武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

トラックバック削除は、意外と簡単だった

2006年11月02日 16時57分03秒 | Weblog
ブログをしていると言うと、私の周りでは、へえ、すごいですねえ、という反応が、多い。

必要に迫られて、あるいは好奇心で、パソコン操作は覚えたけれど、なかなかそれ以上には、ならない。

今日、ようやく、トラックバックの削除法を覚えた。何でこんなことが、できなかったのだろうというくらい、簡単にできた。

…さっきの投稿に、さっそくトラックバックが貼られた。開いてみると、あれまあ、いきなり!! 酷いものです。片っぱしから貼っているのだろうなぁ。開いて後悔しても、もう遅い。いやなものを、見ちまった、という感じです。

こんなものを喜ぶ人間が、多いのですかねえ。心底悲しい気持ちになります。

…というわけで、こりゃ大変、削除しようと、がんばったわけです。

もっと、真剣に、生きようよ。
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会話部分の工夫

2006年11月02日 14時59分04秒 | Weblog
『おさん』の中には、二人の女が出てくる。おさんと、おふさ。
おさんは、作りやすいのだが、おふさが、どうにもうまく作れない。
しっかりものを前に出すと、かわいい部分が、出来なくなる。例えば…

朝顔を見つけて、その朝顔の蕾が開くところを見たと、参太に報告する場面。
「九月に朝顔が咲くのか」
「小さいの、これくらい。それがまるで生きているみたいに、いやだ、生きているんだわね」おふさはくすっと笑った、
「くるくるっと、こういうふうにほぐれるの、巻いている蕾がくるくるっとほぐれて、先のところに ほころびができるの、着物の やつくちみたいに、ひょっと ほころびができたと思うと、それがぱらぱらっとほどけて、ぽあーっと咲くの、――なにが可笑しいのよ」……

ここで、止まってしまいます。読んでいて、ああっ可愛くない!! と笑っちゃうくらい、気持ち悪い女になるのです。オカマみたい?
しっかりもののまま、このせりふを言わねばならない。可愛い女にすると、おさんになってしまう。おさんとの違いを鮮明にするためには、オカマにならずに、可愛い女になる方法を探るしかない。ひとりで稽古していると、こんなところで、固まってしまうのです。解決の糸口が見つからない、よぉ
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努力あるのみ?

2006年11月01日 08時20分15秒 | Weblog
昨夜、語り仲間からの電話で、長話をした。

先日、彼女の朗読を聴いた。彼女、というよりも、先輩。
彼女には語り癖、というのだろうか、変なところに力が入る癖があって、ずっと気になっていた。でも、聞き手に、個性と受け止められていて、それはそれで、良いのかと思ってもいた。

先日の朗読で、その癖が、ほとんど消えていた。
すごいなあ。直しちゃったんだ!!
どこかで諦めちゃう人の多い中で、こんなに努力している彼女を尊敬してる。
努力の人、なのだな。
私も、がんばらなくちゃ。


でも、ひとつ…
癖が直ったことで、独自性が希薄になった。
あの独自な語り口を楽しむ人もいただろうになあ。言葉も明瞭になり、物語に入っていきやすくはなったけれど、なぜか、寂しい。

語尾を伸ばす人、節をつけちゃう人、いろんな癖を持つ人たちがいる。
それが、その人独自の色ではないかと、それはそれで、良いのではないかと納得しようとしていた。

わざと、そのように読めるのが、個性?
そのようにしか読めないのは、困った癖であり、欠点?

一旦直した癖を、個性に作り直すのだろうか。
これからも、楽しみに、お付き合いしていきたいと思う。

元来怠け者の私には、こんな先輩が必要なのです。
稽古稽古 ね
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