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田辺靖雄さん

2018年01月31日 | JULIE

J友さんから情報です、有難うございます。

スポーツニッポンで明日2月1日~1ヶ月間、岸部一徳(我が道) 連載始まるそうです。


「ゆっこらんどぶろぐ」さんで、日本歌手協会会長の田辺靖雄さんが講演会で、ジュリーのフォーラムを観た感想を話されたそうです。

「年を重ねて、ずいぶんと変わってしまった彼ですが、そのことを全面にだしていらして、ありのままでいいんですよ。髪の毛染めたり、皺を伸ばしたり、そんなことしなくても、ありのままでいればいいんですよ。」

田辺靖雄さんは今は歌手協会会長!そんな協会があるなんて知りませんでした。田辺さんといえば「ヘイ ポーラ」「けんかでデイト」ですが、曲がヒットしたころはさすがに私は幼過ぎて記憶は朧です。最近は噂は聴いていなかったので懐かしいです。

田辺さんはジュリーと同じナベプロでした。奥様はコメットさん、私は九重佑三子さんの世代です(^^ゞ

今日の「徹子の部屋」のゲストで、田辺さんと梓みちよさんが一緒に出たそうです。なんで、奥様とじゃないの?と思っていたら、梓みちよさんと二人で「ヘイ ポーラ」を歌っていたんだそうで、さすがに55年前となると、私もよく知りませんでした(^^ゞ


今日の3年ぶりという皆既月食を見ましたが、とても寒くて 早々に家の中に退散しました。昔々、母と二人で真っ暗闇の田舎で、夜空を見上げて月食を見たっけな、と懐かしく思い出しました。

 

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Love Me, Please Love Me

2018年01月30日 | JULIE メモリーズ

私が日参しているハルト様の「レトロメディア・囃ハルト商店」で、ジュリーの1974年のお正月の大阪フェスのチケットと、翌75年のお正月のチケットの画像がアップされています。→「親切だったファンの人たち」

私が始めて行ったジュリーのコンサートは、1974年のジュリーのロックンツアーの第一回目、全国縦断コンサートでした。全国縦断とか、ツアーとか、こういうコンサートの形をとったのはジュリーが始めてだときいたことがあります。75年の大阪フェスのお正月ライブは、受験のために悩んだけど行きませんでした。後になって行けば良かった・・とたいへん後悔しましたが、ハルト様が、お正月はバラードが多かったと書いておられたので、43年後にもなって またまた悔しい!ミッシェルポルナレフの「 Love Me, Please Love Me」(愛の休日)ジュリーの声で聴きたかったわ~

1974年のツアーは、始めて行ったコンサートだったのでジュリーの衣裳までもよく覚えています。白い衣装と、赤いインディアンルックでした。以前も貼った画像です。

左は井上バンドのサリー、サリーもナマ足ですね、この頃は、盛り上がるほどにジュリーが上に着ている服をどんどんぬぎすてていく。最後は上半身裸の半裸がお約束でした。いつ頃から ジュリーはライブの最後は脱がなくなったのかしらね? 

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晩秋を 歌うジュリーの 上機嫌

2018年01月29日 | 新聞・雑誌 記事

J友さんから情報です、有難うございます。(^-^)

中村区の中村さんが、50周年記念LIVEの事を書かれています。⇒◆沢田研二論 祝!50周年記念LIVE完走!


BS12 2/3 「ザ・カセットテープ・ミュージック 沢田研二特集♪」午前2時~2時半

マキタスポーツとスージー鈴木が大好きな沢田研二を特集!カセットのA面・B面に入れたいベスト曲をスージー鈴木がセレクト。
「TOKIO」の華麗なメロディーで幕明けた1980年代。
佐野元春、大沢誉志幸、「沢田研二」という舞台で若き才能が次々に花開いていった。ジュリーを「いちばん好きな歌手」と宣言するスージー鈴木が、80年代黄金時代から渾身の選曲をお届けします。【出演】マキタスポーツ、スージー鈴木、橘ゆりか

※今回のライブで歌った80年代の曲は、「TOKIO」「ストリッパー」「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」「アリフライラウィライラ」「CHANCE」「灰とダイヤモンド」「ポラロイドガール」「麗人」「きわどい季節」「おまえにチェックイン」「晴れのちブルーボーイ」「Stepin Stons」・・。11曲も! 80年代の曲は全50曲中では それなりの割合をしめています。

ジュリーはどちらかと言えば70年代の曲が取り上げられますが、80年代のジュリーの曲も名曲揃いです。スージーさんたちはどんな曲を選ばれるのか、楽しみです(^-^)


今日の神戸新聞朝刊、文芸欄俳句選

去年の10月、三田(さんだ)市での コンサートの模様を詠んだ俳句のようです。1000席にも満たないホールでしたが、ジュリーと会場の一体感が凄くあって、ほんとに楽しかった盛り上がったコンサートでした。あの大きな晴れやかな高揚感、幸福感、忘れません(^-^) 俳句を詠んだ方も 楽しまれたからこそ投稿されたんでしょうね。

ところで、一番右端の「榾の宿」って???「榾・ほだ」だそうです。他にも難読漢字が目立って、俳句って難しい漢字を知ってないと 読めもしないのね(-_-;) 


昨日最終回を迎えたBSプレミアムの「平成細雪」思わぬ展開になって、あんまり後味はよくなかったです。変人ばっかり出てくるわ(-_-;) おでん屋の親父役で、大悪名に出ていた俳優の 蟷螂襲さんが出ていました。この頃、ジュリーと共演した俳優さんをよくお見かけするので 嬉しいです。皆さんご活躍ですね!

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⑤50周年記念LIVE・大千秋楽 

2018年01月29日 | ライブ・公演・舞台

後回しになってしまいました。

泰輝さんのブログにお別れの言葉がありました。⇒泰輝にっき1994年に初めて参加させていただいた沢田研二さんのコンサーツアー、本日をもって卒業させていただきます。 ご本人はもちろん、メンバーの皆様、スタッフの方々、そしてたくさんのお客様、 本当に本当に、 ありがとうございました‼️‼️‼️

GRACEさんのインスタに、3人のお姿が・・

ケイちゃんが千秋楽に来られていたそうです。⇒沢田さんの千秋楽 ケイちゃんて、意外にも去年が還暦・・・私と学年は違うけれど同い年だったんですね。もっと年下かと思っていました。


始まる前にロビーで、ハローパンダさんやWじゅりこさん、サキさん達の作品がお披露目されていました。写メしようと黒山の人だかりができて、なかなか作品に近寄れませんでした。皆さん、目を輝かせて夢中で沢山のジュリーに写メをされていました。

とても細やかで繊細なビーズのついた衣装や、写真?と見まがうような額装。

もっと近くでゆっくり見たかったけれど、それでも とっても素晴らしい作品の数々でした。どれもがジュリーへの愛が感じられる作品ばかり・・ 鮮明に写せなくて残念。

ズラリと並んだケンちゃんたちが愛らしい、お顔も微妙に違い その存在を強くアピールしていました。バックメンバーのお人形が それぞれの特徴をとらえていて、ソックリでした(^-^)

  

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④50周年記念LIVE 大千秋楽

2018年01月28日 | ライブ・公演・舞台

ゆっくりと、言葉をかみしめるように、ひとつひとつ 言葉を選びながら 話すジュリーでした。 


続きMC: 

そして間もなく還暦を迎えるという時になって、ソーゴーというイベンターが京セラ東京ドームでやりたいと言ったら逃げました。(笑) もうタイガースの頃から大阪総合の頃から ずっとずっと一緒にやってきた人たちは すでに鬼籍に入られて若い人たちがやっていました。時代の流れ、僕にその力が無いと判断されたのは悔しいけれど 致しかたない事でした。捨てる神あれば拾う神あり、ディスクガレージというところが一緒にやりましょうと言ってくれました。 

還暦は60曲やろうと思っていたんですが、泉谷しげるがオールナイトで先に60曲うたいやがって、還暦に・・同じことできないじゃないか、よーし880曲だ。88曲やったら撤収が次の日まで伸びてしまう。大変なので、15時スタート、8時半9時頃に終われるように、80曲を歌い切ったのでございます。勝負でした。80曲もの局数を1日で歌ったことは無かったので、リハーサルで唯一 一度だけ80曲を歌いました。もうしばらく 何もしたくないわ。 

それはもう、勝負でした。80曲まで多い曲数を歌ったことは一度も無かったのです。唯一、一度だけ80曲をうたいました。もうしばらく何もしたくありませんでした。それくらいハードでした。でもお客様が誰もいない所でやっているわけですから、お客様が入ったら、きっときっと暖かい拍手をいただけるんだと 確信を持って京セラドームの舞台に上がったわけです。

そのときは、後あと東京ドームがあるので、大阪ドームはセーブしようね、といって舞台に上がったわけです。でも できからいうと、力が抜けていた大阪の方が僕は声がスムーズに出ていました。やはりTVも収録している東京ドーム、ここで頑張らずしてどうするんだ、やはり力みました。それでもなんだかんだありましたが、そこで万雷の拍手というものを そこで僕は初めて受けたのです。

そしてその時から もう9年がたったわけです。そして今69歳。69歳になるまで誰があの「若さと美貌のジュリー」が歌っていようとは、誰も想像だにしなかったのであります。(笑)自分自身も 想像したことはありません。できるわけがないと思っておりました。還暦で東京ドームで歌ったら、もう悠々自適 自分で好きな事をやろうと思っていたのでありますが、また少し世間でいうところに「人気」というものが出ちゃいまして、9年間が経ち そして70歳の節目の年を迎えたわけです。

70まで生きるなんて 思いもしませんでした。そして そんな70まで生きたら、惨めったらしいだろうと思っていました。何のこれしき! 拍手(笑) 70でも声出るじゃん!やったるじゃん!こうしてこの日まで暖かいご声援をいただきましたこと、それにつきると思います。これまで、1回売れ2回売れ3回売れ4・5・6 いやちょっとオーバーにいって大変申し訳ない そういう錯覚がおこるくらいでございます。

本日この時間元気で、会場いっぱいのお客様の前でこうして歌えることは、今日この日まで 皆皆様の熱い熱いご声援のお蔭と心より感謝を申し上げます。本当に今日の今日まで 暖かいご声援を有難うございました。有難うございました。大変申し訳ございません、今回から8000円に値上げさせてもらいました。細かく言うと私のキャリアからいうと格安だと思います。皆様から1万円ぼったくろうという気は毛頭ございません。しかし8000円に値上げさせていただき、これはご祝儀だという事で、皆さまご祝儀を有難うございます。ご祝儀、誠に有難うございました。

来年は古稀でございまして、50周年もおめでとうございます。70歳はもっと僕にとって目出度いのです。そして70歳古稀の祝いのステージはもっと派手にやろうと思っています。(拍手)その古稀のステージは もうすでに整いました。発表をいたします(大拍手)

(書いた紙を持ってきて)2018~2019年古稀ライブ、スタートは

7月6日(金)日本武道館
7月12日(木)大阪城ホール
9月19日(水)福岡国際センター
9月26日(水)真駒内セキスイハイムアイスアリーナ 
10月6日(土)横浜アリーナ 
10月17日(水)さいたまスーパーアリーナ 
11月3日(土)ゼビオアリーナ仙台
11月16日(金)広島サンプラザ
1月16日(水)大阪城ホール
1月19日(土)~21日(月)日本武道館

全国64公演を決定しております。入場料は据え置き。(何か叫んでいるがわからず・・)この歳で日本武道館3連チャンだぞ!やっちゃうんだぞ!それまでに体大事にしないとのお!(大声援)そういうことで皆さん、ご期待をお願い致します。

そして今回、今日のステージを持ちまして、今一緒に演奏をしているメンバーとは お別れでございます。(ええー!)今日のこの日が最終ステージとなるわけです。えー、これまで数々のステージをともに踏んでくれました。先ほどの京セラドームも東京ドームも一緒にやってくれたメンバー、それ以前からもやってくれたメンバー、いっぱい感謝の気持ちを表したいと思います。

そして僕の為に作ってくれた曲は僕の宝物です。小出しにして歌い続けていこうと思っています。そしてグレースが書いてくれた詞は僕の宝物です。これからも いっぱいいっぱい 歌わせていただきたいと思っております。そして改めてメンバーを紹介させていただきます。(依知川さん、グレースさん、大山さん、カズさん)メンバーに大きな拍手をお願いします。(拍手)それでは50曲目です。「いくつかの場面」

(さらにメンバー紹介後に)ジジーでした!それでは記念撮影をしたいと思います。皆さんも 写りますよ~(脚立にのったカメラマンが、何回かシャッターを切りました)

最終ステージもなんとか乗り切りました。それでは関東一本締めで〆させていただきたいと思います。御唱和願います、よ~い パンッ 有難うございました 有難うございました・・・

 


舞台を去るジュリーに、ジュリ~♪と思いっきり黄色い声で叫びました。

終了後、ホールを出て 溶けない雪が残った渋谷周辺はとても寒さが厳しかったのですが、気持は興奮で熱気冷めやらずでした。バックメンバーとのお別れは寂しい・・でも、新たに始まるジュリーの古稀のステージに期待が高まりました。

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③50周年記念LIVE 大千秋楽

2018年01月27日 | JULIE

MC お待たせしました、大千秋楽でございます!50年大変長ごうございました。お互いに変わってしまいましたね。こうして いっぱいの皆様の前で歌えるのは幸せです。有難うございます、有難うございます・・


時はあまりにも早くすぎゆく 今のLOVELOVELOVEで24曲おわりました。50曲全部うたうと・・  今頃来たの(観客、え?)何があったんだ 事故があったのか、滑ったのか、転んだか・・。(※最前列に後から来た人あり、手を合わせて謝っていました、雪で遅れたのかもしれないね)
只今の協議についてご説明いたします。ずーっと始まってから一番前のど真ん中 空いておりました。(ええ~!)ずーっと気になっておりました、ただ今到着されました!(拍手・・)
50曲ずっとやると帰りまテンになりますので・・何かご不満でも?あなたはご不満ですか?では25曲目を・・・

 (渚でシャララの映像に)笑っていただけましたでしょうか? 

僕のマリーでデビューしていらい50年が過ぎました。しかし順風満帆できたわけではありません。60年代はタイガースで、文字どうり日本一のグループになりました。そのボーカルでジュリーとわたしが命名したわけでございます。芸名を付けろと言われた際も沢田研二がいいと、言い張ったわけでございます。昔から意地っ張りな性格で今も変わっておりません。

70年代はバリバリに大活躍していたのでございます。その時の私には若さと美貌・・(笑)拍手 ただ今不適切な発言がございました(笑) 自画自賛、手前みそでございます。しかし私が言ったわけではございません、世間がそう言ったわけでございます。拍手・・女性でもないのに美貌という表現は「はっ?(バカにしたように)何を考えているんだ、大人たちは」そう思っていたわけでございます。

70年代は大活躍でございました、そして80年代に突入したと同時にパラシュートを出しました。そして あの手この手で大活躍をしたのです。同時にタノキントリオが出てくる時代であったと思います。ギンギンギラギラ一等賞は私が言った言葉でございます

あの頃はザ・ベストテンという番組があって、来週は上がるの?下がるの?とスタッフに聞くわけで、それはもちろん秘密事項です。しかし私の聞き方がスタッフの聞き方が上手かったのでございます。上がるか下がるかだけ聴いて「沢田さん、来週は?一位かもしれませんね」
事情を知っている私は、「いや無理だと思います。」(笑)すでに下がるという情報が入っているのでございます。

今はもう時効で、まして私が大活躍した70年代じゃない時、勝手にしやがれを出した後、憎みきれないろくでなしを出している頃に、企画書に「憎みきれない・・」一位という企画書を見せられた記憶があります。ひとつのピークを過ぎた時に登場した番組です。数々の歌手が多くの記録を出しましたが、私はいつもタマに一位になるくらい。一位になった時こそ ちゃんと出演するよといったのに、田園コロシアムでコンサート中、只今こちらに駆け付け中ですといったまま、出演できず。

昔から問題児だったのかもしれません。そして90年代に入りましすと 青息吐息・・桃色吐息ではありません、咲かせ~て 咲かせ~て・・♪(笑) ももいろ といき・・はあ~(笑) その頃の私は もう美貌もなく若さというものも見放され、中年にさしかかっていました。

その当時、どんなに早く年をとりたいと思ったことか!・・早く年をとれば、あ、あのジュリーが 爺さまになった。と思って ため息をついてくれるんじゃないか、そこで たまさか元気はつらつ ジャンプしながらシャウトしながら歌ったら、皆が喜ぶんじゃないかと、いやいやながらも 早くジジーになりたいと思ったのと同時に、どんどんCDの売り上げが落ちてゆく・・(笑)

売れなくなってくるとから大変です、60年代後半からグループとして活躍し、PYGを経て活躍し、そして歌謡大賞を受賞し レコード大賞を受賞し、沢田研二もういいだろう、というのが世間の見かただろうとのはわかっておりました。

しかし その時点で私がツブシがきくとお思いでしょうか?この私にできる事があるんでしょうか?演技、まあ ソコソコ(笑) 僕なりに一生懸命やりました、どれもこれも大好きでした。でもその中でも 歌う事が一番大好きでした。拍手 今回50周年を迎えて、去年 音楽劇最後という事で大悪名をやらせていただきました。それをもって終了させていただきました。

僕は思いました、これから先 どういう風に沢田研二は生きていきたいのだ?歌う事はどこでだって できるでしょう。僕にはすごい苦い経験があるのです。まだまだ人気があったころ、CDの売り上げはさがっておりましたが、そういう時期に色んなメンバー、スタッフの意見を聞いて地方に行ってお客さんが満員にならない、もうちょっと小さい所でやろうじゃないか。という事になって、そうかな?と思いながらもそうやって小さい所でやったら、とあるスポーツ紙が落ち目と書いたのです。そう思う人は思えばいいと思いましたが、やっぱりそういう風に思う人がいるんだ、そういう日の失敗 教訓をいつか、いかせる日がくると思いました。

歌い続ける事、それは簡単に出来ることですが 僕はただただ ひそやかに歌うのではなく、せめて1200人ぐらい入る会場で 会場いっぱいのお客様の前で歌いたい。400、600 1000以内の会場で歌ったら また僕は落ち目と言われるかもしれないという おそれが有りました。そんなこともすでに言われなくなっていたのかもしれませんが、僕は意地を通します。

地方へ行ってお客さんが一杯にならない頃、いつか地方でお客さんが一杯になるようになりたい!その一心で僕は一生懸命頑張ってきたわけです。その一生懸命というのは、やみ雲でした、どう一生懸命やったらいいのかわからず、そのひとつが 地方は地方、都会は都会という訳隔てをしないで どこでもヒット曲をたくさんやらない。という事を僕は編み出したんです。

歌う曲は4~5曲、あの曲は歌わなかった。あれも歌わなかったと思われるかもしれません、今度来た時は歌うかもしれない・・よくよく見てたら 同じ曲を歌う訳じゃないのねと、さってくれることを僕は期待したのでございます。何も策を弄したわけではございません。ただただ 一生懸命なやり方としてそれを選んだわけです。そういう事を初めて まだまだ会場はいっぱいになりません。6年たち7年 8年、もうちょっとだ 10年ぐらいたった時、どの地方へ行ってもお客さんは いっぱいになるようになったのです。何をしてそうなったのか 僕にはわかりません。

僕は一生懸命歌いました、ベテランがベテランらしく 色々かまして歌っていることは僕は許せませんでした。ベテランでも 何であっても一生懸命歌う以外に何の方法があるんだと思って、やみ雲にやってきたわけです。

続く・・


ジュリーさまの美貌は、小学・中学・高校、お姉さま方、全ての若い女子供の憧れでした。ナベプロや大人たちは、タイガースの対象は高校生くらいのハイティーンで、小中学生のローティーンにまで受けると予想はしていなかったようです。低年齢層にまで受けたので、人気がいっそう爆発的な事になったといえます。

女たちはジュリーの美しさに、自分勝手な夢を見て 自分勝手な物語を作り上げました・・・ところが王子様は色々あって若くなくなり歳をとった。コンサートに人が減っていきました。TVから姿を消した90年代、TV復帰の2001年、でもTV復帰も1年だけでした。

その潮目がハッキリ変わったのは、何といっても還暦コンサートからです。席が埋まるのかと本当に心配だった 無謀とも思えたドームコンサート。それから急にチケットが取りにくくなりました。びっくしたけど、その観客の熱い熱気がとても嬉しかったです(^-^) いまや還暦コンサートを知らないファンも増えました。

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②50周年記念LIVE・NHKホール 大千秋楽(1月26日)

2018年01月27日 | ライブ・公演・舞台

昨日、お会いした皆さま 大変お世話になりました。本当に有難うございます。 メルさん、お逢いできなくて残念でしたが、確かに受け取らせていただきました。お心遣いを有難うございますm(__)m  


私の2階ずーーっと後方からのレポよりも、25日に1列の神席でご覧になった某マダムの御感想がとても素敵で 先にアップさせていただきます。⇒最前列で勘違い❤️光線  

目の前でジュリーの歌を聴いた、そして観た感想を申しますと
完全に「人間離れ」している…あまりのパフォーマンスのレベルの高さと凄さに呆然としました。何て言うひとなんだろう!…違った意味で人間離れしていた美しい時代のジュリーを この目で観たことはありませんが、長い歌手人生の全てを享受して辿り着いた今のジュリーは 神がかっていますね。特に「サムライ」の圧倒的なカッコ良さは鳥肌ものでした。

表面的な美醜とか加齢とかを云々することなんて、今のジュリーには全く意味のない事なんだと思いました。但し…汗で上気した肌がツヤツヤでキレイと初めて知りました(笑)



昨日の26日、二階席の後方センターで見たジュリーは、双眼鏡でやっと顔の表情が見える程度の遠さでした。眩しいライトに照らされて、自らが発光しているようでした。先日の大阪から、さらに痩せたように見えるその姿は、人生の全てを歌う事に賭けてきたという覚悟が見えるようで、とてもカッコ良かったです。

若い人と張り合おうなんて思わないけど、若い人にあのジュリーの見せる独特の味わいは一朝一夕に出せるもんではないでしょ?聴けば、J系の方が見に来られていたらしいですが、若さを超えてきたからこそのパフォーマンスを感じて帰られたんでしょうか。ポンタさんも来られていたそうです、小松政男さんも!

画像より、さらに痩せましたね。

遥か遠い双眼鏡の中のジュリーは、初めてTVで見て子供心に衝撃を受けたその日から、50年分の歳をとりました。流れた歳月がその深みを増した表情や、さっぱり短くなった灰色の髪に見えて、感慨が深いです。先の事など何も考えていない小学生だった子供の私は、50年後の今もこうしてジュリーの歌声を聴いていると 想像だにしていませんでした。

かつてジュリーの白い綺麗な顔さえ見ていれば幸せだと思い『声が聴こえなくてもいいわ、顔さえ見られたら』とマジにそう思ったこともありました。ジュリーの心の中の葛藤など、何も感じていなかった無知な私。 50年を経たジュリーの歌声は今の曲も昔のヒット曲も、そんな子供だった私やストレスを抱える今の還暦の私にも、どこまでも沁み込むように優しい。

ジュリ~♪と、思いっきり二階席から叫んだら 楽しくて爽快で、日頃のウサを忘れさせてくれて と~~っても幸せでした  自分がやっと大人になった事をジュリーを通して知り、今更ながら実感して歌声に泣けました。

 

 

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①50周年記念LIVE・大千秋楽(1月26日)

2018年01月27日 | ライブ・公演・舞台

雪の為、新幹線の東京行は80分、帰りの新大阪へも25分程度遅れました。行きも帰りもダダ遅れでしたが、J友さん達とお喋りしながら、メールでJ友さん達と何度もやりとりしながら帰ってきたら、新幹線の乗り時間の長さを感じませんでした。そこにはジュリーがいるから 今日、お会いした皆様、お会いできなかった皆様、最後には泣きながらも やっぱり楽しいライブでした。有難うございました。


ジュリーが発表した古稀のライブ日程(大きな会場のみ )全64か所。

7月6日(金)日本武道館 

7月12日(木)大阪城ホール 

9月19日(水)福岡国際センター 

9月26日(水)真駒内セキスイハイムアイスアリーナ 

10月6日(土)横浜アリーナ 

10月17日(水)さいたまスーパーアリーナ 

11月3日(土)ゼビオアリーナ仙台 

11月16日(金)広島サンプラザ 

1月16日(水)大阪城ホール

1月19日(土)~21日(月)日本武道館 


零時を過ぎて帰ってきて まだ考えもまとまりませんが、オレンジさんが上手く今夜の大千秋楽をまとめて下さったので 先にアップさせていただきます。オレンジさん、どうも有難うございます。m(__)m

終わりました。
昨日の約束通り、古希のコンサートの発表がありました。
7月6日,武道館を皮切りに大阪城ホール、さいたまアリーナ等々全国64公演だそうです。年明けて最後は武道館三連ちゃんとの事です。曲数とかの話はありませんでした。どんな内容になるのか楽しみですね。

最後に、メンバーが変わる事の話がありましたが、ジュリーの話方は全員が変わる様に取れましたが、グレースの作ってくれた曲は大好きです。これからも大切に歌っていきます。小出しにねって言いましたが、他のメンバーの話は出ませんでした。その辺がどう取ったらいいのかわかりません。いづれにしても寂しいですね。涙が止まりませんでした。
最後にみんなで写真撮影をし、関東一本締めで終わりました。
ジュリーが、歌う事に真摯に向き合ってきた事が本当に伝わってきたコンサートだったと思いました。

 


私も色々と気になりました、古稀のライブの内容も、バックメンバーの変わる事についても、具体的な話は出ませんでした。それと気になるのが、毎年出している新曲です。今年はどうなるの?7月までは長いわ〜

とりあえず、寝ます〜

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NHKホール 1月25日

2018年01月26日 | ライブ・公演・舞台

J友さんから教えていただきました。有難うございます(^-^) ⇒沢田研二が1978年の紅白歌合戦でトリを嫌がった理由をFLASHが報じている


NHKの2DAYSで、50周年LIVEも終りを迎えます。私は行っていませんが、25日のライブをご覧になった メルさん、J友さんから 早速ご報告をいただきました!有難うございます

メルさん、『明日、古稀ライブの内容?発表してくれるみたいです。ジュリーはとってもご機嫌さんでした~素晴らしいステージ、そして客席でした。 


J友さんは、なんと3列目だったそうです。ウラヤマ〜

バンドのみんなとは あと二回の報告あり。古稀の舞台は整っていますー で、くわしいことは「また明日!」明日、何かの発表はあるんでしょうね。
ドームで80曲うたった話で、「大阪の京セラドームの方ができはよかったんですよ✌と。証拠はないけど。」(思わず私、あります!この胸に!としゃべらず、胸に手をあてておりました)
至上最高の3列目だったので楽しんできました、チラ見えのお腹。うるうるしている瞳、勘違い光線も!途中でいろいろ顔芸してはるのが楽しかった。。

あーもう二度とないのね、、と思いつつ 歌っておられる限りついていくと約束したのです(👍どや👍)上機嫌で、登場シーンでは ますますしゅっとしてはったジュリーでした!!

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忘れない

2018年01月25日 | JULIE

昨日の1月24日は「タイガースの解散記念日」、タローさんがブログに書かれているそうです。⇒ザ・タイガース解散から47年。 最後の『いつか きっと ・・・』の文字に、タローさんの願いが見えるような


ひょんな事で始めたブログのお蔭で お知り合いになる事ができた方が 何人もいらっしゃいます。その中でも思い出深い、忘れられない出会いのひとつです。

昨日の「もっと追っ掛けますよ」の記事の中に書いてある、亡くなられたJ友さん。そのご家族と、偶然にも高知でご一緒しました。素敵な方々に会わせていただいて感動しました。→2015年『5月31日 高知で満面の笑みと出会う』

折に触れてこうしてお友達の口から語られることで、亡くなられたJ友さんは ずっと忘れられない大事な存在で有り続けられています。元から忘れられないような お人柄の方だったんでしょうね。忘れない、それこそが亡くなられた方への供養です。

私たちは、これからもジュリーの歌声を聴き続け見届けて、今は空の上のその方にジュリーはこうだったよ、と伝えて上げなくては。いや、きっと会場のどこかで一緒に ジュリーの声をお聞きになっていると思います。


「もっと追っ掛けますよ」は神戸新聞の読者の語る人気コーナー「いい耳」に投稿されました。(電話やFAXで読者が話します)もっぱら読むだけの私が、初めて投稿しよ!と思ったのは 神戸新聞に載っていた記事が嬉しすぎたから!(ジュリーに関して、ごくマレに投稿することもあるけど それは朝日新聞へ)

東京の新橋駅前にSLが有ります。そのSLは私の古〜い知人友人です!去年の7月16日、45年ぶりに再会しました。

何のこっちゃ?これが証拠写真です。

 

新橋駅前のSLは、1972年、昭和47年まで姫路を走っていました。播但線、姫新線という、1時間に2〜3本しかないローカル線で、引退するその日まで子供の時から ずっと乗っていました。SLの最後の日、播但線の駅に多くのカメラマンが押し寄せたのを今も忘れません。もっとも、その当時は ふーん これで煙を吐く汽車ともお別れか・・と、熱狂する鉄道ファン達の姿を醒めた眼で見ていた程度の事でした。

去年の2月に、このSLが姫路を走っていたという神戸新聞の記事を読んで どれだけ嬉しかったか まだ生き残っていたんだ! 新橋に行けば懐かしい あの黒い姿にまた逢える!と喜び勇んで、ジュリーの50周年の初日の7月16日にSL広場へ行きました。近くを歩く人たちに、この汽車に昔は乗っていたんですよ!と宣伝したいくらいでした。思わぬ再会が 嬉しくて嬉しくて。。。 これを「いい耳」にFAXしたんですけど、ボツでした〜(笑)

 

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