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2021年2月10日にBS-テレ東で『ある日どこかで』が放映されました。わしはこの映画、9年前に観たんですが久しぶりだったので録画してこのたびようやく観てみました。
感想は・・・
初めて観た時とほとんど変わりませんでした(´・_・`)
※レビューは ↑ です。
ある日どこかではじめて大ゲンカをし、真夜中三本立ての映画館に入った三本めに上映された過去の時代に命をかけて恋人に逢いにいくストーリーこの映画の途中で手を握りあったあの日ある日どこかでという映画に出会わなければ翔子は生まれていなかった。 pic.twitter.com/axNSRCPXLf
— 中川桂子 (@keikonakagawa99) November 28, 2019
『ある日どこかで』って原題は『Some-Where-In-Time』って言うんだけど、悲劇なの。
ある日主人公が通り沿いを歩いていたら、突然見知らぬおばあさんに時計を渡されて「私を忘れないでね」って言われるの。主人公はそれが一体、何のことかさっぱり分からない。
で、町の資料館に飾ってある、自分が一番好きな胸がトキメク写真に写ってるのがさっきのお婆さんだって気が付くのね、それからずっと、ずっと彼女に会えるように、昔に戻れば彼女に会えるって迷走するわけ。
自分の身の回りの物をすべて昔のものに替えれば昔にいけるんじゃないかって思いこんでるうちに、本当に昔にいけちゃうようになって彼女にあってお互い愛し合うようになる。
だけど、ある日彼のポケットから現代のコインが出てくるの。その瞬間に彼は現代に戻ってしまい、彼女と離れてっしまうってストーリー。
感動するよ。純粋に命をかけてた愛なんだよね。
勝っちゃんと桂子さんがこんなLOVE×2なコメントしているのに申し訳ない。
そうかこの映画がなければ翔子ちゃんは生まれてなかったのか・・・それだけでこの作品の価値はあったのね。

2023/02/19 Sun.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「なぎさホテル」っていう曲なんですけど。作曲は勝っちゃんがしていて、詞を書いたのは岩里祐穂さんですね。
このなぎさホテル、かつて逗子にありました。
同級生(クラスは違ったけど)の家が経営していました。
今はファミレスが立っています。

という歌詞があるんですけど、ホントにそのまま歩けるんです。あれは泊まったことがある人にしか書けないと思いました。

天皇陛下が皇太子だった時、ここのカレーライスを大変気に入り「プリンスカレー」と当時評判だったそうです。わしは横須賀海軍カレーの方が好きでしたがw
※写真は逗子市のサイトからお借りしました。

2023/01/27 Fri.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・脳出血で倒れてから早や3年、去年末にはリハビリのセラピストさんに「5年分の成果!」と上達ぶりを絶賛?されるまでになったわしですが、最近思い出すのが2019年10月、そう慈恵医大に運び込まれた頃のこと。
どうしてこんなことになったのかはわからなかったけど、延々と続く総天然色の夢に「これは・・・」と思いました。
そうあっちの世界ー三途の川じゃなかったけど。
ああきれいな世界でよかった、と純粋に喜びました(地獄じゃなかったのねと

それが最後になって真っ暗な慈恵医大の病室にーーー。窓の外には東京タワー、わしは病室に1人だった。「え?」とまるで現実に引き戻された感じ、でもまだ夢を見ていたんです。

勝っちゃんがそこにいたから。
彼がその時言った言葉は忘れられない。まるで現実だと思えたから。。。「まだそちらで頑張らなきゃダメだよ。きみは右脚右手が動かないし、言葉もしゃべれない。でも生きてるから」
そう言われてそれが本当だったと分かった瞬間ーーすごいショックだった。
「何故右半分が動かないの? 右利きなのに」と言ったら「体や空間を認識する、感情をコントロールする右脳がやられるよりマシだよ。左が不自由だと左側に置いてあるものを見落としたり、壁や障害物に気付かずぶつかったり、病態失認や突然性格が変わってしまう症状が出たりする。それは直らないよ」と帰って来たの。
これ、わしは全然知らないことだったからさらにショック、、、しかも調べてみたらホントに正解だったし。
「リハビリをしっかりやれば大丈夫。言葉が出てくるようになれば日本語の文字列はすんなり入ってくるよ」という言葉を残して、勝っちゃんは去っていきました。
妹に「もっと荒れるかと思ってたのに大人しくて意外…」と言われたけど、こんな夢にまつわるストーリーがあったのです。
そうよ聖テレジア病院のスパルタリハビリもなんのその・・・言葉のリハビリはちょっとイヤだったけど、わしなりに頑張ったわ。
今もリハビリは続けています。どこまで良くなるかわかんないけど、当分「右手が動くように」を目指して頑張ります。
いつかこのことを書こうと思っていました。やっと書けた。
「言葉が出てくるようになれば~」の勝っちゃんの言葉、ホントだったね。
中川勝彦と中川翔子。父から娘に歌い継がれるクリスマスソング「ラスト・ウィッシュ」 | 1986年 | Re:minder - リマインダー https://t.co/wtbF8i8oxc
— 🍉中川翔子🍉🐈⬛ (@shoko55mmts) December 20, 2022

ここ最近勝っちゃんのTwitterが荒れている。
彼のファンは穏やかな性格の人ばかりと思っていたので(存命だと還暦の彼のファンならそれなりのお年だしw)、にわかには信じられないけど。
わしは勝っちゃんのミュージャン活動時代あんまりいいファンじゃなくて、スターダストクラブにも入ってなかった。
バンドやってた彼氏の横の関係でなんとなく知り合って、勝っちゃんはきれいな友達っぽい存在だった。
その後彼氏と別れてからぷっつり関係が途絶えて、白血病で闘病生活を送っていたこともぎりぎりまで知らなかった。
最期に会った時、勝っちゃんは覚えていてくれた。
でもあんなにキラキラしていた勝っちゃんが、今目の前にいる姿は明らかに病と闘っていて、「久しぶり」と言おうとしたのに、涙が止まらなくて、逆に慰められる始末。。。それ以降、芸能ニュースも新聞もいっさい見なかったのに、会社の女の子に「その歌手、確か亡くなったよ。一昨年くらいに」と言われたのでした。
約2年ちょっと・・・亡くなった日も曖昧で。
こんなわしが、勝っちゃんに娘がいたことや、21歳の時に結婚した奥様がいたことを次々と知ることになったのだから、そりゃあ大変でした。
Twitterでは自らのホームページにわしが知らないファンクラブの会報を全部載せてくれる人がいて、当時のことをつぶやいてくれるのでとてもありがたいのです。
で、その人(と何名か)がたちの悪い人に絡まれ、嫌な思いをしているらしいのね。メルカリで購入済のものを「盗まれた」とか言ってみたり、撮影した写真をパクツイしたり、ブロックしたらアカウントを晒すとか・・・「怖くてつぶやけない」との声もあり、ちょっと深刻な状況で 😰
その方の物差しによれば 👆 のわしの勝っちゃんとの関係じゃ「とてもファンとはいえない」ってことになりそう。
なんせ「お姉さまの携帯電話を知らないなんてファンじゃない」そうで。(知ってる?普通は知らないよね?)
わしは「好き」だと思えばファンだと思うんですが。
わがままを言うなら元ツイをリツイートしていただけると嬉しいです。私の大切な気持ちを返して欲しい。 https://t.co/2B1OIO21aI
— K's HOLIC (@katsuhikonakag1) October 23, 2022
1日も早く荒らしが消えて平和が訪れますように・・・。

またこの日がやってきた。
28年前、勝ちゃんが虹の橋を渡っていった日。
今日は朝から天気が良かったのに、台風の影響かさっきから雲行きがあやしくなってきた。
毎年この日は晴れやかな秋晴れを期待してしまう。
雨が降るなんて悲しいなぁ・・・



慈恵医大の病室で出会った時(夢だとは思えなかった!)、ああやっと、、わしもそちらに行けるのね、と本気で思ったのに。。。でも勝ちゃんから聞いたのはそういうことじゃなかった。
「まだしばらくはダメだよ。生きてるんだから良くなることを考えないと!」
いっぺんに現実が押し寄せてきて、誰もいない部屋でわんわん泣いた。
病気になってから3年目、どうにかブログを更新出来るようになりました。文章の組み立てはまだまだだけど。
こっちでもう少し気張ってみるよ。
いつか出会う日「頑張ったでしょ」と自慢出来るように。
28年経ったのか。。。
一緒にお花を贈ってくださった皆様、本当にありがとうございます✨皆様の心のこもったお花無事に届けることができました✨愛のこもったメッセージもかっちゃんに渡しましたよ✨#中川勝彦 pic.twitter.com/1WgxmZlg1r
— K's HOLIC (@katsuhikonakag1) July 20, 2022
ケイト・ブッシュ、初めて見た時から何故か嫌いだった😓
あのハイトーンヴォイスがたまらなく癪に触るというか、受け付けなかったの。でも勝っちゃん、、、好きだったよね。「細いのに胸があるのがたまらん!」なんて言ってた。
Singer #KateBush was born on this day in 1958. By rock photographer Jill Furmanovsky in 1978 aged 19, just after her debut single "Wuthering Heights". She was the first female artist to achieve a UK number one with a self-written song #womensart pic.twitter.com/sreY9YZ0lS
— #WOMENSART (@womensart1) July 30, 2022
この写真、桂子さんに似ている🙄

2年前、わしが生死の境を彷徨っている時、総天然色の素晴らしい夢?の一番最後に勝ちゃんが現れた。でも風景は真っ暗な病室。。「わしもやっとそっちに行ける」と言ったら「まだしばらくはダメだよ」と返された。
この病気になって初めて泣いた。もう思い残したこと一つもないのに。

あの時動かなかった脚、なんとか自分で歩けるようになった。右手はまだまだだけど…
でも生きていてよかったとはまだ思い切れていない。
入院中に根津神社にいた野良の親子を描いた遺作の中の一枚どんな気持ちで描いていたんだろう。秋はやはり辛い。 pic.twitter.com/xGEdABGbhj
— 中川桂子 (@keikonakagawa99) September 14, 2021