。僕の敬愛する赤塚不二夫さんも聞くところによると、意識不明で3年、ベッドの上にいる状態らしい。
マカロニほうれん荘 1 (1)

秋田書店

このアイテムの詳細を見る


まさちゅーせっつ (1)

小学館

このアイテムの詳細を見る

出版社 / 著者からの内容紹介
●登場人物/小山(自分の美貌を自慢するOL。自分の写真を配るのが趣味)。小池(ゾウが大好きで不思議な行動をするOL)。小松(よく課長に叱られる、ドジで甘い物が好物なOL)。強い妻(息子が泣こうが信念を曲げず、何ごとにも動じない妻)。呪いの女(すべてが裏目に出てしまい、些細な事に恨みを感じる女)。●本巻の特徴/「○○な女」とつけられたタイトルに思わず納得。女性ならではの行動やさりげない心理が鋭い視点で描かれる。後半には、その後中心キャラクターとなる小山、小池、小松といったOLたちが登場。巻頭とカバー内側には、小山、小池、小松の3人のキャラクターがよくわかる書き下ろしの小ネタ「女それぞれ」を掲載。また「恋人の有無」「現在の貯蓄額」など、現在のOLたちの気になるアンケート調査も収録されている。

<ご注意>希少本ですので、「在庫あり」の場合でもs-book.comのみの販売となりますことをご了承ください。また、ご注文できた場合でもお手配できない場合や、装丁等が汚れていたり、交換等も難しくなります。

天才バカボン (1)

竹書房

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
日本ギャグマンガ界不滅の金字塔、赤塚不二夫の『天才バカボン』が文庫にてコンプリート!!実験期のハチャメチャさもコンパクトに再現して、現在最も手軽に手に入る日本マンガ界の“歴史的事件”。

自殺直前日記 完全版

太田出版

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
1992年5月、高層住宅の11階から飛び降り自殺し、24年の短い生涯を閉じた“カルト漫画家”山田花子。死後六年を経過した現在も“信者”とも言える熱狂的なファンを増やし続けている彼女が、死の前日まで記していた日記が存在した。テレビ、新聞、雑誌などを賑わせた「自殺直前日記」が、完全版となって登場!96年刊行版に、新たに発見された「日記」の未発表部分を追加した完全版!読者からの手紙も併せて収録。

ぢるぢる日記

二見書房

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
不思議な日常生活を綴ったファン必読のイラスト&エッセイ集。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「石原慎太郎」とは!?

2007年02月25日 | エッセイ・日記・意見
石原 慎太郎(いしはら しんたろう(旧字体で『石原愼太郎』とも表記されるが、本項ではよく知られている新字体の表記を使用する)、昭和7年(1932年)9月30日 - )は、日本の政治家、小説家。自民党員。現東京都知事、元衆議院議員、元参議院議員。第34回芥川賞受賞作家、現同賞審査委員。戸塚ヨットスクールを支援する会会長。新しい歴史教科書をつくる会に賛同するなど、右派・新保守主義的政治家の代表として知られる。

日本の著名な歌手兼俳優の石原裕次郎の実兄という知名度、強い個性とリーダーシップというイメージから人気が高く、1999年の東京都知事選では有力候補を押さえて大差で当選し、続く2003年の都知事選では史上最高の得票率を得て再選、現在二期目である。主な支援団体は霊友会。

概要
兵庫県神戸市須磨区生まれ。一橋大学在学中の1956年、『太陽の季節』により第34回芥川賞を受賞、文壇デビューを果たす。

1968年に参議院議員に初当選、1972年には衆議院に鞍替え出馬し当選する(以後連続8回当選)。1975年、現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選に自民党推薦で出馬するも落選。その後1976年福田内閣で環境庁長官を、1987年竹下内閣で運輸大臣を歴任、1989年には自民党総裁選に立候補した(海部俊樹に敗れる)。1995年、議員辞職。

1999年、再度、都知事選に出馬。立候補を表明するのが有力候補中最も遅かったが、舛添要一・鳩山邦夫・明石康といった有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。2003年には308万票(得票率史上最高)を得て再選を果たした。2006年5月15日「8都県市首脳会議」後の報道陣との質疑で三選出馬を正式に表明した。自民党の推薦を受けていたが、2007年2月22日突如「政党の看板に支えられた選挙は合わない」と推薦を辞退することを表明した。

家族は妻と4男(伸晃・良純・宏高・延啓)がいる。趣味はヨット、テニス、スキューバダイビング。

人物像
政治的には新保守主義的スタンスをとる。石原の持ち味とされる、毅然とも倣岸ともとれる態度や、斟酌ぬきの大胆な発言は時に多くの支持を得る一方、近隣諸国の民族・文化を殊更に否定、ないし揶揄する発言が非難を浴びたり、時としてその発言がきっかけとなって訴訟にまで発展するなど、常に要職の地位にありながら舌禍に発展すること枚挙に暇がない。フランスではオーストリアの極右になぞらえて「日本のハイダー」と報じられたことがある。

江藤淳が石原の人物評として遺した「無意識過剰」なる端的なフレーズは、石原本人も「言い得て妙」であるとして、現在では自己の性格を表す際に石原自らが頻繁に用いるところともなっている。その一方で、反石原陣営においては、これまでに石原が惹き起こした数々の舌禍事件を揶揄する際のフレーズとして、この「無意識過剰」がしばしば常套的に用いられることがある。

外国人について
アジア系在日外国人やフランス人、及びそれらの文化を否定・揶揄する発言をしばしば行ううため、フランス語教育関係者は会見を行い猛反発したこともある。2005年の国連人権委員会では特別報告者のディエヌから「外国人差別的な東京都知事の発言に日本政府がどういう立場を取っているのか、説明を求めたい」と苦言を呈されている。また自分の言動に関しては、どんなに非難されても基本的には謝罪をしない。

ジェンダー・性の問題について
ジェンダーフリー問題を巡り、リベラル・左派勢力やフェミニストとは犬猿の仲で日常的に応酬し合っている。 男尊女卑の観点をうかがわせる「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」「きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害」という発言をし、裁判に発展している。(いわゆるババァ発言事件)

性の問題については「太陽の季節」などの小説で奔放な性を描き、自著で明かした様にかつて自身もベトナムで買春行為を行うなど自身は自由な性行為を行っており、都政でも未成年者の性交を禁止する条例案には疑問を示していて、必ずしも保守派と同じ歩調を取っているわけではない。なおベトナム買春問題に付いては当時相次いでいた買春ツアーと同じ性的搾取ではないかというフェミニストもいる。

都知事として
財政運営面では、財政危機に対応し人件費の圧縮や福祉・教育及び学術研究予算の削減を行うが、「東京から国を変える」をスローガンに自らの発案になる大型プロジェクトや臨海開発事業へは積極的な投資を行うのが石原都政の特徴である。銀行への外形標準課税(銀行税)の導入、浮遊粒子状物質(SPM)を減らすためのディーゼル車排ガス規制での硫黄除去装置導入、中小企業の支援のため1000億もの都税を投入した新銀行東京の設立、首都大学東京の開学など、全国に先駆けた政策は注目を浴びた。一方で、都財政に数千・数百億の損失をもたらすこととなった政策(新銀行東京設立や臨海副都心開発など)や、中途半端な段階のまま進行がみられなかったり断念した政策(横田基地返還、カジノ構想など)も多い。

就任から2007年まで週に2・3日ペースの登庁で、午後からの出勤も多い。知事公館は利用していない(民間に貸し付け)。自身や特別秘書らが飲食代として使った知事交際費の総額が7年間で約1615万円に達したり、四男をめぐる問題などの疑惑もある。

首都機能移転には強硬に反対している。

首都大学東京・新銀行東京・大江戸線・心の東京革命など、作家の感覚からネーミングを提案している。

特別会計や監理団体なども含めた東京都の連結での負債(借金)は、バブル経済崩壊とその後の景気低迷の影響による都税収入の落ち込み、鈴木俊一元知事以来の臨海副都心開発の失敗などにより2006年度末に17兆円を突破しており、都民一人当たりの負債額は約140万円と共に全国最多である。特別会計や監理団体の財政は厳しく、これまで都が運営してきた多くの施設の財団化、もしくは指定管理者制度の導入による民営化を強行している。

都知事として二度目の東京オリンピックの開催を実現することを選挙公約とし、知事二期目は東京オリンピック誘致をテコにした大型開発拡大の姿勢を強めている。

臨海副都心開発
鈴木俊一元知事以来の第三セクターによるバブル崩壊後のお台場の臨海副都心開発計画は大赤字を出して行き詰まっていたが、石原知事は事業推進の立場に立っている。当選直後の1998年度には第三セクター三社に対して270億円の財政支援をおこなう計画を追認、さらにはビルの都による借り上げ支援や土地代の減免、収益事業の丸投げなどさまざまな支援策を継続した。その後も投資は継続され、「首都東京の活力と創造力を生み出す新しい重要な事業」として投資や土地の提供など就任後の7年間で2兆5000億円(2006年まで)も費やした。これに対しゼネコン・ハコモノ重視の土建屋行政という批判がある。

2006年5月12日には東京テレポートセンター、東京臨海副都心建設、竹芝地域開発の3社の第三セクターは財政破たんし、最終的な負債総額は3668億円と確定した。

評価
メリハリの効いた予算編成という見方もある一方で、福祉の削減・弱者切り捨ての傾向、土建屋主導の予算編成であるという批判もある。
十分な準備・調査をせず他人に耳を貸さない強引な手法が仇になることが少なくなく、その政治手法には疑問の声もある。
二度目の東京オリンピックの開催を実現することを選挙公約としているが、2008年北京オリンピックのすぐ後にまたアジアが選定される可能性は今までのオリンピック史からもほとんど有り得ないので、単なるゼネコン票対策の税金の無駄遣いだと批判を受けている。
側近であった浜渦武生を東京都副知事に据えた際に専横を許してしまったこと、内規を越えた高額な外遊費を使っても全く悪びれないこと(→都政の私物化問題)、四男で画家の石原延啓に東京都の仕事を回したこと(直接口利きをしたことも2006年12月16日のテレビ生出演で認めた)など、公私混同あるいは身内厚遇(縁故採用)の傾向も否めず、常に論争の種となっている。
首都大学東京開学に関して旧都立大関係者から批判を受けている。
東京都の職員のみならず国の職員や東京都民からも「石原都政となってからは周囲に目を配らず、上ばかり見て仕事をする人間が増えた」という声があり、権力構造が強化され組織がより硬直化・官僚主義化したとされる。
国民的人気に裏打ちされた巨大な集票力や、親米保守系企業グループであるフジサンケイグループのバックアップを背景とした強力な指導力は、短期間での政策実現を可能にする一方で、極端なトップダウン構造でボトムアップの意見集約が機能しないという非民主主義的な弊害も生んでいる。
事業の状況を限らない外形標準課税の導入に関する政府・国会内の議論を活発にし、また地方の財政問題に関する問題意識を高めたとの評価もある。
首都機能移転反対に関して、1990年に衆参両院で可決された「国会等の移転に関する決議」を「ばかな決議」と批判し、当時から衆院議員として反対していたと述べたが、新聞社の写真により実は採決で起立し賛成していたことが発覚し、矛盾点を批判された。(→エピソード)

不透明な政策・私物化疑惑
トーキョーワンダーサイト
新進・若手芸術家の育成を図る目的で「トーキョーワンダーサイト」を設立。既成の都文化施設では石原都政下予算を4~5割減らしたのに対し、新しく設立されたトーキョーワンダーサイトは予算が8倍以上増え、現在最も多額の予算を割り当てられている文化施設となっているが、家族や知人を運営に参画させたり事業計画・予算決算が不透明であるなど、公私混同の疑いを指摘されている。

海外出張旅費
2006年11月、「海外出張旅費の支出が条例の規定を大幅に上回る多額であること、それらが私的観光で妻の旅費も公費で負担させていたこと、それと四男が都の外郭団体の委嘱を受けて海外旅行をした」ことがしんぶん赤旗に掲載され、トーキョーワンダーサイトの問題も含め「不明瞭な支出、同族経営」と批判を受ける。定例記者会見でこれに対し「報道は共産党の情報操作によるものだ」と反論。一部の記者から「我々は共産党の尻馬に乗って報道しているわけではない」と応酬された。この件は朝日新聞・東京新聞も疑問を提し続けている。


東京マラソン
石原慎太郎主導で2007年から始まった東京マラソンに関して、石原慎太郎の次男である石原良純はフジテレビからスペシャルサポーターとして現場での司会と選手などへのインタビューを担当した。石原良純は今回の出演を依頼される以前に石原慎太郎都知事から「何かあったら広報として力を貸してくれ。頼むよ。」と言われていたことをフジテレビの広報ページで語っている。石原都知事の身内からの起用に関して、都知事とフジテレビとの不透明な関係性を批判する声がある。


エピソード
1983年の衆議院議員総選挙の時には東京2区で対立していた自民党候補新井将敬の選挙ポスターに石原の第一秘書が「'66年北朝鮮より帰化」というシール3千枚を貼って回り、その秘書は現行犯逮捕された(いわゆる黒シール事件。政治家の常で、石原本人の関与の有無は明らかとなっておらず秘書のせいだということになっている)。この件に対して民族派右翼の野村秋介が石原の自宅に押しかけ「日本民族の顔に泥を塗る破廉恥行為である」として抗議行動を行うに至っている。
毎日新聞(1999年3月13日付)のインタビューにて「日の丸、君が代を学校の行事に強制しますか。」という質問に対し「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ。」と答える。しかし、後に都知事として国旗と国歌を徹底していく。
2001年3月九州新幹線に対し「不良債権」「一握りの政治家の利益誘導」「常識で考えたって採算が合うわけない。文句言っている知事が八代から鹿児島まで毎日毎日,新幹線に乗ったらどうか」「博多から鹿児島まで造るなら分かるが,鹿児島からとりあえず八代まで造ろうとしている」等批判を繰り返すが田中 JR九州社長に「石原都知事が運輸大臣だった時に決まったことで, 自分が決めておきながら批判するのはいかがなものか」といわれてしまう。
ベトナム戦争の「クリスマス停戦(トルース)」をサイゴン市内から一歩も出ずに取材。ベトナムでの経験をきっかけとして政治への参加を考えるようになる。また、現地で買春をしたことを著書『国家なる幻影』で告白した。
2001年11月21日の衆院の「国会等の移転に関する特別委員会」に参考人として出席し、1990年11月7日の「国会等の移転に関する決議」への賛否について、「私は終始反対でありました。」と述べ、また「私は金丸さんの割と近くに座っていまして、金丸さんが、おい、石原君、君反対かいと言うから、私は反対ですなと言って座った。」と明言したが、衆議院本会議の起立採決を撮影した新聞写真には起立している石原慎太郎が写っており、嘘を付いているのではないかと特別委の永井委員長から指摘、「大変遺憾なことである」と強く批判を受けた。

年譜
1932年9月30日:兵庫県神戸市須磨区に山下汽船に勤める父・石原潔、母・光子の長男として生まれる。父・潔は愛媛県の長浜に生まれ旧制宇和島中学(現・宇和島東高校)を中退後山下汽船に入社、店童(商店で言えば丁稚)から出発し関連会社とはいえ重役に出世した人物。母・光子は広島県宮島の出身(出生地は大阪市)。
1934年12月:弟・裕次郎が生まれる。
1936年6月:父・潔が小樽出張所主任となり北海道小樽市に転居。
1943年1月:父・潔が小樽支店長となる
1943年2月:父・潔が東京支店副長の辞令を受け神奈川県逗子市に転居。石原一家が逗子で最初に住んだ桜山の家は山下汽船創業者山下亀三郎の別邸。
1945年4月:神奈川県立湘南中学(後の神奈川県立湘南高等学校)へ進学。
1949年:1年間、休学する。この頃描いた絵を「ゴーギャンさえも驚愕する名作である」と自賛。公式サイト内では「石原の迸る感受性の果実」と紹介している。
1951年10月:父・潔が脳溢血で急死。元々は京都大学フランス文学科に行くつもりであったが、父の上司の助言により公認会計士を目指し一橋大学を志望する。
1952年4月:一橋大学入学。簿記や会計学などの勉強に励んだが半年間やってみて向いてないと悟り公認会計士になることを断念する。
1955年12月:当時18歳だった石田由美子(広島市己斐町(現・西区己斐)生まれ。後に典子と改名)と結婚。由美子は小泉純一郎と縁戚になる(由美子の従兄弟の子にあたる美枝子が純一郎の実弟・正也と結婚した)。
1956年1月23日:弟・裕次郎の放蕩生活に想を得た『太陽の季節』により第34回芥川賞を受賞。史上最年少受賞(当時)。ベストセラーとなり、「太陽族」、「慎太郎刈り」が流行となる。
1956年3月:一橋大学法学部を卒業(法学社会学部に入学した。在学中に学部改組が行われ法学社会学部が法学部と社会学部に分離し、法学部を卒業)。
『太陽の季節』が日活で映画化され、当時無職だった弟・石原裕次郎が日活俳優としてデビューする。また自らも映画初出演を果たす。
1957年4月19日:長男・伸晃が誕生。
1958年:東宝で映画「若い獣」の監督を務める。
1962年1月15日:二男・良純が誕生。
1963年3月:『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』を新潮社より出版。
1964年6月19日:三男・宏高が誕生。
1966年:四男・延啓が誕生。
1967年:読売新聞社の依頼で、ベトナム戦争を取材。
1968年7月:自由民主党から参議院全国区(当時)に出馬し、史上初の300万票得票でトップ当選。
1969年11月:『スパルタ教育』を光文社より出版。 子供はスパルタのように厳しく育てろと説いた。
1972年12月:参議院議員を辞職し衆議院選挙に東京2区から無所属で出馬して当選。後に自由民主党に復党
1973年7月:渡辺美智雄、中川一郎、浜田幸一らと憲法改正や金権政治の打破を謳ったタカ派集団「青嵐会」を結成。
1975年4月:現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選に自民党推薦で出馬。233万票を得票するも落選。なおこの落選については公式サイト内では全く触れられていない。
1976年:福田赳夫内閣で環境庁長官に就任。
1983年:自由民主党の派閥、中川派を継いで石原派の代表となる。
1983年:黒シール事件によって新井将敬の選挙活動を妨害し野村秋介より抗議を受ける。
1987年7月17日:弟・裕次郎が肝細胞癌で逝去(享年52)。
1987年11月:竹下登内閣で運輸大臣に就任。
1989年8月:亀井静香らに推される形で自民党総裁選に出馬するも竹下派が推す海部俊樹に敗れる。 『「NO」と言える日本』を盛田昭夫と共著で出版。
1990年:総選挙で伸晃が初当選し、父子揃って衆議院議員となる。
1995年4月:国会議員在職25年表彰の国会演説で突然の議員辞職を表明。
1996年:弟の故裕次郎をテーマに『弟』を発表。
1999年4月:再度、都知事選に出馬。立候補表明の記者会見での第一声の、「どうも、石原裕次郎の兄です」と言う挨拶ギャグが話題を呼ぶ。有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。
2003年4月:308万票(得票率史上最高)を得て、東京都知事に再選。
2004年:「弟」テレビドラマ化。
2006年5月14日:フジテレビの討論番組「報道2001」に生出演し、「オリンピック招致を言い出した以上、やらないわけにはいかない。それまで体力がもつかなあ」と発言し、2007年4月の都知事選への3選出馬の意向を示した。
2006年12月7日:都議会本会議で2007年の都知事選への出馬を正式表明。
2007年2月16日:記者会見で既に決定している自民党の推薦を受けるつもりのない事を明言。
(Wikipediaより)→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E



どこまでが真実か分からないが、パワフルであり、実行力もある。しかし、その発言が強い批判を受けている。経歴・エピソードを読んだ限り、僕が気になったのは、僕と同じ「神戸市須磨区生まれ」という事がいちばん印象に残った。
太陽の季節

新潮社

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
戦後の青春はこの1冊から始まった。ドラマ化で話題の表題作のほか、伝説の名作「乾いた花」全面改稿決定版、あとがき「青春のピュリティ」、「処刑の部屋」、「完全な遊戯」、「ファンキー・ジャンプ」を収録。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラック・オバマ・・・アメリカ大統領候補についての考察。

2007年02月25日 | エッセイ・日記・意見
バラック・フセイン・オバマ(Barack Hussein Obama Jr, 1961年8月4日 - )はアメリカ合衆国の政治家。現在イリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員である。政党は民主党。2004年、対立候補を得票率70%対27%の大差で破り上院議員に初当選した。現在、唯一のアフリカ系アメリカ人の上院議員であり、選挙により選ばれた歴代3人目のアフリカ系アメリカ人である。

プロフィール
生い立ち
ハワイ・ホノルル生まれ。父親はケニア生まれのイスラム教徒であり、母親はカンザス州出身の白人である。本人は現在キリスト教徒(プロテスタント)である。コロンビア大学を卒業後シカゴに渡りNPOに勤務した後、ハーバード大学ロースクールに入学。アフリカ系として史上初のHarvard Law Review編集長を務めた。


政界に
卒業後シカゴに戻り、有権者登録活動(voter registration drive)に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。またシカゴ大学ロースクール講師(lecturer)として合衆国憲法を講じていた。1997年にイリノイ州議会上院議員に選出され、2004年まで務めた。

2004年のアメリカ大統領選挙では、ジョン・ケリー上院議員を大統領候補として選出した民主党大会で「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン人のアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ」。「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓うアメリカ人なのだ」との基調スピーチを行い、その模様が広く全米に中継されるとともに高い評価を受けた。


大統領候補
2004年以降、2008年アメリカ合衆国大統領選挙の候補として推す声が地元の上院議員や新聞などを中心に高まっていった。本人は当初出馬を否定していたが、2006年10月、NBCテレビのインタビューに出馬を検討すると発言。翌2007年1月、大統領選出馬へ向けた準備委員会設立届を連邦選挙委員会に提出、事実上の出馬表明となった。そして2007年2月、イリノイ州スプリングフィールドにて正式な立候補宣言を行った。有権者に対し、建国当初のフロンティア精神へ回帰することを呼びかけ支持を集めている。

出馬の演説で彼は「ここ6年間の政府決定や放置されてきた諸問題は、われわれの国を不安定な状態にしている」と述べ、医療保険制度や年金制度、大学授業料、石油への依存度を、取り組みが必要な問題として挙げた。外交政策ではイラク戦争を、「実施するべきではなかった悲惨かつ高い代償を払う戦争」と主張しているが、自らはイラク政策に対し具体的な代案は示していない。

彼が大統領に就任すると、アメリカ合衆国建国以来初めてのアフリカ系アメリカ人の大統領となる。ヒラリー・クリントンと並んで大統領候補として知名度が高い。


家族
シカゴ生まれのミシェルと結婚しており、2人の娘を持つ。



「アメリカ合衆国」というだけあって、女性の大統領候補ヒラリー・クリントンと黒人の大統領候補バラック・オバマの一騎打ちになりそうな気配である。ブッシュ政権もそろそろ終わって欲しいというのが僕の意見。やはり、戦争を仕掛け、民間人・軍人含め、たくさんの人間の命を奪った事は許されないと思う。そういう見方がアメリカ国民にも色濃く出ているのではないだろうか?今回の大統領候補の二人をみて、アメリカ国民自身がアメリカという国を変えたがっていると感じた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西村博之・・・2ちゃんねる管理人。

2007年02月25日 | インターネット
西村 博之(にしむら ひろゆき、1976年11月16日 - )は、インターネットの匿名掲示板である2ちゃんねるの管理人、及び地域情報の掲示板であるまちBBSの開設者。通称ひろゆき。まちBBSでは地方1という固定ハンドル(コテハン)を使用。また、2ちゃんねるの総合案内では永遠の19歳と自称している。独身。

株式会社スキップアップ顧問、東京プラス株式会社代表取締役、有限会社未来検索ブラジル取締役。また2005年11月14日、ドワンゴの関連会社ニワンゴの取締役にも就任している。

来歴
国税庁国税局職員の長男として神奈川県相模原市に生まれ、生後まもなく東京都練馬区田柄に移住。さらに東京都北区赤羽で育つ。東京都立北園高等学校卒業、一年間の浪人生活を経て1996年4月中央大学文学部教育学科心理学コース入学。在学中、文化連盟犯罪科学研究会に所属するも、会計を担当した際、帳簿をつけない等、杜撰な事務を問われ、退会する。2000年3月同大学卒業。在学中の1998年夏に米国アーカンソー州のアーカンソー中央大学(University of Central Arkansas)へ学内選抜を突破し大学から留学費用を支給され交換留学。

中央大学在学中の1998年1月(2月6日説もある)、2ちゃんねるの前身となる電子掲示板「Hirox's room」を開設。1998年3月に合資会社東京アクセスを設立。1998年6月6日、「Hirox's room」を「実録!交通違反をもみ消して罰金を払わない方法(別名:交通違反の揉み消し方)」にサイト名を変更。2chの開設以前の詳しい情報は不明でほとんど西村博之が発言しているものである。

米国留学中の1999年5月30日、2ちゃんねるを開設した(但し、設立時の本人の環境については各文献に様々な記述があり、どれが真実かは不明)。

2001年6月にイレギュラーズアンドパートナーズ株式会社を、2002年9月に東京プラス株式会社を設立。

“働かずにたらたら暮らす生活を目指している”という。

2ちゃんねるに関連する多数の訴訟案件を抱えている。最初のうちは裁判に対応していたが、途中から被告としての主義主張を展開せず、法廷徹底無視の姿勢を貫くようになり、これが原告主張を“そのとおりです”と全て認めているとして、その多くで管理責任を問われる判決を受けている(=敗訴)。西村が管理する巨大掲示板「2ちゃんねる」が、現実には犯罪の温床、特定の企業・団体・個人を誹謗する場になっていることが少なくなく、批判の声も上がっている。一方で、「2ちゃんねる」が、マスコミを介さない発言の場となるなど、インターネットの普及に伴って生じた社会的言論の場となり日本の言論状況に影響を与えていることは否定できない。ちなみに、2007年1月に元2ちゃんねる副管理人の切込隊長こと山本一郎が起こした、西村博之に対する名誉毀損裁判には出廷した。理由として「知り合いから起こされた裁判だから楽しそう」だからである。

2006年8月以降消息が分からなくなり、2006年9月22日付の夕刊フジの記事では行方不明になっていると報じられた。しかし当日のブログには東京ゲームショーに行っていたとの記述がある。裁判の送達文書は使いの者が回収していたらしい。

2006年11月4日、早稲田大学で講演を行い、生存が確認された。

2006年8月、東京都の男性会社員(35)は東京地方裁判所に対し、西村への情報開示命令を求める申し立てを行なったが、西村側は出廷しなかったため“西村博之に対し間接強制による500万円の支払い命令が下ったが、それを放置していた”として、2007年1月12日、東京地裁に西村博之の軽自動車や「2ちゃんねるのドメイン(2ch.net)」を含む全財産の仮差し押さえの申し立てを行ったと夕刊フジが報じた。ドメインの差し押さえは前代未聞であるため、弁護士などがブログなどで難しいとコメントしている。なお、東京地裁はインターネット上のドメインも差し押さえ可能な財産だと看做しているという。執行官による強制執行を法の根拠なくして回避し続けたとすれば強制執行妨害罪に触れる。16日には埼玉県の男性会社員(35)が西村に対する破産宣告を求める第三者申し立てを行なった。 さらに2007年2月、西村自身と西村が経営する会社に課された税金(所得税と法人税)の一部が滞納され続けていることを受け、東京国税局査察部(マルサ)が調査を開始したと夕刊フジが報じる。

エピソード
政界にも人脈を有し、河野太郎衆議院議員などは、たびたび対談を実施し、賞賛している。
都内の貸賃マンションに住んでいる。NHKの「日本の、これから」で映っていた。
住民票上の住所はアパートになっている。
うまい棒とルートビアが好物とされ、前者は2ちゃんねるなどでネタにされる。しかし、実際はうまい棒よりもじゃがりこのほうが好きである。
プライベートなことはあまり語らない。
多くの企業や有名人に対する叩きが激しい2ちゃんねるだが、管理者の西村自身も批判要望板を始めとする様々な板で批判されている。管理者責任を問う声も大きい。但し実際の運営は「運営ボランティア」に依るところも大きい。西村は最終的な責任を負うという立場である。
2ちゃんねる絡みの多数の民事訴訟と多額の賠償債務を抱えている。毎日新聞の記事によると2006年12月時点で賠償額は総額4000~5000万円ほど。ただし、西村の年収は1億円以上ある。支払能力の有無に関わらず払う気はない。時効まで放置するつもりらしい。「時効成立の頃には飽きて別の事をやってるかも」と言う。板倉宏・日本大学大学院教授によると、裁判所の強制執行があれば賠償金は回収できる。実際、弁護士会の有志グループから依頼されて大阪で講師をした際には謝礼を差し押さえられた。現在では差し押さえを回避するために給与の出どころを常に動かしている。
西村がお金に拘っているのは国税局に勤務する父の影響と言われている。
メールマガジンの読者数がとても多い(2005年8月現在、13万人以上)事でも有名であるが、そこでDHCについて虚偽の報告を行ったとしてDHCから提訴され、賠償を命じられる(2ちゃんねるの歴史)。なお、2003年頃からは半年に1度くらいしか発行していない。
2ちゃんねる内でちょっと発言するだけで、その発言に専用スレが立つほど注目を集めているが、偽物が登場することも多い。その為、キャップやトリップ・Beで判断することになる。かつて、ある本がタダで欲しいが為に2ちゃんねる内に自宅住所を晒したこともある。何度か西村博之の自宅に対し2ちゃんねるのアクセスログを見せろなどと右翼団体などが訪れる場合があるが、このような行為に対しては警察や裁判所からの令状や開示命令が無い限り一切応じていない(最近はいずれも拒否している)。なお、最近では、2ちゃんねるの管理をほとんどボランティアやサーバー運営会社に任せている。
雑誌で、企業に対しての2ちゃんねる等ネット掲示板対策、企業のあり方についてアドバイスなどを行っている。
2ちゃんねるで時折引用される「嘘を嘘と見抜けない人には(掲示板を使うのは)難しい」という言葉は西村が2000年に起きた西鉄バスジャック事件の際、テレビ朝日『ニュースステーション』の取材を受けた際にコメントした言葉である。“嘘も書かれる掲示板”である事を認めたともとれるため批判も起こった。しかし2ちゃんねるに限らずどの掲示板でも嘘は書かれている可能性はあり、この言葉はインターネット掲示板全般を利用する上での心得を示唆しているとされる。ちなみに、その時の様子の映像がアスキーアート化されており様々な派生バリエーションが生まれた。
ネット上では歌も発表している。『激走爆走チーム2ちゃんねる』は当時の日本におけるフリーダウンロード楽曲のダウンロード件数記録を更新した。また『おいら』はMP3.comのダウンロードランキングで最高位46位、J-POPではB'zの『juice』に次いで2位を記録した。
2002年11月16日には、2ちゃんねるに西村博之の誕生日を祝福するための専用板が作られた。
大のゲーム好きで知られ、ロールプレイングゲームやシミュレーションゲーム、アダルトゲームも多数プレイ。最近は『おいでよ どうぶつの森』や『マリオカートDS』に夢中で自身のブログでは、「スカイプと組み合わせると、お互いに喧々諤々出来たりするので、わりと面白いです」とコメントしている。反面、ITMediaでのゲームインタビューに対し、プレイステーション3やXbox 360が画質を売りにして宣伝を行うことに対し、Wii(当時はコードネーム「レボリューション」として)を対に挙げ、「美人は三日で飽きる、ブスは三日で慣れる」という言葉を使い、ハード・業界板で50スレに及ぶ大議論が起きた。
「暇だ」が口癖。
文章上では一人称に「おいら」を、語尾に「~するです」のような表現を使う。
以前(2001年頃)、切込隊長が付けた肩書きである「メディアアーティスト」を自称していたことがある。
探偵ファイルの渡邊文男と交流があり、探偵ファイルのサイト上で2人が並んで座っている写真が掲載されたこともある。
ライブドア前代表取締役堀江貴文とも交流があり、西村はライブドアから発売の『INTERNET サムライ』のパッケージにイメージキャラクターとして登場したり、堀江は西村の著書『元祖しゃちょう日記』(西村の同名ブログもライブドア)のあとがきに参加したり、西村が立ち上げたしたらばJBBSシステムを買ったり、2ちゃんねるドメインをライブドアに委託したりなどしている。堀江からプレゼントされた財布を失くしたとブログで公表した。
「明日できる事を今日やるな」と発言した事がある。大量の仕事を捌いていく以上、効率的に時間を使って行くべき、という事らしい。
2ちゃんねる内では、「まろゆき」「ひろまさ」「まさゆき」「ピロシキ」や、一部の住人からは「タラコ」「ハゲ」など陰口を叩かれる、またわざと名前を間違えて呼ばれることが多い。
自らトランクス派と名乗った。
年収は「日本の人口より少々多い位」と2006年11月4日の早稲田大学公演で語った。

著書
『元祖しゃちょう日記』、講談社、2004年10月、ISBN 406212646X
『2ちゃんねるで学ぶ著作権』、共著、アスキー、2006年7月、ISBN 4756147704
その他、2ちゃんねるに匿名で投稿された文章を元に編集された多くの書籍(例として「電車男」)は、2ちゃんねるの代表者である西村が著作者権を投稿規定に基づいて行使する形で出版されている。ただしこれには異論もあり、投稿者が投稿した当時には投稿規定が表示されなかったり、あるいは当時には投稿規定の文言が現在表示されるものと異なるため、一部の投稿については投稿規定の効力に疑問があるとする意見もある。


激走爆走チーム2ちゃんねる(2000年12月25日)
モナ~らぶ(2001年3月11日)
おいら(2001年5月11日)
やる気なし!(2001年7月7日)
アメニモマケテ(2001年7月14日)
89337564!(2001年10月20日)
4649!(2001年11月5日)
※すべてネット上でフリーダウンロードシングルとして発表されたほか、2001年7月に開催されたイベント「2ちゃんねる祭り@2周年記念」で発売された『2ちゃんねるソング集』には「激走爆走チーム2ちゃんねる」~「アメニモマケテ」までの5曲が、2002年8月に発売された書籍『2ちゃんねる公式ガイド2002』の付録CD-ROMの音声トラックには「モナ~らぶ」と「4649!」の2曲が収録された。

CM
ドワンゴイロメロミックス(2005年) - 声のみの出演

泣ける2ちゃんねる

コアマガジン

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
あの巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」に、書き込まれた「泣ける話」の集大成。胸に秘めて言葉に出せない気持ち、どうしても言えなかった一言、宝石のように輝く思い出たち…。1日に数百万人が訪れるという2ちゃんユーザーが投稿した珠玉の書き込みを、厳選して一冊にまとめている。
泣ける2ちゃんねる(2)

コアマガジン

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
あのミリオンセラー「電車男」を産んだ巨大コミュニティ・2ちゃんねるに書き込まれた「泣ける話」書籍の第二弾です。一日に百万以上の投稿があるという2ちゃんねる。その膨大な書き込みの中から、心に沁みいる話・いい話・切ない話等の「泣ける話」だけを厳選してまとめました。人生の深み、悲しさ、そして喜びが詰まっています。

出版社からのコメント
 既に前作(書籍『泣ける2ちゃんねる』)を読まれたファンの方からも、2ちゃんねるを知らない人からも「再度出してほしい」との希望の声が多く、一年の歳月を経て、ここにまとめサイト「泣ける2ちゃんねる」・日本最大の匿名掲示板サイト「2ちゃんねる」双方のご協力を得て新刊を再び刊行させていただきました。
 匿名だから言えた本当の気持ち、伝えられなかった愛の言葉。2ちゃんねるに対する先入観に対し、全く違う読後感を与える、とても優しい気持ちになれる本です。
 人生において何を大切にすればいいのか、これからどうすればいいのか。ながい都会暮らしで置き忘れてきてしまったことは何なのか。普段は見えない家族の絆、愛の形とは。この書籍に掲載されている、匿名のさまざまな人たちの経験から、おぼろげにわかる筈です。



ネット上では「匿名性」が保たれる。うちの会社でも、ある部下が上司の名前を実名で書いて批判したという話を聞いた事がある。もちろん、部下は「匿名」である。真偽の程は分からないが。そんな最低な人間をも生んでしまうネット社会の恐ろしさを垣間見る思いがする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする