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希林と裕也「〜トリックスター夫婦による、昭和平成史〜」

2021年09月26日 | TV・ラジオ・CM・映画

裕也さんと希林さんの夫婦像を、昭和平成の時代を通しながら描いた、NHKBSPの番組を見ました。

「〜トリックスター夫婦による、昭和平成史〜」 初回放送日: 2021年9月25日

あの破天荒な夫婦の秘密が 今あかされる!? 
ユニークな存在感を放ってきた個性的な夫婦の歩みをたどる。

▼「悲劇の中にも笑ってしまう瞬間がある。それがお芝居」(希林)。
▼「ロックンロールは革命なんだ」(裕也)。
独自の眼で世の中を見る女と、常に何かに怒れる男―その共通点は、世の中を騒がせる“トリックスター”だ。

▼番組では、1960年代の人気ドラマから70年代の貴重なステージ映像、80年代の面白CMや90年代以降の映画を紹介。
▼更に樹木希林・未発表の手記も公開。昭和から平成にかけての日本を振り返る。

裕也さんと希林さん、二人のターニングポイントに、必ずジュリーの姿が有りました。二人ともにジュリーとは因縁の深い間柄であると、いっそう番組を見て感じました。

ジュリ~♪

想像よりも沢山出てきたジュリーの画像と映像に、ジュリーが直接、NHKからの映像の二次使用についての電話を受けたのかしら?と思いました。ここでは、お二人よりも、ジュリーの画像が中心です。かなり古いボケボケな画像ですけど(^^;

サリーがインタビューに答えていました。穏やかにユッタリと話すサリー。

裕也さんに声をかけられた(下の画像の、ファニーズ以外の人たちは誰なんだろう)

サヨナラ日劇のタイガースとジュリー

そんなに皆が、世の中がジュリ~!って騒ぐ前ですから。別に普通の男の子ですからね。
見つけるプロデュース能力は高かった。 (キャロルも見出した。)

タイガースと別れさせられ、裕也さんは海外へ。そこで新しいロックのムーブメントに出会う。

ワンステップ・フェスティバルのジュリー

和やかに、裕也さんとの想い出を話すサリー。

裕也さんと渋谷でバッタリ会った時、リーサーたまには年賀状出せよ。ロックンローラーが年賀状を大事にしているっていう。(笑)

裕也さんは芦屋生まれで堺で育った、根は関西人なのに、全く関西弁が出ません。おそらく、ロッカーに関西弁は似合わない、という美意識があったのかも。関西色は出したくなかったんでしょうね。その後は都知事選に出馬したり、ジュリーが選挙応援に駆り出されませんようにと、当時はそう思いました(^^; 。

映画に出演し、高い評価を得た裕也さん。私が見たのは「座頭市」で切られる役で、やさぐれた枯れたワルの風情はカッコ良かったです。

番組で語られた裕也さんの辿った軌跡を、意外に私は知っている・・と気がつきました。それもこれも、ジュリーを通して知っているからで、ジュリーの恩人である裕也さんの動向は、やはり気になっていたからです。映画俳優の裕也さんをカッコイイ!と思ったし、何度も警察沙汰になる裕也さんに呆れ果てたりもしました。

2008年のジュリー祭りが開催されたあと、60歳のジュリーと69(ロック)歳の裕也さんの、二人のライブが東京と神戸で開催され、神戸で観ましたが、始まる前は裕也さんて声が出るのかしら?動向は知っていても、肝心の歌声を殆ど知りませんでした。「決めてやる今夜」という、ジュリー作詞作曲の名曲がありましたが、それはずっと昔の事。

ところがライブは始まってみれば、裕也さんの白髪を靡かせた立ち姿と、歌声のカッコイイことといったら!スッカリ見直しました。もっとも、裏側では大変だったらしい?💦 わずか2回のステージ、裕也さん的にはジュリーと全国を回りたかったのかもしれません。私もまた二人一緒の姿を見たかったし、聴きたかったです。69歳の裕也さんは、今のジュリーよりも若い、あの時は老人だと思ったけれど・・。

裕也さんは晩年には、自慢の婿のモックンに、滝田洋二郎監督と言う国際的に評価される監督を見出したという、自慢の種がいっぱいあって、そこはさぞ鼻が高かったことと思いました。

 

希林さんは「7人の孫」の出演で有名になりましたが、親が見ていたので私もまだ幼い子供ながら、一緒に見ていました。全く内容の記憶は有りませんが、いまだに番組名を覚えているのは、エポックメイキングな作品だったからに違いありません。久世さんはまだ、番組のディレクターでした。

そして希林さんといえば、ジュリ~♪

早川さんの衣装を着たジュリーのポスターに、ジュリ~♪と身悶えする希林さん。当時の高校の同級生たちと大いに受けて、放送翌日には口々に面白かったね~!!と、休み時間に感想を言い合うのが常でした(^-^)

いまだに、希林さんを語る時には、必ずこの場面が登場するのはジュリーファンには、嬉し恥ずかし!ですわ。

裕也さんと希林さんは1973年に結婚。ジュリーは立会人になりました。

築地本願寺での結婚式の集合写真は、初めて見ました。当時、ワイドショーや週刊誌で、結婚は大きな話題になりました。

番組では「はね駒」で芸術選奨文部大臣賞を受賞した、希林さんの演技のシーンが放送されました。プロデューサーが、あの時ドラマの主役は、途中で希林さんに交代した、とさえ言われていました。「はね駒」には、もちろんジュリーの松浪先生が出演していて、本当に関係の浅からぬ二人だと感じました。

二人の間には、かつてジュリ~♪という関係があったのだけれど、背景にそれを薄っすら感じたのは初めだけ。二人は先生と、生徒の母親。希林さんは毎日の家族の暮らしを支える平凡な母、でも誠に毅然とした、凛とした、正直にまっとうに生きる、日本の母を演じた希林さんは、明らかに他の役者とは違う存在感を持っていました。

まさに「破天荒」という文字を地でいった二人。

破天荒の正しい意味は「誰も成し得なかったことをすること」が正しい。でも今は「豪快で大胆な様子」と、意味を取り違えている人が多数を占めているとの事。裕也さんと希林さんは、この二つの意味の「破天荒」を体現していると思いました。

ここは、ジュリー中心の画像ばかり貼りました。ご覧になっていないかたは、再放送があれば二人の「破天荒」さを是非、確認してください(^-^)

「〜トリックスター夫婦による、昭和平成史〜」
初回放送日: 2021年9月25日

あの破天荒な夫婦の秘密が 今あかされる!? 
ユニークな存在感を放ってきた個性的な夫婦の歩みをたどる。

▼「悲劇の中にも笑ってしまう瞬間がある。それがお芝居」(希林)。
▼「ロックンロールは革命なんだ」(裕也)。
独自の眼で世の中を見る女と、常に何かに怒れる男―その共通点は、世の中を騒がせる“トリックスター”だ。

▼番組では、1960年代の人気ドラマから70年代の貴重なステージ映像、80年代の面白CMや90年代以降の映画を紹介。
▼更に樹木希林・未発表の手記も公開。昭和から平成にかけての日本を振り返る。

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