加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

真剣に考えているふりならサルでもできる「コメンテーター」

2018年08月28日 21時47分26秒 | 社会時評なんちって

コメンテーターは情報番組を薄めて伸ばす「稀釈液」的存在

話題の加地伸行氏の本はまだ読んでいないのですが、たしか「論語」研究で有名な方でしたよね?

そんな人も怒らせるほど、「コメンテーター」という存在は鼻につく。最近とくに。

上の記事に挙げられている人では、ぼくはダントツに玉川徹が嫌いです。「虫唾が走る」に近い。チャンネルを変えてしまうので、まともに何を言っているか最近聞いていないのだが。

「偽善」もそうだが、どちらかというと、いわゆる情報系ワイドショーの「コメンテーター」は、「偽知性」なり「偽思考」というコトバのほうがいいのではと思う。これはさっき考えた造語なのだが、「うっすらとした正義感」というのは、ベクトルこそ違え視聴者の多くがコトバにしないだけで、持っているものだと思う。

テレビ番組における「コメンテーター」の機能とは、視聴者の持つそんな「うっすらとした正義感」にもとずくモヤモヤをコトバにして、発散させる、いわば「感情発散装置」なのではないか、と思う。「コメンテーター」のコトバに「安物の正義感」があふれているのは、なんとなくテレビを付けているぼくたち自身が「安物の正義感」を抱いているからだ、と思うのだ。

あ、それが悪いとは思っていません。陰惨な事件のニュースが流れているときに、胸の中にたまっていくガスを抜いてくれる機能なのだ、と思います。「コメンテーター」というやつは。

 しかし、妙な使命感を抱くことや独善に陥るのは、くれぐれもやめていただきたい。

 

 最近「イラッとくる台詞」というのを研究しています(笑)


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