ハグハグの日々 Ⅳ  ~ 南日本海人、ライダー変身

ご訪問有難うございます。南日本海人、夏山裕のブログです。家族を愛し、人生に感謝して、日々をハグしながら送っています。

南日本海人、雪よ、つもれと叫ぶ

2008年02月05日 | わが町の景色
 雪国の人には申し訳ないのだが、雪がつもらないかなあと思う。今年(今季)はまだこの南日本海地方の州都に積雪らしい積雪はない。
 例年、二度ぐらいは積雪があったものだが、今年は積もらないような気がする。今年というか、年々暖かくなるので、もう積雪はないのかもしれない。
 そうなると雪というものが恋しくなるから不思議だ。
 何をそんなに雪にあこがれるかというと、まず、不便さがいい。不便、不自由というものを味わうことがなくなると、人間傲慢になるような気がする。台風でもそうであるが。自然の脅威という、人間にどうにもならないものを示されないと、不遜になる。大したことのないただの霊長類が、おごり、天下を取ったような気になっている。そのおこがましさをたまには打ち砕いてくれるものが必要だ。その意味で、雪に閉ざされるというのも一つの大事な様相である。
 また、外に出られなくなることからの、家、あるいは家庭の大切さ、ありがたさ、あたたかさを知るということもある。外部から守られるという感覚は、外部からの攻撃や不快な状況があってこそ、感じられるものではないだろうか? 外部からの脅威にさらされなければ、家や家族、家庭の必要性、大切さも薄らいでくるのではなかろうか。
 要するに、雪に閉ざされた家の中で、家族より添って暖をとる、という感覚である。
 もうひとつ、雪の積もった町並みの清楚な美しさだ。普段目にしている、雑多な物体の上に雪という純白の物質が覆い隠すことにより、一時的にではあるが、汚れやにごりが隠され手、清らかになったような気がする。ピュアなイメージである。もちろんそれを見る人間の心も、雪という純白なものから影響されて、一瞬でも汚れた自分を忘れられるような気がするではないか。その意味で、雪国の人は清らかで純粋そうな印象がある。
 以上の三つの理由から、積雪を願うものである。南日本海人、寒いのは決して好きではないが、たまには雪景色を見てみたいのである。

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