さて、四回目の登場である、伊能忠敬おじさんシリーズである。前回で書いたように最近伊能忠敬おじさんを見ていない。去年の一〇月からこっち、三回見たが、今年になってからはまだ出会わない。あまりに心配になってこの間はそのことを書いたのだが…。(伊能忠敬おじさんのことを知らない方は、このブログの前の記事、『伊能忠敬の子孫に出会う』、『再び伊能忠敬に遭遇』、『最近伊能忠敬を見ない』を参照ください。)
そういう訳で、彼とはあれから出会っていないので、新しい驚きや情報はないのであるが、このたび別の方面から進展があったのだ!
実は私のSNSの仲間の日記からのひらめきである。その人はHさんというのだが、その人の日記に「なんば歩き」のことが書いてあったのである。「なんば歩き」というのは、日本古来からある歩き方で、同じ方向の手と足を同時に前に出す歩き方である。つまり「なんば歩き」というのは、右足と右手を一緒に出し、左足と左手を一緒に出すという歩行法である。笑えるような動きだが、これは本来日本にあった歩き方なのだそうである。日本の古武道の歩き方なのである。
このことから何を気づいたかというと、伊能忠敬おじさんの歩き方である。私は彼が、大またで道路を歩幅計測していると思っていたが、実は「なんば歩き」をしていたのではないか? ということなのである。よく思い出すと、彼の手と足は同時に出ていた。大股なので、歩幅で道路を測量しているように見えた。私はそこから、彼が伊能忠敬の子孫ではないかと推測していたわけだが、「なんば歩き」という観点から見ると、違う可能性が出てくるではないか!
彼は、実は伊能忠敬の子孫であるばかりでなく(そこは変わらないのか)、武道の達人なのかもしれない。ここで、「伊能忠敬おじさん研究会」としては新しい研究テーマが浮かび上がってきたのである。彼は日々、測量の合間に(やっぱり測量しているの?)古武道の鍛錬に励んでいる可能性がある。
今まで、さんざん彼の噂を書いてきたが、本当はただ者ではないのではなかろうか。剣道四段、柔道三段、合気道三段の武道プロフェショナルなのかもしれない。今度出会ったら、そのことを聞いてみようか? いや、突然話しかけたりすると、無礼者、えいやっとばかりに合気道で投げられるかもしれない。こわいこわい、やめておこう。やはり、「研究会」としては遠くから観察して、探求するしかない。
それにしても今度は、伊能忠敬おじさんにいつ会えるのであろうか?
そういう訳で、彼とはあれから出会っていないので、新しい驚きや情報はないのであるが、このたび別の方面から進展があったのだ!
実は私のSNSの仲間の日記からのひらめきである。その人はHさんというのだが、その人の日記に「なんば歩き」のことが書いてあったのである。「なんば歩き」というのは、日本古来からある歩き方で、同じ方向の手と足を同時に前に出す歩き方である。つまり「なんば歩き」というのは、右足と右手を一緒に出し、左足と左手を一緒に出すという歩行法である。笑えるような動きだが、これは本来日本にあった歩き方なのだそうである。日本の古武道の歩き方なのである。
このことから何を気づいたかというと、伊能忠敬おじさんの歩き方である。私は彼が、大またで道路を歩幅計測していると思っていたが、実は「なんば歩き」をしていたのではないか? ということなのである。よく思い出すと、彼の手と足は同時に出ていた。大股なので、歩幅で道路を測量しているように見えた。私はそこから、彼が伊能忠敬の子孫ではないかと推測していたわけだが、「なんば歩き」という観点から見ると、違う可能性が出てくるではないか!
彼は、実は伊能忠敬の子孫であるばかりでなく(そこは変わらないのか)、武道の達人なのかもしれない。ここで、「伊能忠敬おじさん研究会」としては新しい研究テーマが浮かび上がってきたのである。彼は日々、測量の合間に(やっぱり測量しているの?)古武道の鍛錬に励んでいる可能性がある。
今まで、さんざん彼の噂を書いてきたが、本当はただ者ではないのではなかろうか。剣道四段、柔道三段、合気道三段の武道プロフェショナルなのかもしれない。今度出会ったら、そのことを聞いてみようか? いや、突然話しかけたりすると、無礼者、えいやっとばかりに合気道で投げられるかもしれない。こわいこわい、やめておこう。やはり、「研究会」としては遠くから観察して、探求するしかない。
それにしても今度は、伊能忠敬おじさんにいつ会えるのであろうか?