「かたりべ」という言葉が、何か違うぞ、と感じていました。
今日の一日中の雪で、予定がひとつキャンセルになったことですし、と、思い切って変えてみました。
「ひとり語り」これが、私のしたいこと、していること。
私のしている朗読は、一般の朗読とはだいぶ違う。どちらかというと、語りのよう。
文学作品は、必ず台本を用意する。作者への敬意だと思います。技術的な稚拙さのための読み違い、解釈違いは許していただきたいし、それをなくすべく努めているのですが、意図的に言葉を変えるようなことは、したくありません。いくらでも推敲できてしまうような作品には、あまり興味が湧きません。読み込むうちに、興味が削がれてしまうことも、あります。何とか賞受賞作品といいながらも、これじゃあ、意味が通じないじゃないか、という表現もあります。全体の内容が、それをカバーしてしまうほど優れているのでしょうけれどね。…なんて私が言うのは、あまりにもおこがましいのですが。
とにもかくにも、台本を置くのですから、これでは語りと言えないよ!という方が多いのですが、語りにしてしまいたい。その作品を、伝えたい。だから、読み、語る。
かつての師である故山内雅人先生は、劇読(ドラマチックリーディング)と言っていらした。まさにそのとおりなのだけれども、この劇読という言葉は、あまり好きでない。
表現読みという言葉などもあるようですが、これはちょっと違うような気がします。
というわけで、語り。ひとりで語るから、「ひとり語り」です。
なんだか、また、何を言っているのかわからない文章になりましたね。
でも、きりがないので、この辺でおしまい。とりあえず、タイトル変更の言い訳めいたご挨拶です。
今日の一日中の雪で、予定がひとつキャンセルになったことですし、と、思い切って変えてみました。
「ひとり語り」これが、私のしたいこと、していること。
私のしている朗読は、一般の朗読とはだいぶ違う。どちらかというと、語りのよう。
文学作品は、必ず台本を用意する。作者への敬意だと思います。技術的な稚拙さのための読み違い、解釈違いは許していただきたいし、それをなくすべく努めているのですが、意図的に言葉を変えるようなことは、したくありません。いくらでも推敲できてしまうような作品には、あまり興味が湧きません。読み込むうちに、興味が削がれてしまうことも、あります。何とか賞受賞作品といいながらも、これじゃあ、意味が通じないじゃないか、という表現もあります。全体の内容が、それをカバーしてしまうほど優れているのでしょうけれどね。…なんて私が言うのは、あまりにもおこがましいのですが。
とにもかくにも、台本を置くのですから、これでは語りと言えないよ!という方が多いのですが、語りにしてしまいたい。その作品を、伝えたい。だから、読み、語る。
かつての師である故山内雅人先生は、劇読(ドラマチックリーディング)と言っていらした。まさにそのとおりなのだけれども、この劇読という言葉は、あまり好きでない。
表現読みという言葉などもあるようですが、これはちょっと違うような気がします。
というわけで、語り。ひとりで語るから、「ひとり語り」です。
なんだか、また、何を言っているのかわからない文章になりましたね。
でも、きりがないので、この辺でおしまい。とりあえず、タイトル変更の言い訳めいたご挨拶です。