昭和20年代の後半 街には パチンコ屋さんが出現
そして スマートボールなども大きなガラス玉で遊ぶ もちろん大人の遊び
私たちには買えない コリントゲーム などもあった スマートボールの子ども版かな?
そこで 私たちは考えた 釘は安く買える ビー玉も駄菓子屋で安いものだ
平の板切れを拾ってきて そこにスマートボールのように釘をいっぱい打ち付けて見る
誘導路も作って 少し傾斜して ビー玉をはじくと 当たりの穴 あるいは 囲いに入るのが楽しい
けん玉は 不器用な私は 初歩だけ ベーゴマは大概 路地で遊ぶがケンカゲーム
はじき飛ばされると相手に取られてしまう メンコも同じ 大概負け
所詮 子どものころからゲーム等には弱かったものだ
昨日は 良く歩く旧中川をウォーキング 船番所資料館に入った
昔の暮らし 遊び展が特別展 これが目当てである
江戸時代 家康の政策で 小名木川が開削され舟運 そして ここに舟の番所があった
暮らしの部では 蚊帳が懐かしい
いまでこそ蚊の居ない部屋で過ごされるが 蚊除けには この蚊帳が一番である
あの ちゃぶ台も 白黒テレビも たらいも 今では懐かしい 昭和は遥か遠くになったものだ
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いろんな懐かしい思い出が・・
まだまだ歴史的な価値は先となるでしょうが
あの石臼が・・我が家にもありましたが
何年か前に・・割れてしまって肝心な下
の方が無くなってしまい・・庭の石に・・
そんな事を思い出しながら・・懐かしく
拝見しました。
船番所、近いので何度か入ったことがあります。資料室も。
あそこに入って初めて小名木川のことを知りました。家康が開削したと言われるほど古いのに、意外に知らない人が多いですね。
私もでしたが。
戦後の生まれですから、何にも無くて、遊び道具は工夫して遊びましたね。
メンコはありました。男の子も女の子も遊びましたよ。
お手玉は祖母から作り方を、教えてもらい、小豆を入れて作りました。
石臼では、玄米のお米を炒ったものを挽いて、砂糖を混ぜて食べました。
こんなのがおやつでしたよ。今では石臼は漬物石になってます。
ワタシも 男の子に混じって竹馬など作り・遊びましたよ
今は 何でも売っているので 考える事も無くなっているのでしょうね
プリンの型 懐かしく思います
自宅で簡単に作られるようになり 嬉しかったですよね
あのたらいで母は毎日選択していました
あのテレビ我が家は主人が電気の学校でしたから 此処の町は電気屋さんと我が家だけしかテレビが無くて夜は りきどうさん見たくてあちこちから集まり廊下まで満員でした
母は洗濯でした
コリントゲ-ムとは知りませんでした
パッチンとか 缶蹴りなどで良く遊んだものです
(鐘の鳴る丘)のメロデーを聞くにつけ当時を懐かしく
思い出します 昭和は遠くになりにけり ・・・
今、認知症防止策としてけん玉を始めましたが不器用者には一向に上達出来ません (#^.^#)
懐かしいものばかり
結婚して初めて買った電気製品は
東芝の電気釜 しかも一升炊き
多分それしかなかったのかもしれません
写真をみて懐かしくなりました
それでも嬉しかったのを覚えています
普段は常設展で江戸時代の船番所を伝えています
特別展で昔の暮らしと遊び これに惹かれて入って見ました
昭和の暮らしが蘇ってきますね
石臼 分かりましたか? さすがです
私も信州では 母と一緒に引いたものです
みんな使わなくなって 庭石にされたり 漬物の重石にもなりましたね
観て周りながら いろいろ懐かしく当時の光景を思い出しました