うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

1941年は真珠湾攻撃の年

2012-10-17 12:42:01 | 日記・エッセイ・コラム

前年には重慶に傀儡政権が樹立

日本軍に蹂躙された朝鮮で、誰かが誰かを想って書かれた一編の詩 

雪降る地図   1941.3.12
                   尹東柱

順伊(スニ)が去るという朝 せつない心でぼたん雪が舞い、悲しみのように 窓の外はるか広がる地図の上をおおう。

部屋を見廻しても誰もいない。

壁と天井が真っ白い。

部屋の中まで雪が降るのか。

ほんとうにおまえは失われた歴史のように飄然(ふらり)と去ってゆくのか、別れるまえに言っておくことがあったと便りに書いても おまえの行先を知らず どの街、どの村、どの屋根の下、おまえはおれの心にだけ残っているのか、おまえの小さな足跡(あしあと)に 雪がしきりと降り積もり後を追うすべもない。

雪が解けたら のこされた足跡ごとに花が咲くにちがいないから 花のあわいに足跡を訊ねてゆけば 一年十二ヶ月 おれの心には とめどなく雪が降りつづくだろう。

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村上春樹 朝日新聞寄稿全文

2012-10-12 11:26:14 | アート・文化

尖閣諸島、竹島紛争を憂える 村上春樹氏が9月28日の朝日新聞朝刊に思いを寄稿された。 ノーベル文学賞の最有力候補として世界への日本最大の発信力を持つ、氏の発言は大きな意味を持つものだ。残念ながら今年の文学賞は中国の莫氏に決定したものの、この発言は私達日本人へのノーベル賞以上のプレゼントと云える。

村上春樹氏の変わらぬ勇気とやさしさに敬意を表す。以下に朝日掲載の寄稿全文を掲載する。

2012年9月28日(金曜日) 朝日新聞朝刊 村上春樹寄稿記事全文

魂の行き来する道筋

尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている。 それが政府主導による組織的排斥なのか、あるいは書店サイドでの自主的なな引き揚げなのか、詳細はまだわからない。 だからその是非について意見を述べることは、今の段階では差し控えたいと思う。

 この二十年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。 そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済発展があげられるだろう。 各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。 共通のルールが定められ、かってこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。

 僕自身の経験に基づいて言わせていただければ「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。 以前の状況はそれほど劣悪だった。 どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実に触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。 まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。 これはまことに素晴らしい成果というべきだ。

 たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。 それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。 彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我われの間には多くの語り合うべきことがあった。

 このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。 僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かっていくに違いないと期待を抱いていた。 文化の交換は「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。

 今回の尖閣諸島問題や、あるいは竹島問題が、そのような地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。

 国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。 しかしそれは実務的に解決可能な案件であるであるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。 領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。 安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。

 そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。 一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。 それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。 今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのような深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。 政治家や論客は威勢のよい言葉を人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。

 僕は「ねじまき鳥クロニクル」という小説の中で。一九三九年に満州国とモンゴルとの間で起こった「ノモンハン戦争」を取り上げたことがある。 それは国境線の紛争がもたらした、短いけれど熾烈な戦争だった。 日本軍とモンゴル=ソビエト軍との間に激しい戦闘が行われ、双方あわせて二万に近い数の兵士が命を失った。僕は小説を書いたあとでその地を訪れ、薬蕎や遺品がいまだに散らばる茫漠たる荒野の真ん中に立ち、「どうしてこんな何もない不毛な一片の土地を巡って、人が意味もなく殺し合わなくてはならなかったのか?」と、激しい無力感に襲われたものだった。

 最初にも述べたように、中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。 僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。 もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう。 逆に「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうともしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。 それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。

 安酒の酔いはいつか覚める。 しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。 その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲むような努力を重ねてきたのだ。 そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。

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