ナンシー・Chang!のおいし~生活

湘南(住まい)&東京(勤務地)で見つけた、あんなこと、こんなこと。

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Walking in the Rain(後編)

2008-02-02 19:50:10 | 日々のつれづれ
前編より続く

*ニューカメラを手に曇天の街へGO

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■新日本石油虎ノ門ビル


竣工:1997年11月 港区虎ノ門一丁目2番6号

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■虎ノ門琴平タワー
「虎ノ門琴平タワー」の通りに面した一階部分に大きな鳥居があります。奥には東国名社の一つとしても名高い金刀比羅宮(ことひらぐう)が鎮座しています。

金刀比羅宮
実は此方がこの日のオフィス街探訪の肝。愛宕グリーンヒルズの上をいく近代建築と宗教施設の融合です。地上26階の高層オフィスビルを神社が持ち上げる形の仰天設計は日建が手掛けたそうです。

1660(万治3)年、讃岐(現在の香川県)の丸亀藩主‐京極高和が、愛宕に邸宅を作る際、讃岐金刀比羅大神を勧請したことに由来します。この場所がちょうど江戸城の裏鬼門に当たったため、鬼門除けの神の役割も担っていました。大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る「金刀比羅宮」(ことひらぐう)は、以来、虎ノ門琴平大権現と称えられ、五穀豊穣、豊漁満帆、海陸安穏、万民泰平の幸運のご利益があるとして人々に愛されています。


本殿の前に立つ銅鳥居
1821(文政4)年に奉納。2001(平成13)年10月23日、港区の文化財に指定されました。
真新しい琴平タワーの柱を従えるように威容を誇る本殿前の銅鳥居は、江戸時代から伝わる歴史的建造物。
中国から伝えられた天上の四神(東西南北を守る神獣)が飾られています。
ちなみに、東が青龍、西が白虎、南が朱雀、北は玄武(亀)だそうです。

拝殿
伊東忠太の監修により1951(昭和26)年建立。
2001(平成13)年11月28日、東京都選定歴史的建造物に選定されました。

百度石(右)
1864(元治元甲子)年に奉納。1997(平成9)年3月11日、港区の文化財に指定されました。
銅鳥居の右脇にあります。願いを叶えてもらおうとする神仏に百度お参りして祈願する「お百度参り」に使われる石で、この石を基点として本堂までを往復するのを「一度」と数えていました。
竣工:2004年11月 港区虎ノ門1-2-7

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■虎ノ門ワイコービル
神谷町の交差点に建つ可愛いデザインのオフィスビル。



上手く写せなかったんですが、てっぺんに多角形のトンガリ帽子みたいな緑色の屋根があります。1Fにオフィスデポとセブンイレブンが入っていて、テナントに使い勝手の良さそうなビル。
竣工:1990年 港区虎ノ門5-12-1

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■NOAビル


飯倉交差点です。
角にそびえる黒い円筒形の建物は、白井晟一研究所が手掛けたかの有名なNOAビル。
30年以上も前に設計されたとは信じがたい斬新なフォルムがひときわ異彩を放っています。
でも、働き心地はいかがなものなのでしょうか?なんだか会社が墓の中にあるみたいでゾッとするような…。
竣工:1974年 港区麻布台2-3-5

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■東京メソニックビル
東京タワーの足元にあるここは戦前、旧日本海軍の社交クラブ「水交会」があった場所。



『ダヴィンチ・コード』のヒットが影響して入会希望者殺到、謎の秘密結社「フリーメイソン」東京本部があります。

シンボルマークのコンパスと定規が。
人畜無害なハイソサイエティの社交クラブ、実は国際政治を陰で操る闇の勢力?「フリーメイソンについて発言する時には、火事と交通事故に気をつけろ」ってマジですか?? あらら、女人禁制なのね。
竣工:1980年 港区芝公園4-1-3

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■聖アンデレ教会
全国でも珍しい畳敷きの教会。

港区芝公園3-6-18
※詳しく知りたい方は こちら

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■東京タワー



時計を見れば16:20(4時間近くもほっつき歩いていた私って…)。
迷うことなく 水族館 へリピート訪問。閉館時間までマターリと癒されてきました。
東京都港区芝公園4-2-8  03-3433-5111(代)
※各施設の営業時間、東京タワーのデータなどについては こちら をご参照のこと。

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帰りはさすがに御成門駅から三田線に乗り東京(大手町より徒歩)へ。腹ペコ+寒さでガクプルだったので、リーゾ・カノビエッタ@グランスタに寄り、リゾットを食べて帰路につきました。

なんだかんだで長い1日だった…。
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Walking in the Rain(前編)

2008-02-02 02:20:09 | 日々のつれづれ


*ニューカメラを手に曇天の街へGO

T-20の「曇天モード」(WB自動調整)で雨のオフィス街を激写してきました(物好き?)
私の職場近郊は典型的な勤務地エリアなので、面白い設計のビルや奇抜な建造物が沢山あります。
ライトアップ姿が美しいビルばかりではないので、いつかは明るい時間にじっくりと眺めてみたいと思っていました。
休日なら人もいないし、写真も撮りやすいだろうとわかっていても、休日に会社近くまでわざわざ出て行くのもなぁ…と延び延びになっていたわけです。
この日は生憎すぎる天候とはいえ、このチャンスを逃す手はない!と強行(とはいうものの、実はハナイビルだけ撮って帰るつもりだったんですが…)。日比谷まで歩いて気が変わり、桜田通りを飯倉まで逆行(えぇ――っ!?)。
クソ寒い上に雨まで降ってるってのに、我ながらバカなことをしたものです。

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■ハナイビル
増上寺の赤門(大門)を右折し、新橋方面に向うと左手に現れる石造りのシブいビル。
帰宅時に通りかかっては「明るい時間に写真を撮りたい」と思っていました。



クラシカルな設計が気に入っているっているのですが、意外と新しいビルなのね。

竣工:1994年4月 港区芝公園1-2-9

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■市政會館
ご存知日比谷公会堂の反対面です。


入口に「市政會館」と表示されていることを知らない人もいるようですが、国会通りに面している半分はオフィスビルなのです(テナントには時事通信社も)。
竣工:1929年10月 千代田区日比谷公園1-3

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■大同生命霞ヶ関ビル
愛宕方面から帰宅ウォーキングする際に何度も前を通っていますが、15:00に近くまで来たことは1度もない。

すっきりとシンプルな美しいビル。1Fのillyは休業でした。
竣工:2003年7月 千代田区霞が関1-4-2

桜田通りを西へ向かいます。
土曜日に官庁街を歩くのは昨年11月に続き2度目。相変わらず廃墟のように人気がありません。

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文部科学省庁舎


昭和初期の建設ならではの趣きある造り。当時流行の重厚なスクラッチタイル仕上げ、正面上部には装飾が。
竣工:1933年 千代田区霞ヶ関3-2

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財務省庁舎


着工から改修終了までに約30年かかった昭和の建築物です。
1936年に戦時中の資材難で工事が中断、1943年にようやく竣工にこぎつけるも、外壁のタイル張りは手付かずの状態。
終戦後には米軍に接収され、解除となる1955年まで外壁剥き出しのまま放置。タイル張りを含む全ての改修工事が完了し、現在の姿となったのは1963年という、激動の歴史をくぐってきたのです。
堂々たる佇まいからは威厳すら漂います。なんたってお金が生まれる場所ですからね。
着工:1934(昭和9)年、竣工:1943(昭和18)年、改修終了1963(昭和38)年 千代田区霞が関3-1-1

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後編 につづく
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