うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

平佐皿山焼きをめぐる物語

2014-12-19 07:28:46 | アート・文化

物語1~7

再録

序章

 徳川300年の幕藩体制下、米作中心の生産体制と現実の貨幣経済との矛盾あるいは、各藩への窮乏化政策である参勤交代や幕府特命の各種土木工事などにより、西国の雄藩薩摩と言えどもその藩財政は困窮を極めていた。

 これは、どの藩も似たり寄ったりであったが、薩摩というところは米作に不向きな火山灰生成によるシラス台地がほとんどの土地を占めていたため、表向きの石高に関わらず、実際は思ったほどの石高は取れなかったのが現実であった。

 下層農民の逃散や散発的な一揆押しかけは、日常化しつつあったし、藩主の日常賄いもたびたび制限される事態となっていた。

また、藩主交代に当って、藩政改革を求めた近思録事件が起こり、切腹13名を含む100名余の処分者を出す騒ぎが起こった。

時の藩主斉興はこれに対し、財政に明るい調所笑佐衛門広卿を家老に抜擢し、藩財政の建て直しを命じていた。

後代の不評はあるが、この調所は本当のところ大変な名家老と言えよう。

 幕末薩摩の勇躍を支えたのは、この時代の財政建て直しの功によるものであるといっ ても過言ではない。

 貨幣経済の現実に合わせて、換金作物の栽培、生産と物流を含めた交易体制の整備は必須改革要項であった。中でも奄美地方の砂糖キビ栽培とその搾取政策は、その販路の独占により、莫大な利益を生んでいった。また、大阪や江戸の御用商人からの借金の棒引き、踏み倒しに近い契約を粘り強い交渉の末に結ばせたりしていた。

 一方、西国辺境の地であり、近年盛んに出没する外国船の影響も見逃せないのだが、鎖国と厳しい隠密、目付けの監視政策にもかかわらず、外国との密貿易も大きな財政確立の柱となりつつあった。

元来、薩摩は300年前の関が原の合戦にあるように、徳川への反抗心は伝統的なものであった。辺境にあることと、その剛猛な軍団を刺激したくない幕府の思惑から外様としては破格と言える石高と領地を保障されていたが、この反面厳しい監視の下に置かれていたのは当然であったろう。

 鹿児島は今でも特異な地方語健在な地域である。抑揚の違いや単語の特異性はは隣の熊本や宮崎、沖縄とも極端な違いを示している。

 人為的変造の匂いがするくらいである。地元の古老によるとよそ者、特に幕府隠密との判別をし易くするために、言葉を変えたのだと聞いたことがあるほどである。

このような、土地柄である幕府隠密も中々入り込めなかったものであろう。

 よって、砂糖キビや蝋燭、養蚕、葉タバコなどの換金作物の生産の奨励政策も本来は幕藩体制の下ではままならないはずであったが、一躍殖産繁栄したものであった。

このような交易材料を担保に御用商人の借金長期返済契約を勝ち取ったり、新たな借金を強奪的に契約したりの、豪腕家老であった。

一方、密貿易は東シナ海に面し天然の良港を多数持つ薩摩である。

北薩摩の川内川河口の寺泊や阿久根、甑島や薩摩半島の山川、枕崎、坊津など、主に朝鮮や清の海賊まがいの密輸船が出入りしていた。また、香港、マカオからのオランダ船や近年姿を現しだした英仏米艦隊の琉球出入りも鎖国崩壊を見るようであった。

 事実、島津重豪の時代には、航海物資の補給を名目に、度々外国船が訪れ西洋の文物が流入したもので、西国領主や京都公家衆の間で珍重物流したのであった。

 ここに注目したのが調所であり、支那やマカオを経由して取引される付加価値の高い密貿易品に焼き物があることを知る。

支那や朝鮮白磁に代表される白磁器は近世ヨーロッパで大変な人気を博していた。

ボーンチャイナと称されるヨーロッパ磁器の一世紀以上前史には、景徳鎮を初め李朝白磁などが盛んに製作されたものであった。

これはヨーロッパ貴族の愛好するものの代表的な焼き物であり、後世のヨーロッパの焼き物にも多大な影響を与えたのである。

 薩摩には、秀吉の朝鮮出兵時に朝鮮白磁に憧れた時の島津義弘が、朝鮮陶工を捕虜、連行して開窯させた薩摩焼があったものの、本場の白磁には及ばぬものであった。

もともと、磁器は陶器と違いガラス質を多く含む陶土、正確に言えば陶石を砕いて粉末にしたものを原料にし高温釜で焼成する、より高度な技術を必要とする焼き物である。

このガラス質の為に、硬度が高く薄い器の製作も可能であり、より透明感のある白焼き物が焼成できるのである。

 この時代、磁器の生産が盛んに行われたものに、有田が在った。

密貿易船からの情報に、この有田の磁器が珍重されていることを知った、調所は薩摩の各窯元の陶工陶首を手厚く保護して殖産興業を図ったのである。

 

 伊作家当主の佐衛門へ隠密な下命が在ったのも、このような状況下であった。

伊作家は陶工窯元を束ねる名主職を代々、務める家柄で、士分とはいえ、多くの使用人を抱えて自らも陶窯を営んでいた。

佐衛門には、嫡男の作衛門の他七人の子供が授かったのだが、二人の娘と末っ子の八之進の四人を残し、後は若くして病没していた。妻の徳江も末の八之進の産褥中に身まかっている。

当主の座を跡取りに譲り、後はのんびり老後をと、思っていた佐衛門にとって、昨今の藩政改革の動きや藩上層部の陶器への関心の変化に、異変めいたものを感じていた矢先である。

 

「佐衛門さあ、息災そうでなによいじゃ。

窯場ん様子はどげんじゃろかい。 盛んじゃっとじゃろな! 顔をあげやぃ。」

 

鹿児島城下の勘定方役宅に突然呼び出され、緊張の面持ちで平身低頭している佐衛門に、声を掛けたのは勘定方家老の伊地知である。

 

「あいがとございもす。お陰さあで、職人達っも励んで呉れもんで、何とか御用もできもしと。」

 

「そげんな。それぁ良かした。

佐衛門さあもヨカ年成いやしたなぁ、どしこ成いやしたな?」

 

「もう、58じゃいさぁ、後取いの作衛門に譲っせえ、ゆっくいしたかと思いもす。」

 

と、問答を交わしたところで、伊地知が真顔になり、「ところで 」と、話したのが、4男の八乃進を御用に取り立てるから了承せよとの事であった。

御用の向きは藩の機密事項であるから、当人の意向を確認してから伝えるとのことと、事に当って八乃進の人となりについて、幾つかの質問があったのである。

ここまで、話を慎重に進めるのは、余程大事のことなのであろうと、佐衛門は身も竦む思いであった。

 

 

異変(一)

 

風雨が激しかっただけに、朝もやの立ち上る入り江は平和そのものの様に感じられた。

打ち寄せる波はゆったりと揺り篭のように磯巾着や珠藻を揺らし、波に攫われる銀砂利はなだらかな波紋を残していた。

入り組んだ入り江が続き、対岸の島々が新緑に覆われ、陽が高くなるにつれて明るい藍に変化していく海の色は、南洋に続く海とは言え陽春を想わせる温かさを感じさせるものであった。

  八之進は一巡り周りを見渡すと、波打ち際の戯れる浪と砂を感じながら真っ直ぐ入り江の奥の方角へ足を向けた。

入り江の奥まった当りにいかにも貧しげな家が4、5戸肩を寄せ合うように建っている。

朝餉の支度であろう一筋のまっすぐ立ち上る煙が、凪ぎの日和を物語っているようである。

集落の中を一筋、海に注ぐ川面が光って見えた。鰡であろうか一つ二つ川面を跳ねているのは・・。

入り江の奥は豊かに清水を注ぎ込む川に続いているらしい。 近づくにつれ、その川左岸に沿って集落が見えた。

八之進は「この静かさは朝餉の時間だ」と得心したまま、この集落に足を踏み入れた。

  しかし次の瞬間、異様な臭いに八之進の足は地を蹴っていた。

「血だ…」その異様な臭いは狩りで仕留めた猪の皮を剥ぐとき、鳥を絞めた後の、あの血の臭いだった。

一番手前の藁葺き家の板戸の片側に身を寄せた、八之進は身の毛の寄立つ気味の悪さと、一瞬にして五感が研ぎ澄まされて来るのを感じていた。それは、

故郷の山野で猪を追い仕留める時の緊張感に似ていたが、一方この気味の悪さは全く違うものであった。

 物音も気配も無く、血の匂いだけが強烈であった。辺りを窺いながら板戸の内側に目を移した八之進は、血溜まりの中に転がる人影を見た。 「一人いや二人だ・・。」

部屋は暗いのだが、破れた板張りから差し込む陽光が、真っ赤な血溜まりと亡骸を浮き立たせていた。

 躊躇いは有ったが、意を決するように板戸の内側に身を滑り込ませた。

部屋の中は凄惨を極め、血しぶきが囲炉裏や板張り床に飛び散っていた。二体の亡骸は重なるように土間に横たわり、後を追うように手を伸ばした一人は、女であった。  もう一人は年のころ三十五、六の男である。

どちらも逃れるところを一太刀で、切り下げられたもののようであった。背中の方の首から肩まで鮮やかな刀傷である。

 陽光に浮き上がった鮮やかな血の色は、この惨劇の起こって間も無いことを報せていた。

附に落ちない事に、これ程の事が起こっているのに、集落が静まり返っていることである。

この事は、八之進に躊躇無く次の行動を起こさせた。

 辺りに注意を払いながら、集落の様子を見て回った。

どの家も似たような状況を呈しており、集落全体が凄惨な血の海と化していた。

  八之進は本能的にここに長くいることの危険を思い、また起こったことの理解の為に時間が欲しかった。 

集落の入り口に在った漁具小屋に引き返し、身を潜めると改めて早鐘のように高鳴る胸の鼓動を感じた。

  「一体、何があったのだろう・・」

少なくとも、十二、三人が惨殺されているのだ。そして殆ど一太刀か二太刀で殺害されている。

逃げる間もなく家の中で惨劇が起こっていることから考えれば、それぞれの家を一斉に襲ったもので、組織された者の仕業にみえる。

 侍とは云え、太平の世に馴れた八之進には、此れほどの凄惨さは、吐き気と共に身震いを起させるものであった。

ここは、多久島藩の中でも周辺部の島嶼地域である。

漁業で生計を立てているであろう、ありふれた集落のようである。

八之進には、東シナ海を根城とする海賊達の仕業ではないかとしか推量できなかった。

それにしては家の中が荒らされた様子も無く、何より村人全員の殺戮とはあまりの狼藉ではないか。

八之進には理解できるものではなかった。

 

異変(二)

 

 「全員??」 「否、全員なのか?」

 八之進は改めて各戸の様子を調べる必要を感じた。と、云うのも死骸の中に子供の遺体が無かった事に気がついたためである。 小規模な集落とは云え、子供が一人も居ないはずが無いのである。

 三軒目を覗いた時である、薄暗がりの土間の片隅に、息の気配を感じたのは。

傍らの亡骸に注意しながら水瓶の背に潜む少年を、抱きかかえた八之進であった。

  恐怖に引き攣るような、しかし確かに挑戦的な目を向けている少年であった。

恐怖と極度の緊張の中で耐えていたのであろう、少年はぶるぶるっと身を震わせるなり、八之進の腕の中で気を失ってしまった。

 冷たい少年の体を抱えて、八之進は昨晩一夜を過ごした入り江の向こうの岩場に在る洞穴に移動した。

焚き火の暖もりと、竹筒の水で一旦は目を覚ました少年であったが、八之進の落ち着いた目と敵意の無い振る舞いに安心したのか、また、直ぐ軽い寝息をたてた。

再び目を覚ましたのは小半時も過ぎた頃だろうか。

八之進が集落の様子を見守り変化の無いのを見届けて、洞穴に戻った気配を感じたのだろう。

少年の名前は平太といい、歳は九歳、父母と姉との四人で暮らしているそうである。惨劇の様子を一部始終見ていたものらしく、恐怖と両親を亡くした実感に暫く泣きじゃくっていたが、八之進が差し出した暖かい白粥に、子供らしく元気を取り戻していた。

 平太は、この朝何時ものように、漁に出かける仕度のざわめきと、寝床の心地よい温もりの中ででまどろんでいた。

突然板戸を蹴破り飛び込んできた男達に土間に据えられ、何かを大声で詰問され、二言三言答えた父親に向かって刀を振り上げるのを夢でも見ているように、思い出すのであった。

とっさに母親が土間の水瓶の隅に押し込んでくれたのが、幸いして彼らの探索から逃れた平太であった。

それから、一刻程で迎えた朝日の中で、両親の惨状を目の当たりに、じっと耐えていたものであった。

 「平太、お姉ちゃんはどうしたのだ?」

「姉ちゃんは、枚方の伯父ちゃんの家に往ってる。

 お土産持って帰ってくると、言ってたんだ!」子供らしく思い出した姉の事を話すの聞きながら、八之進は鸚鵡返しに平太に話していた。

 「平太、良く聞け、お姉ちゃんが危ない、」

 「帰ってくる前に、お姉ちゃんにこのことを報せないとお姉ちゃんもお父達と同じ目に会うぞ」

今日にも舟で帰るという平太の話を聞き、人影に注意しながら岬の高台で様子を見ることにした。

半刻も過ぎた頃、岬の向うから一艘の小舟が波間に揺られて、こちらに向かうのが見えた。

 八之進は平太に、誰にも見られぬよう注意して、海に身を沈めると抜き手を切って小舟に向かって泳ぎ出した。

 力強い泳ぎと必死の様子で自分の方に向かってくる泳ぎ手に早くから気がついた可奈は、異変の胸騒ぎに、櫓を漕ぐ手に力を込めた。

 舟縁に掴まるや、息を切らしながらも舟の中にすばやく身を隠し、

 「可奈殿か?」と問う若者に

 「何が有ったのです。」 「あなた様だれ?」

と、手を貸しながら矢継ぎ早に、問い返した。

 

「私のことは後で話します。

私の言うことを落ち着いて聞いてください。

私にも事情は判らないのだが、貴方の村に、貴方のご両親に異変が起きています。

村人全員が何者かに殺されました。

貴方の弟の平太が一人だけ助かっています。

私がたまたま匿って、貴方の事を聞きました。今、村に戻っては危ないし、今こうしている事も、もしかして危ないのかも知れません。

急いで、岸に着けてください。櫓を漕ぎながら聞いてください。」

 櫓を漕ぎながら、唇をかみ、それ以上何も語らず、大粒の涙を落とす可奈を見て、 「ああ、この娘は何かを知っているのかも知れない」と八之進はごく自然に得心した。

 

 洞穴の近くに舟を着け、平太が飛び出すのを受け止めた可奈は、今まで耐えていた悲しみを解き放つように、小さな弟を抱きしめながら声を出して泣き出していた。

八之進は急いで舟を岩陰に隠すと、二人の姉弟を洞窟に誘い、彼らの激情が治まるのを待った。

 「何か思い当たることが有るなら、私に話してみないか?」

「私は昨日の嵐で舟を流され、漂着した五島の者だ。

名を八之進と申す。」

平太の信頼を寄せた眼差しに加えて、可奈も不思議に初対面にも関らず、穏やかな気持ちで話が出来そうな気がしていた。

 

 突然、馬の嘶きと蹄の音とに合わせて、大勢の声が村の方から聞こえてきた。

八之進は身を隠し声のした方を見ると、侍とその下郎の一団が、手にて手にたいまつを持ち、集落を焼き払おうとしているところであった。

 これを見た、可奈が飛び出そうとするのを急いで押し留めた八之進は、この狼藉の正体が、正規の多久島藩の藩兵であることで、可奈の沈黙の理由が解ったような気がしていた。

 事情はどうあれ、今ここで多久島藩の役人に姿を見られることは、八之進にとってもあまり都合の良い事では無かった。

「可奈さん、ここを離れたほうが良さそうだ。

何処か身を隠すのに良い場所は無いだろうか?

貴方が今日までお世話になっていた、枚方の伯父さんとはどんな人なのですか?」

 「伯父さんなら信頼できる人です。きっと匿ってくれると思います。」

「よし、判った。平太急ぐぞ!」

 舟を引き出し平太と可奈を乗せ、力強い櫓捌きで、舟を対岸の枚方島へ向ける八之進であった。

岬を回り集落から立ち上る炎と煙の気配が届かない辺りに来ると、やっと安殿の色が可奈や平太の顔に浮かんできた。 舟に打ち付ける波の音と櫓の軋みの音は、今朝からの異変が無かったかのような、のどかさであった。

有り難い事に、もやが立ち小船の所在を、遠目から隠してくれた。

 

 

 逃避行

 

 枚方島の穏やかなたたずまいの砂浜に舟を着けた、八之進は舟を引き上げると、先に駆け出した平太と可奈が彼らの縁戚を連れてくるのを、其処で待つことにした。

 海まで迫り出し、そのまま断崖となる小高い山に両脇を、守られるような地形の港口で、この入り江の中央に砂地の浜辺があった。

浜辺には、漁から帰った漁民の舟が二,三十艘引き上げられていた。

この数からすると、この村の住民は相当数に上るとみえる。

波打ち際から見ると砂浜が小高く盛り上がっており、干潮も重なり、その先の人家が在るであろう辺りの様子は、見えない。

 四半刻も過ぎて、可奈と平太が伴って現れたのは、大柄で頑丈そうな体躯を、人の良さそうな笑顔で包み込んだような人物であった。

武吉と名乗り、この枚方の網元を務める五十前後の好漢である。

 武吉の丁重な挨拶の中に、八之進は探るような目配りと、射すくめるような鋭い眼光を見てとった。

武吉に伴われ、網元屋敷に通される道々、各家々の物陰から、不安げな視線が八之進を射たのを感じたのは、思い過ごしだろうか。

 自分が五島の住人であること、

昨夜の嵐で舟が流され辿り着いた事、

朝になり助けを求めに村に入ろうとしたら異変に気付いたこと、

平太を見つけ出し、可奈の事を聞いたこと

多久島藩役人が火を着けて、村を焼き払っていたこと等、この朝の出来事を話した。

 何故このような狼藉が公役人の手で行われたのか理解出来ない事だし、現地に平太や可奈を置くことは、危険であり、事情が許せば匿ってほしい事を率直に話した。

「八之進様はお武家でございますな。

何ゆえ、舟に乗られたのじゃ?」

黙して八之進の物語るのを聞いていた武吉は、話しが一段落したのを機に、質問を発した。

「いかにも私は武家の出です。姓は平島と申す、五島の平役人の四男坊です。

ご存知のとおり、平役人の生活は武家とは申せ、あなた方漁民と変わらぬ生活です。ましてや四男坊です。

部屋住みでは向後、何の見通しも無い故、陶芸の技でも磨きたいものと、藩の了解を得て知己を求めて出て来たものです。 何かご疑念ありや」と。

 「失礼申し上げました。話しの内容が内容だけに、俄かには人の話しに乗るわけには参りません。

 多久島の村に居たのは、私達の縁に繋がる者達ばかりで、この報せに枚方の郎党一同、驚愕し又、哀しみに包まれております。

 平太や可奈のことは大層お世話になりました。八之進様がいらっしゃらねば,命を落としていたやも知れません。

多久島の者たちが斯様な難儀に遭ったのは何故なのか、私共にもわかり申しません。急ぎ探らせようと存じます。」 

武吉の慇懃なもの言いように、八之進は警戒心を解いていない気配を感じていた。

 

 

豪奢ではないが、精一杯のもてなし料理といえる朝夕の食事と身の回りにいる人たちの立ち居振る舞いに居心地の良さを感じて、三日目の朝である。

あれ以来、姿を見せなかった加奈とフ武吉が現れた。

明らかに何かを掴んだようである

武吉が語るには、ただでさえ痩せた土地で収穫の少ないのに加えて、この年から赴任した当地の代官の命令で年貢の納率を一挙に二割も上げられたこと。

これに、困窮した村人を代して加奈の父、平吉は本島にいる多久島藩領主へ直訴を企 ていたこと。

村人の主だったものも同意して、代官の監視を潜り抜け、明日にも本島へ渡る手筈だったこと等であった。

おそらく、これを察知した代官一党が自らの統治実態を藩主に知られてしまうことを恐れて、やった仕業であろう事は、武吉に言われなても察知できることであった。

それにしても、口封じとは言え、一村丸ごと根絶やしにして焼き払うなど、尋常な沙 汰ではない様に思えた八之進に、声を潜めながらも、何かを決断したように武吉が語りだした。

「この藩は、八之進様もご存知でしょうが、ご禁令一党の乱のあった地でございます。それからもう、何年も経つのに未だに法に触れて、処罰される者が出てくることがございます。

役人達も禁令改めに名を借り、これを好都合と、意に沿わぬ者たちや、自らの私欲の為に、厳しく詮議、強要、強制するのです。

平吉の村でも、ついこの冬年貢を出せぬ家が出て、その家の嫁が水攻めの罰と称して寒晒しの氷川に身重の身を浸され、お腹の子と供に身罷った事があったそうです。

民の心が、ご禁令の法に傾くのも、ご時世があまりに惨たらしく、悲しいことも、その一理と言えそうにも存じます。

このような藩内の事情に照らせば、村中丸ごと焼き払うなど、尋常の沙汰では無い、とも言えますまい。

ご公儀も以前の騒ぎに懲りて、ご禁令に関わることは藩に一任のご様子なのです。

この事を機に周りの者達は声を潜め、役人達は益々身勝手なお振る舞いに及ぶかもしれません。

また、み供が、この様なたわ言を語り、お役人のお耳に届けば、み供も又、処罰の身と成りましょうが、此処は八之進様を信ずるしかございません。」

最後に、意を込めた物言いは、武吉の信頼感と不安を綯い混ぜた八之進へのウムを言わせぬものであった。

「して、この後の始末はどうなるかな。 この事はこのまま一段落するのか、加奈殿や平太の身に災いが及ぶことは無いのか。 武吉殿はどの様にお考えでござろう」

すっかり得心した様子の八之進の問いかけに武吉も、やっと警戒を解いた物言いで答えた。

「お役人の方々もこれ以上騒ぎを広げて、藩内の噂を上層部へ上げられてもお困りでしょう。詮議もここまでと存じますが、加奈や平太は、かの村に帰す訳には参りますまい。

み供の下に置き、共に暮らす事となりましょう。私共の村でも何時、同じような災いが降り掛かるかも知れず、人事とはおもえませぬでなぁ。

縁も浅い八之進様にまで案じて頂き、村の者も感謝しております。

ところで、八之進様は如何なされまするか・・ 焼き物修行をなされたいとかお聞きしましたが・・何処か宛が有まするのか・・」

 

「いや、無い、 と、言うより藩からの許可証もこの度の嵐で無くしてしもうて、正直如何したものか思案しているところです

土地も知り合いも不案内なれば、有田の里が如何様なところか、焼き物の技も何処で修行したら良いのか、未だ手掛かりも無いところです。」

もともと、出自を偽る隠密の身成れば、藩からの許可証やら紹介書やらがあるわけも無い八之進であったし、もともと修行のあて先から、自ら目利きしなければならないのである。

「さようでございますか・・・・

さし当って宛も有りませんが、ご迷惑で無かったら伝手を当ってみましょうか」

伝手が無いどころか、武吉には若い頃に交わった朋輩で、今は有田の有力窯の職人になっている者がいた。しかも、自らの紹介で同所の若者を一人修行に出してもいるのである。

他所者

 

八乃進は平太にまとわれつかれながら村の社へ向かう坂道を登っていた。 一度来たことは有ったが、穏やかな日差しに誘われた事と、小高い山の上にある社からなら、本土とそれに続く各島の様子が見えるだろうと思ったからである。

小さく迂回する細道を回りきったら天空が開けて紺碧の海が広がって見えた。小さな社が鬱蒼として松に囲まれて建っておりその背後に本土陸地が望まれる。

社の上り縁に人が居た。数日村中を歩き回った間には見かけなかった人物であった。

平太が慌てて八乃進の後ろに隠れるように擦り寄ってくる。

「見慣れない顔だが・どちらさんでぇ・?」

探るように八乃進を値目まわしながら、その男が問いかけてきた。

「私は先日の嵐で船を流され、ここで厄介になっている五島のものだ」

「見たところ無腰のようだが、お武家かい??」

「いかにも・・ お前様は?」八乃進が問うには答えず

「よそ者があんまり、ウロウロ歩き回らないほうが良いんじゃねえかい

 それとも、何かを探っておいでかい?」

「おぬし、私に何を言いたいのだ、おぬしこそ,ここで何をしておる」

「うるせい、よそ者につべこべ言われる筋あいじゃねえや。 おい、そこの小僧 こっちへ来い」

と、平太へ手をさし伸ばした手を、思わず払いのけた八之進であった。

「 ほう、何かい、おいらに喧嘩を吹っかけるのかい、 面白いじゃないかい・・」

言うなり八之進の右腕を掴みかかるのであった。

とっさに、八之進が、その左の肘を右手で持ち替え捻ると、その男は体ごと、あっけなく転がされていた。

「 いてて・・、 何しやがる」

八之進の動きに一転、警戒心露わに、身構え、後ずさりした男は、

「 ちったあ、歯ごたえがありそうだな、

 今日のところは、消えるが其の内、化けの皮を剥がしてみせますぜ・・・」と、

捨て台詞を残して、社の後ろに身を隠し、そのまま松林の中に消えた。

 三間程離れて、様子を見ていた平太が駆け寄り、憧憬の眼差しを向けるのを

「平太、今の男を知ってるか・・・ 何をしていたのかな・?」

「 うん、あんまり良く知らないけど、本土から時々やって来るって。 みんな嫌いだって言ってるよ 」

八之進は、男の居た社を一周りしてみたが、変わったことも無さそうであった。

男が消えた松林は島の北側に下り降りており、下の方は鬱蒼とした雑木林となっていた。その奥はおそらく断崖となり、本土との隔たりとなる青く深い海となっているのだろう。

西に目を向けると五島の島々が翳んで見えた。

南は広く、明るく開け、暖かい空気を運んでくる。

東には遠近に四つ程の大小の島が見え、その内の二番目に大きな島が、平太と加奈の島である  が七八里先に見えた。

本土から時々渡って来る島民から歓迎されぬ人物とは、大凡横目の類だとの観測はつくのだが、これが今度の事件と関わりが在るのかどうか、八之進には判じかねた。

 その夜、武吉の話しによると、源次という横目の手先であって、島に来た時は代官屯所の中間部屋に寝泊りしていること。  いつもは横目同心の巡視に同行して来るのだが、今は巡視の時期ではないとのこと。  今度の事件との関わりではないが、何かを探りに来ているのは間違いないだろうとのこと。

源次の動きに注意するよう村人に伝える事などであった。

 

隠れキリシタンとお納戸様

 

翌晩 八之進は日課にしている小太刀の型修練を一通り終わり、月明かりの中を村に向かい浜辺を一人あるいていた。

浜茄子の砂丘の向こうから、提灯の明かりが近づいて来る、相手からは八之進は月明かりとは云え、見えないらしい。

漁師の朝は早い、当然夜は早々と灯りが消えてしまうのが常である。 この時間に外に人影があるのも意外な気がした八之進は無意識に打ち寄せる浜辺の砂に身を隠すように腹ばいになった。

人影は女一人である。 そのままやり過ごした八之進は、その人影が加奈のように見えたこともあり、夜分女一人で・・・・と、後を追うことにした。

打ち寄せる波の音と砂浜が八之進の足音を消してくれた。 砂浜が切れて岩肌を波が洗う岬へ続く坂道を提灯の灯りが登っていく。

「 たしか、この上には小さなお寺とは名ばかりの祠が在るばかり・・・・。」

提灯の灯りが上りきって下から見えなくなった後、八之進は坂を上った。 祠の前の石灯籠の二基に灯りが点いており、祠の中からも灯りが漏れているのが見えた。上がり框には何人分かの履物があった。微かに声を合わせて謡っているような音が聞こえてくる。

八之進がもっと近づこうとしたとき、祠の縁下に蹲る人影を見た。その人影は祠の中を窺うような様子で八之進には気がついて居ないようである。

「 源次だ! 」 八之進はとっさに身を隠し、

「 何で源次が・・・・、祠には誰が・・・、何をしているんだ・・・」 

詠っているような声が途絶えて、密やかにくぐもった語り口の話し声が時々聞こえてくる。

源次の姿が縁の下から見えなくなった。

祠の扉が開き、中から村の見知った人影が出てきた。武吉の屋敷で八之進の身の回りを手伝ってくれる辰じいさんと加奈の姿も在った。

彼らは一人、二人と静かに帰って行く。

最後の二人が灯りを消して立ち去るのを見送り、月明かりを木陰で避けながら、小半時も待った。

祠の後ろから源次が這い出てくる。辺りを見回し、祠の中に入り灯りを点けた。

 源次が祠の扉を開けて出てきたとき、手に何かを持っているのを見た八之進は、今度は源次の後を追った。

源次は来た道とは反対側へ行く。岬の方に出るらしい。辿っていくと昨日源次と出会った社に出た。

源次はそのまま、社の中に入り込み、直ぐ出てきた。 祠から持ち出した物を社に隠し置いたものと思えた。

八之進には加奈や辰爺さんの身に災いの降りかかる物のような気がした。 それは一幅の掛け軸であった。観音様が赤子を抱いた絵柄である。変わっているのは十字の首飾りを着けていることであった。

「 耶蘇教だ・・・」

加奈や辰爺さんの集まりが何であったか、八之進にも得心できた。そして、源次が何を探り回っているのかも・・・。

 

「 武吉殿 隠さず申し上げる。

 先ほど岬の寺から源次が持ち出した品を、私が密かに取り返しておいた。この品は、もしやご禁制に関わるものではあるまいか??

私には誓って他意はないし、他言もしておらん。 

武吉殿なら事の仔細をご存知であろう。話してはくれまいか?」

 

尋常でない八乃進の様子に、覚悟はしていた武吉であったが、目の前にお納戸様を出されて、狼狽しないわけは無かった。

 

「 こ、これは・・・

 如何なる次第でこのようなものが、八之進様の手に? 」

 

夕刻からの次第を、加奈と辰爺さんの身を危ぶむ気持ちから源次の後を付け、掛け軸を盗み出してきたこと、危惧することが当を得ているなら、力になりたいこと等を八之進が語ると、意を決したように武吉が語りだした。

 

「 そうでしたか

 源次の様子に気をつけるように言い置いていたのですが、迂闊なことでした。  八之進様に取り戻して頂いたこと、本当に不幸中の幸いです。

お礼を申し上げます。

お察しのとおり、この品はご禁制の祈りの品です。

この村の者は天主様の信仰に帰依しています。もちろん私もそうです。加奈や平太の親もそうでした。

ご禁制になったとしても、私たちの信心は変わりようも無いのです。人の心を縛り付ける事が出来ようもありません。

私たちは人知れず、私たちの信仰を守っていこうとしていただけなのです。

手酷い御支配様の在り様に、主への信仰心だけが支えともなっているのです。

多久島の者供の厄災も、直訴への懲罰だけじゃなく、ご禁制に触れた者への見せしめでもあるのです。

 私たちの信仰と何より私たち村人全員の為に、今申し上げたことを、お支配様から守り抜かねばなりません。 今後どうするかは私たちで何とかいたします。八之進様にこれ以上ご迷惑をかける訳には参りません。ただ、これまでの事、私がお話した事などを他言なされぬようお約束頂ければと重々にお願い申し上げます。」

 

「わかりました。

 もちろん他言などご心配無用に存じます。

それと、私に出来ることがあれば、ご遠慮には及びません。加奈殿や平太と出会ったことも何かの導きかも知れません。

 今は、源次の動きが心配です。」

 

八之進は、加奈や平太の親を失った心細さと、武吉や村人の誠実な信仰へ思いに、自分の心を寄せられそうな気がしていた。

 

八之進は武吉と語らい、何の変哲も無い仏画の掛け軸を八幡様のお堂へ戻しておいた。

源次がこれを証拠に番所へ届けたとしてもキリシタン嫌疑からは言い逃れることが出来るだろう。    「 だとしても、源次の動きには釘を刺しておかなければなるまい゜」、 

手荒なことは控えるようにと武吉に言われていたが、八之進は、その日の夜には源次の足取りを追った。  

 

「 てめえ、小細工しやがったな、 

何かい、お侍さんもご禁制のお仲間かい?」

 

言うなり、源次は匕首の鞘を抜き払った。

じりじりと間合いをつめる、その動きは横目の手先にしては、隙の無いものである。

八之進の右腕を押さえて自由を奪い匕首を突き出そうとした、その動きは流れるような手練のものである。

しかし、八之進が右腕を返すのと、左膝が源次の胃の腑にめり込む方が早かった。

この一撃で源次は、のた打ち回っている。

折れた肋骨が肺の臓に刺さっているのだろうヒューヒュー苦しげな息を吐き、血反吐を吐きながら怯え切った弱弱しい目を八之進に向けるのであった。

「 お主はもう、助からん。 楽にして進ぜよう 」

次の日、源次は西の断崖の荒波に浮かんでいた。

島の役人は、足を踏み外しての転落死として、それ以上の詮索はしなかった。 キリシタン探索は源次一存の仕事だったのであろう。

 :源次の一件が落ち着いたとは云え、枚方の村人達は、警戒心を緩めては居なかった。

平太や加奈の島の事件に続いて源次の動きである。 そのことは、よそ者の八之進への警戒心へと変わっていくようであった。

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村上春樹 朝日新聞寄稿全文

2012-10-12 11:26:14 | アート・文化

尖閣諸島、竹島紛争を憂える 村上春樹氏が9月28日の朝日新聞朝刊に思いを寄稿された。 ノーベル文学賞の最有力候補として世界への日本最大の発信力を持つ、氏の発言は大きな意味を持つものだ。残念ながら今年の文学賞は中国の莫氏に決定したものの、この発言は私達日本人へのノーベル賞以上のプレゼントと云える。

村上春樹氏の変わらぬ勇気とやさしさに敬意を表す。以下に朝日掲載の寄稿全文を掲載する。

2012年9月28日(金曜日) 朝日新聞朝刊 村上春樹寄稿記事全文

魂の行き来する道筋

尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている。 それが政府主導による組織的排斥なのか、あるいは書店サイドでの自主的なな引き揚げなのか、詳細はまだわからない。 だからその是非について意見を述べることは、今の段階では差し控えたいと思う。

 この二十年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。 そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済発展があげられるだろう。 各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。 共通のルールが定められ、かってこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。

 僕自身の経験に基づいて言わせていただければ「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。 以前の状況はそれほど劣悪だった。 どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実に触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。 まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。 これはまことに素晴らしい成果というべきだ。

 たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。 それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。 彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我われの間には多くの語り合うべきことがあった。

 このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。 僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かっていくに違いないと期待を抱いていた。 文化の交換は「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。

 今回の尖閣諸島問題や、あるいは竹島問題が、そのような地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。

 国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。 しかしそれは実務的に解決可能な案件であるであるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。 領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。 安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。

 そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。 一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。 それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。 今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのような深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。 政治家や論客は威勢のよい言葉を人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。

 僕は「ねじまき鳥クロニクル」という小説の中で。一九三九年に満州国とモンゴルとの間で起こった「ノモンハン戦争」を取り上げたことがある。 それは国境線の紛争がもたらした、短いけれど熾烈な戦争だった。 日本軍とモンゴル=ソビエト軍との間に激しい戦闘が行われ、双方あわせて二万に近い数の兵士が命を失った。僕は小説を書いたあとでその地を訪れ、薬蕎や遺品がいまだに散らばる茫漠たる荒野の真ん中に立ち、「どうしてこんな何もない不毛な一片の土地を巡って、人が意味もなく殺し合わなくてはならなかったのか?」と、激しい無力感に襲われたものだった。

 最初にも述べたように、中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。 僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。 もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう。 逆に「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうともしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。 それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。

 安酒の酔いはいつか覚める。 しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。 その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲むような努力を重ねてきたのだ。 そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。

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物語 連載6

2012-01-24 20:21:15 | アート・文化

 逃避行

 枚方島の穏やかなたたずまいの砂浜に舟を着けた、八之進は舟を引き上げると、先に駆け出した平太と可奈が彼らの縁戚を連れてくるのを、其処で待つことにした。

 海まで迫り出し、そのまま断崖となる小高い山に両脇を、守られるような地形の港口で、この入り江の中央に砂地の浜辺があった。

浜辺には、漁から帰った漁民の舟が二,三十艘引き上げられていた。

この数からすると、この村の住民は相当数に上るとみえる。

波打ち際から見ると砂浜が小高く盛り上がっており、干潮も重なり、その先の人家が在るであろう辺りの様子は、見えない。

 四半刻も過ぎて、可奈と平太が伴って現れたのは、大柄で頑丈そうな体躯を、人の良さそうな笑顔で包み込んだような人物であった。

武吉と名乗り、この枚方の網元を務める五十前後の好漢である。

 武吉の丁重な挨拶の中に、八之進は探るような目配りと、射すくめるような鋭い眼光を見てとった。

武吉に伴われ、網元屋敷に通される道々、各家々の物陰から、不安げな視線が八之進を射たのを感じたのは、思い過ごしだろうか。

 自分が五島の住人であること、

昨夜の嵐で舟が流され辿り着いた事、

朝になり助けを求めに村に入ろうとしたら異変に気付いたこと、

平太を見つけ出し、可奈の事を聞いたこと

多久島藩役人が火を着けて、村を焼き払っていたこと等、この朝の出来事を話した。

 何故このような狼藉が公役人の手で行われたのか理解出来ない事だし、現地に平太や可奈を置くことは、危険であり、事情が許せば匿ってほしい事を率直に話した。

「八之進様はお武家でございますな。

何ゆえ、舟に乗られたのじゃ?」

黙して八之進の物語るのを聞いていた武吉は、話しが一段落したのを機に、質問を発した。

「いかにも私は武家の出です。姓は平島と申す、五島の平役人の四男坊です。

ご存知のとおり、平役人の生活は武家とは申せ、あなた方漁民と変わらぬ生活です。ましてや四男坊です。

部屋住みでは向後、何の見通しも無い故、陶芸の技でも磨きたいものと、藩の了解を得て知己を求めて出て来たものです。 何かご疑念ありや」 と。

 「失礼申し上げました。話しの内容が内容だけに、俄かには人の話しに乗るわけには参りません。

 多久島の村に居たのは、私達の縁に繋がる者達ばかりで、この報せに枚方の郎党一同、驚愕し又、哀しみに包まれております。

 平太や可奈のことは大層お世話になりました。八之進様がいらっしゃらねば,命を落としていたやも知れません。

多久島の者たちが斯様な難儀に遭ったのは何故なのか、私共にもわかり申しません。急ぎ探らせようと存じます。」 

武吉の慇懃なもの言いように、八之進は警戒心を解いていない気配を感じていた。

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