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良いお年をお迎えください

2019年12月31日 | JULIE

もうすぐ終わる2019年。拙い当ブログに、ご訪問を有難うございました。2018年のアクセスが一番多かったのは、埼玉スーパーアリーナのドタキャンの翌日でしたが、ちなみに、今年一番多くのアクセスがあったのは まさかのこちらです。⇒そういうアンタもカッコイイね。

なんでやね~ん!ジュリーファンじゃない人が来たんじゃないかと思います。


TVで紅白歌合戦をつけてはいるけど、半分見たり 見なかったり・・。けん玉ギネス記録に挑戦、まさか失敗しちゃったわね~ アリャ~

70年代から80年代、ジュリーが紅白の中心にいた時は、どんな衣装で出てくるのか、すごく楽しみだったっけ。

そんな事を想いながら、来年のジュリーのことを思っていますが、2020年のジュリーがどんなのか予想もつかないって、それって凄く楽しみなことだよね。きっと素敵な2020年になるに違いない。

 

ジュリ坊から、ご挨拶をいただきました。

こちらもJ友さまより、ジュリーからのメッセージを頂きました。まだ署名をされていない方、未来のために よろしくお願い致します。

どうぞ 良いお年をお迎えください。

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高野山で発見

2019年12月31日 | 紀行(建築・桜)

嬉しい事、悲しい事、初めてしたこと、初めて知った事、落ちこんだこと・・ 色々あったけど、これは 初めて知って嬉しかった事かな。

7月18日、河内長野でジュリーのライブがあった。会場が南海高野線の沿線ということは、この先には高野山があるのね。思わず、地図をネットで検索してみる。ライブの前に行かねば~!(^o^)丿 この歳になると、比叡山とかやっぱり一回は行って見たいのよ。

ケーブルカーで、高野山駅まで

和歌山出身のJ友さんに伺うと、高野山には戦国武将のお墓がいっぱいあるそうな。歩いて奥の院まで行くのがお勧めとの事で、約40分ほどテクテク歩いた。「奥つ城」というけれど、山上の深い木立の中で苔と緑に包まれた、シンと静かな墓所。これこそが奥つ城だと思う。

織田信長、武田信玄、石田三成、浅野内匠頭と有名人が目白押しで、興奮しました。

徳川のお墓はさすがに大きくて、何カ所もあった。妹の江の墓は、ここでは一番大きいのに、夏の陣で負けた姉の淀殿の墓はここになく、大阪の太融寺にある。勝者と敗者、感慨深い。伊達政宗、豊臣家の墓。

歴史上の有名人や、戦国の有名武将の御墓を見逃すまいとキョロキョロしていたら、

お墓の並ぶ目抜き通りの、道沿いの良い場所に、驚きの墓を発見した。

旦那の会社の墓や!

高野山には誰もが知る、有名企業の墓も沢山並んでいて、それも見どころですが、まさか 家人の会社の墓があるなんて~(^-^) 誰もが知るような有名企業じゃないけれど、大阪の古くからある会社なので、ここに墓を作っていたのだ。

家人曰く、高野山に墓があるから、自分自身の墓はいらないと言う人もいるとか。うちは、明石に御墓があるけど、ここに入る権利があるってことね。家族の私も、もちろんOKよね。嬉しいな~ 

死んで明石の御墓に入っても、時々ここに魂になって飛んで来よう。戦国武将の隣人になれるなんて、思ってもいなかったわ。 千の風になるので、御墓はいらないと友人は言うけれど、私は安らかに眠る居場所は欲しい。もし無縁墓になっても、ここがあるから安心だしね~ 思わぬものを見つけてしまったわ。

その後、奥の院で参拝し、金剛峯寺などを廻りました。

枯山水の立派なお庭や、豪華な襖絵など、山奥の枯れたイメージしか持っていなかった高野山のイメージが変わりました。ほんとに何も知らなかった。

お坊さんが、読経をしながら寺院を巡っている姿に、こちらも敬虔な気分になって手を合わせました。

こんなに高い山の上に、こんなに立派な寺院が建ち並んでいとは。

映像で見るだけ聞くだけでは、その全貌はとうていわからなかった。

行って見て、体験して、初めてわかる知る物が有る。

はるか高い山の上に造られた、祈りの宗教都市。それが高野山だった。

次はもっとゆっくり 行きたいと思います。

 

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「地域猫活動」

2019年12月31日 | 

今年もやっぱり色々あった、2019年が過ぎようとしています。自分的にも色々ありました。ブログに書こうと思いながら書けなかった事を最後に。ジュリーじゃないですが。

9月に我が自治会で、初めてやることになった「地域猫活動」に初参加しました。猫 大好き!!ノラ猫が歩いている姿をみかけるだけで嬉しい!=^_^=

けど、餌をやるだけよりも、不妊去勢して住民との共生を考えるのが良いのだと思う。正直、耳がカットされた猫をみかけると、心はチクっとなるんだけどね。自費で猫に手術をしている人や、日曜日でも格安で手術をしてくれる動物病院など、猫を愛する心優しい人が、沢山近所にいることも知った。

不幸な猫を増やさず、住民が守ってやらなければ。檻をしかけて、夜中まで回収してを、丸二日間にわたって実施。捕獲数は予め決まっていて、全部で10匹。捕獲した猫にはストレスを与えように、細心の注意を払う。そのために、けっこう大変だったわ。

捕獲したクロ猫ちゃん達は、去勢避妊された後、その後はよく太って、近所を我が物顔に走り回っております。

可愛いんだけど、時々うちのプランターを倒したり、トイレ代わりにするのが困りもの。

でも 猫のすることには怒らない。また遊びに来てね。

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「ジュリーファンによる総リクエスト番組!シングル曲、 カップリング曲・アルバム曲のベストを選ぶ」

2019年12月30日 | JULIE

意外なベスト10、あんまりマニアックな結果にちょっと驚いています。

東海放送「ジュリーファンによる総リクエスト番組!シングル曲3曲まで、 カップリング曲・アルバム曲を選ぶ」

アルバム・カップリング部門
次点「確信」
⑩GSアイラブユー
⑨美しい予感
⑧さよならを待たせて
⑦幻の恋
⑥遠い旅
⑤憂鬱なパルス
④夜の河を渡るまえに
③「月の刃」1991年(パノラマ)
②「あなたに今夜はワインをふりかけ」1987年
①「遠い夜明け」200年(来るべき素適)


シングル部門・ベスト10
⑩ストリッパー
⑨スプリーン
⑧魅せられた夜
⑦そっと口づけを
⑥危険なふたり
⑤灰とダイヤモンド
④君をのせて
③お前がパラダイス
②時の過ぎゆくままに

さて栄えある1位は

ジャジャーン!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


①そのキスが欲しい

もちろん大好きだけど、やっぱり かなり意外でしょ。

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歴代紅白感動名場面

2019年12月30日 | TV・ラジオ・CM・映画

コメ欄でKAZUさんに教えていただいた、東海放送のジュリーベスト10。J友さんのお蔭で聴くことができました。

「ジュリーファンによる総リクエスト番組!シングル曲3曲まで、 カップリング曲・アルバム曲を選ぶ」というものでしたが、あまりに意外な結果にビックリです。ファンでないと知らない曲が沢山並びました。マニアック過ぎ・・ 

あまりにへ~~っと感心したので、のちほど紹介したいと思います。



今夜のNHK「歴代紅白感動名場面」は、今年で70回目という事で、節目の20回、30回、40回、50回等の名場面が紹介されました。

1979年の第30回、石野真子ちゃんが「ジュリーがライバル♪」

続いてジュリーが「カサブランカダンディ」

ミキの二人が、お母さんがジュリーのファンだった。純烈の皆さんもジュリージュリーと話してくれました。

三山ひろしさんが「ジュリーがライバル」なんて曲があるんですね!

と真剣な顔して驚いていましたが、30代くらいなら 知らなくても仕方がないかな~(-_-;) 石野真子ちゃんのことは知ってるのかな。

かつて紅白の司会をしていた山川アナなら、詳しくあの当時のジュリーについて、どれだけ輝いていたのか、全女性歌手の憧れの的だったと語ってくれたけど。放送してね、これからもジュリーを!

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ショーケン最終章

2019年12月28日 | ショーケン

TVで今年亡くなった人として、ショーケンと裕也さんが出てきました。

「いだてん」に出演していた高橋是清役のショーケンの演技には、年齢を重ねた役者が醸し出す重厚さ、少し痩せて枯れつつある ショーケンだけが持つ味わいがあった。もっとも病を知らなければ、ショーケンもやつれて老けた、歳をとったと思ったかもしれないけど。

ショーケンの出番は7月までで、出演は終わった。高橋是清は二・二六事件で暗殺されるが、番組ではその場面は流れず 主人公の田畑政治・まあちゃんに「高橋是清が暗殺された」と言葉で伝えられただけだった。

3月にショーケンは亡くなっていたが、初めからその暗殺場面は無く、言葉のみで済ませるはずだったのだろうか?暗殺される場面も見たかったな、と思いながら番組を見た。

「ショーケン最終章」にそのことが書いてあった。「いだてん」の撮影は11月から始まっていたが、暗殺の場面も台本にあった。亡くなる8日前、入院先から帰宅して自宅で その暗殺場面の台本を読んでいた。しかし、容体が急変して撮影することなく病院に戻ったと書いてあった。

二・二六事件で暗殺される場面は見ることはできなかったけど、今はそれで良かったのかも、と思える。ショーケンの出演最終場面が無残に暗殺される場面じゃなく、まあちゃんとの飄々としたやりとりが おかしみを感じさせる、とてもショーケンらしい場面だったから。⇒ショーケンが演じる高橋是清

週刊朝日の記事

 

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「いだてん~東京オリムピック噺~」

2019年12月28日 | TV・ラジオ・CM・映画

今年も残すところ、あと3日。家全体の大掃除など、もう数10年もやってないわ。ガーデニングやってる方が楽しいも~ん。気になる処だけお掃除、今日はお風呂のカビ取りしました。でもあんまり綺麗になってない・・(-_-;)



今朝の「スカーレット」で、以前「ヒットパレード」という、ナベプロの渡辺晋さんを描いたTVドラマで、ジュリーを演じていた遠藤雄弥さんが登場しましたが、若い時の方がジュリーに近かったね。今はどうかな~。

年末なので、毎朝 楽しみに観ている「おしん」もお休みになってしまい、つまらない。「おしん」は50歳になり、音羽信子さんにキャストが変わりました。

この時の音羽さんは、実年齢は幾つだったんやろ?もっとお歳をいっているように見えるけど、裕子さんでは、この先を演じるには若すぎたのかしらね?養娘の初子の役が、田中好子・スーちゃんになって驚きました。「おしん」は今年観たドラマの中で、2番目に良かった。(新作じゃないけど)



 

私が今年のドラマで一番良かったと思ったのは、視聴率が今までの大河ドラマで、最低になってしまった「いだてん~東京オリムピック噺~」です。

大河ドラマの第一作から、ほぼ全部見ているが(80~90年代の何作かは見ていない)「いだてん」が一番良かったかも・・・ いや、今までの大河ドラマの中で、一番良かったと言い切ってしまおう。それだけ、毎回胸を熱くし、感動して見たドラマだった。見てない人の方が断然多いのだろうけど。

私と全く同じ気持ちの⇒ネット記事を読んで、嬉しい!!.。*。. ⇒最後まで『いだてん』を見続けた人たちが いかに驚きや切なさや共感や感動などのたくさんの感情を抱き、心が高まる境地に達したかということがお分かりいただけるだろう。・・私が特に感動したのは、この作品で描かれた女子スポーツの歴史である。

こちらも素晴らしい⇒型破りな大河ドラマ『いだてん』を守ったのは誰だったのか

視聴率が悪かったのは、名前も知らない多くの登場人物に、時代がコロコロ変わったり、分かりにくさがあったのは間違いない。ここで多くの人が挫折したんだろな。しかし最後まで見通した人は、この大河が一部はフィクションといいながらも、どれだけ多くの素晴らしい心が震える事実と時代を、私達に伝えたのかを知っている。

先人たちがどれほど、熱い心と夢と信念を持って、日本の体育の向上を担ってきたのか。生きにくい世の中を走り抜いたのか。全然その名前を知らなかった多くの登場人物たち、有名な嘉納治五郎でさえも私は講道館でしか、その偉大な功績の全貌を知っていなかった。これは今までの大河にはない、有名無名の日本人の、それぞれの物語でもあった。

このドラマが語ったのは、題名のオリンピックの話しだけでは無かった。何よりも、胸が熱くなったのは女子体育の普及と向上で、女性たちは多くの無理解や女性を縛るものと闘ってきたのだ。フェミニズムよくわからない?と思っていたが、これこそフェミニズムではないのか。明治時代から、こうして女子は闘ってきたんだと知った。オリンピックで予選落ちした人見絹江の、振り絞るような絶叫の場面では私も泣けた。前畑頑張れ!では、結果は知っているが私も必死に応援した。

今は亡きショーケンの重厚で底の知れない演技や、五・一五事件の迫真の演出と俳優の演技には鳥肌がたった。どれだけ心を震わされる場面が多かったことか。関東大震災や戦争で、今は知らん顔をされようとしている日本の暗部も、キッチリと描かれた事も評価に値する。

この私自身が子供時代に家族で見た聴いた、1964年の東京オリンピック。ニチボウ貝塚のバレーボールのエピソードなどは、すでに知っていたことで、それがどう描かれるのかと、とても楽しみでワクワクした。脚本・演出・俳優 どれも最高~!!

やっぱりクドカン、最高じゃんね!!

※嘉納治五郎さんは、私の住んでいる地域出身の人物です。進学校の灘中高には学校の設立に関わり、校内に石碑があります。御影公会堂内には業績をたたえるコーナーと、銅像があります。

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舞台版「魔界転生」

2019年12月25日 | TV・ラジオ・CM・映画

 

舞台版の「魔界転生」をBSで見ました。ジュリーが四郎を演じてから以降、その後何度も映画化、舞台化されてきたのは伝奇時代劇、エンターテイメントとして優れた作品だからと思います。奇想天外な作品は天草四郎、柳生十兵衛、宮本武蔵と、歴史上有名な人物が多数登場するので、観衆にはとっつきやすい。

かといってジュリー以外の「魔界転生」の作品は見る気になれない。ジュリーこそが、天草四郎です!!それが見ようと思わせるのは、ひとえにジュリーファンを自認されている、マキノノゾミさんの脚本だから。「魔界転生」をどんな風にマキノさん流にアレンジ、展開されるのか気になります。

マキノさんが始まる前に舞台挨拶で、ぼくだけにできるものを、と並々ならぬ決意を語っていました。⇒こちらYOUTUBE

柳生十兵衛(上川隆也)・天草四郎(溝端淳平)

溝端淳平コメント(出演への意気込み)
お話を頂いて、魔界転生の天草四郎と言えば、過去に沢田研二さん窪塚洋介さんなど ある種のカリスマ性がある方が演じていらっしゃるイメージです。それを自分がやらせていただくのは非常にプレッシャーを感じています。

『アクションとカルトとスペクタクルの世界が融合した、壮絶、壮大なエンターテインメント時代劇の最高傑作が、まったく新たな切り口でよみがえりました。』

新たな切り口・・、マキノさんの気持ちはよくわかる。

放送は7時から11時前まで約3時間。CMもバンバン入って、長い・・あまりに長すぎる(>_<) 途中でお風呂に入ったよ。入っても内容はわかった(^^;

マキノさんは、ジュリーの「魔界転生」を見ていない筈がなく、それだけに映画とは同じものはできない、やりたくないという強い思いがあったと思う。
映画と舞台の内容の違いは、転生する人物が増えたり、変わっていたりしていて、四郎の姉との関わりや、出生の秘密が明かされる。

最初が映画とは違い、原城にキリスト教徒が籠城するシーンから入っていたのは、観客にはわかりやすいと思う。溝端さんの転生する前の四郎は、ほんわかとやさしい話し方で、転生後の非情なキャラの違いを際立たせているのだろう。

映像を駆使し、劇中のシーンと重ね合わせた場面は無理がなく、とても迫力があり効果的だった。忍法髪切り丸は、映画より迫力があったかも?

転生する人間達のそれぞれの立場や思いが、詳しく語られたのは、観客には分かりやすくなったと思う。

しかし気になった点がいくつかあって、「島原の乱」ではなく、天草四郎が率いた「天草の乱」というべきです。
細川ガラシャから淀殿にキャラを変更したのは、それだけ徳川の世に恨みがあるという点で説得力があって良かった。ただ劇中の「淀君」という、人物を貶める呼びかたは現在はしないので、「淀殿」というべきです。

由井正雪に荒木又右エ門など、登場人物が増えすぎて冗長になった。いらない余計な場面もいっぱいあって、無いほうがズッと物語がスッキリしたのにと思う。面白くない笑えない冗談もいりません。

四郎さまは魔界に転生した割には、出生の秘密に動揺したりして、そんなことでどうすんの~。人ではない、完全なお化けになりきれておらず、ずいぶん人間的な四郎さまだった。でもマキノさんの、今まで誰も見たことがない自分の「魔界転生」を造りたい!そんな気概は十分に伝わりました。


J友さんから画像を送っていただきました。有難うございます☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

夜陰に紛れて、家の外のカポックに付けたクリスマス飾りを、こっそり取りました。

次はお正月~✨

 

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楽しい思い出♪

2019年12月23日 | JULIE

タローさんのブログが更新されました。苦い思い出も有れば、楽しい思い出♪も有る~♪

ジュリーの画像が ⇒楽しい思い出♪



J友さんが、新聞記事を送って下さいました。有難うございます。

東奥日報(2019.12月22日)「ヒット曲の料理人」船山 基紀さん

 

 

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1987年8月、神戸文化ホールのジュリーライブはガラガラだった💦

2019年12月23日 | JULIE メモリーズ

今日のジュリーメモリーズは、私にとって忘れられない、ビターな苦い想い出。今までにもブログに書いたことがあるけど、どこにしまったのか忘れていた当時の日記が出てきたので、今日はもっと詳しく書いてみる。


土曜日のウォーキングの起点である、地下鉄の大倉山駅を出るとすぐに、神戸文化ホールがある。(約2000席)1973年に建てられたそうで、三宮の再開発にともない移転の噂があるけど、大倉山のシンボルとして、ずっとここにあり続けて欲しいと思う。

最近は神戸での公演は三宮駅前の神戸国際会館ばかりで、もう長く ここでライブは行っていない。80年代頃までは、この神戸文化ホールでジュリーコンサートも開催されていた。

ここでは今でも忘れられない、苦い思い出が残っている。1987年、ジュリーは1月に離婚を発表していた。

日記によると、1987年の1月7日(水)ヒットスタジオに出演したジュリーは、長く伸ばしていた髪の毛を短く切り、真っ赤なスーツで「やさしく愛して」を歌った。その日の日記には『新年早々、ジュリーの新しい決意というかチャレンジ精神が感じられました。「がんばるっ!!」という感じよ。』(※歌を聴く前の感想)

そう書いた翌日、夕刊の記事でジュリーの離婚を知った。



離婚から約7カ月後。1987年8月16日(日)夏のツアーが神戸文化ホールであった。

ところが、入り口付近にいつものような人の波も、熱気も感じられない。いつもと違って静かやな?と思った、入り口を入る時のあの白い空気感は、今でも忘れない。

会場の中に入ったら、開演時間が近いのにお客さんはパラパラ・・としか座っていなかった💦💦 私は真ん中あたりの席、開演直前になっても客席は埋まらず、2階席はわからないけど、1階席は半分も入っていただろうか?こんなに観客が少ない会場は、1974年から大阪・神戸・姫路のコンサートに行っている私には初めての経験だった。

開演して登場したジュリーが、空席だらけで会場にバラバラと人が散らばっているのをみかねたのか『前に詰めて下さい』とそう言った。その言葉に従って、前の方の空いた席に移動しましたがな。あの時のジュリーの困惑したような表情をいまだに忘れません。入りの悪さは、やっぱり離婚後だったせいかな~(-_-;) 

と思っていたけど、日記を読み返したら それだけが原因でもない?


その日の日記、1987年8月16日(日)

『今日はジュリーの日です。文化ホールの前に行ったら、何だか人がパラパラとしかいないのよね。案の定、半分くらいしか客席が埋まっていない。うーむ・・ 寂しいね。昨日の大阪フェスも、客入りが半分くらいで、寂しかったんだって。これは7月に2回もやったのに(大阪フェス)、また関西で2回(大阪・神戸)もしたせいよ!そうよ。

ジュリーも悲しかったと思います。「暑いよー、とか、しんどいー」とか言っていた。でも私達、今までより一番熱心に拍手しました。「ある青春」を聴いていたらね、身体がゾワ~ッと寒気みたいなものがして、ウワァ~っと気持ちが高揚してボーっとするなあ・・と思ったら、涙がポロポロ出て とまらないの。本当に感激しました。 ※ある青春⇒YOUTUBE

青春の終わりかあ・・・私の青春はジュリーといつもいっしょよ。確かに雑音も多いけど、悲しい事いっぱいあったけど、それは歌とは別の事でしょ。ジュリーの歌は素敵。めげずに歌って欲しい』 


離婚したってジュリーを応援する!!私は寛容な人間です。

それはともかく、日記を読み返して 客入りが半分だったのは、離婚のせいだけとはいえず、直近で関西(神戸・大阪)でコンサートが1か月の間に続け様にあったせいなんじゃ?きっとそうだ、と今は思える。いつの間にか、その記憶は消えて、離婚だけが原因とずっと思い込んでいたのだ。(リピ-ターの熱気が冷めていたのは認めます)

その日、一番前の席で見たというJ友さんは、後ろを振り向いていないから、ガラガラは記憶に無いと言われる。

先日『私も行っていたので、その日はよく覚えています。ジュリーが前に詰めて下さい、と言いましたね。』と、私と同じ記憶をお持ちのJ友さんがいた。二人で「あの日は情けなかったね」 忘れたくても忘れられない記憶です。

もっとも、70年代の人気絶頂時でも、地方ではお客さんの入っていない会場も有りましたよ。と言われる方がいて、大阪フェスのような大きな満員の会場で見るのが普通だった私には、へぇ~っという初めて聴く証言でした。


※追記 マサトシさんより8月16日のライブ当日について、コメントをいただきました。

不入りの原因は、お盆にも間違いなくありですね。(-_-;)

僕も 文化ホールいきました。
ジュリーも お盆だから しかたないね、と言ってたような
でも ステージは めっちゃ良かったです
忘れられない ライブです。

「ある青春」で私は泣いたほどだから、ジュリーはライブを頑張ってくれたんだね。




私の撮った写真には写っていないけど、文化ホールには壁面に市民にはお馴染みの 紫陽花の壁画があって、智恵子抄の高村智恵子の絵が元になっているそうです。

 

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