武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

タイトルを変更しました

2006年01月21日 19時48分02秒 | Weblog
「かたりべ」という言葉が、何か違うぞ、と感じていました。

今日の一日中の雪で、予定がひとつキャンセルになったことですし、と、思い切って変えてみました。

「ひとり語り」これが、私のしたいこと、していること。
私のしている朗読は、一般の朗読とはだいぶ違う。どちらかというと、語りのよう。
文学作品は、必ず台本を用意する。作者への敬意だと思います。技術的な稚拙さのための読み違い、解釈違いは許していただきたいし、それをなくすべく努めているのですが、意図的に言葉を変えるようなことは、したくありません。いくらでも推敲できてしまうような作品には、あまり興味が湧きません。読み込むうちに、興味が削がれてしまうことも、あります。何とか賞受賞作品といいながらも、これじゃあ、意味が通じないじゃないか、という表現もあります。全体の内容が、それをカバーしてしまうほど優れているのでしょうけれどね。…なんて私が言うのは、あまりにもおこがましいのですが。

とにもかくにも、台本を置くのですから、これでは語りと言えないよ!という方が多いのですが、語りにしてしまいたい。その作品を、伝えたい。だから、読み、語る。

かつての師である故山内雅人先生は、劇読(ドラマチックリーディング)と言っていらした。まさにそのとおりなのだけれども、この劇読という言葉は、あまり好きでない。
表現読みという言葉などもあるようですが、これはちょっと違うような気がします。

というわけで、語り。ひとりで語るから、「ひとり語り」です。

なんだか、また、何を言っているのかわからない文章になりましたね。
でも、きりがないので、この辺でおしまい。とりあえず、タイトル変更の言い訳めいたご挨拶です。

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謡いの稽古

2006年01月21日 17時11分47秒 | Weblog
謡の稽古がありました。

『田村』の中、

「さぞな名にし負ふ。花乃都の春乃空。げに時めけるよそほひ青楊の影緑にて。風長閑なる。音羽の瀧の白糸乃。繰り返し返しても面白やありがたやな。地主権現乃花の色も殊なり 
たゞ頼め。標茅が原のさしも草 我世乃中に。あらん限りハの御誓願。濁らじものを清水乃。緑もさすや青柳の。げにも枯れたる木なりとも。花桜木のよそほい何処乃春もおし並めて。のどけき影ハ有明の。天も花に酔へりや。面白の春べやあら面白の春べや」

美しいこの情景を、童子のように舞うことの出来る日が、果たして来るのでしょうか。

師は、来週から再びフランスへ行きます。
夏過ぎに戻られるまでに、『田村』を覚えますと、約束しました。この約束を違えないよう、努力します。努力したいと思います。

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