武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

愚痴を言わない

2006年10月16日 08時58分56秒 | Weblog
何を今さらな、話です。

いろんな自分が、います。陰と陽の自分がいます。誰でもが、そうであると思います。バランスを保ちつつ、生きていきます。いるはずです。

非常に激しい人間だと、言われます。生きにくいでしょう、と同情されます。
別に、いつも激しいのではない。一見おとなしそうで、にこにこと穏やかで、優しさであふれています。
でも、付き合いが長くなると、みな、見方が変わってきます。
不思議なのは、ちゃんと向き合って話したことのないような人からまでも、言われることです。近松なんか読んでいるから?

何をしでかすか分からない、どっちの方向へ走り出すのだろうかと、心配。
ついつい振り回されてしまう。我がまま…とも違うのよねえ。
世間知らずだよね。苦労してないでしょ。

人並みの苦労もしているし、もしかしたら、人より、世間を知っているとも思う。
人を振り回すような、私には、そんなつもりは、さらさらない。わかってないから始末が悪いのだと言われるのですが。

一つだけ、思い当たることがあります。
苦しいことや悲しいことに、鈍い。
苦しすぎて悲しすぎて、感覚が、麻痺しているのではないかとは、思う。
脳内麻薬、という言葉を聞いたことがあります。
昔受けたトラウマと同じ状態に陥って、安心感を覚えることがあるって。
間違っているかもしれないし、違ってほしいような気もする。

自分の不快感に対する許容量が、大きい分、他人の不快感への認識が、甘くなります。

なぜ、淋しいのなら、淋しくならないような工夫をしないの?という『淋しいおさかな』の中の少女と、同じ。淋しいのに、それを淋しいと認識できていない。取り返しのつかない淋しさには、出会っていなかったのかもしれない。

私も、取り返しのつかない苦しみや悲しみに、出会っていないのかもしれない。
でも。

愛する人たちの死に、涙した日々もある。
また、といいながら、次の出会いが、棺の中の…

涙を流したところで、戻らない。でも、知らぬうちに、涙がこぼれてくる。
今でも、夢にみます。夢を見るたびに、会いに行っていたのに、夢に見ても、もういない。そこには、写真しかない。

ゆうべ、夢を見ました。久しぶりに、夢で会った。何年ぶりですか?
お元気そうでしたね。嬉しいです。また、いつか、会いにきてくださいね。

ああ、最初の話から、ずいぶんと外れてしまいました。今朝は、ちょっとセンチメンタル。

良い天気です。和服の虫干しをしよう。
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