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うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

しぐれ茶屋 侘助

2012-05-31 08:46:24 | まち歩き

  おばんざい の店である

東京~鹿児島の旅の帰路、京都で一夜、一日逗留観光した。

午後3時過ぎに予約のホテルにチェックイン、長旅の汗と埃をシャワーで落とし夕食までの時間で祇園を散歩することにした。

烏丸4条通りはデパートや銀行が集中し人通りも多く、京都でも繁華街なのだろう。

周辺の錦市場などは明日の散歩に残しておいて、まずは八坂神社を目指した。早速和服姿の二人連れに行き逢ったのだが、一人は流石京都と思わせる小股の切れ上がったいい女といった風情なのであるが、もう一人が見るからに男なのである。これも、流石に京都なのであろう。

途上、渡った四条大橋から見た鴨川の流れは東京の隅田川、多摩川とは想像できない水の清らかさである。緋鯉を含めて大振りな鯉が橋の上から見られ、川岸には川遊びの人々が気持ちよさそうに戯れている。

四条大橋を過ぎると観光ガイドブックを片手に行き交う人や外国人が目だって多くなる。東京に比べてアジア系よりヨーロッパ系の観光客が多く見られるような気がする。修学旅行シーズンなのか、この類のグループ多く見られる。

八坂神社は広い伽藍配置が印象に残ったくらいの社で、家人の意向は美人社へのお参りがメインだったらしい。217_2

讃岐うどんハシゴ以降、明石焼き6個を家族3人で分け合ったのみで夕食まで我慢した効果か、予約の8時までは待てないと、予約変更をお願いした。 平日だということも有ったのだろう快く変更を了承していただいた。まあ、思ったより暇な店なのかなー・・・と一抹の不安が・・・

時間変更しても、まだ1時間半程度の余裕がある。

花見小路を歩く。221_2

電信柱と電線が無く板塀と石畳の通りは、それだけで古都の風情を醸し出している。夕刻ということもあり街灯も点きだしたのだが、これも上からではなく足元の間接照明を意識し効果的である。花見小路メイン通りも良いのだが、一歩脇道を歩くと覗きたくなるような垂涎の店がある。

これだけでも、もう一度訪れてみたいと思わせる町並みである。この時刻は舞妓や芸妓さんがお勤めに出る時間帯なのだろうが、残念ながら行き逢うことが無くて少々物足りなかったが・・・・。

四条通から北へ5、600m歩き、3mほどの川の傍に小さな店が有った。カウンター7席 テーブル4人掛け1席の店である。

店長と和服女性の二人で切り盛りしている店である。カウンター越しに店長の手裁きを見ながらおまかせコースで料理は進む。”小松菜と油揚げの炊いたん”、

223”マグロと平目と湯葉のお造り”224 225

、”"わらびの煮びたし"

"加茂茄子とピーマンの揚げ出し”と続き、お酒は伏見の純米吟醸 “玉乃光”と”桃の滴”を頂いた。京都の野菜の話や茄子の色よく揚げるコツなど、酔いに任せて調理中の店長に、気楽にお相手いただいた。226227

筍と牛肉の煮物に続き、”冷やしトマト”の爽やかな甘味で口直しして、

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豚の角煮の濃厚な味を堪能した。これには”桃の滴”の辛口が良く会った。

230

この後”鰯の竜田揚げ”がてんこ盛りの葱と一緒に出され、

231最後に”焼きおにぎりと京漬物”で〆である。と思ったら、232

飲み足りない顔をした私の前に差し出されたのが”海鼠腸”で、玉乃光をもう1杯。 

家人にはもう一品”和風オムレツ”のサービスを頂いた。233

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プリウス3600kmの旅

2012-05-28 09:00:36 | 旅行記

我がプリウスは車歴5代目の車である。

初代13年中古のポンコツカローラ、2代目マツダの黄色いファミリア、3代目マツダの白のカペラ、4台マツダのRVプロシードマービと続き、5代目が2008年に手に入れたプリウスである。 プロシードマービが14万kmを超えた辺りでトランスミッションの致命的故障により廃車となって以来の15万km突破の車である。  この記録更新の旅が今般、東京~鹿児島の往復行程であった。

5月17日深夜0:06 ガソリン満タンで千住新橋ICを出発 (147,448km)。 首都高から東名へ順調に乗り入れ、御殿場JCTから開通真新しい新東名を走行、聞きしに勝る快適な道路に仕上がっている。

継ぎ目のゴトゴト感がほとんど感じられないし、ゆったり目の路肩幅のお陰で全体的に広く感じられて、閉塞感が無い。 加えてとんねるを多用しているからかカーブが少ないしRも緩やかになっている。 そして、トンネル照明にも工夫があるらしく、走行前方向へ指向性を持たせることでドライバーへ光の反射などを緩和している効果は特筆ものである。SAでの駐車帯も隣の視線を気にせず留まれるような斜め駐車となっており、仮眠休憩もストレスを緩和している。早速掛川SAにて仮眠休憩に利用した。 ゆっくりしすぎて、夜が白々明け始めて慌てて掛川SAを出発したのが 4:28であった。

三ケ日JCTで東名へ戻り、豊田JCTから伊勢湾岸へ。  此処では刈谷ハイウェイオアシスの海老せんべいが、我が家の目玉となっている。生憎営業時間外のため、購入は帰路として早々に出発した。伊勢湾岸から新東名へ、甲賀忍者の里を通過、名神高速の集中工事渋滞情報で京滋バイパス迂回が奏功して難なく大阪、宝塚を通過して山陽道へ乗り入れた。 チョット早いが吉備SAで20Lのガソリン補給を行った。 次の休憩ポイント宮島SAは厳島神社を望むレイアウトで鳥居まで設えられていた。ここで持参の弁当で昼食とした。帰路での立ち寄り観光費用捻出の為に、往路はひたすら倹約ドライブに専念する。 宮島SA出発は13時丁度である。001

オートドライブのお陰で快調に”しまなみ街道”分岐、中国道合流を果たし、本州最後の壇ノ浦SAで関門海峡を望む。006

この後、関門橋を通過し14:53 いよいよ九州道である。

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燃料メーターが一目盛となり、給油ステーションが中々出てこない。残り100km程度の走行は可能だと判っていても、何だか気持ちの悪いものである。広川SAで42Lの補給を果たし”ホッ”

九州道の前半は筑紫平野、熊本平野と途中、八女峠があるものの大方平野続きである。時は麦秋、黄金色の麦畑のパッチワークが目を楽しませてくれた。  熊本を過ぎ県境の人吉辺りに来ると一変して、深い森と渓谷とトンネルの連続である。平家の落人や西郷軍の敗走の辛苦を、ついイメージしたものである。  球磨川、川内川の上流域を過ぎて、一部宮崎県を通過して、溝辺鹿児島空港から飛び立つ飛行機を確認すると、程なく目的地周辺の加治木ICである。

到着時刻19:OO 到着走行メータ 148,806km ガソリン 3/2を残しての到着となった。 1,360kmを19時間で走破したことになる。

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休日出勤日の通勤途上

2012-05-14 22:23:38 | インポート

爽やかな晴天である。

荒川河川敷を薫風の中、爽快に自転車走行

途上、晴天に話題のスカイツリーと周りのビル群が浮き立ち、川面も初夏の煌きに輝いている。西方へ目を転ずると川面を前景に富士山も姿を見せていた。

皆様に景観をご披露しよう。

013_2 014

私事ではあるが、自転車通勤とタニタ食堂もどきレシピのお陰で、2月~5月上旬の約3ヶ月で体重6kgの減量に成功した。

厚生省だか保険組合だかの国民健康施策の奨励で受験した“メタボ検診”の警告が契機である。

2月の検診当時体重69.7kg 腹囲96cm 身長169cmから、5月13日現在 体重63.4kg 腹囲87cm 身長169cm の成果を達成した。

当初目標は体重65kgであったが、以外に軽く目標クリアしたため、適正体重62kgへ目標設定を上げているところである。

確かに体が軽く感じられるのである。このまま行けば自転車走行だけでなく、走っても膝の痛みに悩まされずに済むのかも知れないし、更なるシェイプアップを得ることが出来るかもしれないと密かに目論んでいる62歳なのである。

メタボ脱出が保険診療経費節減に繋がり、国家財政としての福祉予算軽減に繋がるならば、メタボ検診施策の狙いどおりではないか!まあ、自らの良好な体調と健康が充実した日々に繋がり、残り少ない生を満喫出来たら願っても無いことではあることだけど。

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今年は農作業も縮小かなー と、思っていたのだが・・・

2012-05-09 23:01:58 | ブログ

僕のアウトドアフィールドは、周辺に赤城山、武尊山をはじめ名だたる北関東の山々が聳え、越えると雪国である谷川連峰が最奥に構えた地形の中にある。この山々を縫って流れる関東の一方の水源である利根川の起源の地域でもある。

実に変化に富んだ地形と気候風土を持ち、何より首都圏から小一時間で飛び込める、僕にとって絶好のロケーションである。

なのに、なのに、!!!

あの、3.11原発により、関東エリアで最も放射能まみれにされた地域となってしまった。素人農作業で収穫した無農薬の作物を、嬉々として知人に配りまわった一昨年までであったのだが・・・・

昨年のアレ以来、人様には提供を憚られる状況なのである。

若年層や今後子孫を残すべき人材の皆無な拙宅にのみに限定消費用としてしか生産は許されないのである。 素人農作業を始めて5年間、毎年欠かさず大量の堆肥を投入し、石ころを取り除き、耕し少しずつ増やしてきた色々な農産物だった。

椎茸も付いたし、桜も咲いた001 003

このような状況にも関わらず、目の前の耕地を見過ごすことが出来なくて、玉葱、長ネギ、大蒜、トマト、茄子、ピーマンの植え付けが完了した。

里芋も植えたいなーと、種芋まで準備した。

素人百姓でこれほどの、歯噛み、歯軋りの思いなのである。

本物の百姓の悔しさは・・・・

ジャガイモ、人参、大根、サツマイモ、茄子、ピーマン、獅子唐、里芋、玉葱、大蒜、長ネギ、枝豆、隠元豆、そしてトマト。毎年、大豊作とは言えないまでも、そこそこに美味しい作物を収穫してきたものだ。

なのに、なのに!!!  何度も口をついて出てくるのは、愚痴にしかならないのかー!! 数年前に、「先を見切った年寄りが被爆覚悟で汚染地域に舞い戻っている」とのチェルノブイリ報道を見たことがある。 これと全く同様の状況に我々は置かれてしまったのだと、今更ながら実感するのである。

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