うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

みんな何故怒らないの??

2023-05-07 10:47:44 | ブログ

香山リカさん関連ツイッターの記事に出ていたデータです

出典、事実確認はしておりませんが、かく有りなんと思った。

私の40半ばの時代はそうだった

 

みんな日本の現状を知ってた??  って表題です

みんな何故怒らないの??

特に、中堅現役世代の人たち!

また、困難が確実に訪れるこれからの時代を生きる若者たち

いつまで、年寄り達に引きずり回されるの

馬鹿じゃないの!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老齢自覚

2023-01-13 18:03:44 | ブログ

もう、いい加減に自覚し、慣れないと!!

 

信号の無い横断歩道での出来事。

集団下校中の小学生の一団に出会った。

当然のことながら、お先にどうぞと手で合図!

礼儀正しい上級生、有難うございますって・・!!帽子を脱いで一礼。

 

次に出た言葉 「みんな早く渡れ!・・・!  お爺さんが待っててくれるから・・」

 

 えっ !  ホンの一瞬なのだが、自分の事だと判らない自分が居た。

小学生達を見送り、横断歩道を通過しながら、独り車内で、ほろ苦く大笑いしたものだ。

 私には孫が居ない、兄妹にも子は居るが未だ孫が居ない。

要するにお爺さんと呼ばれる環境が私の周りに無い。

半年くらい前に、ボランティア子ども食堂の手伝いに出向いた際、小学生の男の子に、「お爺さんはどこの人??」って、声を掛けられ、同様に自分の事だと判断できなかったことが有った。

僕のうろたえた様子に違和感を覚えたのだろう、大学生ボランティアメンバーが話を聞いてくれた。

笑い話だって自虐ネタとして話したのだが、彼女が気を回してくれたのだろう。

 その後は名前でしか呼ばれたことは無いのだが。

 

 確かに、70過ぎればお爺さんである。見た目も我ながらお爺さんの風体をすっかり纏っている。

今回で2回目である。 今回まではご勘弁を !! 

3回目からは、しっかり覚悟してお爺さんと呼ばれましょう・・・・・

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月に掲載したボランティア参加の続編

2021-07-04 08:01:08 | ブログ

経済的家庭環境によって生じる教育機会の偏差是正を目指したLFAに参加している

僅かばかりの月額カンパと子ども食堂の手伝いである。

小学生の子供たちや大学生中心のボランティアメンバーとの交流が生じている

老人にとって若い人との交流は、有難い事に活力を頂ける気がする

 

今般、中高生中心の居場所作りボランティア “暖家” からの依頼で、菜園づくりの手伝いに参画することになった。

居場所づくり拠点の庭の一角に、2m×3m程度の畑を作って野菜を育てようとの計画である。 子ども食堂への自家栽培野菜を時々提供していた縁で依頼を得た。

定年後の野菜作りから得た野菜作りの基本的ノウハウを纏めて提示した

早速、現地を診て具体化へ動き出したところである。

 

COVID-19禍による在宅勤務で、一躍注目の遠隔会議アプリ “zoom” の利用も余儀なくされて、まさかの遠隔会議体験となりそうである。

アプリのダウンロード、インストールやPCやタブレット、スマホの設定などと本来の畠づくりとは違う作業に忙殺されている。

斯様に、人との交わりは様々な刺激と新しい体験の機会を得られるものである。

有難い事である

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボランティアについて

2021-02-28 22:40:15 | ブログ

LFAというNPO法人事業へ寄付と作業ボランティアに、先月から参加している。

 若い人たちが始めた事業で、主に経済的家庭環境によって教育機会に偏差が生じている現実があり、この不平等さは教育という基本的人権において許されるべきではないことから、これの解消と、問題提起を実践する事業だと認識している。

 参加の契機は、社会福祉法人主催の高齢者生活ボランティアへの登録活動している中で後世代での困難が具体化している現実を知ったからである。

 

 昨年末、同年の親友が逝った。 私たちは所謂、団塊世代である。

この団塊世代の20才代 1965年~1975年は、全共闘に代表される政治の季節であった。

 東京オリンピック以降の高度成長により、それまで一様に貧しかった社会が一挙に階層分化が進み、格差が生まれ競争が当たり前になった。

 その結果、生じた価値観の大きな変化が、若者の反抗という形で社会現象化していったのだと思う。

 このような時代状況の中で私達が意識したのは、格差や差別や貧困は社会の矛盾が引き起こしたもので、社会全体として制度的にその矛盾を解消是正することなしには根本的な解決は得られないものであるということだった。

 だから、それの現実的解消とは社会的制度的改革なんだということだったし、それに向けての政治運動こそが優先されると認識していた。

 このような認識の下でのボランティアと云う方策は、金持ちの自己満足に依拠する社会矛盾の弥縫策に過ぎない唾棄すべきものとしていた。

 

 基本的にこの社会的矛盾の構造は同じだと思うし、それの根本的解消や是正は社会全体として政治が担うべきものであることに変わりはないと今も思う。

 しかしながら同じ思いを希求し語った友も逝ってしまったし、社会参画してから具体的に何事も成し得なかった50年を経た今、残された時間はあまりに少ないということに行き当たったのである。

 そして、何より具体的現実として困難に直面している子供達に手を差し伸べることこそ、今の自分にできる事、否それしか出来ないと認識すべきだと思うからである。

 若い人たちが立ち上がり自主的に動き出した事への賛同と微力を寄せることで、希望の光を見られる事が去り行く老兵の幸である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知症が身近に!!

2020-11-28 08:24:32 | ブログ

 二十歳代の上京以来、何かと世話をかけ姉のように慕ってきた七歳年上の従姉が、憎悪の言葉を投げつける。

 僕には、在京する三人姉妹の従姉妹が居る。

三人とも高校卒業後、上京して下の二人は縁あって東京で家族を成した。

長女は身体不自由の境遇もあり、健気に独り暮らしを貫いて今は年金暮らしである。

 僕が最も親しんだのが次女であり、五十年の間、折に触れて互いを気遣い、近年は彼女の足腰や身のこなしの衰えを労わることが多くなっていた。

約一年前から、その次女の要請もあり長女の高齢生活のサポートを始めた。

長女の方とは、今まで数回しか面会の機会は無かったし、このまま、付き合いは無いままだと思っていたのだが・・・。

 介護認定手続きや住居環境の整備など向後の高齢独居への対処を具体化した矢先に、当人の癌発症である。

 幸いにも二期の病状、放射線と抗がん剤の治療45日入院加療の判定であった。

入院後、僕が最初に心配したのが退院後の独居生活の維持の事である。

主治医との入院加療説明に立ち会い、入院手続きと送迎、病院の医療相談窓口のソーシャルワーカ、地域包括センターのケアマネージャへの相談を経て、訪問看護と訪問介護の契約と計画、介護認定の見直し手続き等、一連の準備を整えた。

 退院後は次女と僕の細君を含めた3人でのサポートに加えて、看護師とヘルパーがそれぞれ週2回訪問介護で1か月を過ごすことにした。

 また、入退院当初から目立っていた物忘れや身体衰えに加えて向後の認知症発症リスクも危惧した。

 当面の入院費用の工面や向後の生活、介護費用も含めた心配もあり、次女とも相談して当人の資産状況を知ることと、認知機能低下や緊急病変時のサポート責任の為に遺言書の作成を進めることにした。

 長女は、三女とは不仲であり、独り暮らしの生涯で唯一心を許してきたのが1歳違いの次女だけであった。

加えて常日頃次女だけに全ての自らの資産を遺贈すると話していた。

これを加味して遺言書のひな型を作った。

 次女に全資産を相続させること、次女が亡失の場合は、その子の姪に相続させるとした。 ここに、遺言執行人として僕の名前を記載したのだが、これが良くなかったのだろう!!!

 恐らく遺言執行人の意味が理解不能だったのだろうし、加えて宝飾類と当座困らぬ程度の預貯金だと想像していた資産額が思わぬ額である現実を知り、彼女の認識機能を狂わせてしまったようだ。

 人が変わってしまつた。

昨今の経緯や五十年間の親交から、僕も安易に急ぎ過ぎたのだろう。

長女の認知機能低下や身体緊急時の手伝いの際、遺言書の存在が無ければ、何にも出来なくなる。

例えば預貯金の引き出しなど、最悪資産横領者になってしまうと提案したのだが・・・・

 遺言書に執行人として記載したことで、僕がその資産を横取りすると考えたようだ。

やり取りの中で僕が発した「そんなことを思うなら手を引くよ!!」との強い口調が、この思い込み感情を更に強めさせてしまったのだろう。

 今まで聞いたことのなかった口調での反発が返ってきたとき、初めて彼女の認知症に思いが至ったが時すでに遅しである。

 以後数日来、僕を徹底除外して長女の世話を買って出ている。時に実子の姪にも排除の言葉を発する。

80歳と79歳の認知機能低下と身体衰退の高齢者が独力だけで日常過ごせる訳はないことを認めないのである。

姪とも相談して、僕が前面に出ることなく姪のサポートで見守ることにしている。

介護の現実は、先ず悲しみから始まった・・・

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする