何でも「縁」にしたいタイプなんです、ワタクシメ。
またしても「続き」でござーます。
ゲストティーチャーやらせていただいて「楽しいこと」の方が多かったし、
「ここで・・・やるんですか (ノ・ω・)ノオオオォォォ-」というスゴイ経験もしました(笑)
でも前回書いたような虚しいことも、たくさんありましてぇー😢
「こんなことしてて、いいのかー」と悩んでいた頃でした。
ワタクシメが電動車椅子を使い始めて一月目のこと(20年位まえになります)。
某自治体がバリアフリー教育のためにつくっている紙芝居の脚本の仕事が舞い込みました。
テーマは「車椅子」です。
紙芝居の脚本を書くのは初めてでしたが、車椅子を使い出したときにこんな依頼がくるのも何かの縁だと引き受けました。
絵は絵本作家の長野ヒデ子先生で、今にして思えば「おんぶにだっこ」で描かせていただいた作品です。
ヒデ子先生の絵を見て驚きましたよ、ワタクシメ。
打ち合わせたわけでもないのに、ヒデ子先生がかいた車椅子の色と私の電動車椅子の色が同じオレンジだったことです。
縁だ・縁だ・縁としか思えない!
「縁」にしちまえ (*^^)v
ワタクシメはその紙芝居「ともだちきねん日」に愛情を感じるようになりました。
そして「この紙芝居を使って何かできないかな」と考えるようになったのです。
悩んでいる時期に、そういう出来事が舞い込む…人生って、おもしろいですね ⤴⤴⤴
だーばぁ生誕の地に、児童館が❣
かれこれ30年近く経ちますが、祖父の相続で田畑などなど手放すときに(?)、区に買っていただいた土地があります。
我が家と地続きの場所です。
そこは、いわゆる「公民館」となりまして、児童館も併設されました。
ということは・・・ガキんちょたちが我が家の周りを駆け回るわけですわ。(たまに敷地内に入ってくる子もいるんです・爆)
子どもからするとワタクシメのような全身マヒの「障がい者」は、とても不思議な存在で、
じろじろ見たり「どうしたの? なんで、なんで???」と、けっこうめんどっちーんです。
公共施設が家の前にできたことは「ラッキー😊」ですが、お子様たちとどう接するか・・・
若き日のだーばぁの課題となったわけですわ。
でも当時「ゲストティーチャー」はかなりこなしていたので、お膳立てしてくれる人がいれば、家の周りに出没するカキんちょ(お子様方)と
仲良くなれるかなーと思ったんです。
「紙芝居」を作ったことで、童話作家@児童文学作家だぞーという自覚と自信も持てたんです。
自分が持っているパーソナリティーを活かして暮らしたいと強く願いました。
※ 「ガキんちょ・ガキんちょ」って書いてすみません。
我が姪や甥も「児童館育ち」なので・・・いろんな意味でスミマセン <(_ _)> <(_ _)> <(_ _)>
どうして児童館(特に学童保育クラブ)に来るお子様って、のびのびしちゃうんですかねwww
絶滅危惧種の「ガキんちょ」が、ワタクシメの身近にこんなにたくさん生息しているのかと感動してます (V)o¥o(V)
「叩けよさらば開かれん」で、やってみればー
当時、障害者団体のボランティアリーダーの中に子だくさんの人がいたので、ワタクシメの家の事情も含め、
「これから、こんなふうに児童館・学童保育クラブとつながりを作りたい」と相談しました。
もう時効だから白状しますが、私はそのリーダーなら「子どもつながり」で児童館の職員とか親の会の役員を紹介してくれるとか、
「何ならお膳立てしてあげようか・・・とか👀」なーんて言葉を期待したんです。
しかし、そのリーダーはあっさり言いました。
「そこまで考えてるんなら、直接行ってみればー。誰か間に入ってもらってもいいけど~。家の前でしょ。やりたいと思ったら、やればいいじゃない」
「ワタクシメが行って・・・大丈夫かな?」
「だーばぁさんがやろうとしてること、いいことよ。断られる理由はないわ」
「そりゃそうだけど・・・。そしたら、どんな感じで行ったらいいかな?」
「職員室のドアを、トントン」
「はー? いきなり、ですか?」
「そんな堅苦しい所じゃないわよ」
「ワタクシメにとっては未知との遭遇」
「だって『やりたい』んでしょっ」
「うん」
「家の前でしょー」
「そう」
「だから、トントン、よ」
「わかりましたよ。行ってきますよ。『叩けよさらば開かれん』ですよ 👊」
ワタクシメは意を決して「トントン」しました。
自作の絵本や紙芝居、インタビュー記事のコピーなど「作家・岡田なおこ」に関する資料を持って、ドキドキでしたよ。
ここでは近所のおばさんとして子どもたちと接したいんです。
私を見て笑ったりする子もいますが、それは知らないからでしょう。
自然に接していくことで『バリアフリー』ってぇものを、感じてもらえたらいいと思うんです 云々
ちょうどその学童保育クラブには障害児が何人か通ってきているので、ワタクシメの申し入れはグッドタイミングだったようですが、
まだ地域の人にボランティアとして関わってもらう前例も少なく、まして「障がい者だしー」みたいな、お役所的なムードもありました。
そのころの若手指導員がワタクシメの気持ちを理解してくれて、骨折って「ルール」を作ってくれました。
あっちこっちに迷惑かけていますが、「叩けよさらば開かれん」は本当だなーと思っています。
子どもたちとの交流から始まって・・・
ワタクシメにペタペタひっついてくる子もいれば、相変わらず見て笑う子、シカトする子、いろんな子がいます。
ただ交流する前と違うことは、ワタクシメを馬鹿にする子がいると仲間同志で叱ったりたしなめ合うようになったことです。
またワタクシメの言葉をよく聞き取ってくれる子は「だーばぁさんが○○と言ってるよ」と通訳をしてくれたりします。
ワタクシメが車椅子を使わず歩いていると「今日は頑張ってますね。気をつけて下さいよ」とほめてくれることもあります。
その年度によって、子どもたちも職員も変わりますが、大きなルーティンはかわらないんです。
ゴールデンウイークを過ぎた頃からお子様方は”ガキんちょ“へと変貌します(笑)
梅雨が明けると、ドバーッと本領発揮 ●~*
小学生の頃、児童館で遊んでいた子が「アルバイト」でスタッフをしてくれたり、
学生アルバイトだった人が「指導員」になって来てくれるケースも増えました。
ワタクシメ、完ぺきにオバサンで、
「●●くーん、立派になったねー」なんて・・・マジで泣きそうなときもありますよ (T_T)
子どもたちは大人になり、ワタクシメは年取るから「交流のカタチ」は変わりますが、最初に「トントン」したお陰で、
自分のコミュニティを持つことができました。
高齢者などなど、コミュニティが持てない人のために、周囲が「エンヤコラ」することも多いらしいけど、
持てない人は「持ちたくない」んじゃないのかなー?
「縁を紡いでいこうとする気持ち」と、「叩けよさらば開かれんの精神」がなければ、幸せは獲得できいと思っています。
失敗は恐れずに、まずは「トントン」
それが「だーばぁの流儀」かも (^_-)
↓ こんなカッコウで徘徊してます♿
またしても「続き」でござーます。
ゲストティーチャーやらせていただいて「楽しいこと」の方が多かったし、
「ここで・・・やるんですか (ノ・ω・)ノオオオォォォ-」というスゴイ経験もしました(笑)
でも前回書いたような虚しいことも、たくさんありましてぇー😢
「こんなことしてて、いいのかー」と悩んでいた頃でした。
ワタクシメが電動車椅子を使い始めて一月目のこと(20年位まえになります)。
某自治体がバリアフリー教育のためにつくっている紙芝居の脚本の仕事が舞い込みました。
テーマは「車椅子」です。
紙芝居の脚本を書くのは初めてでしたが、車椅子を使い出したときにこんな依頼がくるのも何かの縁だと引き受けました。
絵は絵本作家の長野ヒデ子先生で、今にして思えば「おんぶにだっこ」で描かせていただいた作品です。
ヒデ子先生の絵を見て驚きましたよ、ワタクシメ。
打ち合わせたわけでもないのに、ヒデ子先生がかいた車椅子の色と私の電動車椅子の色が同じオレンジだったことです。
縁だ・縁だ・縁としか思えない!
「縁」にしちまえ (*^^)v
ワタクシメはその紙芝居「ともだちきねん日」に愛情を感じるようになりました。
そして「この紙芝居を使って何かできないかな」と考えるようになったのです。
悩んでいる時期に、そういう出来事が舞い込む…人生って、おもしろいですね ⤴⤴⤴
だーばぁ生誕の地に、児童館が❣
かれこれ30年近く経ちますが、祖父の相続で田畑などなど手放すときに(?)、区に買っていただいた土地があります。
我が家と地続きの場所です。
そこは、いわゆる「公民館」となりまして、児童館も併設されました。
ということは・・・ガキんちょたちが我が家の周りを駆け回るわけですわ。(たまに敷地内に入ってくる子もいるんです・爆)
子どもからするとワタクシメのような全身マヒの「障がい者」は、とても不思議な存在で、
じろじろ見たり「どうしたの? なんで、なんで???」と、けっこうめんどっちーんです。
公共施設が家の前にできたことは「ラッキー😊」ですが、お子様たちとどう接するか・・・
若き日のだーばぁの課題となったわけですわ。
でも当時「ゲストティーチャー」はかなりこなしていたので、お膳立てしてくれる人がいれば、家の周りに出没するカキんちょ(お子様方)と
仲良くなれるかなーと思ったんです。
「紙芝居」を作ったことで、童話作家@児童文学作家だぞーという自覚と自信も持てたんです。
自分が持っているパーソナリティーを活かして暮らしたいと強く願いました。
※ 「ガキんちょ・ガキんちょ」って書いてすみません。
我が姪や甥も「児童館育ち」なので・・・いろんな意味でスミマセン <(_ _)> <(_ _)> <(_ _)>
どうして児童館(特に学童保育クラブ)に来るお子様って、のびのびしちゃうんですかねwww
絶滅危惧種の「ガキんちょ」が、ワタクシメの身近にこんなにたくさん生息しているのかと感動してます (V)o¥o(V)
「叩けよさらば開かれん」で、やってみればー
当時、障害者団体のボランティアリーダーの中に子だくさんの人がいたので、ワタクシメの家の事情も含め、
「これから、こんなふうに児童館・学童保育クラブとつながりを作りたい」と相談しました。
もう時効だから白状しますが、私はそのリーダーなら「子どもつながり」で児童館の職員とか親の会の役員を紹介してくれるとか、
「何ならお膳立てしてあげようか・・・とか👀」なーんて言葉を期待したんです。
しかし、そのリーダーはあっさり言いました。
「そこまで考えてるんなら、直接行ってみればー。誰か間に入ってもらってもいいけど~。家の前でしょ。やりたいと思ったら、やればいいじゃない」
「ワタクシメが行って・・・大丈夫かな?」
「だーばぁさんがやろうとしてること、いいことよ。断られる理由はないわ」
「そりゃそうだけど・・・。そしたら、どんな感じで行ったらいいかな?」
「職員室のドアを、トントン」
「はー? いきなり、ですか?」
「そんな堅苦しい所じゃないわよ」
「ワタクシメにとっては未知との遭遇」
「だって『やりたい』んでしょっ」
「うん」
「家の前でしょー」
「そう」
「だから、トントン、よ」
「わかりましたよ。行ってきますよ。『叩けよさらば開かれん』ですよ 👊」
ワタクシメは意を決して「トントン」しました。
自作の絵本や紙芝居、インタビュー記事のコピーなど「作家・岡田なおこ」に関する資料を持って、ドキドキでしたよ。
ここでは近所のおばさんとして子どもたちと接したいんです。
私を見て笑ったりする子もいますが、それは知らないからでしょう。
自然に接していくことで『バリアフリー』ってぇものを、感じてもらえたらいいと思うんです 云々
ちょうどその学童保育クラブには障害児が何人か通ってきているので、ワタクシメの申し入れはグッドタイミングだったようですが、
まだ地域の人にボランティアとして関わってもらう前例も少なく、まして「障がい者だしー」みたいな、お役所的なムードもありました。
そのころの若手指導員がワタクシメの気持ちを理解してくれて、骨折って「ルール」を作ってくれました。
あっちこっちに迷惑かけていますが、「叩けよさらば開かれん」は本当だなーと思っています。
子どもたちとの交流から始まって・・・
ワタクシメにペタペタひっついてくる子もいれば、相変わらず見て笑う子、シカトする子、いろんな子がいます。
ただ交流する前と違うことは、ワタクシメを馬鹿にする子がいると仲間同志で叱ったりたしなめ合うようになったことです。
またワタクシメの言葉をよく聞き取ってくれる子は「だーばぁさんが○○と言ってるよ」と通訳をしてくれたりします。
ワタクシメが車椅子を使わず歩いていると「今日は頑張ってますね。気をつけて下さいよ」とほめてくれることもあります。
その年度によって、子どもたちも職員も変わりますが、大きなルーティンはかわらないんです。
ゴールデンウイークを過ぎた頃からお子様方は”ガキんちょ“へと変貌します(笑)
梅雨が明けると、ドバーッと本領発揮 ●~*
小学生の頃、児童館で遊んでいた子が「アルバイト」でスタッフをしてくれたり、
学生アルバイトだった人が「指導員」になって来てくれるケースも増えました。
ワタクシメ、完ぺきにオバサンで、
「●●くーん、立派になったねー」なんて・・・マジで泣きそうなときもありますよ (T_T)
子どもたちは大人になり、ワタクシメは年取るから「交流のカタチ」は変わりますが、最初に「トントン」したお陰で、
自分のコミュニティを持つことができました。
高齢者などなど、コミュニティが持てない人のために、周囲が「エンヤコラ」することも多いらしいけど、
持てない人は「持ちたくない」んじゃないのかなー?
「縁を紡いでいこうとする気持ち」と、「叩けよさらば開かれんの精神」がなければ、幸せは獲得できいと思っています。
失敗は恐れずに、まずは「トントン」
それが「だーばぁの流儀」かも (^_-)
↓ こんなカッコウで徘徊してます♿