Saoの猫日和

猫とジュリーが好き、野球は阪神タイガース。
   ガーデニングとレトロ建築巡りが趣味です。

ボリス・ヴィアン

2017年07月31日 22時15分40秒 | JULIE

日曜日の神戸新聞でボリス・ヴィアンを取り上げていました。こういう事を知っていれば、ACTの時に難解・・と思わなくてもすんだのかも。ボリス・ヴィアンの人と成り、生きた時代背景を知っていれば、ジュリーの唄声はさらに素晴らしく響いた筈です。知らないという事で、ジュリーの歌をまるごと受け止められなかったのが残念・・

 

こちらの記事もお陰で今はよくわかる

「ボリス・ヴィアンの「脱走兵」を忠実な歌詞で歌い継いだ沢田研二」



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五所川原ふるさと交流圏民センターオルテンシア

2017年07月30日 01時47分32秒 | ライブ・公演・舞台

金曜日の青森五所川原の会館は、実に長い会館名ですね、オルテンシアはあじさいだそうです。座席は1109席http://www.city.goshogawara.lg.jp/kyouiku/bunka/ortensia-top.html 

五所川原と言うと、やっぱり吉幾三さんかな。 自宅からは遠かったそうですが青森のJ友さんが行かれたそうです。席はなんと一列目!ご感想をいただきました、有難うございます。1列目ならではの贅沢な不自由さもあったようです(^-^) 
記憶をたどって書いているので、正確さに欠けますが・・との事です。


 

 一列目、依知川さん側。

想像通り、スクリーンは前、横過ぎて、写真を拡大し過ぎるとぼやけてくるでしょ、
そんな状態で、初日NHKホール(3階依知川サイド)でのように画面に引き込まれなかったし、
最後の「ありがとう」or「あいしてる」かも確認出来なかった、残念。
空席が多いのではと不安でしたが、後ろの方まで埋まっていたようですが、6列くらいまでが立っていたようです。
前方の席は地元というより、澤会の人が占めていたようで、ジュリーが動くたびに、舞台のジュリーを見つめる視線は乙女そのもの(そういう私も)。そんなFANをジュリーは見続けてきたのだろうなと

五所川原ははじめてですよね、もう見ることもないかもしれないということでいらっしゃた方も
MCはそのためか、あまりはっきとはFANに対しての言葉はなかったのではないかしら。


左隣の方は神奈川から仲間と参加、右は大阪からお仲間と。左側には若い?30から40代男性でのりのりでした
ただ、最後「いくつかの場面」の時、足を組んで座り、ペットボトルの水?を堂々と飲んでいたのが気にかかりました。
幸いなことにジュリーは目を閉じて歌っていたと思うので、中央寄りの席だったけれども気付かなかったのではないかしら。そうそう、いくつかの・・・・のイントロの箇所で中央真ん中あたりだと思いますが、手拍子をしている人が、
ドキッとしましたが、歌い始めると止んだのでホットしました。一瞬たぶん歌詞忘れ?バックの演奏のみが
でも何ごともなかったかのように続けて歌ってらした(いつものように高音は苦しそうでした)。
途中携帯の着信音も
同じ方向から2~3度、男性の掛け声あり、ドキリと。

声はざらつきもなく、良く出ていました。

やはり前列だと細かい顔の表情・指の動き、がはっきり確認出来、今更ながら、ジュリーの表現者としての素晴らしさに中抜けの期間が悔やまれました。
今回は細切れではありましたが、端に来るたびに勘違い光線を受けてました。
こんな事は最近にしては、初めて。
あまりに依知川さん側だったので、時々依知川さんと視線を交わし?
(ベースのパートがない曲の時、エアーで……)
タイキさんともよく視線が合いました(ジュリーだといいのに…と思いつつ…)


「君をのせて」はソロになってレコードを初めて聴いたとき、音にうるさいレコード屋さんが、一人になって不安だという気持ちが声に現れているねと言っていたのを思い出しました。
「コバルトの季節」は夏、謹慎が解け、つま恋の合宿の時お披露目。加瀬さんを思い出しました。
グアムはこの年?「思いきり気障な人生」ここで大野さん、作曲していたと思います。

他の方はどんな印象をもったかしら、
「ヤマトより愛をこめて」キーボードの音が気になった。  
「時の過ゆくままに」 もう少しシンプルな音色で聴きたかった(ギター、キーボードの音が耳につき過ぎて歌に没頭できなかった)
「永遠に」席のせいか、エレキの音がぐギュウーンをいう感じでやはりじっくり聴けなかった。
「いくつかの場面」 同様   
   
自分が20代後半から30代の頃、TV局の力のある人達も独立したりして、ジュリーに対して失礼な物言いをされたり
和田アキコさんが歌唱賞を取った時、舞台へ引っ張って行こうとした時など、TV局の人にシッシッ着いて行くなと
さんのされたと。ブルーコメッツの井上さんには明星で歌は下手とはっきり言われた。
ここだけの話でした、ブログなんかに書かないようにと、足元を見たときアッコさんの足の方が大きかったとも。アッコさんが、レコ大の歌唱賞を取る前は、楽屋で絶対にジュリーがとるとアッコさんは話していたそうです。

謹慎中にTVを見ていて、カメラ目線を研究(私達は何度か聞いているけれど)
若い人は自分なんかより興味の対象は他のミュージシャン。
還暦過ぎて、見てくれではなく、中身で、努力する姿を!
飲んだら楽しいけど、アル中ではない、毎日飲まなくてもOK!
生きてください、共に朽ちていきましょう。


終了時間は21時15分は過ぎていたと思います。
Julieの歌うI've Been Loving You Too Longも聴いてみたいと思いました。

 ※追記、ジュリーはパソコンもスマホもしないと言っていたそうです。



J友さん、詳しく有難うございます。私も一部ですが、音が気になった個所が・・・1列目だと余計にそう強く感じるのかもしれませんね。

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ゆりの木会館

2017年07月29日 21時29分12秒 | 紀行(建築・桜)

実家に墓参りの後で寄ってきました。場所でいうと姫路城の背後に当たります。亡父が学生時代を過ごした姫路工業大学ゆりの木会館(旧姫路高等学校本館)

入り口の警備室の人に「父が卒業生です、写してもいいですか?」と聞いたら、女性の警備員さんが笑顔でどうぞと感じが良かったです。講堂は白い木造の建物で、窓枠の薄い緑色とのコントラストが目にも爽やかな印象です。これは朝ドラにも登場した講堂。正面はシンメトリーなデザインです。丸い窓に温かみを感じます。

側面の端正なデザインも美しい

こちらは本館、父がここで勉強したのだろうか。でも正直言って勉強するイメージはないけどね、ご免ねパパ。

本館の丸いアーチの向うに見えるのが、現在の県立大学です。県立大学は、姫路工大や神戸商科大学、看護大学が統合されてできました。友人が元の姫路工大や、短大に通っていたので、今は県立大になって母校は無くなってしまったと悲しそうでした。

本館の前に、歴史を感じさせる石造りの立派な門扉がありました。

石の門は創建時の物だけど、扉は多分新しい、でもデザインが優美なので写メしました。

朝ドラに登場しましたと、門に説明がついていました。

中には入れないのは残念でしたが、会館も本館も、現在どちらも利用されています。90年の歴史を感じる建物の中で勉強したりできるのは、学ぶ人も建物にも、幸せな歴史を刻み続けているのだと思います。 

この後、母とよく買い物に行った地元のスーパーに久しぶりに買い物に行ったら・・ 母が行けなくなったので長らく来ていませんでしたが、なんと閉店最終日でした。売り場にはもう殆どの商品は売り切れて並んでいませんでした。大手のスーパーとは違う、地場産の野菜や姫路港で獲れた魚を置いていましたが、姫路もスーパーが乱立していて厳しい商戦には勝てなかったようです。最後に、いっぱい買い物をして寂しい気持ちで去りました。

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サリーインタビュー「第4コーナー」

2017年07月28日 23時55分42秒 | タイガース・GS

※追記 きみさんから、ジュリーの京都のお宅を訪れた想い出をいただいています。コメント欄をどうぞ。

 


今日はジュリーは青森県の五所川原、明日は秋田の東北シリーズです。青森はいかがだったのでしょうか?? もう2週間も近くたってしまったNHKホール前の事や、京都ロームシアター前の事など、ブログに書きたいことはい~っぱいあるんだけれど、有りすぎて整理ができていない。時間のある時にチビチビと

今朝の「あさいち」は米倉涼子さんがゲストです。あの方にコメントを頂いています、と紹介されるから きっとサリーかな?と思ったら、やっぱりサリーでした。水谷豊さんの時もそうだったけれど、サリーが名脇役としていかにリスペクトされているのか、信頼され頼られているのかを感じます。

朝 仕事場であって、僕が「おはよう」って言いながら、ちょっと踊ったりする。派手にワーってやって照れくさいからごまかすけど、人にやさしい(米倉さんが)思いやりがある、みんなの事をいつも考えている。憧れ 華やかな部分とかいろんな魅力は、それが役とピタっとあった時は圧倒的なものになる。

僕も70代に入って もう第4コーナーを回った感じ、この人に出会えて良かったな、出会ってなかったら つまらない俳優人生がこの人のお蔭で楽しくなっている。我々世代が楽しいなって感じをあの人が与えてくれている・・(と感動させて)これくらい褒めとけばいいですかね?

と、落すサリーですが米倉さん、涙ぐんでいました。「芝居の事も、人間としての事も教えてくれる、大好きです」

サリーの「第4コーナーを回った感じ」はジュリーも感じているのだろうか? コーナーはいつまであるの?と気になりました。

 


アサイチの前の「ひよっこ」で大女優を演じて居る菅野さん、どうしても前の朝ドラ「べっぴんさん」で関西弁の下手なナレーションをやっていたなぁ という、イメージが全然抜けないの! 連続で朝ドラに出るなんて、視聴者には違和感がありありです。しかし、なにやら新展開になりそうで楽しみです。

今日はGSを(ガソリンスタンド)と言っていたけど、GSブームについてはたったあれだけ?物足りません・・

※追記 今朝の「ひよっこ」まさか・・と思っていたら、そのまさかでした~ なんだか、お手軽な展開 キオクソーシツなんて、まるで昔の少女漫画のノリですな



そしてJ友さんから48年前の想い出を呟いて下さいました。「ひよっこ」が現在1967年くらいなんで、48年前は1969年。当時は中学生だったそうです。あの当時は同じような事をした少女たちが多かったのでは?少女時代の今では笑える懐かしい思い出ですね、有難うございます。

友人と二人で大阪からタイガースの実家巡りをしに京都へ向かいました(その頃ファンクラブに入会してので実家の住所は載っていたと思います)
まず一番はもちろんジュリー家ですがバス停から近いのですぐわかりました😆その頃のお家は平屋か二階建てだったような?
何せ古い~記憶です。門扉をキッチリ閉めて「ファンの皆様へ 御近所のご迷惑になりますのでご遠慮下さい」
というような意味のお言葉が書かれた紙が貼られていました。

そうやなぁーと納得して次にピーの家に行きました。そしたらお父様が出てこられ、日曜日やったら写真とか色々見せてあげるけど今日は平日やから御免なと言われ失礼しました。この両親御さんの対応は今のジュリーとピーに何とはなしに似ていませんかね😅

で次にタローの家が分からなくて出会ったお巡りさんに聞いたら交番へ連れて行かれました!その頃沢山の家出少女が京都でうろうろしていたそうで、私達も家出人に見られ交番で高校入学前で春休みだとか住所等色々聴かれ、お説教後解放されましたー😰疲れてしまい自宅に戻りました。
古い懐かしい思い出です。


ジュリーのお宅だけでなく、ピーにタローのお宅にも行こうとされたのですね~ ファンが訪ねてきたら、親御さんは写真を見せて下さったと聞いていましたが、人気とともに対応できないほどファンが押し寄せたのでしょうね。おまわりさんも家出少女のお説教に忙しかったんじゃないのかしら?(笑)

私は京都のお宅には行ったことがないのですが、まだ残ってはいるけれど もう崩落し始めている岸の里の明月荘には行きました。ファニーズがいた頃とあまり変わっていないのではないかと思える、静かな住宅街。やっぱり、ちょっとでも残っていないのかと、ジュリーの痕跡を確かめてみたいと思うのですよ・・


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衰えぬコンサート人気 沢田研二が貫いた“独自路線”の矜持

2017年07月27日 17時49分57秒 | JULIE

J友さんから教えていただきました。ちょっと違うんじゃない?と思う箇所もありますが、ファン以外の人にも読んでほしい。

衰えぬコンサート人気 沢田研二が貫いた“独自路線”の矜持

上記の記事の人気ランキングが只今4位から3位にあがりました。もっと上位に~ 絶対読んでね! 


J友さんが、1982年頃からの新聞記事を送って来てくださいました。売れている頃のジュリーあり、TVから姿を消した頃のジュリーあり、2001年にTV復帰のジュリーあり。新聞記事のジュリーの姿が だんだんと年を経る事に変わってゆく。その中に上のデジタル記事ともリンクするような、30年まえのこんな新聞記事がありました。

1987年、朝日新聞

(抜粋)「これは巨大な同窓会だ」 ジュリーとファンという関係で対面している以上のものがそこに漂っている。それは連帯感、あるいは同時代感覚とでもいえばいいものだ。スターとファンの間には、多かれ少なかれ、こうしたものが存在する。しかし、それがこれほど強固にしかも大量に、おまけに長期間存在するのは珍しいだろう。日本の大衆音楽の中でも、特異な存在であり、現象だと妙に感心させられてしまった。


これを書いた記者さんは、その後30年もたっても 連帯感と同時代感覚がジュリーとファンの間に存在していると予想していたのかしら? 

この記事からその後の30年間、もちろん去った人も多いけれど、ジュリーに戻った人、新しくジュリーに気がついてくれた人も巻き込んで、ジュリーファンは今も強固に存在しています。昔からのファンが、かつての同窓会の回顧をしているだけではない、今のジュリーの姿勢と歌声に魅せられているからこそ、応援しているのです。

(余談)新聞記事に年代がないのですが、腕の怪我とあるので1987ではと思います。この記事の直前に、私は行っていないのですが、京都での新会館の杮落し公演で、ジュリーが高いステージから落ちて腕を骨折し重症をおいました。転落を目の前で見ていたというJ友さんは、離婚で騒がれたあとの骨折で、情けなく悲しかったと話されていました。


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hamlet

2017年07月25日 23時23分21秒 | JULIE

沢田研二リサイタル ハムレット・イン・ジュリー 1977年6月29日-30日 NHKホール

行った気になれます、こちらちょっとだけ→hamlet 

YOUTUBEのジュリーは、昨日の「トップスターショー」の豊かな長い髪とはうって変わって 髪が襟足が見えるくらいに短くなりました。そう、この髪の毛で新曲の「勝手にしやがれ」を歌っていた姿を思い出します。

 私の行っていない舞台で見たかったと強く思うものは、「滝の白糸」「貧民倶楽部」そして一番にこのリサイタルの「ハムレット」

何度も何度も繰り返しアルバムを聴いたので、まるで眼の前でジュリー演じるデンマークの王子ハムレットが苦悩している様子が見えるような気がしました。とても見たかった・・


J友さんから情報です(^-^) 有難うございます。

①BIBLIOPHILIC&bookunion新宿
7月22日~ジュリー祭り
コンサートパンフなど約100点出品

※場所は新宿のディスクユニオンだそうですが、ジュリーの文字で検索しましたが、詳しいことがわかりません。???



こちらは、我が懐かしの北千住で映画祭です。正直に言って、あの下町の北千住に「芸術センター」だなんて、似あわな~い、と思ってしまいました。(^^ゞ

②東京芸術センター・シネマブルースタジオ
→ 鈴木清順監督 浪漫三部作 集「夢二」
8月23日~9月5日(予定) 13時・16時・19時(予定)

難解でわからない映画と思っていましたが、6月に元町映画館で見たら、映像の美しさが心に残りました。40代のジュリーの若い頃よりも翳りを帯びた 少し疲れた表情がもちろん素敵だし、女優陣はみな美しく、凝った衣裳に大正の儚い雰囲気、キッチュで艶やかな色彩に そこは夢かうつつか幻か・・・

料金も1000円とお手頃で、期間も長く見に行きやすいと思います。一度は 大きなスクリーンでジュリー演じる夢二を見るのもいいのではないでしょうか✨


 

③8月2日 午後7時~FNS うたの夏まつり ショーケン出演
産経ニュース25日記事(抜粋) テンプターズデビュー、その後、沢田研二らとPYGで活躍する一方、俳優として・・・ 9月からデビュー50周年ツアー行う。

ショーケンは何を歌うのかしらん?

こぼれ種で勝手に増えたインパチェンス

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トップスターショー 歌ある限り (1977年5月5日放送)

2017年07月25日 19時31分11秒 | JULIE

土曜日に放送された、CS放送→トップスターショー 歌ある限り #31(フランク永井、八代亜紀、沢田研二、岩崎宏美)

ですが、なんで5月5日放送と分かったかって?番組内でも「端午の節句」と言っていたのですが、5日放送とは限らない。当時の日記にこの番組の事を書いているかな?と思って調べてみたの。間違いなく今から40年まえの5月5日の放送でした。ただ、日記には「見せてもらえなかった」と書いていました。テレビはまだ一家に1台、逆らえない怖い父が見せてくれなかった。良かったね~40年ぶりに見られて~(笑) と、嘆いているあの日の自分に教えてやりたい ちなみに田宮二郎さんとの2月に放送された分は見てます。

簡単に、残念ながらボケた画像ですけど・・

加瀬さんの「許されない愛」を歌いながら登場したジュリー。豊かな長い黒髪をゆさぶり熱唱。ジュリーの衣装は真白の純白で、前年に新幹線事件を2度も起こして謹慎していたジュリーは、謹慎後は曲も衣装も地味めでした。(伝説の金キャミは除いてですが)

ジュリー「今晩は、春のコンサート予定も終わって来月の29日30日のリサイタルの準備におおわらわです。頑張って歌います」 ※リサイタルは「ハムレット」か?見てない、見たかった・・ → 沢田研二リサイタル ハムレット・イン・ジュリー1977年6月29日-30日 NHKホール

久米さん「いつもファッショナブルなステージでファンを楽しませてくれる沢田さん。今夜もタイガース時代からのオリジナルをメドレーで唄い、華麗なショーを見せてくれる事になっています」

端午の節句にちなみ、出演者にどんな子供でしたか?

ジュリー「僕は近所の人からおとなしいこと言われていました」子供の時の写真に「これは大人しそうだ。」久米さんが「遠足に行く姿みたいですね」。ジュリー「はい」優雅な笑顔で答えるジュリーがキレイです

久米さん(以下K)「沢田さんはタイガースのGS出身ですが、タイガースも含めて歌っての生活は何年目ですか?」

ジュリー(以下J)「11年目です、早いですね」

K「おいくつですか?」 J「28です」

K「だいたい半分まではいかないけど4割くらいは歌手生活で生きてきたわけですね。タイガース時代からヒット曲も入れて、メドレーで聴いてみたいと思います」

シーサイドバウンド、モナリザの微笑、君だけに愛を、青い鳥、危険なふたり、追憶、時の過ぎ行くままに、コバルトの季節の中で等(正確には覚えてないです

K「素晴らしいですね!ほんとに奥さんにも見せてあげたかった。メロディの綺麗な曲が多くて、11年間の歴史のある曲をメドレーでこうして歌い続けるのは気持ちがいいでしょ!※奥さんは余計でしょ 

そして最後は「さよならをいう気もない」でジュリーの出番はおわりました。この黒いシックな衣裳、大好き・・・

ジュリーの透き通る甘い声、たっぷりした黒髪が艶々と輝き、白く細い指に黒い衣装が映える。美しい人は顔だけではなく全部が綺麗なんやな・・ とため息の連続でした。ほんとに40年もたって見逃した番組が見られて嬉しいです

ところで色々気になるコメントも多数で、1977年で11年目は、今年が2017年で50周年と謳っているのと齟齬がありますが。まあ、それくらいはいいですか。ジュリーはファニーズ時代から11年と言いたかったんでしょうね。しかし、久米さんの「奥さん」発言は余計です!


 

1970年から10年くらい ほぼ毎日、勉強はせずにじっくり日記を書き続け、ジュリーのことも当時の日記にせっせと書いています。(絶対に続かないだろうと思いながら書いていたら、何故か20年ほどダラダラ続きました)

当時の日記にはTVで見られないジュリーの事を「ジュリーは今頃どうしているだろう、寂しい」

まさにTV放映日の5月5日の日記には、読んで笑いました。恥をかくのは承知で載せちゃう(笑)

「ジュリーは今、53kgだって、私よりもちょっと多いだけ。痩せているのね、可哀想、細くて・・ ジュリーを抱いたらポキッと音がするんじゃないかしら」

今のジュリーの体重は何キロでもいいのですが、抱いたらどんな音がするのだろうか? あの頃の私は、40年後のジュリーも、もちろん40年後の自分の想像すら全くできない子供でした。あれから40年たった今も、50周年を迎えたジュリーのLIVEに行って感動をいただいています。幸せだと思います。

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ミヤネ屋

2017年07月24日 23時24分02秒 | TV・ラジオ・CM・映画

サンスポに詳しいライブ記事が出ています。ファンについての事まで書いてあるわ→ジュリーの50曲に中高年総立ち! 目が釘付けになった短髪/芸能ショナイ業務話


 今日、「ミヤネ屋」で先日亡くなった平尾昌晃さんの追悼コーナーがありました。流れてくる平尾昌晃さんのヒット曲の数々に、日本人の心を掴んだ日本人の心に残る、偉大なヒットメーカーだったと心から実感しました。ジュリーは「あなただけでいい」でしたね。「瀬戸の花嫁」では作詞家が2つ詞を作っていて、それを1つにまとめたと説明していましたが、作詞家といわずに「安井かずみ」と名前を言って欲しかった

ジャイアンツファンだった平尾さん、かつて原辰徳のアルバムをプロデュースしたとか・・その話を聞きながら、確かジュリーも原さんに曲を書いたよね?と思いながらTVを見ていたら、そのアルバムの作曲をした人々・・とジュリーの顔がTV画面いっぱいにドーン!いえ、イラストですけどね・・

慌てて、携帯探して何とか写メしました。他にも有名ミュージシャンがいっぱい曲を書いたらしいのですが、とにかくジュリーが一番先に出てきたので、悪い気はいたしませんでした(笑) もっとも無精ひげが怪しいけど。いつの?これ?

ジュリーの原さんに提供した曲の作詞家が、藤公之介さん・・・70年代にラジオを聴いていた人なら覚えているでしょう。「沢田研二 愛を求めて」の方です。まだ10代の私はジュリーの読むポエムに聞き惚れておりました。もっとも、最初の頃はあんまりポエムを読むのは上手くなかった、ジュリーは。 

 原辰徳 恋はうたかた 作曲 作詞:藤公之介
     いくつもの恋 作曲 作詞:藤公之介


京都に続き、2連チャンだった昨日の岡山の50周年記念ライブですが、さらに京都よりも素晴らしい歌声だった、感動したとのご感想を伺いました。ジュリー、ほんとに凄~い! 

京都の翌日にまたライブだなんて、ジュリーは大丈夫なの?声はどうなの?と心配していました。まったくの杞憂、心配のしすぎ、さすがにジュリー!J友さんのご報告を伺って安心、ジュリーのスーパーマンぶりに感動です! 


それから、昨日の京都のMCに補足させて下さい。還暦コンサート以後にジュリーファンになられた方も多くなり、京セラドーム(ジュリーのいうところの大阪ドーム)に行かれていない方も多いでしょうから。

ジュリーが『声は先にやった大阪ドームの方が、東京ドームより良かった。大阪では声をセーブしていた』と話したことに、私は「それを実感した」と書きましたが、これでは私には声をセーブしている実感があったと受け止められてしまいそうです。全然違います!

京セラ(大阪)ドームで1部が始まり、最初からとてもよく声が出ていました。全く何の問題もなく順調にライブは進んでいき前半の休憩が終わり、2部が始まり、聴こえてきたジュリーの歌声に・・ 

えッ!?どういう事?なんで?!

とJ友さん共々、ビックリ!とても不思議に思いました。何故なんだ?なんで疲れてくるはずの2部からのほうが、声がよく出ているの????さっぱり訳がわからない・・・あきらかに、2部になってさらに声の伸び、力強さが増したんです。1部だって、全く問題なく素晴らしい伸びやかな歌声だったのに、それが後半になって さらに良くなるなんて・・ 何故?普通はありえない???すごく不思議でしたが、後々 ジュリー自身がTVを録る東京ドームの為に 声をセーブしたと言っていたんでわかりました。

ジュリーは1部では声をセーブしていた。2部になって声が大丈夫と踏んで そのセーブを緩めた。だから後半の声がさらに良かったんだと。言われなければジュリーが声をセーブしていたなんて、全く誰も気がついてないと思います。あれがセーブしていた声だったなんて・・

ジュリーって、ほんっとに凄い!

今年のカサブランカは終わりました、また来年

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③ロームシアター京都「50周年記念LIVE」

2017年07月24日 00時17分20秒 | ライブ・公演・舞台

J友さんからです、あの最初の映像で、途中からかかる洋楽の曲は、オーティス・レディングのI’ve Been Loving You Too Long (To Stop Now)。訳「君をあまりにも長いこと愛してきて 今さら止めるなんてできない…」こちら→YOUTUBE 「たまには聴きたい オーティスのアルバム♪」という、ジュリーの「ママとドキドキ」という曲もありましたっけ。

madameHは次々と貪欲に願い事をかなえていらっしゃるようです。

日曜日は京都から続けて岡山でのライブでした、行かれたJ友さんによると さらに声が良かったとか!凄い!ジュリ~♪

京都はNHKよりも良かったと何度も繰り返しましたが、書き忘れていました。京都よりもNHKの方が大きかった事。それは「君だけに愛を」で、ジュリーの君だけに~♪の指差しに、NHKのキャ~!の嬌声の大きさです。京都はおとなしくて声が出てませんでした。 

 


 

ジュリーのMCの続きですが、ジュリーがTV復帰の事や、七転八倒したという時期を正直に語ってくれていることが、嬉しくもあり、辛くもあり・・ 画像はJ友さんから、ロームシアター京都の片隅にて 機材の収納箱でしょうか?


 

 


MC続き

還暦になって、世の中の人は沢田研二を知っている、これを利用しない手はない。還暦コンサート、もうジジーと言われた、かつての若気の至りの事を忘れて欲しいとは思わない。あの沢田が60になった。見に行ったろか、80曲も歌うって、そりゃ無理やろ。タイガースがゲストに出てくるの?大阪東京、いっぱいになんかならへんで、友達もそういう(※私も入るのかと、心配でした・・

タイガースは出ない、還暦になったのオレ、みなもうなってる、シローはあの状態やろ。それやったら自分で考えて一生に一回やったら最後野たれ時ぬとこ見たろ。80曲歌えへん、歌えなくてもいい、60歳になったら心臓に毛が生えますね。願掛けして半年酒をやめた、生まれて初めてアホなことした。高校中退の岡中卒業ですよ。

昼の3時から80曲、大阪ドームではメチャクチャセーブしました。(※大阪ドームに参加したので、ジュリーの言うことが実感として有ります。その時はセーブしているとわからなかったけれど)東京ドームの時は大変、TV録ってることでピシっとやらな、大阪ドームの方が出来は良かったけど録ってない。緊張した、力が入った。やり終えたら、また人気が出てきた。そんなつもりやなかった、最後の花火と思った。僕は思いました、ほっとかれへんタチなんやな・・ それから僕が好きな事をするために、あと10年頑張ろう。この10年が長かった、60の時はヘロヘロ、69歳になったらこっちのもん。あと1年で70、全ての人に感謝します。

僕は嫌なことも含めて自分が経験した全てが自分の今を形作っている。過ごしてきたことにムダな事はなかった。69歳、感謝としかいい表せません。有難う 有難う 有難う・・有難うございます。僕が69歳という事は、ここにみえている皆さんも それに近いか上か。暑さ寒さで、1人欠け2人欠け 日本は少子化につき進んでいます。ベビーブーマーの私が1人抜け、皆さん元気でいらして下さいね。いつまでも歌えるように メンバー紹介

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②ロームシアター京都(50周年記念LIVE)

2017年07月23日 19時12分42秒 | ライブ・公演・舞台

一列目センターという、まさに神席中の神席!でご覧になった、どんぐりさんに感動のコメントを頂きました(^-^) 神席ならではの、贅沢な悩みもお有りだったようです どうも有難うございます

やはり神席というだけあって、最高で夢のような時間を過ごせました。少し残念だったのがスクリーンが近すぎて後ろに下がれず、全体を見にくかった(贅沢、罰当たりです)
久しぶりに眼が開いてるジュリーを見られました。節のない細い白い指。若かりし頃のジュリーをあの席で見ていたら気絶するかもですね、でも今の大人で頑固で丸くなったジュリーはとても魅力的です。
マイク不調?なんか何も気になりませんでした。残念ですが前で見ていても靴を何度もこすりつけるようにしていた理由がわかりませんでしたね。ジュリーのペットボトルミストを私の左右の人達と手に受けました。大満足😆でした!

 


※MC、簡単に、決して正確では有りません。

ようこそ、沢田会館へ!50周年ライブに駆け付けて下さって有難うございます。お兄さん おおきに!おばあちゃん おおきに! これもひとへに・・・私の努力の賜物、皆さんのご支援のお蔭と心よりお礼を申し上げます。来年の1月までライブをやります。今日からは「京都沢田会館」という名前に・・ あかんやろ!そんな金出せへん。今日は長いよ!覚悟してください。最後までごゆっくり・・



有難う!有難うね!フオ~~ 暑おす 暑おす アツオスよりも厚揚げが好き 何のこっちゃ! 時はあまりにも早く過ぎ行く・・ 50年は早かったのか、短かったのか・・長いで、誰が想像した?69になっても歌っているなんて。例えば、内田裕也みたいに売れないでずっとやる。言うたらあかんで、私は何もゆーてませんよ。

タイガースはたった4年間、その後約半年間くらいPYGがあって、この時に色んなことを学んだ。タイガースのあの熱狂は何だったんだろう。ナベプロからはソロになれソロになれと言われて、ヘタやのに・・皆がヘタや言うてるやん。業界の人達がソロになると言っているのが聴こえる、それで意地を張る、何でやらなあかんの。どうせ売れへん・・と思たら売れたがな。

その後、井上さん達と一緒でないとイヤ。PYGから売れるまで、とても短かった。その期間にすごく勉強した、タイガースの4年間のお陰で 何も怖くないと思う。続きは後ほど・・

「LOVE LOVE LOVE」入れて24曲。プラス 冒頭の「あなたに今夜はワインをふりかけ」ご存知の無い歌ばかりでしょ。50年間やるという事は、売れ続けたわけではない。せいぜい半分・・ さらに続きます。



あと10曲で50曲、ソロになって売れる気は殆どなかった。何でか売れた、理屈がわからない。人気が出ても大人からは、ハン!どこがえーの、聞こえよがしに言われ、足を引っかけてくる。二回も喧嘩した。TV見て何でこの人が売れるかわからん、AKBなんか皆同じ顔しとるがな、いや皆違うがな、兄弟でも違う、夫々が違う・・

 


アンコール

50周年やから 何かせなあかんな。映像を片っ端から見て、出ているのは親戚の子達、僕は後半だけ。私らしくないことも・・ 7000円から8000円に値上げして、ちょっとはお金がかかってるんや。ワイルドワンズの皆さんには殆ど出ませんと、お断りを入れてあります。面白かったわ

50年は生きて歌い続けていたら叶う。顧みれば紆余曲折、谷あり 谷あり 谷あり・・・の 事の方が多かった。自分で色んな事を考えて、色んな人にこうした方がいいよといわれ、それをこなすのが自分と思っていた。タイガースの頃は面白くて面白くて・・僕ら子供でした。こっちと言われればついてゆく、それが続かなくて、世の中甘くないと思い知らされた事もあった。業界の人がこうしたらいいと言われた事を殆どしなかったら、今に至った。じっとしていると、勝手に世の中と合う時が出てくる、それは年齢。

僕は40過ぎてから60まで七転八倒したわけ。独立して自分が働かないと 社員に給料が払えないという事になって、何しようTVや。ところがTVという所はおそろしい、売れている人は平気で出てゆく、売れていない人が出てゆく場所じゃない、この僕がゆーてる。何回か出て行った、どうも違う。今度出る時には売れてから出て行こう。再び売れることはわあからへん。それなら好きな事をしよと思い、色んなことを思い起こした、いろんな人に会ったこと、言われた話、耳にした事、目にした風景、全てが自分の今、これからを支えていくんだろうと思ったのは60歳過ぎて、ついこの間・・・    (続く)


 


 

※2001年にTVに出て行ったのは、早い話が社員に給料が払えなかったのか・・  これはジュリーの言葉の綾かもしれないけれど、正直に言って50歳を過ぎたジュリー、ライブの観客数も頭打ちに見えた。90年代、いまや伝説のACTは、コアな一部のファンしか見ていない舞台です。

現状打開に打つ手はTV復帰しかなかったのはわかります。ファンとしては90年代に全くTV界から姿を消したジュリーがTVに出てくれるのは とても嬉しかった・・・だって、ライブとアクトしかジュリーにあえなかったんだもん。テンションは下がりますよ。ジュリーもだけど、ファンも気持は暗かった 「暗黒時代」と言わせていただきます。

先日の朝ドラ「オードリー」の麻生センセイは、まずジュリーのTV復帰の最初の布石だったのだ。誰もが好感が持てる、とてもいい役でした。その後に出まくった番組がバラエティ番組で、くっだらない番組もありました。2000年には歌番組は姿を消し、ジュリーの出る場所も限られていたのです。

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