上の梅シロップの写真は仕込んだ当日のものですが、約3週間経った今では全ての梅がシロップに浸かり、ほぼシワシワです。
「ほぼ」というのは、三粒だけパンパンのツルツルのままで「えっ?梅エキス?まだ全然放出してませんよ?」という顔をしているからです。
去年はもっと足並み揃えてシワシワになってた気がする…
今年の梅は個性的だな。
『日本人の質問』(ドナルド・キーン/著)という本が好きで、たまに文庫を持ち歩いています。
面白くて電車の駅を乗り過ごしそうになります。
前回読んだときは気にならなかったのですが今回とても納得したことがあります。
「日本語は韻を踏むのに向いていない」。
そうですよねー!!!!!!
西洋の影響を受け、一生懸命韻を踏んで書かれた近代の詩が例として載っていますが、
「春はものごと喜ばし
吹く風とても暖かし
庭の桜や桃のはな
よに美しく見ゆるかな
野辺の雲雀はいと高く
雲居はるかに舞ひて鳴く」
(矢田部良吉/著)
読んですぐに、日本語のラップソング?を思い浮かべてしまいました。
そして深くキャップを被ってダボっとしたお洋服を着た若者がマイクを異常に口に近づけて、片手をだらっと上げてこの韻文を口ずさんでいるところを想像し、笑ってしまいました。
電車の中なのに。
(この詩については「美しいというより滑稽に思います」とキーン先生も言っておられます。)
一般的なヨーロッパの言語には強拍と弱拍があり(ストレス・アクセントというらしい)、韻を踏むまでもなくそのリズムが整っていれば確実に「詩歌」となり散文とは区別されるのですが、日本語にはそういうアクセントは存在しないため、無理矢理韻を踏んだとしても、散文と区別できるリズムは生まれないとのこと。
深く納得です。
西洋の音楽と日本の音楽の違いみたい。
では何が日本の散文と詩歌を分けるのか。詩歌に必要なものは、
「電流みたいなもの」。
…!!
…!!!!!
五七調や七五調は日本人には遺伝子レベルで浸透していて詩歌のリズムとしてはとても有効なのですが、
それとは別に、
電流とは!!
そうかー、すてきな短歌や俳句と、それほどじゃないものを隔てているものは「電流」だったか。
ということで、久しぶりに本棚から引っ張り出した本のおかげで有意義な電車内読書タイムを過ごせました。
…でもやっぱりちょっと職場遠いな…
家でお茶を飲んでゴロゴロしながら読書する方がいいな…