那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

西村修平さんのメルマガ紹介、および池田大作センセイ「回復」は真っ赤な嘘の証明

2013年12月14日 | 世直しのためにどうすべきか

そろそろ「微笑禅の会」のネット会報や、私が危篤になったときにニア臨死体験で見た夢の象徴性のことなど書こうと思いながら、八王子市高齢者福祉課への情報公開請求に伴う文書作成その他の様々な手続きに追われ、ブログの更新が中々出来ない状態にあること、お断りいたします。

先ずは「主権回復を目指す会」からのメルマガです。

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高田誠の吐く「虚弱体質」(京都地裁)とは
http://nipponism.net/wordpress/?p=25617

        <「苦しくてしかたない」(京都地裁)と裁判長へ泣きつく醜態 >

             糾すべきは「在日特権」よりも「会長特権」

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ぜひurlを押してご覧下さい。高田誠とは在特会の桜井誠のこと。私は100%西村さんを支持します。

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ついで池田大作センセイが回復したとのガセネタを「博士の独り言Ⅱ」から引用します。今年2013年11月の記事です。

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http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-category-20.html

「復活」は本当か? 

 創価学会の池田大作名誉会長が「奇跡の復活」(誌面)を遂げた(要旨)と。聖教新聞(11月6日付)の一面に、教団総本部の“落慶入仏式”の「“導師”を務める池田名誉会長がご本尊に手を合わせる姿が写っていた」(誌面)ことを傍証に、誌面は“復活”を伝えているが。本当に「池田センセイ」ご本人なのか、どうか。いささかの疑問が残るところでもある。 

 以前、原島崇氏(元創価学会教学部長・故人)ら「元本部幹部」諸氏が、“合成や貼り替えなど何でも有り”の聖教新聞掲載の写真の実態について指摘していたとされるが。それらの指摘を参考に、当該の記事写真についても要検証かと拝考する。 

本物か、ダミーか 

 もう一つ、「創価学会の内部事情に詳しい公安関係者によれば」として、「6月に行われた東京都議選では、激戦区の公明党候補者の応援に駆けつけている。この時は、クルマから降りずに手を振るだけでしたけど」との話を、もう一つの傍証としている。だが、かるなる光景を一般の目撃者が目の当たりにしていれば情報が広がっても不自然ではないはずだが、同種の情報が無い。 

 仮に、「手を振るだけ」の「池田センセイ」の光景が事実であったとしても、こちらも本人なのか、ダミーなのかの検証を要しよう。内藤國夫氏(文藝春秋の月刊誌「諸君!」で創価学会問題の指摘記事を長年連載)らも、以前からその可能性に言及しておられたのを思い出す。 

医師団を抱える「池田センセイ」 

 これも藤原弘達氏らによって指摘されていたことだが、「池田センセイ」には、信者生え抜きの医師団が付属している。数人と云わず、入れ代わり立ち代わりの相応の規模におよび、風邪を引いただけでも“係り付け”の医師団が丁重に診察・治療するとのこと。 

 仮そめにも脳梗塞からの「奇跡的な復活」が事実とすれば、その医師団によるものであろうことは推察に難くない。約三年間、病床に伏していた間に教団内で進んでいた「次期会長」の人事が、“復活”した「池田センセイ」によって覆されたとする事例が誌面に紹介されているが。仮に、異様に重い脳梗塞から“復活”してそれほどのスキルを発揮し得るのか、どうか。この点についても要検証かと思う。 

 挙げられている「人事」の変転こそ、衰微しゆく創価学会のその教団内で分派同士の対立、内紛がすでに高じて来ている証左の一つと指摘し得るからである。誰が「次期会長」になろうとも、教団の衰微・分裂は避け得まい。カルト教団を衰滅せしむることが、次世代へ向けての現世代の良識の役割である。 

■ 主な関連稿 

なるほど創価「外務省」か 2013/07/25

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博士こと島津氏は、約3年病床に伏していた、と述べている。その時に創価学会員で看護師だった女性の証言(『週刊文春』2011年10月27日号)を以下のサイトから引用する。

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n98149

屋上へ上がったり、読み書きができたのも今年の一月頃までだったと思います。高齢や脳梗塞のせいで認知症の症状が進行してしまったからなんです
 東日本大震災が起きる前、池田氏の病室である〝出来事〟が起こったという。
「病室には、池田先生の著作や、各界の著名人と撮られたお写真などが飾られていました。一月の終わりから二月のはじめ頃だったと思いますが、先生が車椅子に乗ってらっしゃったとき、突然、奇声を上げてご自分の著作や写真を投げ始めたのです。慌てて、秘書や看護スタッフでお止めしました。  この後、先生の近くにモノを置いておくのは危ないということになって、そういった展示品は撤去されました。メガネも自分で割られてしまうかもしれない、と外すことになりました」
 三月に入ると、池田氏の症状はさらに進んだという。 「他の人を認識できていないのでは、と思う日もあり、看護師や来客の方とも意思疎通ができないこともありました」  また、その他の能力も日を追うごとに衰えていった。 「咀嚼(そしゃく)が困難になり、食事もきちんと摂れなくなりました。看護する側としても、誤嚥(ごえん)が怖い。誤嚥性肺炎を起こしてお亡くなりになる高齢者が非常に多いからです。そこで首から一日三回、経管注入で栄養剤を入れることになりました。
 口から食事を摂れないと、どんどん痩せていきます。みなさんがご覧になられている写真より十キロ以上痩せ、お元気な頃の面影がなくなっていました。顔のつやがなくなり、頬がこけてゲッソりした感じでした」

車椅子ごと入れる浴槽を使用

 なぜ、熱心な学会員でもあったAさんが池田氏の病状を明らかにすることを決意したのか。 「私は池田先生をお慕いして創価学会へ入りました。今も、その尊敬の思いは変わっていません。  私が先生の看護スタッフを始めた頃は、まだ先生もお元気で、〝神様〟だと思っていました。しかし、先生のお世話をするうちに、先生も寿命のある人間なんだ、と痛感したのです。  幹部の方々は、心配する我々学会員に対して『先生は元気です』とアピールするばかりです。しかし、それは学会員を欺き、池田先生を冒漬(ぽうとく)しているのと同じではないでしょうか。
 末端の学会員にも先生の現状をお知らせして、先生のために大勤行会を開いたほうがいいと思うのです。それが、今回、私がお話しした理由です」  話を池田氏の病室に戻そう。  Aさんは、衰弱してゆく池田氏の看護をしながら心を痛める日々が続いた、と振り返る。「以前は病室の隣に大理石のお風呂があってよく入られていたのですが、その浴室は使われなくなりました。大理石の浴槽のそばに車椅子ごと入れる介護用の浴槽があって、そちらを利用するようになったのです。入浴は四、五人がかりの作業でした。回数も、私が勤務していた当時は週二回ほどになっていました。  看護師がオムツを交換し、婦長など地位の高い方が、病衣を着た先生のお顔などを拭いでいました 

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以上、引用を終えます。

万一センセイが、脳梗塞もゲッソリと痩せていた糖尿病も認知症も奇跡的に完治したとしても、上記のように寝たきり状態の場合、歩いて車に乗って手を振ったり勤行したりすることは絶対に出来ない

これは整形外科や東洋医学のマッサージの施術者に聞けば簡単に分かることで、筋力の回復の点からみれば、80才を越えた重病人が2ヶ月以上寝たきりだと筋力が衰えてリハビリは既に不可能だからである

私が3年ほど前に2週間ほど意識不明の危篤になり、1ヶ月後に4日だけ退院許可を得たまま激務に追われて病院に戻らなかったことがある。当時は54歳で直前まで合気道の道場に通っていた。その私でさえ、たった1ヶ月の入院生活から外に出たとき、10M歩いては休み、10M歩いては休みだった。その後リハビリを続けているが今でもまだ筋力が当時のようには回復せず、バスや電車に乗れない状態だ。東洋医学系の専門家から聞いたところでは、私の年齢でも元通りに筋力が復活するのは平均して後1~2年かかるとのこと。体育系の青年から中年の場合ですら、3年間衰弱していた肉体は同じ年月をかけないと元に戻らないのである。80歳を過ぎた高齢者の場合、寝たきり生活が2ヶ月を越えるともう回復は不可能、というのは専門家の間では常識とされている。

嘘だ嘘だ、池田センセイは仏様だから健康を取り戻されているし新しい連載も始められている・・・・・と信じている会員の皆様、整体院や接骨院などで質問してみてください。ハッキリ分かることです。

仏様なら何故嘘を隠す必要があるのだろう。生老病死は例外のないルール。堂々と真実の姿を晒すのが仏法の原則です。

島津氏の言葉を再度引用して今日のブログを終えます。

衰微しゆく創価学会のその教団内で分派同士の対立、内紛がすでに高じて来ている証左の一つと指摘し得るからである。誰が「次期会長」になろうとも、教団の衰微・分裂は避け得まい。カルト教団を衰滅せしむることが、次世代へ向けての現世代の良識の役割である。