行ってきました、約3か月ぶりの「BALLADE」神戸国際会館こくさいホールのライブです。
会場には映画のフライヤーが!もっとも、これは先に行かれたジュリ友さんが、私の分まで確保して下さいました。帰りにはもう無かったです。
ちょうど2年ぶりの、神戸国際会館。
今まで棒のようにステージの左側で立っているだけだった情熱の赤い旗は、ライブの後半には、控えめにステージ上でたなびいていました。(画像はたなびいていない、赤い旗。)
二年前の2019年の秋のライブ以降、コロナ禍で神戸の最大の繁華街の三宮に来ることも、すっかり無くなってしまいました。ほんとに久しぶりの国際会館です。
5月6月のライブ以来のJ友さんと、久しぶりに何人ものかたとご挨拶しました。
ロビーでは、ジュリーのDVDも発売中!
よく見たら、左上にDAICHIKUと書いてある! 今はお店は無くなった?かもしれないけど、神戸の昔からの老舗のレコード店でした。懐かしいな~
今日の席は、二階の左端の壁面、4席しかない他の席とは孤立したバルコニー席です。ジュリーからは遠くて上に高いけど、前が広々して自由に荷物が置けました。何とか肉眼でジュリーのお顔も確認できました。他の席は、一席分は空けた、半分の客入れです。
ジュリ~~~♪とは声に出せない(-_-;)
なんでしょうね、ジュリーが登場したら、あ、ジーサン動いてる。歩いてる、水を長い事飲み干してる・・ なんて、当たり前のことなのに、それだけでもう感動します✨
ジュリーが歌い出す「30th Anniversary Club Soda」、もう全く今回のセットリストなんぞ失念している自分に気がつきました。覚えていないもんですわね。ついでに、ライブ後にJ友さんから、ジュリーに髭は有りましたか?の質問に、あったかどうか?? あやふやな自分がいて、何を見ているのか いやんなります。(-_-;) もちろん、お髭はありました!
ちょっと歌い出しの声がガラついているのは、いつものことで、だんだん声は伸びやかに、艶やかになっていきました。が、「時の過ぎゆくままに」のような何回歌ったかわからないような、大メジャー曲で歌詞につまるジュリーさま、どうしたのかな 頑張れ~!
最初のMC、スマホに変えたそうです!(MCは聞き間違いは多々あり、決して正確では有りません)
『台風や緊急事態宣言の中を来て頂いて、有難う。神戸は50%の客入れです。こういうコロナの状況は、あと2年は続くらしい、あと2年・・は2023年、75歳になっている。僕だけの話じゃない、歳を取るのは皆さんも。こんな状況で、家族からやめときなさいと言われた人もあるでしょう。台風はたいした被害は無かったけれど、17日の福岡は、ライブが終わった時点で交通機関がないので、延期になりました。順延の日はまだ決まっていない、11月の東京フォーラムよりも後になります。スマホに変えたら、真っ黒になって中のデータが全て消えた。ウエザーニュースばかり見ています。
コンサートは自治体もやめときなさい、とは言わない。京都、奈良は100%でやります。私も73歳、芸能生活54年。ソロは「君をのせて」で50周年、いつになったら100%で出来るか。バラードだけでやるのも、あれもこれもいいもんですよ。ギターは柴山和彦さんです。』
ライブではこちらも最初の方には緊張感とか、さて 今日はどうなんだろう?という、物差しで測るような気持ちも無くはない・・けれど、「君をのせて」のジュリーの艶やかな声を聴いていたら、そんな懐疑的な気持ちは飛んで行っちゃって、もう心はジュリーさま、あなたにただ真っすぐよ♪
今回のライブで、すごく好きになった曲が「あの日は雨」。2001年のTV復帰の時に出した、東芝EM時代の最後の曲、だったかな?随分派手に、あっちもこっちもTV出演して露出した割には、出す新曲が地味で物足りなく、随分 内省的な曲だわ・・・と感じて、その曲の中にある物語にまで、当時は気持ちが及ばなかった。あれから20年たって、静かに着席したままで聴いたら、素直に歌詞が自分の中に入ってきました。窓ガラスに流れる雨の筋が見えるような気がする、美しく哀切な曲だと思える自分に、ようやくなれましたわ。
「コバルトの季節」の中でで、ジュリーは上着を脱ぎ、お次は力強い「根腐れPolitician」。これもBALLADEなのね。聴きながら今の日本の政治がどうなるのかなと思い、今ほどこれがピッタリな状況も無いのでは。根腐れの事態を解明してくれる、根腐れしない、クリーンな、国民に嘘を言わない、真摯な説明が出来る人を求めます。
次の「三年想いよ」では、カズさんのギターの音が1本だけというのが、これほど似合う曲はないと思いました。ギターの音が、空気を裂くような強い力があって、一本 芯が通った強さを感じました。カズさんはライブで、いつも大きな重圧の中で弾いていると思うけれど、他の音色は何もいらない、カズさんのギターさえあればいい、一番そう思える曲です。
そして次の阿久悠さんの作詞、往年の洋画を見ているような「雨だれの挽歌」へ。内容も趣旨も全然違う、水と油と思える曲が2つ並んだというのに、全く違和感を感じない、この辺りの変化に富みながら、実にドラマチックに無理なくもってゆく、この辺の流れが今回のライブで一番好き!
そしてBALLADEで一番の問題作「TOKIO」。何度聴いても、このイントロは今から何が始まるのかわからない?始まってもTOKIOをジュリーが歌っているように聞こえない、違う別の曲に聴こえるの。でもやっぱりTOKIOやった(;'∀')
トーキーオー!と以前はファンは嬉しそうに指をさした、けど 今回はジュリーが苦し気に呻くように歌う姿を見ていると、指差す気にはならないの。オリンピックは終わりました、TOKIOは空を飛べないまま、コロナ禍の下で、苦し気に捕らわれ抑圧されたままなんだわ、このままずっと。
ステージ上に映る照明が、2階からだとよ~く見えます。ジュリーの周りを取り囲む、丸いトゲトゲの輪っかは、まるでジュリーを捕えて縛ろうとするようにも、その輪っかの中から一歩も踏み出してはならないという呪縛のようにも見えました。(魔界転生のソロモンの輪みたいや~、とちょっとだけ思った(^^;)
ジュリーは歌うというよりも、まさに吼えていました。何に向かって吼えているのか。。
続く・・