うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

トップリーダーは誰が選ぶのか??

2020-03-31 07:51:10 | 日記・エッセイ・コラム

ドイツのコロナウイルス状況が特異現象だとして注目されている。
感染数はアメリカ、イタリア、中国、スペイン、に次いで5番目の6.2万人だが、これに因する死者が525人で0.8%と、前掲各国との極端な違いを見せている。
因みに、アメリカから順に1.7%、11%、4%、8.4%である。
これについて、識者各氏がそれぞれ述べられており一々最もだと思うのだが、その中でも気になったのが、
ドイツでは、コロナウイルス感染は国民の大多数の感染は仕方がない、しかし重篤化、死者の数を少なくしようとの、当初からそのような戦略的対処方針が有ったのだということである。
この戦略から導き出されたのが、
1 特効薬やワクチンが開発されるまで時間稼ぎが必要だということ
2 自国の医療体制の対処数を超えないこと
3 検査体制を充実させること
等々、移動やイベント、集会の制限、学校や会社の休止など、時間稼ぎの各種施策が導き出され結果として、致死率最高のイタリア10人に一人に比して1000人に8人という数字に表れている。
振り返って私たちの指導的立場にそのような戦略が有るのだろうか??
現今までの各種施策からはそのような明確な対処戦略は国民には゜見えていない気がする。
ドイツのメルケル氏の国民に対するメッセージは、出色である。
政治家、トップリーダが発すべき事とはこんなことなのだろう。
基本的な戦略を持ち、自国の医療体制を信じや民主主義を重んじた政治家なのだろう。
もっと言えば、何より真摯な人間から出発した政治家なのだろうと、持ち上げたくなる。

どうして我々にはこのようなトップリーダーが居ないのか?
構成する国民の質だとしか言いようもない。
自らのトップが、この期に及んで自らの周囲の利権や不祥事についてキチンと釈明しない、ましてやこのような危機に瀕しているのに場当たり施策や開き直りの不誠実さにも、支持率を大きく下げない現状は、我々を含めた国民の民度が低劣だと言わざるを得ない。

 

以下に、メルケル首相の演説全文訳を転載させていただく。(出展 Mikako Hayashi-Husel より)


コロナウイルス対策についてのメルケル独首相の演説全文
【試訳】
親愛なる国民の皆様*、 コロナウイルスは現在わが国の生活を劇的に変化させています。私たちが考える日常や公的生活、社会的な付き合い ― こうしたものすべてがかつてないほど試されています。
何百万人という方々が出勤できず、子どもたちは学校あるいはまた保育所に行けず、劇場や映画館やお店は閉まっています。そして何よりも困難なことはおそらく、いつもなら当たり前の触れ合いがなくなっているということでしょう。もちろんこのような状況で私たちはみな、これからどうなるのか疑問や心配事でいっぱいです。
私は今日このような通常とは違った方法で皆様に話しかけています。それは、この状況で連邦首相としての私を、そして連邦政府の同僚たちを何が導いているのかを皆様にお伝えしたいからです。開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです。
もし、市民の皆さんがこの課題を自分の課題として理解すれば、私たちはこれを乗り越えられると固く信じています。このため次のことを言わせてください。事態は深刻です。あなたも真剣に考えてください。東西ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、これほど市民による一致団結した行動が重要になるような課題がわが国に降りかかってきたことはありませんでした。
私はここで、現在のエピデミックの状況、連邦政府および各省庁がわが国のすべての人を守り、経済的、社会的、文化的な損害を押さえるための様々な措置を説明したいと思います。しかし、私は、あなたがた一人一人が必要とされている理由と、一人一人がどのような貢献をできるかについてもお伝えしたいと思います。

エピデミックについてですが、私がここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の学者およびウイルス学者との継続審議から得られた所見です。世界中で懸命に研究が進められていますが、コロナウイルスに対する治療法もワクチンもまだありません。
この状況が続く限り、唯一できることは、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばすことで時間を稼ぐことです。これが私たちのすべての行動の指針です。研究者がクスリとワクチンを開発するための時間です。また、発症した人ができる限りベストな条件で治療を受けられるようにするための時間でもあります。
ドイツは素晴らしい医療システムを持っています。もしかしたら世界最高のシステムのひとつかもしれません。そのことが私たちに希望を与えています。しかし、わが国の病院も、コロナ感染の症状がひどい患者が短期間に多数入院してきたとしたら、完全に許容量を超えてしまうことでしょう。

これは統計の抽象的な数字だけの話ではありません。お父さんであり、おじいさんであり、お母さんであり、おばあさんであり、パートナーであり、要するに生きた人たちの話です。そして私たちは、どの命もどの人も重要とする共同体です。
私は、この機会にまず、医師としてまたは介護サービスやその他の機能でわが国の病院を始めとする医療施設で働いている方すべてに言葉を贈りたいと思います。あなた方は私たちのためにこの戦いの最前線に立っています。あなた方は最初に病人を、そして、感染の経過が場合によってどれだけ重篤なものかを目の当たりにしています。
そして毎日改めて仕事に向かい、人のために尽くしています。あなた方の仕事は偉大です。そのことに私は心から感謝します。

さて、重要なのは、ドイツ国内のウイルスの拡散スピードを緩やかにすることです。そして、その際、これが重要ですが、1つのことに賭けなければなりません。それは、公的生活を可能な限り制限することです。もちろん理性と判断力を持ってです。国は引き続き機能し、もちろん供給も引き続き確保されることになるからです。私たちはできる限り多くの経済活動を維持するつもりです。
しかし、人を危険にさらす可能性のあるものすべて、個人を、また共同体を脅かす可能性のあるものすべてを今減らす必要があります。人から人への感染リスクを可能な限り抑える必要があります。
今でもすでに制限が劇的であることは承知しています。イベント、見本市、コンサートは中止、とりあえず学校も大学も保育所も閉鎖され、遊び場でのお遊びも禁止です。
連邦政府と各州が合意した閉鎖措置が、私たちの生活に、そして民主主義的な自己認識にどれだけ厳しく介入するか、私は承知しています。わが連邦共和国ではこうした制限はいまだかつてありませんでした。
私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。
このため、国境検査の厳格化と重要な隣国数か国への入国制限令が今週初めから発効しています。 
経済全体にとって、大企業も中小企業も、商店やレストラン、フリーランサーにとっても同様に、今は非常に困難な状況です。
今後何週間かはいっそう困難になるでしょう。私は皆様に約束します。連邦政府は、経済的影響を緩和し、特に雇用を守るために可能なことをすべて行います。
わが国の経営者も被雇用者もこの難しい試練を乗り越えられるよう、連邦政府は、必要なものをすべて投入する能力があり、またそれを実行に移す予定です。 
また、皆様は、食料品供給が常時確保されること、たとえ1日棚が空になったとしても補充されること信じて安心してください。スーパーに行くすべての方にお伝えしたいのですが、備蓄は意味があります。ちなみにそれはいつでも意味のあるものでした。けれども限度をわきまえてください。何かがもう二度と入手できないかのような買い占めは無意味ですし、つまるところ完全に連帯意識に欠けた行動です。
ここで、普段滅多に感謝されることのない方たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。

さて、今日私にとって最も緊急性の高いものについて申し上げます。私たちがウイルスの速すぎる拡散を阻止する効果的な手段を投入しなければ、あらゆる国の施策が無駄になってしまうでしょう。その手段とは私たち自身です。私たちの誰もが同じようにウイルスにかかる可能性があるように、今誰もが皆協力する必要があります。まず第一の協力は、今日何が重要なのかについて真剣に考えることです。パニックに陥らず、しかし、自分にはあまり関係がないなどと一瞬たりとも考えないことです。不要な人など誰もいません。私たち全員の力が必要なのです。
私たちがどれだけ脆弱であるか、どれだけ他の人の思いやりのある行動に依存しているか、それをエピデミックは私たちに教えます。また、それはつまり、どれだけ私たちが力を合わせて行動することで自分たち自身を守り、お互いに力づけることができるかということでもあります。
一人一人の行動が大切なのです。私たちは、ウイルスの拡散をただ受け入れるしかない運命であるわけではありません。私たちには対抗策があります。つまり、思いやりからお互いに距離を取ることです。
ウィルス学者の助言は明確です。握手はもうしない、頻繁によく手を洗う、最低でも1.5メートル人との距離を取る、特にお年寄りは感染の危険性が高いのでほとんど接触しないのがベスト、ということです。
こうした要求がどれだけ難しいことか私は承知しています。緊急事態の時こそお互いに近くにいたいと思うものです。私たちは好意を身体的な近さやスキンシップとして理解しています。けれども、残念ながら現在はその逆が正しいのです。これはみんなが本当に理解しなければなりません。今は、距離だけが思いやりの表現なのです。
よかれと思ってする訪問や、不必要な旅行、こうしたことすべてが感染拡大を意味することがあるため、現在は本当に控えるべきです。専門家がこう言うのには理由があります。おじいちゃんおばあちゃんと孫は今一緒にいてはいけない、と。
不必要な接触を避けることで、病院で日々増え続ける感染者の世話をしているすべての方々を助けることになります。こうして命を救うのです。多くの人にとってこれはきついことでしょう。誰も一人にしないこと、声かけと希望が必要な方たちの世話をすることも重要になってきます。私たちは家族として、また社会として別の相互扶助の形を見つけるでしょう。
今でもすでに、ウイルスとその社会的影響に対抗する創造的な形態が出てきています。今でもすでに、おじいちゃんおばあちゃんがさみしくないようにポッドキャストをするお孫さんたちがいます。
私たちは皆、好意と友情を示す別の方法を見つけなければなりません。スカイプや電話、イーメール、あるいはまた手紙を書くなど。郵便は配達されるのですから。自分で買い物に行けないお年寄りのための近所の助け合いの素晴らしい例も今話題になっています。まだまだ多くの可能性があると私は確信しています。私たちがお互いに一人にさせないことを社会として示すことになるでしょう。
皆様にお願いします。今後有効となる規則を遵守してください。私たちは政府として、何が修正できるか、また、何がまだ必要なのかを常に新たに審議します。
状況は刻々と変わりますし、私たちはその中で学習能力を維持し、いつでも考え直し、他の手段で対応できるようにします。そうなればそれもご説明します。このため、皆様にお願いします。噂を信じないでください。公的機関による発表のみを信じてください。発表内容は多くの言語にも翻訳されます。

私たちは民主主義社会です。私たちは強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。
私たちがこの危機を乗り越えられるということには、私はまったく疑いを持っていません。けれども、犠牲者が何人出るのか。どれだけ多くの愛する人たちを亡くすことになるのか。それは大部分私たち自身にかかっています。私たちは今、一致団結して対処できます。現在の制限を受け止め、お互いに協力し合うことができます。
この状況は深刻であり、まだ見通しが立っていません。 それはつまり、一人一人がどれだけきちんと規則を守って実行に移すかということにも事態が左右されるということです。
たとえ今まで一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは、一人一人例外なく、つまり私たち全員にかかっているのです。
皆様、ご自愛ください、そして愛する人たちを守ってください。ありがとうございました。
【試訳終了】

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土窯の前段で、竪穴式掘っ立て小屋を・・・・

2020-03-19 20:03:40 | 家作り

寒いときは薪割に精出す。

果樹園の間伐リンゴの木を薪にする。果樹は選定を繰り返すので節くれ立った木が殆どだ。薪にするには今一なのだが・・・  背に腹は代えられない。何とか薪に割らなきゃ!!

薪割、薪積みだけではスグ飽きる!!!

そこで、裏の空き地に掘っ立て小屋を作ろうと一念発起した。もともと、土窯を据えようと思っていたところである。土窯には雨除け屋根が必須であるから・・・・

どうせやるなら、縄文竪穴式掘っ立て小屋をと・・・・

これが、難物なのである。ツルハシとスコップと一輪車で2坪位のスペースをと!!!!

さて、出来上がることやら? ? ?

縄文人は文字通り、手掘りだったのだろう・・・・・・

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40年過ぎたら、こんな詩に

2020-03-12 11:05:43 | 日記・エッセイ・コラム

 

今日の谷川

川口恭吾 さくら 

今様の若い人が唄う、いい歌である。

www.youtube.com/watch?v=7kZNdnv_haM -

 

古希を過ぎた老人が唄う歌が無い。

盗作改竄してみた!!

元詩          改竄替え歌

僕がそばにいるよ    僕がそばにいるよ
君を笑わせるから    君を笑わせるから
桜舞う季節かぞえ    桜舞う季節かぞえ
君と歩いて行こう    君と歩いて行こう

僕がそばにいるよ    僕がそばにいるよ
君を笑わせるから    君を笑わせるから
桜舞う季節かぞえ    桜舞う季節かぞえ
君と歩いて行こう    君と歩いて行こう   

まぶしい朝は      まぶしい朝は
何故か切なくて     想い出が切なくて
理由をさがすように   過ぎた時を探すように
君を見つめていた    君を探してる
涙の夜は        涙の夜は
月の光に        争いの言葉に
震えていたよ二人で   震えていたよ二人で

僕がそばにいるよ    僕がそばにいるよ
君を笑わせるから    君を笑わせるから
空のない街抜け出し   ただ駆け抜けた時を
虹を探しに行こう    探しに行こう

いつもそばにいるよ   いつまでもそばにいるよ
君を笑わせるから    君を笑わせるから
やわらかな風に吹かれ  やわらかな風に吹かれ
君と歩いていこう    君と歩いていこう
君と歩いていこう    君と歩いていこう

君がいる        君がいる
君がいる        君がいる
いつもそばにいるよ   いつもそばにいるよ

 

因みに、河口恭吾氏の、この歌は盗作騒ぎでネット炎上したらしいのだが・・・・

 

 

 

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冬仕事

2020-03-08 20:14:37 | 大工 建具

農作業も果樹園賃仕事も無い冬は、暇と言えば暇だし・・・・いやいや、遣ることは際限なく有るのです。 山小屋生活では何でも自分で遣らなきゃ誰も遣ってくれない。

菜園や小屋廻りで数年前から出現している、山蛭の生育条件に湿度と日陰がある。  小屋裏の杉林か竹林か判らない藪が以前から気になっている。 山林持ち主の了解を得て、杉の枝打ちや竹林の間伐を遣ることにした。

筍が採れて喜んでいたのだが、樹間が狭隘で藪化してしまい小屋の裏手を風通しの悪い湿った環境にしている。

ただ単に間伐したままなのも、勿体ないので竹梯子を作ることにした。 春に向かって外壁修繕塗装に使う梯子が欲しい事や杉の枝打ちにも使えるものとして・・・・・

一寸、休憩時間のおやつに・・・・

最前列の間伐でこんなにすっきりするならと、引き続き竹林の奥まで間伐と残滓の整理に精出すことに・・・・

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公共利益と個人の不利益の非対称性(再掲)2011-09-01

2020-03-04 10:46:31 | インポート

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我が手作り小屋の隣に、高さ40mの送電大鉄塔が建つことを前々回のブログに書いた。

 

これは現在、我が家の前面50m程に立っている送電用コンクリート柱(高さ14~5m)をルートを変えて最新強化するためであるらしい。

 

工事開始の挨拶にタオルを持参して下請け業者が来訪したのが6月下旬であろうか・・?

 

鉄塔建設がお盆過ぎから始まること、裏の雑木林に資材搬入用のケーブルルートを作ること、作業時騒がしくなり迷惑をかけるかも、との事であった。

 数週間を過ぎて、家の裏側と左横の小山の頂上の樹木が伐採されていたので、早速現地を見ると、驚くことに、ほぼ我が家の真横に位置しているではないか。もっと後ろに立つんじゃなかったの??と勝手にイメージしていた当方が甘かったのだろうが・・・

 早速、工事と設備の概要説明を求め、併せて周辺や地権者への広報説明の経緯を聞いた

。 周辺住民へは地域自治会を通じた回覧板を一回まわしたとの事であった。(当方は週末のみの在宅のため、自治会費は払っているものの回覧板は回って来ない) 具体的な構築設備の図面をFAXすることと、改めて説明を求めて面会することにした。

2週間後、東京電力の担当者が下請け業者に同行し、来訪面会し以下に付いて説明を受けた。

① 一般的に鉄塔建設予定地や送電線直下の地権者には、土地の購入賃貸についての交渉時に工事や設備の説明は行うが地域周辺へは回覧板程度の広報だ

② 我が家の南側40mの小山の上に高さ40mの鉄塔を建てること(実質我が家の標高からは50m程度の高さになる)

③ 前面の既コンクリート柱及び送電線が無くなるので前面の景観は改善すること

 

当方では以下について話した。

     地権者だけでなく周辺への説明も必要だった

     当初貰った図面には具体的な高さが明記されず、聞き込んで初めて40mもの高さであると判明したこと

     40mもの高さが必要な根拠

     電磁的障害の判断

     前面の景観は、当方がこれを承知で土地購入したこと、高さが145mの電柱であることなどから、今回の大鉄塔と比較した場合、景観改善とは言えない

     自然景観を求めてこの地へ来たのに、突然巨大な人工物が隣に出現する不利益について対応

 

結果、巨大工事の進捗や計画は変えられないこと、電磁的障害やこれに対する保障は無いこと、40m高は樹木成長に伴うメンテナンス軽減や送電線垂れ下がり係数などから妥当な高さであること、景観障害に対する金銭的保障対価はないことなどであった。

当方からの再提案で、周辺環境との違和感軽減の意味から鉄塔の彩色を考慮するよう求め、持ち帰り検討するとした。 が、後日返答で、資材発注した後であり彩色変更は不可能である。つや消し程度の措置が可能で実施するとのことであつた。

 

経緯は以上なのだが、なんだか引っかかるのである。

公共利益と個人不利益の非対称ということについてである。

 

東京電力=公共側はメリットが在る。

     老朽設備を廃止しメンテナンスコスト軽減や送電容量の向上が図れる

     工事業者は工事受注利益確保

対して個人の側にはデメリットがある

     自宅隣に50m超の鉄塔が建つことの景観悪化とこれに伴う環境価値の低下

     景観権侵害がほぼ未来永劫継続する

 

個人にとっては何のメリットも無く他方企業側にはメリットだけという、非対称性が許されるのであろうか?

公共の為には個人は我慢すべきだとか、回り廻って電力利用している個人の為にもなる等の論理は、ファシズムそのものではないだろうか?

前大戦中の「欲しがりません、勝つまでは」、「戦争非協力者は非国民だ」を彷彿させないだろうか??

また、原子力発電所建設時の地方と大都市、国家政策と地域住民との関係に構造的に酷似していないだろうか。

 

誰か、何所か、今回の景観権侵害と利益不利益の非対称について客観的に判断してくれる機関や人材をご存じないかしら・・・・・?????

 

 

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