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2016年、大晦日

2016年12月31日 | JULIE

2016年も、もうすぐ終わりです。

あと数時間で2017年。

ピアノコンサートは初めての経験でした。眠たくなったらどうしよ~ 

なんて思っていましたが、美しい調べに引き込まれました。

ピアノの旋律でで多くのものを表現できるのだと知りました。大山さんの穏やかで誠実な語り口も良かったです。

会場のビルがある南船場のこの地が、デビュー前のファニーズが

宣材の写真を撮った場所で有るという事も知りました。




7月からお待ちかねのコンサートツアー

Un democratic love

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

ライブは京都、大阪、神戸、名古屋に参加しました。

私にとってのラストはロームシアター京都でしたが、たまたま通りかかった御所の付近で

鴨沂高校が取り壊されているのを目撃、レトロ建築好きとして とても淋しかった・・・

 

11月3日で、コンサートツアーは終了しましたが

来年の50周年、再来年の古稀についての発表がありました。

2017年が楽しみです。

 

11月は、まさかのトランプ勝利に大ショック!!

画像は、1982年の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」の発売の前に

ラジオ番組で当たった販促物。トランプと、左はモ~っと鳴く缶

 

関東では春に行われた「昭和のスターとアイドル展」がやっと大阪で

見られることになりました。

 

            

 

12月は、嵐で京セラドーム、三宮チキンジョージでBARAKA・依知川さんのライブ、

メリケンパークオリエンタルで小堺ダンススクールダンスフェアの

まさかの3連チャンでの参加という、強行軍

でも、楽しいことは疲れないのよ(^-^)


 

    

 

 

 

 

 

 

 

      

 

ジュリー様に関しては比較的に穏やかだったと思える2016年でした。


オリンピックではメダル獲得に大いに盛りあがり、寝不足になりました。

しかし何度も起きる大きな災害に、世界ではやまないテロや移民問題、EU離脱もあったね。

トランプ勝利には大きなショックを受けました。

2017年は どうか平和な世界でありますように。

 


「比叡山フリーコンサート」では、多くの方にコメントをいただき、有難うございました。

お蔭様で、自分の知らなかったこと、忘れてしまっていたことを思い出せました。


そういえば2月にあなたがタイガースのファンになったのはいつごろですか?

という質問をしたところ、多くの方に回答をいただきました。

デビュー曲の「僕のマリー」からとお答えの方が想像よりも多くて、驚きました。

芸能界に足を踏み出した瞬間から ずーーっと愛されている

ザ・タイガース、ジュリー

来年は いよいよデビューから

50周年を迎えます。 

昔は歳をとるのは老いること、哀しいことだと思っていました。

それなのに、今は歳を重ねることが こんなにも楽しみです。

だって、ジュリーのまた違う新しい姿を見ることができるんですから。

早く50周年のジュリーの歌を聴きたい🎶

早く古稀を迎えるジュリーの姿が見たい!


2017年が楽しみです。


 


 

PS、「いくつかの場面」については、多くの皆様にコメントをいただき有難うございました。

satsukiさん、いそしぎさん、yujiさん、どうも有難うございました。

 

そして、じうさんから こんなコメントをいただきました。 

『河島英五さんは確か1979年ごろパックインミュージックというラジオ深夜放送の 

DJをされていて、その番組でご自分が歌ったこの曲をかけたとき、 

「この曲はジュリーにプレゼントした曲です」と紹介したのを覚えています。 

私もカセットに録音して何度も聞いたので以前は一字一句覚えていたのですが今は、 

語句が「プレゼントした」だったか「沢田研二さんの為に書いた」だったかあやふやになってしまいましたが、 

そういう内容のことを言っていました。』

 じうさん、コメント有難うございました。

 

今回の事で「いくつかの場面」がいかにジュリーにとって、その時の心境を映した大切なものであるか 

ファンにとっても、大事な曲であるかという事を、改めて心に感じました。 

1975年のレコーディングの際に涙声になったジュリーは 

その後、さらに41年分の人生を積み重ねてゆきました。 

来年の50周年や古稀で、もしこの曲が歌われるとしたら・・・


デビュー時代からのファン、ソロからのファン、21世紀になってからのファン、中抜けだった人 

還暦コンサートにまにあった人、まにあわなかった人 

それぞれが思い思いの自分の人生とジュリーを重ねて 

その人なりの「いくつかの場面」を作っていけたらいいですね。 

 

 

皆様、どうか良いお年を・・・・ 

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12月30日(今年もあと2日)

2016年12月30日 | JULIE

28日の「いくつかの場面」について、yujiさんからコメントをいただきました。かつて、ジュリーは「愛を求めて」というラジオ番組をやっていました。その中で、ジュリー自身が「いくつかの場面」について言及をしたそうです。

『(ラジオ)番組の「愛を求めて」じゃなかったかな。彼(河島さんのこと)とっても、いい曲を書いてくれて、俺はそうなんだよ、そうなんだよ、(2回言った)って言うんじゃないけど、お聞きの通り、レコーディングで泣いてしまった。録りなおしたんだけど、大野さんがこれがいいって、結局泣いてるバージョンが選ばれた。というようなジュリーの発言でした。当時、カセットに録音して、何回か聞いたので間違いないかと。彼、書いてくれたって言ってましたよ。』

yujiさん、コメントを有難うございます。「愛を求めて」は私も楽しみに聴いていましたが、「いくつかの場面」についてジュリーが語ったことは記憶が残っていません。

でも、ジュリーの為に書かれたいう事は間違いのない事実ですね!ハッキリして良かったです。コメントを有難うございました(^^) 

字が読みにくくて、大変すいませんm(__)m→http://blog.goo.ne.jp/nagatasatoko/e/d650130b9070401542aba486777d5cb2




今年も残すところ、あと2日。

5月には元町映画館で「妖怪ハンターヒルコ」

元々 ホラー映画は苦手で、ほんとに久し振りに観ました。

ヒルコのシーンは現在のCGとは違う、手作り感が満載ですが、

前に観た時よりも、登場人物の気持がもっと私の中に入り込んできました。

叫んでいるだけのホラー映画ではなく、登場人物の関係性や心情がより理解できるようになって

終わったあとは清々しいとさえ感じました。 ジュリーの演じる稗田礼次郎は魅力的です。



ウインドウズ10に変わってしまった時には 焦りました~(>_<)

今年も悲しい別れがありました。 

蜷川さんが1985年に書かれたエッセイは、私の大事なスクラップブックの中にあります。

ステージの片隅から 蜷川幸雄

 

 


毎年6月は特別な月です

         J友さんたちと集まって HAPPY BIRTHDAY

                               毎年皆様と一緒にジュリーをお祝いできるのって、ほんとに楽しい(^-^)

             

 

 

 

 

7月20日

中途半端ですが比叡山フリーコンサートから41年目です。

前からずっと比叡山について、参加した方のお話を伺いたいと思っていました。

比叡山を記録するCDもDVDも無い現在、哀しいかな、だんだん記憶は薄れていく、・・・。

でもあの日のジュリーと私達の記憶を風化させたくはないのです。

不参加だった皆様にも、この比叡山の模様を知っていただきたいと思っていました。

そこで皆様の記憶に残る比叡山の模様を語っていただきましたが

沢山のコメントを、本当にありがとうございます。

お蔭様で、あの日の私の記憶の1ページが長くなりました。

       

 

                     

皆様からいだいたコメントは、左の覧のカテゴリーの

「比叡山フリーコンサート」をクリックすれば見られます。

明日は、大晦日

続きます

              

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今年もあと3日

2016年12月29日 | JULIE

※昨日の「いくつかの場面」について、いそしぎさんからコメントをいただきました。有難うございます。詳しくは、昨日のコメント欄を見ていただきたいと思います。スッキリしました(^_^.)


今年も、今日を入れて残すところ わずかに3日。 2016年を振り返ってみましたが、もう随分忘れてしまっていました。こんなことも あったんだな~

                                                     

                                         

                                                        

 

                       

 

 http://blog.goo.ne.jp/nagatasatoko/e/18707693e95f8545e27a8507fbab286

                     1

                      

美味しかったので、また行きたいけど開店時間が夕方5時なので、なかなか行けません。

 

続きます

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いくつかの場面

2016年12月29日 | JULIE

今朝の神戸の空は雪がチラチラ舞っていました。六甲山も雪が降ったんじゃないだろうか。 夜にはこの年末の押し詰まった時に、茨城県近辺でまた震度6の地震が。今のところ、大きな被害は報告はされていませんが、どうか無事でありますように。TVから「東海村」と聞こえてきて「太陽を盗んだ男」を思いだしました。

年末に向けて、2016年の振り返りをするつもりが。。。。 


satsukiさんからコメントをいただきました。太平サブローさんがCDを発売したそうなんですが・・・。

『最近ラジオで大平サブローさんが還暦記念にCDを出されたのでゲストで出演されてました。A面はオリジナル曲ですが…
B面は〔いくつかの場面〕です。で少し調べて見たけどわからなくって。

〔いくつかの場面〕は河島英五さんがジュリーの為に書いた曲ですよね?
に河島さんもアルバムには入れられてるでしょうけど。

ずっ〜〜と前に河島さんの娘のあみるさんが〔いくつかの場面〕は沢田さんもカバーされてます〜と言われてたので…
河島英五さんの曲なんでカバーには違いないですが。
ファンとしては大きく違うように思ってしまいます。

ミスキャストを陽水さんがジュリーに書いたのと同じ様に思ってました。
どうなんでしょうか?サブローさんの歌も良かったです。
でも…書かなくてもわかりますよね。』

サブローさんの歌が聴けます。→http://www.neowing.co.jp/product/YRCN-90261

ミスキャストは陽水がジュリーの為に全編を書き下ろしました。

「時の過ぎゆくままに」が大ヒットしたあとリリースされたアルバム「いくつかの場面」は、全体的に派手なジュリーのイメージはない、割と地味め重めの印象のアルバムです。加藤登紀子さんの「流転」など、聞いた当時は演歌みたい・・と思いました。

1975年の「いくつかの場面」は河島英五さんが、ジュリーの為に書き下ろしたものだと思っていました。ジュリーがカバーしたといういい方には違和感を持ちます。ジュリーの為のジュリーの曲でしょ!そう信じていた。

ピアノのゆっくりした美しい旋律のイントロで始まり、「いくつかの場面があった まぶたをとじれば・・・」 で始まる歌詞は、それまでのジュリーの歩みをそのまま文字にしたに違いないと思えます。タイガースからPYGへ、ソロ歌手へと歩んできたジュリーの人生そのもの。LPに収められているジュリーの歌声は、途中から感極まったように涙声です。ジュリーの脳裏に浮かんで消えるのは、誰の顔?嬉しい場面?哀しい場面?懐かしいどれなんでしょうか。

ファンにはジュリーの様々な心情が思い浮かばれて、こちらの気持ちも同じく熱くなってしまうのです。アルバム表題曲で、シングルにはなっていませんが、コンサートでも度々歌われる「特別な曲」という思いがファンにはあります。

河島英五さんが、この曲をアルバムに入れているのは知っています。太平サブローさんがこのドラマチックな曲をCDに納める気持ちも理解はできます。

生前、河島英五さんは阪神淡路大震災の被災者の為の活動をしていました。川島さんが亡くなった頃だったか、震災の追悼番組で男性アナウンサーが『河島英五さんの曲で「いくつかの場面」という曲がありますが・・・』と話し出したので、思わず私はTVに向かって『違う!それはジュリーの曲!』と叫んでしまいました。

例え作詞作曲は河島さんだとしても、それは大事な大事なジュリーの為の曲なの。

「これはジュリーの為に作られたという確証を探し出さねば」と検索しました。河島さんが自分のアルバムにこの曲を収録したのは、1979年の作品集で、間違いなく75年に発表したジュリーの方が早い。

さらに検索していたら、こんな記述が↓

河島英五は1975年4月「何かいいことないかな」でレコードデビュー。そんなデビュー間もない河島英五のこの曲を、ジュリーはとても気に入りレコーディングしたということです。(河島英五自身のレコーディングは、この時点で行われていませんでした。後にレコーディングしています。)

すでに出来上がっていた作品を気に入ったジュリーがレコーディングした? ジュリーの為の書き下ろしではなかった、という風にとれないこともないけど・・・ う~ん、ビミョウ・・・書かれた方は伝聞で書いているんでしょうか。あみるさんは、カバーと言い切っています。

ここは、ジュリーさまご本人に経緯を語っていただきたいものです。

 

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レコ大の蹉跌

2016年12月28日 | 新聞・雑誌 記事

じーさんのリハビリ通いは、火曜日が年内の最終日でした。

もうお休み?店じまいが早いな~

それはともかく、待合で先週の女性セブンの記事を見つけました。

ジュリーが主役だった70年代のレコ大は、ドキドキしながら見たもんですが・・・

いまは、全く見ようとは思いません。ほんとに色褪せました。

ちょっと字が小さいけど

ジュリーのとこだけ、拡大



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アイドルがまとう悲劇性

2016年12月26日 | TV・ラジオ・CM・映画

今日のスマスマの最終回は特別にファンでもなくても、やっぱり最後だと見てしまいました。うっかり始めの森君のシーンは見逃してしまい残念(>_<) デビュー間近のまだ子供のようなメンバーが、じゃれ合うように塊になっている姿はとても可愛くて、人気者になっていくのも当然と頷けました。彼らが青年になった時には、さらに大人の魅力も産まれていました。

ただし歌手とは思えぬハズレタ歌声にはビックリ~ いやいや彼らは歌手専門じゃないので大目に見ます。でもゲストのマイケル・ジャクソンには聴かせたくなかったなぁ(-_-;) 薄く微笑むマイケルは 愛想は良かったけど、彼らの歌にどんな感想を持ったのか聴きたかった、でももう無理だけど。 歌はともかくSMAPが踊る姿はとてもカッコ良かったです。(マイケルを前にして腕組みはあかんよ)

長時間の総集編はファンでなくてもとても楽しく、飽きずに観ました。SMAPがザ・タイガースのように何十年かたって再結成が出来たらいいと思います。もちろんザ・タイガースのように、6人でね。

1月の解散騒動のあと、作家の林真理子さんがSMAPを語っています。この時点では、解散は回避されていました。ザ・タイガースが引き合いに出されています。


■アイドルがまとう悲劇性 作家・林真理子さん

 SMAPの魅力は、演劇性をまとっていることだと思います。もとは普通の事務員だった1人の女性と、マネジャーすらつけてもらえなかったアイドルグループ。事務所の傍流だった彼女と彼らが組んで、トップスターへと駆け上がった。

 しかし、存在が大きくなるにつれ、独自の戦略を持つ彼女とカリスマ創業家の間に軋轢(あつれき)が生まれた。事務所のスターが総出演する年末のイベントにも出ない。そしてマネジャーと子飼いのスターは独立を企てて敗れた。傍流タレントがスターの座をつかむ物語であり、1人の女性がエンターテインメント界伝説の経営者と戦った歴史でもある。

 最近はインターネットで、虚実ない交ぜのいろんな話が伝わるでしょう。みんな、そんな裏話までよく知ってるのね。スポーツ紙は連日、1面で書いていたし、NHKでもやっていました。彼らと彼女にまつわるいろんなことが語られて、SMAPの物語を悲劇性をも備えた大きなものにしたんじゃないかしら。日本人は判官贔屓(ほうがんびいき)でしょ。そういうの好きなのよ。そうね、源義経ね。「嵐」は育ちのいい明るい嫡男(ちゃくなん)という感じ。そこが魅力ではあるんだけど、悲劇性は感じられないものね。

 私は、SMAPをデビューから知っていて、コンサートにもよく行きました。「世界に一つだけの花」なんて、ホント、いい歌で、音楽の教科書にも載っています。マネジャーにはお目にかかったことがあります。プロデューサーとしては超一流。聡明(そうめい)で気配りができるすごくすてきな女性です。経営者の寝首をかこうなんて気持ちはまったくなかったと思います。

 今回の騒動は本当に悲しい。生木を裂くような感じだった。人気グループって、熟した柿が枝から落ちるように解散するのが本当だと思います。沢田研二のザ・タイガースやピンクレディーがそうでしたね。あんな感じの解散なら、一生懸命がんばった、わかるよって、ファンも納得するんです。

 5人が謝罪する姿は生放送で見ました。急いで帰ってね。もう可哀想で見ていられなかったです。無理に言わされているようで……。でも、それが復帰の条件だったのね、きっと。私も切なくなっちゃったわ。納得? してません。(後略)


 ザ・タイガースの解散に、決して当時のファンは納得なんかしていませんでしたよ。ずっと続けて欲しいと願っていました。ファンとはそういうものでしょう。解散したからこそ、今のジュリーがあるともいえますが、当時のジュリー自身も解散したいとは思っていなかったことは間違いないです。ピンクレディーに関しては、やり切った感はありますが、これは私がファンじゃないからの感想だろうか。

グループでやっていると、方向性の違いは出てくるのは仕方がないのかもしれません。結局、解散についてSMAPのメンバーの心のうちはよくわからないままでした。彼らは、夫々に個性のある素敵な人たちだから、独り立ちしても充分な活躍をするでしょうが、5人揃うからこその魅力というものはもう見られないので、やっぱりそれは寂しいです。

 ネットニュース→「SMAP×SMAP」最終回でカットされていた中居正広のSMAP愛「絶対SMAP守れるよ」 『2013年に行なわれた企画「初めての5人旅!!」の一部があった。この企画は、結成25周年を迎えた同グループが大阪行きのチケットだけを渡され、自由に観光してもらおうというもの。5人がそろって旅するのは初であった。』

「初めての5人旅!!」でメンバーが泊った、有馬温泉の「有馬兵衛向陽閣」は有名な高級老舗旅館です。 昔から、ここの「有馬兵衛の向陽閣へ♪」というCMがTVから流れていたので、関西人は誰もが知っているのです。有馬温泉は日本最古の湯、格式も高い一流高級旅館が立並んでいます✨ お泊りじゃなくてもOKです。大阪神戸からも約1時間程度、近くて便利、一度は兵庫の有馬温泉に来て下さい! 

※関東でもCMは放送していました、とのコメントをいただきました。へ~!そうだったんですか!→https://www.youtube.com/watch?v=z7GjtYbWEIc


 

ジョージマイケルが53歳の若さで亡くなったのも、驚きです。ジョージマイケル、ルックスも良かったです♥ そして2016年はデビット・ボウイにプリンスも逝った。。。。なんでみんな死に急ぐんだろう。

ジュリーは生きて生きて、お父様のように100歳を迎えて さらに元気でしぶとく生きながらえて下さい。

          

J友様のシクラメン

 

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「クールな恋」オーロラ3人娘

2016年12月26日 | タイガース・GS

J友さんから、ツイッター情報をいただきました。有難うございます♪久し振りにGSの話題。

いま再び注目されている“GS”の魅力とは!? 入門編におすすめな名曲5曲を紹介

ほんとに再注目されているの??中央公論で稲増先生が頑張って下さっていたけど。この頃思うのは、GSブームからもう半世紀もたってしまった。GSメンバーでは亡くなった人も多く当時の熱気を知る人もどんどん減っていくのが寂しい。GSブームがすでに遠い昔の歴史上の出来事になっているという実感があるけど、 全くGSを知らない人が音楽を聴いて 詞や曲を新鮮に思ってもらえたらいいなと思う。

おすすめな名曲5曲では、タイガース(シーサイドバウンド)はもちろん スパイダース、テンプターズなどが紹介されている。実力派バンドとして人気があった、デイブ平尾さん率いるゴールデンカップスも紹介されているけど、えーーーッと驚くことが書いてありました。子ども時代は好きだった「巨人の星」

 「愛する君に」1968年、4枚目のシングル曲として発表。チャート最高順位は13位。ブラス・セクションやストリングスを導入、また同年加入したミッキー吉野がキーボードとして参加。和製R&Bの傑作との評価が高い。またB面の「クールな恋」はアニメ「巨人の星」の劇中、主人公・星飛遊馬の恋人が所属するアイドル・グループ「オーロラ三人娘」のヒット曲という設定で取り上げられている。

 クールな恋 オーロラ三人娘

学校で級友達と、アイラブアイラブ フォレバモ~♪と一緒に歌ったわ(^-^) ゴールデンカップスの曲だったんですね。半世紀も経って知りました。ずっと、アニメ用にお手軽に作った楽曲かと思っていました。知らなかった~!

それにしても「巨人の星」は大好きだったのに、このあと巨人ファンにはならず、阪神タイガース派!

A面の「愛する君に」は、デイブさんの歌がゆったり優しい名曲です。

愛する君に - The Golden Cups "1968→https://www.youtube.com/watch?v=KAmwxPVROJU

<iframe src="https://www.youtube.com/embed/KAmwxPVROJU" frameborder="0" width="854" height="480"></iframe>


 

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Merry Christmas

2016年12月25日 | JULIE

改めまして、Merry Christmas

 

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Merry Christmas 「クリぼっち」

2016年12月24日 | JULIE

独りで過ごすクリスマスは、「クリぼっち」というそうですが、新聞記事を読んで思わず笑ってしまいました。でも、クリぼっちでもサンタになれるという、実はと~ってもいいお話しなんでした。

「きよしこの夜なきうどん」 

※「夜鳴きうどん」「泣きうどん」の二つにかかっている。

あ・・ 「きよしこの夜(よ)なき(無き)」とも、とれるわね。すご~い 3つもにかかってる。

売り上げの一部が「赤十字子供の家」に寄付されます。

食べればボッチじゃない、サンタになれます!

え~おはなしやわ~ 笑ったあとで、感動しました 


 本日の我が家のクリスマスケーキ ※ケーキの目標予約件数が取れないので「お願い買って!」と頼まれました。「一番安いやつ!」と頼んだら、ショボイ小さなケーキが届きました。大きさは 約8cmx15cmほどしかないのに、2240円もするのよ。高い!

味は普通でした。 



全日本フィギアスケートを見ていました。宇野君が初優勝は順当かな。

真央ちゃんにとっては残念でした。10代の出場選手が殆どの中で、トリプルアクセルが決まらずの8位という結果は、気の強そうな、誇り高そうな かつての世界女王からすれば、悔しいの一言に違いない。その胸のうちはいかばかりか。

美しい化粧に妖艶な笑みを浮かべ 観客の声援に手を振るさまは、大人の女そのものの余裕を感じさせました。いや、感じさせようという努力をしているのか。堂々とした立ち居振る舞いは他の選手にはない圧倒的な存在感があり、順位は関係なく君臨する女王そのものです。

日本の観客は小中学生くらいのジュニアの頃から真央ちゃんを見ている。あの子供時代、ポンポン軽々と簡単にジャンプを飛んでいた真央ちゃんを知っているから、今の姿を見るのは正直に辛いものがある。真央ちゃんが少女から成熟し大人になり、そしてジャンプが飛べなくなってゆく。 

私達観客は「浅田真央という物語」の初めから、その結末である最終章をいま見ようとしているのだろうか。終わらない物語である事を、それでも心の内で願い続けている。

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バックナンバーが完売

2016年12月23日 | 新聞・雑誌 記事

j-castニュースにジュリーの「ハルメク」の記事の話題が

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161223-00000002-jct-ent

※一部抜粋

定期購読制のシニア向け女性誌のバックナンバーが完売するという「珍現象」が、この秋に起きた。その理由は「ザ・タイガース」の「ジュリー」こと歌手の沢田研二さん(68)を、関係者のインタビューやライブの要素を交えて6ページにわたって特集した記事だ。

沢田さんは、今ではライブや舞台活動に専念しており、東日本大震災の発生から毎年発表しているミニアルバムでは、東北の復興、護憲、反原発への思いを発信している。メディア露出がきわめて少ない中で、沢田さんの動向を伝える貴重な記事だということでファンから注目を集めているようだ。


「珍現象」という書き方はどうなの?と思いますけど、ジュリーならば当然の事です。根強い確固たるファンがついているんだもんね。 

「ハルメク」読む前はすご~っく読みたくてたまらなかったのに、手に入れてからは1回読んだだけ。それからは全然見てな~い(-_-;) わざわざ、関東のJ友様がまとめて何冊も買って送って下さったのです。J友様は、ほんとに皆さん優しいです

 


自分は気持は若いつもりでも、もはや完全にシニア世代なのにも関わらず「いきいき」とか「ハルメク」とか、読みたくない!おばさんクサい本はイヤ!なんて以前は思っていましたが。でもジュリーが載っているなら話は変わります。ドンドン載せて! 

『ファンは情報を熱望』ほんとにそう、ちょっとの情報でもいいの、ジュリーの事が知りたいと皆が思っているはず。

今後、ジュリー自身はインタビューを受けるつもりはないのでしょうか?ラジオにも出ないし。今のナマの声を聞きたいと願っているファンはいっぱいいるのにね。誰もがコンサートに行けるわけではないので、お考えいただきたいと思います。

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