ハグハグの日々 Ⅳ  ~ 南日本海人、ライダー変身

ご訪問有難うございます。南日本海人、夏山裕のブログです。家族を愛し、人生に感謝して、日々をハグしながら送っています。

塀と生け垣

2009年03月30日 | わが町の景色
 仕事場の近所に新築が建った。家本体はもう完全に出来上がっており、現在、外構工事でもう少しですべて竣工という状態である。家もハウスメーカー仕様、外構も今時のレンガブロック等を使ったモダンな余裕のありそうな家である。
 その家で元々土地の境界部分にコンクリート塀があるのだが、そのコンクリート塀の上に、アルミの目隠しフェンスをつけていた。1メートルのブロックの上に、1メートルの目隠しフェンスである。
 それを見て、「あ~」とため息をついたのは私である。

 そんなに2mもの高さの目隠しをしなくてもいいのになあ、という意味の「あ~」である。確かに割と通行量の多い道路際なので、視線が気になるというのはわかる。だが、完全な目隠しはよくない。
 はっきり言わせてもらうと、インテリジェンスがない。
 完全にふさいでしまうというのは、浅はかな考え方だと思うのだ。都会地で家が密集しており、隣がすぐ建物だというのならわからないでもないが、隣は生活道路なのである。
 古来日本では見えても見えないことにしたり、聞こえても聞こえないことにするという文化が育まれてきた。(おお、「育まれていた」とは、なんと上品な表現だ。)つまり、襖、障子、ついたて、の文化である。
 完全な目隠しはいけないのである。

 めんどくさいので、いきなり結論に行く。
 生け垣にしなさい! 何百万円も外構工事にかけるお金があるのなら、ぜひ生け垣にするべきだと思う。子供たちの情操教育にもその方が断然いい。完全な目隠し状態の庭で閉鎖的に遊んでいては、よくない。
 かすかに見えるような見えないような、住んでいる者の息づかいを感じさせるようなたたずまいというのが、ご近所の人間関係には必要だと思う。完全に視線を遮るなんて、品のない。そればかりかコミュニケーションの完全な遮断であり、この田舎町の近所づきあいには好ましくない。ここは冷たい都会の砂漠ではないのである。(何を言っているのかよくわからない。)

 だが、確かに生け垣は手がかかる。だから何も凝ったものにしなくていいのである。年に2、3回ほど剪定すればいいような、丈夫な常緑樹を植えておけばいいのだ。剪定も自分でやるとなかなか楽しいものである。剪定がライフワークの南日本海人、昼食付なら剪定に行ってあげてもいい。(嘘だけど。)ほんとうは剪定する手間や費用が惜しいのでブロックとフェンスの目隠しにしたのだろうが、その考え方がまず間違っている。(今日はすごく断定的だなあ。)
 とにかく、完全な目隠しにするなんて、よくないと思うよ、と言ってあげたいのであるが、まあ、知り合いではないので放っておくしかない。
 かわいそうだが。なむあみだぶつ・・・おっとこれは失礼だったか。

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