私の群馬の山奥にある手作り小屋の裏山に高さ40mの高圧送電用鉄塔が建つそうである。
一度は立ち消えになった鉄塔建設計画が、この夏突然復活し動き出したのである。
突然といえる計画の立ち上げが、発送電事業分離構想と結びついているとの直感が動いたのは、考えすぎだろうか?
発送電分離構想とは、 福島原発事故に端を発した、電力会社独占体制の見直し論議の中で語られる一案である。
発電事業とは、要するに水力、火力、風力、地熱、太陽光、原子力等々のエネルギーを利用して電気エネルギー変換して商用電源として提供する事業のことである。
一方、送電事業は、発電された電力を利用者や需要家へ送電線を敷設して送り届ける事業を言う。
現状は、送電事業は各九電力会社が独占状態であり、発電部門も大方の電力量は九電力会社が発電している。要するに発送電を電力会社が独占しているということだ。
だが、発電事業に関しては一般企業が徐々に参入している。事実デパート業界では三菱系のJ-powerからの購入に切替て、東京電力からの電力供給は無い。
しかし新規参入で問題となるのが、送電網の九電力独占の現状なのである。 折角発電設備投資して新規参入しようとした時、送電網を対抗会社に握られていることで送電網の賃借料を上げられ価格競争で太刀打ちできないからである。
送電設備は旧国営企業が国家予算を基礎として構築した公共インフラと言ってよい。 電話の世界での電電公社(NTT)の通信網独占と構図は同じである。独占を許し新規参入を阻害したため、世界の通信事情から立ち遅れてしまい通信のガラパゴスと揶揄されたのも、つい最近なのである。
電力業界独占を温存したことで競争環境が出現せず、高コストで時代遅れの原子力発電を主力に国策的に推進した結果が、後戻り効かない原発事故を導いたのだといえる。
競争環境だけが最良環境という訳ではないが、少なくとも未来永劫に亘って放射能管理を強いられたり使用済み燃料を冷やし続けたりするようなコスト高のエネルギーでは、価格競争で勝ち残れない事くらいは判断出来ただろう。
フランスを除く先進国では、原子力発電からの撤退判断は事実上十数年前に下され、事実アメリカでは13年前から原発の新規建設は無いのである。
このように、時代の趨勢やコストを度外視した施策を推進できたのも独占の弊害だし、おそらく此処には独占に庇護された利権とそこに群がる利益集団の構図が想像されるのである。
そして、そしてである、今回の我が粗末なあばら屋ではあるが自然豊かな緑の楽園に、突然巨大な人工物が出現し愛する景観を台無しにする施策が突然動き出したのは、発送電分離施策に端を発するのである。
独占企業東京電力は、今日まで発送電一体化した事業体として、市場原理によるチェックや客観的視点による検証を経ずに独自の経営施策?を実行し得た。しかし発送電独占解体が俄かに現実味を帯びてきた現状で、駆け込み施策的に、一旦は中断した設備投資施策を復活させたものと考えるのが妥当であろう。
何故なら、発送電事業分離が実現したら、融通無碍な資産運用、設備投資が出来なくなる恐れがあること。
送電事業分離会社に今のうちに、資産形成をさせておこうとの思惑が見え隠れするのである。
こういった自らの天下り先や利権の温存といったことでは、大変機動的な的確な施策判断をするのである。
発送電事業分離施策は、実質的、効果的な事業体として狙い通りの結果を生むかどうかは別にして(骨抜き)、とりあえず実現するだろう。
私の小屋の景観を犠牲にして・・・・・・・