うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

桜枝伐採作業

2023-01-11 21:01:55 | 日記・エッセイ・コラム

先日の大雪で、我が家の桜の枝が折れてしまった。

折れた枝が光ケーブルに掛かってケーブル損傷の危険が有り、晴れ間を狙って伐採除去作業をした。

高所の為に、梯子が届かない !   

おまけに梯子が竹で作った手製である。 自作ながら少々不安・・・

慎重に ! 慎重に !

無事作業は終わったのだが、手鋸での切り落としで、切り口が痛々しい。

足場整備して、再度チェーンソーで綺麗に切断し防腐消毒処理をします。

それにしても、このような危険作業で、周りに誰も居ない時に事故が有ったらと・・・・

 

 

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土を喰う

2023-01-09 10:00:23 | 日記・エッセイ・コラム

早朝目覚め、淹れたてのルワンダ珈琲を飲みながら、土を喰う日々を読了

淡々と山村に住み日々の季節の移ろいと食の事を綴った村上勉のエッセー

読んだ契機は 土を喰う12か月という映画だ。映画にあるような物語性も無く、直接人生や生死の事を語っているわけでも無い。

筆者が幼年時代に体験した僧院暮らしをベースにしたものだが、自分が今、ここ群馬の過疎山村に独居しつつ日々を送っているから、多く感応するのだろうか。

一日2~3回費やす食事は、単なる喰うことではないと、常日頃思っているし語っている。

食材調達、食材下準備、調理、食器や配膳、調理器具や食器、残滓の後始末を含めると、実に多大な時間と労力を費やすものであり、更に最も重要なのは、その食物のもたらす味わいとその喜び、滋養と満足感なのである。

そして、山村独居はその全てが己一人の作業になる。

 畑で作物を作り野に出て山野草を得る事を含めて、それら全て食に繋がり、そして直接生きることに通じているということだ。

 であるから、宗教も食ということに焦点を当てなければその存在感も得られなかったのだろう。

 道元禅師の著した典座教訓もその一編らしい。

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2023年 年頭の所感

2023-01-02 13:52:12 | 日記・エッセイ・コラム

 暴虐のロシアも、無能で既得権益保護の政治も、専制と覇権を強める隣国の大小国も!!

そして、兵器増産と穀物高騰で濡れての粟の一翼も!!

地球環境毀損、人類滅亡の終末時計を速めているだけの、愚かで大恐竜滅亡と同様の運命付けを、得ている輩としか思えない。

エネルギーや食糧の自給と自主流通、自治の小さな地域共同体から、生活の価値転換を図り、資本の論理に支配された現社会を変えるしか方法は無いと思うのだが?

残念ながら、それももう間に合わないのだろうと、愚考を重ねている・・・・

 

身近な人々のささやかな幸福を広げて行くことしか、私の手には残されていないようです。

行雲流水の心境の年頭です。

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2022年頭に当たって

2022-01-02 11:25:22 | 日記・エッセイ・コラム

気候変動対策が最優先課題である事

その為に最優先される方策に専念すべきこと

具体的な方策は多くない事、残り時間は殆どない事、しかし現実は多くの人々の認識に隔世の開きがある事

 

生産消費の拡大再生産と成長経済体制が基本の資本主義では、地球気候変動は止められない

物質と欲望の拡大再生産は、地球資源の消費が前提であり環境の荒廃、再生不能な地球自然を引き起こすのは必然である。 現に地球環境悪化、人類生存の危機を招いてしまった。

一方、ロハスやSDGSの方策、キャンペーンは笑うべき弥縫策である。

 何故ならこれは拡大成長の現体制維持を前提としながら、危機の回避や延伸というのを目指しているからである。 現にこれに群がる儲けの亡者が跋扈し、見るも聞くも怖気を感じる現況だ。

 

コモン或は小コミュニテイによる、自給自足組織を基礎単位とする社会の構築が具体的な方策として提起できる。

構成員全てがその運営の主体であり、互いに目に見え触れ合える規模と距離の小単位組織がイメージされる。

自然エネルギーの太陽光、風力、波力、水力などは、優れて地域限定エネルギーであり、先ずこれを自力生産運用して自給することで、二酸化炭素の排出を無くす事が出来る。

本来、ここに資本主義的利潤の概念が持ち込まれ、必要以上のエネルギー余剰生産するところから自然破壊が始まったのだから・・・

 

上記自給自足組織が、一時代前の原始共産制や新しい村運動と異なるところは、今や人類はICTやAI、高い生産技術、歴史的叡智を手にしているところである。

 加えて、気候変動はもう待った無しの危機的状況にあるという変革の契機があるという事だ。

この実現には、ファシズムや革命に代表される急激強制的社会変革は馴染まないし、一方議会制民主主義による緩やかな合意形成変革では間に合わない。

 

近年、地方の限界集落から再生を果たし始めた小共同集落の実例が、報告され始めている。

 

 

同じように限界的に悪政が加速して困窮する人々が溢れ荒廃する状況、もっと多数の人々が阿鼻叫喚する気候変動が間に合う限界の前に訪れる状況、他動的契機の現出を待つしかないのであろうか・・・・

 

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52年目のノスタルジー

2021-10-30 23:59:12 | 日記・エッセイ・コラム

井上陽水の”傘が無い”が流れると、必ず・・・

都会の高校生に翻弄されていた

手に薄ピンクのマニュキアをしたんだって・・ファッション雑誌の事、お酒を飲みに行ったこと・・・・

僕にしたら、ベトナム戦争の事や三島由紀夫や赤軍派の事なんかや、何よりマルクスに心奪われて居たし、そして高校時代には一度も女の子と話したことも無かったし、同級生がマニキュアだのお酒だのって考えられない時代と田舎だったし・・・・

 その、高校生の輝子が僕にくれたんだ。陽水のアルバムを・・・・

そして、僕のアパートに何度か遊びに来たんだ。

何度目かに陽水のアルバムを持ってきて一緒に聴いたんだ、薄ピンクのマニュキアの指や可愛らしい唇にキスをしながら・・・

女々しい歌だと、個人的狭い世界観の曲だと・・・僕には聞こえたんだ

それでも輝子は今一番、井上陽水が好きだと言った

「貴方も好きになりなさいよ」って、そのアルバムを置いていった。

その頃、僕が聞いていたのは、加川良や岡林や高田渡だったし、せいぜい吉田拓郎や南こうせつ位まで、後は上京してから聞き始めたウエスモンゴメリやMJQ、デュークエリントンなどのJAZZだった

 今でも、あの頃のメッセージソングやノスタルジックな神田川などは偶に聞くし、JAZZへの嗜好は深まっている。

そして、今では井上陽水や大瀧詠一や忌野清志郎をアレクサにリクエストしている。

もしかしたら、輝子がアルバムを置いていったのが、アパートに来た最後の日だったのかもしれない・・・

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