うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

4400mで敢えなく撤退

2017-11-30 12:44:53 | 旅行記

マカルーベースキャンプ4800mとそこから展望台5300mが、今回のトレッキング最高高度目標であった!  行程キャンプ 泊目のランマレー4400m迄は何の障害もなく到達したのだが! 就寝出来ないのである。 

思えば、キルギスや前回のネパールとペルーでのトレッキングした時も、4000m越えた所で睡眠障害になったのだが、この際は一泊のみだったので事なきを得たのであった。

今回はもう一段4800mが有り5300mが有る。 此れ以上高度が上がって、眠れないとどのような体調変化が!!と、下山を申し出た!!

登山隊としてはパーティを分割するのは好ましくない。今回も既に一人撤退でガイドとポーターを割かれている。加えて僕の撤退でガイドとポーターを持っていかれると信頼出来るガイドが少なくなり、非常時の対応力に不安が生じる。 ここの気遣いも有ったのだが、最悪の事態よりもと、我が儘を通した❗

上を目指すメンバーを見送り、やむ無く下山‼️

 

一段下の3800mヤンカルカの小屋までで難路も無いことからアイドル的存在の20才 ヤンジーさんと、もっとも若いポーター ダワ君が同行してくれる事になった!

逞しくも頼りがいの有るダワ君とヤンジーさんである。 凍った岩で足を滑らせる僕をこんな荷を背負いながらしっかり支えてくれるのである。

 

思えば、11月21日は小生の誕生日であった。その記念すべき日が本来は最高高度到達するはずであったのだが、敢えなく撤退日となり、独り寒さを囲ったのである。 次の日メンバー合流した夜思いも掛けずにバースデーデコレーションケーキが出現したのである。

1日遅れでは有るが、ネパールトレッキング中にバースデーを祝って貰えるのも貴重な体験である。キッチン担当のヌルブ君有り難う✨

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マカルーBCトレッキング2

2017-11-27 08:41:35 | 旅行記

今回のマカルーBCトレッキングは、普遍ルートではなく入山途上から迂回ルートを辿り、ボウレ峠、ジャルジャラ峠を経て一般ルートに戻るものであった。

この、ボウレ峠、ジャルジャラ峠が其々4300mを超え、かつ急登なのである。 

 結果的には、この峠越えの際に現すマカルー、エベレスト、ローチエ、ピーク7等の世界を代表する山群山容の素晴らしさは、本トレッキングのベストイベントになった。

そして、背後には、カンチエンジェンガである。

此の後、一般的なマカルーBCトレッキングルートを辿るのだが、1日で標高差700mのアップダウンやアルン川谷崩落危険箇所のトラバース等、苛酷さやリスクの高まりの割には眺望など得られるルートでは無かったように思われる。

現に此の後、メンバーの一人が両峠のアップダウンを経て3800mポイントのヤンレカルカで前進を諦め滞留を決めたし、もう一つ標高を上げた4400mポイントのヤンマレーでは筆者も高度障害に見舞われ、一足早くの撤退を余儀なくされたのである。

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マカルーBCトレッキング

2017-11-27 02:46:31 | 旅行記

20日振りの更新である。

ネパール東北部に位置するマカルーの眺望を中心に廻る、トレッキングが終了し、今は最初の下界の宿である。 最高目標標高5300mであったが、現実には4400mで高度障害の為、撤退したのだが!!

 最終キャンプ地Seduwaで別れる、一部のポーター達と一緒の一枚。

山中全行程15泊16日、内7泊がテントで残り8泊が山小屋である。1日の行動時間平均7時間で長い日は日没後ヘッドランプ装着しての、キャンプ地到着の時もあった。

メンバー7名をガイド、キッチンスタッフ、ポーター合わせて22人で支えてくれた。総勢29人の大パーティーである。スタッフメンバー最高齢は48歳、最小はアルバイト少年??歳

ボウレ峠下のキャンプから見た朝焼けに輝くマカルーと左に最高峰のエベレストが白く観望するベストショットである。

前半に設定されたガイド ラクパ氏 プルパ氏の生家の在るエクワ村滞在2日と、其による通常ルートではないボウレ峠ジャルジャラ峠のの2度の4300m峠越えや、平均年齢67才のメンバー構成等の条件と相まって、行程全体を厳しいものにしてしまった。

反面この迂回ルートを辿った事で、通常ルートには無い眺望が得られた事は特筆すべき本ルートのメリットだったのだろう。  その意味で通常のマカルーBCトレッキングルートは厳しい割には、此れと言った眺望も無いこともあり、不人気なトレッキングコースなのでは無いだろうか。

後半の高高度を目指すのみで、眺望無く崩落危険エリア通過等のデメリットが増すルート設定は行程を厳しくすることもあり再考の余地がある、。

Wi-Fi環境での投稿の為、記事未完成のままの投稿です。随時記事訂正となります。

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カトマンズのエベレスト3大眺望の地と旧都

2017-11-08 18:44:33 | 旅行記

 

カトマンズから35km東に在るドゥリケルと言うリゾートがある。   此処に乗り合いバスで来た‼️

午前中、イミグレーションセンターに立ち寄りIさんの後半行程 キマタンカトレッキングのパーミッション取得。  単独行程の許可が出ない為、僕がダミー同行者として申請したが、僕のビザが30日でトレッキング行程に足りない。ビザ延長だと今日中に間に合わない。  ここで裏技!ガイド ラクパ君、机の下から差し出した???が功を奏した。  

長蛇の申請者を横に、暇そうにお喋りしている係官 である、きっと裏技効果的だろうと思ったけどヤッパリ❕ 

何とかパーミッション取得して、その足でバスステーションからドゥリケル行きとなった🎵

途上、乗り合いバスの故障にに出くわした。ぎゅうぎゅうに込み合ったバスで1時間半ほど走った頃、突然バスが動かなくなる。何事かと様子を窺うが言葉は判らないし、乗客も意外に動揺の様子も抗議や非難の様も無く落ち着いたものである?  暫くして、皆がゾロゾロ降り出したので、一緒に降りたら車掌から5ルピー返され、前に停車のバスに乗れとの指示である。車体前部を見ると大量のオイルが漏れ出ているではないか!  残り3km程を歩いて目的地にたどり着いたものの、乗り合い乗客の落ち着いた事も無げな対応に、此のような事態が日常茶飯事なのだろうと納得したものである。

適当な宿を探して、落ち着いたところで、まず一杯のところである。

次の朝、散歩途上で近隣の住民に自宅に招かれお茶を馳走になった。日本人が珍しかったのか?同行のI氏のコミュニケーションスキルが巧みなのか?

此の後、カトマンズへ帰り、ネワール王朝時代の首都であったパタン市街に一泊した。旧都であり歴史的建造物が残った市街地であるが、地震の傷痕が痛々しい様であった。  此処で宿泊したホテルが結果的にはネパールで最高に居心地の良いホテルであった。 ネワール建築様式の富者民家を再利用したものらしく中庭付きで実に静かで落ち着いた空間とセンスの良いサービスであった。

探し紹介してくれたI氏の効である。

街には、至る所に歴史的建造物や各戸の中庭に仏塔があり自由にお詣り参観が出来るのである❗さすがに旧都である。

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バンコク経由カトマンズ

2017-11-08 05:40:34 | 旅行記

深夜、羽田からANA便で出発、ランジット空港のバンコクはまだ夜も明けやらぬ到着である。機内食で出たものキレイに片付けワインもお代わりしたので、トランジット時間の間繋ぎに食事でもと、思ったがとても入らない。

仕方がないので、この間に携帯充電をと、充電場所を探してウロウロ!空港案内のお姉さんに聞いたら、怪訝な顔で指さす先に!

何とか時間待ちを凌いで、カトマンズへ

機内で作成した入国カードとビザ申請書も問題なく、ジャパニーズ?と聞かれだけで、思ったよりスムーズなネパール入国であった。

カトマンズは10年前の訪問時と変わらぬ砂埃と喧騒の街てあった。10年1日が如くである。(意味が違うか?)

先行メンバーのIさんと合流して、超高級ホテル ドワルカのレストランで夕食した。

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