何かを語っても 何かの歌を演奏したり 歌わせても 反応は鈍い
ごく少数の方が 歌を小さく歌って 笑顔を見せる
多くの方が ただ見つめるだけ 中にはずっと眠っているのか顔は上げない
これが 昨日行った老人介護施設 認知症の方が多い
もう3年は過ぎただろうか それでも毎月訪れて行く
他のボランティアが訪れないし 私が一番精魂を込めて行く施設だ

知らない方が見たならば
それは一方通行に見えるかもしれない
そして初めてボランティアに行ったならば
その姿に自分の無能を感じるかもしれない
自分の将来を重ねて落ち込んでしまう方も居た
しかし 入所の方の個々の姿を観察していると
反応はある
関心無い様でも 曲にあわせて手指が動いている
時には涙を浮かべる
何かを訴えるような目つきで私を見る
眼で会話する 挨拶する
すると 嬉しそうに瞬間 笑顔が出てくる

全然歌ったりしない方も
ある日 近づいて握手をすると握り返す
そして始めて 有難う
言葉が返ってきたときは 私も嬉しくなる
思わず両手で その方の手を包み込む
曲の選定は バラバラである
他の施設でよくても 個々の施設であわせるようにする
それは音楽による 反応を微妙でも表す方が居たら
そこの施設では取り入れる
施設は 期間があるのか 時には顔を覚えている方が居なくなる
毎月行くから 私もかなりの方の顔を覚える
その方が居ないとき 少し寂寥感を覚える
スタッフも異動する
条件が悪いのか 身体を悪くしてしまうのか この辺は分からない
折角 意思が通じて思いとおりに進行していても また挫折する
それでも 入所している方が待っているなら私は行く
私の身体が続く限り 行くことが 私の生かされている いのちの時間だ
昨日は いつもより全体が反応悪く 進行していても どこか難しい
スタッフの段取りも悪く 手伝いも思うようにされない
それでも笑顔と元気が無ければ 心は通じない
微妙にマイナーになりそうな気持ちと戦う
しかし 帰りの時間になると 思いがけず 有難うの声が多く帰ってきてびっくりした
そして 手を振る方 私と握手しようとする方が居もいて 嬉しさと感謝が溢れる
こうして私に活動の場を与えてくれていることが 感謝である
うたごえもボランティアも無くなった時 私は老いて終わるだろう
待っていてくれる方が居ること 必要とされること
それが人生の生きがいだ

ハーモニカで伴奏や演奏する時
これが一番近くに行けて 全体を個々に見れる
演奏しながら 眼で会話できる
状態を細かく見れる
キーボードだと どうしても私が見れないときがある
なるべく譜を見ないように 顔を向ける
それでも 譜面を見ることが多くなる
プロでない力量を感じる時だ