うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

教科書検定と忖度と

2017-03-25 10:02:18 | 社会・経済

▽「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)

▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)

▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。

 いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。

 おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。  文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。

「以上、朝日新聞の本日の記事から」

 

検定項目、指導要領にこのような項目が設定されていたとは、驚きである。

▼ 感謝する対象がおじさんでは駄目で、おじいさんにしたそうだが、 高齢者の医療費や介護費用高騰に伴い風当たりの強い現実があり、67才のおじいさんが社会貢献や労働力不足と扶養人口減少の足しにと、就活応募しても全てが不採用になる現状は、おじいさんたちが文科省の考える感謝される対象には決して繋がらない。 観念的に感謝を唱えて子供に称揚させてもおじいさんたちはちっとも嬉しくないのである。(もりとも関連幼稚園児の教育勅語称揚と安倍首相頑張れと同レベルか?) 高齢者の就労機会の向上や世代間のワークシェアリング等の社会施策を具体化するなどを通じて、扶養世代ではなく存在感のある高齢世代の形成に繋げる事が真の感謝される対象になると思うのだが・・・・  特別養護老人ホームへのおじ捨ての現状を放置して何が感謝の対象であろうか??

▼ 我が国の郷土や文化に親しみ、愛着をもつ為にパン屋やアスレチックを和菓子屋や和楽器屋に差し替えるのも、敵性用語を禁じた戦中の少国民への教育施策を思い起こさないだろうか?   そもそも、海外や他国の文化や自然、生活を知らずに、自国や郷土が見えてくるのであろうか??  他所の多様な自然や文化を知らずに目隠し純粋培養の押し付け教育施策は、隣国の将軍様称揚のお国を想起しないか・・  

加えて、今回の検定担当文部行政官僚の所業は、今はやりの教育勅語賞賛の誰かさんと誰かさんへの“忖度”を想起するのは私だけであろうか・・・

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浅草でJAZZ

2017-03-23 21:48:24 | まち歩き

浅草のJAZZ BER にて・・・

JAZZ Live の醍醐味???  雰囲気はアメリカ南部の場末・・・??やっぱり浅草か・・・

 

朝の散歩にて 「柳の新緑と梅の花」

 

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虫聴

2017-03-20 18:50:53 | うんちく・小ネタ

日暮里から浅草辺りを自転車で探訪した。

西日暮里駅近くの道灌山にある公園で見た看板である。

 

江戸期から明治初期にかけて、江戸市井で流行した“虫聴”についての説明である。

一旦は一読して通り過ぎたのであるが、気になって写真を撮り直しに引き返した。

 

当時、道灌山は小高い丘陵地帯で筑波山や墨田大川が見渡せる景勝地で人気の場所だったそうだ。江戸開闢以前、太田道灌が此処に城砦を築いていたところである。

気になったのは、江戸市井の人々が“虫聴”などという風流な悠長な高尚な非実利的なだから優雅な遊びに耽ったということである。

夏の終わりから初秋の夜長に、老若男女が集まり、松虫や鈴虫などの虫の音を聞き自然の美しさやすばらしさを楽しんでいたそうだ。 それも、江戸市中に虫聴の名所が複数有って、その最も有名なのが此処道灌山であったと記してある。

 現代でも花見があり錦秋の名所が賑わいを見せてはいるが、虫聴はこれに比べて喧しさもなく実に風雅なもののように思える。

これに限らず夕焼けの色を、満点星を、名月を愛でて季節の移ろいを感じ、物事の消滅再生や自然の奥深さに思いを馳せる。そんな日常を持っていた江戸人は、現代人が明日に思い悩み今日の生活に追い回されているのに比して、何という高度の文化人だったのだろうと思えるのである。

 明日の明後日の将来への不安の中の生活は、決して虫聴などという遊びに誘わ無いのではないだろうか?

江戸人は果たして大金持ちだったのであろうか?否!

江戸人の啖呵に、“宵越しの金は持たねぇ!”というのが有る。やせ我慢の言い回しであり貧乏人の開き直りである。  なのに何故、こんな余裕の態様が日常に有ったのであろう?

 明日への不安、将来への不安とは、果たして経済的な貯えや社会保障制度の未整備だけの問題だけなのだろうか?

どうやら、人と人の繋がり、社会の在り様、自然や生死への関わり方等に関連がありそうである。明治期急速な西洋化が進んだ。西洋化とは個人主義と市民社会と国家制度と資本主義のことではないのか・?

 江戸人は地域共同体の中で生きていたので個人が個々に孤立していなかったのである。

だから、単純に言えば“宵越しの金は”必要なかったのである!!

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春気配

2017-03-19 10:36:41 | 四季

柳が新芽を吹きだし、野草が花を付け出した。

鴨も飛翔の練習だろうか? うまく飛べない小鴨が目の前で鳴いている。

水温む春の兆しの荒川縁の散歩です。

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「教育勅語」を愛する人々

2017-03-17 06:59:17 | 社会・経済

「教育勅語」を愛する人々

と云う表題で、 小田嶋隆 氏が日経ビジネスONLINEに書いている

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/031600086/?P=1

 

この時代空気の薄気味悪さを、共通感覚として感知した評論だ。

 

一方、どんなに失言、暴言を繰り返そうと、資質不足を指摘されようと、支持率が下がらないのだという現実は、多くの国民(若者も含めて、いや年寄より若者の方)が、教育勅語を愛する人々と感覚を同じくしているとみて良いのだろうか・・・

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