今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

サバイバルゲーム (台風15号の爪痕)・前編

2019年09月16日 | その他(分類なし)
東電の復旧作業の関係者、作業の応援に駆けつけて頂いた方々に感謝を込めて

サバイバルゲームと言ってもゲームの話ではありません。実際今回の台風による停電では熱中症による犠牲者が出ており、その危険は今も続いています。この記事は当家の人間と猫たちの、生死をかけた苦難との闘いの記録です。

東京湾の奥に位置する当地が台風の上陸地点と記録されたのは初めてだと思います。調べてみると、1958年の狩野川台風や2002年の21号が東京湾岸に上陸している。その被害は大きかったものの、記憶にないのは自分が直接の被災者にはならなかったからだろうか。しかし今回当地で観測された最大瞬間風速57.5m/sは、島部を除く関東での観測史上ダントツの1位だった。そして未経験の恐怖と被災。これまで台風通過地の沖縄をはじめ震災や水害に遭われた人たちの苦難を慮ってきたけれど、被災することの理不尽さや無力感を、初めてこの身をもって味わうことになったのです。

テレビで15号の位置や特徴、進路については繰り返し放映されていた。その予告通り、8日の夜半を過ぎた頃に急に風雨が強くなった。これまでは事前警告ほどのことはなく「こんなもんか」で終わっていたけど、その夜はどこまでも風雨が強くなる。 ゴーッという地響きを伴った暴風やピューッと風を切る音、窓に叩きつける雨音がそれまで聞いたことがないほど大きくなって、さすがに不安と胸騒ぎに駆られその晩は寝ずにテレビを観ていた。しかし朝の5時過ぎに停電、情報は途絶える。外が白んできたのはそれから間もなくのことだった。


ニャー

少し寝たのだろうか。妙に寝苦しいのと階下で妻がせわしく動く音で目が覚めた。時刻は8時過ぎ。風はまだ強かったがだいぶ弱まり、雨は止んで薄日が差していた。家の中外を点検していた妻が言った。「家は大丈夫みたいだけど周りが凄いことになってるわよ。」 庭を覗くとブドウ棚が倒壊、鉢類が叩きつけられたようにひっくり返り、毎年30個くらい収穫していたプルーンの木が倒れ、3mほど伸びていた皇帝ダリアの支柱から上の部分がぽっきりと折れていた。何より、庭と前の道路が木の葉や折れ枝で埋め尽くされて路面が見えない。大きな折れ枝が車に当たって傷をつけ、お隣さんでは屋根の一部が落ちていた。ここまでの惨状を過去に見たことがあっただろうか。しかし当家の周辺がまだましな方だと、後で知ることになるのでした。

それまでの経験から、直ぐに復旧するだろうと思っていた停電はまだ続いていた。その頃はまだ、朝ドラなどテレビの録画ができないことを気にしていた。わが家では梅雨が明けて以来リビングの冷房を切らしたことがなかったので、朝のひとときが妙に息苦しく感じた。9時に庭の温度計をチェックすると32℃。気温上昇がかなり早い。それもそのはず暴風雨の前夜はかなり高温の熱帯夜だった。そのときリビング室温は30℃。息苦しいのも無理はなかった。
注)この記事の温度記述は気象庁などに残る測定値とは違っています。特に9日は何故か大きく違っている。過去にも度々紹介したように、当家の庭の温度計は公の値より低くなるのが常でした。なので当記事では気温や風についても独自の測定や判断に基づいて記しています。


ちび太

その日と翌日は妻が店で自分は非番。妻は早めに、いつもの裏道ではなく大回りして店に向かった。その後も気温は上がり続け、高湿度が加わって家の中はとんでもない状況になってきた。10時頃には既に強烈な日差しが注ぎ、温かい南風が吹いていた。相変わらずの停電で情報がない。ガラ携を駆使して情報を得ようとしたがその携帯も電池が切れてしまった。家には何故か電話が2台あり、ひとつはアナログなので停電中でも繋がっている。その電話で妻や店のスタッフに連絡し、情報を得ようと試みた。昼前には風が途絶えて木の葉ひとつ揺れない無風状態となった。強風を常とする当地でこのような無風状態は大変珍しい。外の気温は35℃を超え、家の中では本格的な地獄が始まっていました。

一方、妻からの第一報はとんでもない店の惨状だった。長さ15m2段の鉄製用土販売棚が倒れ、フェンスを潰して駐車場に飛び出した。観葉室も温室も施錠してあった南側の窓やドアがすっ飛んで破損、日除け用の鉄パイプ矢倉も倒壊、大きなヤシの木2本も倒れ、電線ケーブルが下に落ちて危険状態。店中踏み場がないほど鉢物と植物が散乱。壊れた窓やドアから暴風が吹き込み、観葉室も温室もほぼ同じ状況だという。まったく手がつけられない状況に妻もスタッフも茫然自失していたようだ。ただ、付近一帯と違ってSCの中は停電していなかった。が、こっちがいくら頼んでも情報を得る気力すらなかったようだ。


リン

経験的に、室内温度が30℃を超えると猫たちがぐったりしてくる。昼時の室内温度は既に31℃まで上がっていた。情報が何もなく、することが山ほどあっても動く気もせずひたすら暑さに耐えるだけ。ご近所も同じなのだろう、家前の道路もそのままだ。袋小路で交通量の少ないことも幸いした。後でわかったことだが、停電と高気温は盛んに報道されていても、無風状態のことに触れたニュースはない。実際、風さえあればまだ少しは救われたと思うが、とにかく空気が肌に纏わりついて息苦しい。ウチワで仰ぐ手も既に疲労困憊だった。

午後の2時頃には庭の温度計が41℃まで上昇していた。9月なのに今夏2度目の40℃台だ。リビング室温は34℃。そして無風。よりにもよって、停電の最中に今季最悪の猛暑に見舞われてしまったのだ。後で気象庁の記録を見るとこの日の最高気温は33℃弱となっている。何故これだけの差が出たのかわからないが、市の中心部と郊外で何かが違ったとしか言いようがない。東電の対応電話はまったく繋がらず、その他の電話番号にも片っ端から電話したが一切出ず。店に電話して連絡がついても何もわからない。どうやら情報がかなり混乱しているようだった。ひとつ、行方不明だったレオが昼前に現れた。スタッフを見ると安堵したようにくっついてきたという。外に出ないように閉じ込めたつもりが、ドアが壊れて出てしまった。怖い思いでどこかに隠れていたに違いない。


ツインズ (手前がキー、奥にクウ)

その頃になって水風呂に挑戦してみた。海にもプールにも20年以上入ってないので不安もあったがそれどころじゃない。シャワーではなく桶に水を張って、そーっと足から沈んでいった。首まで漬かると、生き返ったような気持ちよさだった。が、風呂からでると20分くらいで元に戻ってしまう。その日は結局、翌朝近くまで15回以上は水風呂に入ったと思います。今回は停電だけでなく断水した地域も多く、携帯の繋がらない地域も多かったことは後で知った。当家や店はまだましな方だったのです。

猫たちは完全に死んだようになっていた。冷房嫌いのキーとクウはある程度慣れていたかもしれないが、それでも我慢の限界を超えていたのだろう。最早普通の動きは困難の様相だった。少しでも涼を求めてみな廊下のフローリングの上に伸びていた。自分は水風呂に入れたが彼らはできない。少し冷んやり感じる風呂場を開放しても怖がって入らない。霧吹きでの冷却を試みたけど、逆に猫たちを脅す結果になってしまった。風さえあれば・・、彼らに言葉があれば一様にそう言ったに違いない。

冷蔵庫の氷は昼前になくなり、アイスクリームは液体になり、夕方には冷蔵庫内の冷たさが完全に消失していた。妻は店の閉店時刻を過ぎてもなかなか帰って来なかった。ひどい渋滞で身動きがとれない中、どこを回っても閉店か棚が空で何も調達できなかったと言う。それでも電池式の常備灯を3つ買ってきた。家には懐中電灯が2つ。それにテンとみうの仏壇用に買ったローソクがある。携帯ラジオもあったが肝心の電池がない。結局ライトは使えたがラジオは諦めた。子供の時以来経験したことのない非常灯による一夜が始まった。自分がそのとき期待していたこと、それは車です。車には冷房もあれば画面の大きなテレビもある。妻が帰宅した21時頃、交代するように車に入ってようやく一息ついたのでした。


シロキ

その日は最低が29℃という強烈な熱帯夜になった。室内温度は31℃。猫たちの限界超えが続く。夜になると猫たちは出窓などの網戸にへばりついて思い思いに過ごした。しかし相変わらずの無風状態。自分は水風呂や車の中で一息ついた。夜も更けると妻から苦情が。うるさいから何処かへ移動してくれと。ご近所さんがみな窓を開けている。近くの野原に移動して休んでいると、わが家の向いの家の裏側のお宅は少し高台になっていて、灯りの点いているのが見えた。街から通りに出る歩行者用信号は消えているが、その先の信号は作動していた。ああ、天国と地獄の分かれ道なんて紙一重なんだなとつくづく思った。ニュースステーションや23時からの報道で、当地域は明日までに停電が復旧すると伝えていた。もう少しの辛抱だ。そう思えるのが何よりの救いだった。

その夜は徹夜を覚悟した。ベットに横になっても熱気が纏わりついてくる。空気の同じ分子が同じ皮膚に長く触れていると、火傷したときのように肌がひりひりと痛くなる。たまらずに何度も寝返りを打ちながら、心の中でお前ちょっと大袈裟だよと自分自身を嘲笑した。妻はやるべきことをやって夜にはしっかりと爆睡しているのに、いやホント、情けない。何もしないで不満ばかりの自分を卑下しながら、眠りについたのは3時を過ぎた頃でした。


チキン (疲れを知らない子猫)

(後編に続く)
※わが家では今は通常の生活に戻っていますが、県内にはまだまだ停電が続いている地域も、断水や携帯の繋がらない地域もあります。一刻も早い全面復旧と被災者皆様の無事を、心より祈っております。

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クウの試練

2019年09月07日 | リン(旧イエミケ),クウ,キー
クウとキーと出会ってからもう直ぐ2年。
彼らがもの心ついた頃からの付き合いです。
家にお迎えしてからも1年半。
でも、クウには未だに触ることすらできません。
この7月に「クウを確保せよ」という記事を書いた。
何かしてやりたくても何もできない"家庭内ノラ"状態が続いています。

ひとりでいる時間が多いクウ (右下は今は亡きみう)

それでもわが家にはしっかり慣れて、日々くつろぐクウには癒される。
猫って本当に不思議だな。見ているだけで癒される。
キーとの「ツインズ」も、リンに甘える姿も、本当に癒される。
そんなクウに、突然の試練が訪れた。


「ツインズ」(キーとクウ)は何かと一緒だった

ニャーです。
チキンとキリンを迎えて以来続くわが家の異変。
その動乱最中の先月末に、ニャーがクウを襲いました。
特別仲がいいわけではないが、一緒にいても問題なかった。
その時クウが何かしたわけでもない。
ニャーが突然クウを追いかけ、そして襲った。
クウも保護者も驚いた。
なにが起こったのか。
しかしそれは嘘でも冗談でもなく、
ニャーはその後もクウを見ると眼付けし、追いかける。

初めは応戦を試みたクウだけど、敵わないとみて逃げ回った。
今ではニャーを警戒し、2階のベット下や押入れ奥の隠遁生活となりました。
ご飯のときも下りて来れないので運んでいます。
クウの頼りはリンとキーだけ。
ニャーが外にいるときや、オジン部屋で寝る夜には会えるはず。
でも臆病なクウは、そんな時でも出てこない。
和やかな光景が、わが家からまたひとつ消えました。

リンの隠れ家 (リビング片隅のテーブルと椅子)
※定位置の椅子の上にシロキがいるので床上で待機

クウは心を許す相手が少ない孤独な猫。
周りは賑やかでも、いつも独り。
のんびりした家猫生活を満喫するには
警戒心を解いて緊張をほぐすことだと環境作りを心掛けてきたが、
これでまた遠のいた。

リンの横にはクウが (隠れ生活のリンを慕うやさしいクウです)

でも、かつてみうは同じ状況を打開してリビングの主になった。
リンだって、怖いながらもニャーとの距離を縮め始めた。
クウよ、お前にもきっとできる。
お前が怖がらなければ、ニャーはそのうち気が変わる。
ニャーは本当は、仲間意識の強い子だからね。

とってもかわいい"家庭内ノラ"ちゃんです (再掲)

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ミケチビJr.??

2019年09月04日 | その他・一見さん
先日の「ご縁が薄くなったノラたち」の続編第2弾、ミケチビの登場です。
続編第1弾の新顔ちゃんはサクラと改名してカテゴリーも独立しました。しかしミケチビは残念ながら、この5月以降見ていません。

ミケチビが店に現れたのは昨年の10月、それまで店に入り浸りだったモドキの足が遠のき始め、テンちゃんの具合が悪くなって覇気がなくなってきた頃でした。ミケチビは夕方になると現れてモドキやテンちゃんの残りご飯を食べていた。警戒心が強く8mくらいまで近づくと慌てて逃げ隠れてしまう。しかし毎日やって来るうちに少しは慣れたのか、閉店時刻の慌ただしさの中でスタッフの間をウロチョロ駆け回る。店にいる時間も少しづつ長くなっていきました。

店にやって来た頃のミケチビはまだ子猫だった

師走に入って寒くなってきた頃、ミケチビはとっておきの場所を見つけた。生花コーナーの床下を通って土間仕様の観葉展示室に抜ける方法です。どうやら床下で待機して、スタッフが帰宅した後に観葉室に入るらしい。観葉室は弱暖房しているので暖かいのです。それ以来ミケチビは観葉室で食事を取るようになりました。年が明けるとモドキは殆ど来なくなり、テンちゃんの生活はわが家が本拠地に。ミケチビにとっては店も自由も独占状態のハッピーな生活が到来したのです。

観葉室はミケチビにとって寒さを防げる安全な場所だった

しかしノラの生活は千変万化、やっぱりそんなにうまい話は続かない。2月になるとレオ(当時テンチビ)が現れる。レオはミケチビと違って人を苦にしなかった。ノラの生活(そして運命)は人間との距離をどこまで許容できるかによって決定的に変わる。どんなに猫として優れていても、人間社会で暮らす以上人間に馴染めなければ安定は望めない。案の定、ミケチビは店での主導権をレオに奪われ、半分逃げ回る生活に戻ってしまった。頼みの隠れ場(観葉室)もレオから逃げるうちにレオに気付かれ、場所ごと盗られてしまったのです。

しかも春になると、レオが発情して本気でミケチビを追い回す。逃げるミケチビが食事できるようスタッフがレオを遮ったりと、何かとミケチビに助け船を出したけどやはりダメだった。ミケチビは5月上旬を最後に姿を消したのです。やがて眼が覚めて落ち着きを取り戻したレオが、昔のように遊び相手を探しても後の祭りでした。

春には夜にこっそり食べに来る生活に戻ってしまった

<新参子猫登場>
ミケチビが姿を消してから4ヶ月近く経った先月末のこと。自分は非番だったのですが、朝から子猫の声が聞こえたという。姿がなかなか見えないが、てっきりチキンやキリンの兄弟がまだ生き延びていたと思ったそうだ。その子猫は、夕方になってようやく姿を現した。ガリガリに痩せてはいるがチキンたちとほぼ同じ月齢か少し小さく見えた。しかし何より、その子を見たとき誰もがミケチビを思い浮かべたそうだ。

ミケチビの子!? でも計算してみるとミケチビの子にしてはちょっと大きいか。いやいやミケチビが姿を消す前は既にふっくらしていたような・・。いろいろ憶測が飛んでも結局本人(猫)のみぞ知る。その子猫はおかわり2回を含めしっかりと食べた後、またどこかに消えた。そして、翌日以降は誰も見ていません。子猫は一度ご飯にありつくとその場を離れないのが普通だけど、事故か連れ去りか、これまた本人(猫)のみぞ知るとなってしまった。ただ、その日以来続けている置き餌は朝になると必ず空。レオが観葉室から抜け出して食べた可能性もあるが、それにしても一粒も残さない食べ方がレオらしくない。

ミケチビ似の新参子猫はガリガリに痩せていた

今は、何が起きているのかいろいろ試行錯誤で確認中です。めぐりめぐってミケチビに会えればいいけど果たしてどうなるか。 結果は続報にて。

消息を絶つ直前のミケチビは確かにふっくらして見える(再掲)

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動物愛護とメディア批評

2019年09月02日 | ノラたちの幸せを願って
マンションの35階ベランダから2mほど空中に突き出したパイプ。その先端にある15cm角ほどの小さなスペースに猫がいた。猫はまだ若く子猫の面影を残している。もちろん緊張で身じろぎもできず、この世の終わりに遭遇したような表情だ。遥か下には豆粒のように小さな車が行き交っている。そして撮影者の女性の笑い声。ケラケラと馬鹿みたいに笑い続けている。

先日の情報番組「特ダネ」で紹介された動画です。中国で投稿されたという。番組ではこの動画を何度も繰り返して放映した。「いいね」ほしさに、このような動物虐待動画が増えているとか。コメンテーターは「こんなことして何が面白いんでしょうかねえ」と。最後の小倉MCの一言、「この猫はダメだったようです」は途中で切れた。

師弟関係:ちび太とニャー(右)

いきなり気が重くなる話ですみません。今回はちょっと硬派です。趣味に合わない方はパスして下さい。猫の虐待、と一般化して言えば個々の猫は気にならなくなる。するとその問題自体が遠い出来事のように感じてくる。でも、あのパイプの先にいた猫はこの世に一匹しかいない猫なのです。頑張って生きようとしていたに違いない、他の何物にも変えられない猫だったはずです。命とはそういうものだ。ひとつひとつの人生(猫生)が刻まれている。とても一般論なんかで済まされるものではない。

高所恐怖症気味の自分はあの映像を見ただけでもくらくらするほどでした。恐怖にかられた、でも訴えることも助けを求めることもできない猫の姿が、脳裡に焼きついて離れません。

このブログにある『ノラたちの幸せを願って』カテゴリーでは、最新の3記事がいずれも虐待をテーマにしています。「やさしい報道と再発の危惧」「死刑に処すべし」「猫虐待にNo」・・・このカテゴリーはもともとノラたちの幸せを追求する場だったのに、最近の世相を反映してかネガティヴな方向に傾きつつある。残念ながら今回もその延長です。

旧女子連合:今は亡きみう(上)とリン

「特ダネ」に限らず、ワンニャンノラや動物虐待に関する報道は最近増えてきた感がある。その要因のひとつが”バイトテロ”などと同じで動画投稿を目的とした愉快犯が増えたからだろう。この連中は脳味噌が足りないから、「いいね」欲しさに何でもやっちゃう。もちろん命の尊さなど説いたって糠に釘。

そのせいか、MCもコメンテーターも何とも歯切れが悪い。はっきり言って、自分たちが今報道していることは命に関わる大変なことなんだという切迫感がない。被害者が人間だったらここまで能天気なことはないと思うが、やはり動物だからだろうか。民法では物と同じだし、何てったって牛や豚は毎日殺して食べてるじゃないかと。増えすぎて森林を破壊する鹿を駆除(殺処分)するのも、日本の生態系を守るために外来生物を駆除(殺処分)するのも、街中に出てきて人々の生活を危うくする熊や猪を駆除(殺処分)するのも、増えすぎた野良猫を駆除(殺処分)するのもみな同じじゃないかと。35階から落とすのと、炭酸ガスで苦しみもがいて窒息死させるのと何がちがうのかと。

以前にも述べましたが、この種の報道は大抵保護ボラ団体さんが出てきて「その一方ではこんなに救われています」とやる。人間社会は捨てたもんじゃないよと。それが虐待や殺処分という不条理を覆い隠すための方便に過ぎないことを、この報道関係者たちは気付いているのだろうか。この春に「バンキシャ」という番組が猫捨てに焦点を当てた報道を行った。その主旨はよかったが、コメンテーターのトンチンカンな発言で台無しになった。

育ての親?:シロキとチキン(右)

再犯を断ちさらに予備軍の台頭を断ち切るには、軽い気持ちでいる犯人が驚くほどの大きな制裁を与える他はありません。しかし刑法の量刑には限度があって動物虐待の上限は残念ながらまだまだ軽い。そこで社会的制裁の意味が大きくなり報道の役割が増すのです。名指しが無理なら匿名でもかまわない。とにかく滅茶苦茶に非難して制裁を加えることです。そうでないと犯人の思う壺だ。犯人は投稿動画が拡散してより多くの人に見せたいので、下手をすればそんな犯人をサポートするだけに終わってしまうのです。

メディアは民衆の頼もしい味方ではあるが、時として民衆に牙を剝く恐ろしい猛獣にもなる。先の戦争中に偽りの戦果を流して国民を欺き、「命を国に捧げる」「欲しがりません勝つまでは」と国民を煽動し、平和を願う人々を非国民呼ばわりしたのは他ならぬメディアだ。もうひとつ。パパラッチに追われるダイアナ妃の車が事故を起こしたとき、追い着いたパパラッチは誰一人として妃を助けようとせず、スクープとばかりに写真を撮りまくった。自分はこれがメディアの本質だと思っています。メディアとは新聞や週刊誌の記事を書く人、載せる人、テレビニュース番組のスタッフや出演者たちのこと。つまり人間です。そしてあの戦争中の報道関係者やパパラッチの血は、今でもこの業界に脈々と流れていると思っています。

ツインズ:キー(右)とクウ

メディアには巨大な力がある。その力を制御できないのなら携わるべきではない。我々はメディアの流す報道を盲信するのではなく、常に批判的に受け止める必要がある。報道関係者の自戒と自制心をしっかりとチェックしなければならないのです。動物愛護を具現化するために奔走する人たち。その人たちを世間に知らしめるメディア。しかしそれだけでは足りない。反動物愛護の行為を撲滅するのも、メディアの大切な役割なのではないでしょうか。

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