★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「住居環境」

2021-11-27 23:53:30 | ベトナム・ハノイ

 ベトナムに住んで10年。引っ越しは5回、つまり現在は6か所目の住居だ

*ハノイに居を構える前、さかのぼること9年(つまり最初にベトナムに来たのは前々職、金型メーカの時だ)

都合、ベトナムに来初めて来年で20年目になるということだ。

この9年間で出張回数はゆうに50回は超えているだろう。その間はホテル住まいだった。最初こそ出張ということで

そこそこのホテルに宿泊したが、そのうち「3★でもない、ローカルホテルに泊まることになる」

(何も出張なんだからよいホテルに泊まればいいものを、どういうわけか韓国人街のLUCKEY HOTEL69という

ホテルを定宿とした。100泊はしかもしれない。今でも立ち寄ると「***は未だハノイに居たのか?」

と歓迎してくれる。

 そして意を決して「ハノイ暮らしが始まり、最初に住んだのが」

①チュクバック湖のほとり(5階建ての4階、しかしエレベータが無かった)$400

②ブログにもよく出てくる「ホアン、ホア、タン」という「植木通り」の高層アパート(13階)$600

③タイ湖が見える6回のローカルアパート $110

④現在のアパートから見えるローカルアパート $300

⑤イェンホアのローカルアパート $350

⑥空港から一番近かった Tran An Comprex $550

⑦現在のアパートCau Giay $650

住んだアパートの家賃が「自分の会社の状況を如実に表している」でも今思うと

②③④⑤ に住んでいた時が「一番ベトナムらしく、頑張っていた時なのかもしれない」

 そして⑥、そして今、⑦「体も壊して、少し体調をいたわるような環境になってきた」

そんな中、とりあえず現在のアパートは「いろんな問題はあるにしても、住んでいる」

 今までの私の生活とはマッチしない雰囲気だが。

帰宅時、クリスマスツリーのきらびやかなイルミネーションを見て「そんなことを思い出した」

(場違いなところの住んでいるような、そんな感じだった)

アパートの1階はモールになっていて「2件のカフェがある」

昼間の状態。ツリーの後ろにある青い透明な屋根は、実は「今後オープンする都市交通の駅である。

アパートの真ん前が新都市交通の駅なので「開通すれば???」便利になるかもしれない。

計画ではこの都市交通が「ノイバイ空港まで伸びる予定だと聞く」

ちなみに後ろに写っているいる円形のオフィスビルは「ベトナム第3の航空会社 バンブーエアーの本社ビルである」

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ベトナムハノイの「送れないもの・EMS」

2021-11-26 19:24:05 | ベトナム・ハノイ

時々、日本から「いろんなものを送ってもらう」

自分で必要な物、社員から頼まれたもの、色々である。

ここにある写真は「日本のEMSで、制限にかかって送れなかったものである」

*化化粧品や香水⇒決め手は「アルコールが入ってるかどうか?つまり可燃物である」

*ヘッドフォン、パワーアンプ⇒これは全く予想付かなかったが??? バッテリが入っているとだめな場合があるようだ?

(じゃあiphone,iphad パソコンなどはどうなのであろうか? ・・・疑問hが残る)

*バンテリン⇒これもアルコールである。

知らずに送ってしまったものは、ほとんど没収されることなく届いている。郵便局に見てもらうと

疑わしくは「絶対ダメ」ということだ。それでもやはり「法律は守らなくてはいけない」

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ベトナムハノイの「今日は社員の結婚式」

2021-11-26 18:29:44 | ベトナム・ハノイ

水曜日・ウィークデー・会社あり。

こんな日に「結婚式だと招待状が届いた」

弊社の一番若い世代の「女性だ」 23歳

 すでに仕事終了時間の17:30に合わせ「バスが手配されていた」

同じハノイだが「1時間以上はかかる」まるで社員旅行のようだった。

 会場に到着すると、「花嫁、そしてその後両親がわざわざご挨拶に来ていただいた。恐縮である」

社員が大勢押しかけて迷惑ではなかっただろうか? ベトナムでは、この今日の結婚式は

花嫁方の出席者をまずは呼んで「料理でもてなす儀式」である。従って

お婿さんはいない。花嫁方の家族友人、ご近所の人たちが呼ばれるのである。

当然「花嫁の自宅、及び近所」で行われる。

 もう日本では行われない「自宅での披露宴、花嫁の家は豪華な自宅だったが

それではお客様が入りきらず、ご近所の家の「空きスペースまで借りての宴会だった」

日本と違うのは、お客様は、勝手な時間に会場に来て、食事をし、お酒を飲んで勝手な時間に

帰るのである。その間に「花嫁や、ご両親などと歓談し、おめでとうの意を表すのである」

なので、その間に人が集中すると「花嫁や親族は誰なにかもわからないまま、この催しが終わってしまうこともある」

ところ変われば「イベントも変わるものだ」

 結局社員大勢で押しかけ、食事やお酒を頂いて、「社員である花嫁とご両親と歓談して1.5時間程度で会場を後にした」

家に帰ったら10:30だった。

「花嫁になった社員へ」⇒とにかく、おめでとうございます。末永くお幸せに。あなたは「ちょっと体が弱く、会社も休みがち

だったので心配」してました。でもよかったです。9歳違いの旦那さんということで、それも「まだ学生のようなあなたにはよいことだと

思います」こんな遠くから毎日通勤していたとは知りませんでした。体に気お付けて頑張ってください。

 そんなことで「若い世代も結婚が始まったようだ、この先何回社員の結婚に招待されるのやら?」

そんなことを考えた。

道端、花嫁の家の前に「このようなテントを作り、披露宴会場にする」

入口はこんな感じだ。横は幹線道路なので「結構トラックが通る」

弊社の同僚先輩社員だけで、隣人宅に借りたスペースがいっぱいになってしまった。

食事後の歓談、なんとここで自分は「歌を歌わせられた」(もちろんベトナムソングである)

 

お祝い事なので「ブログにか顔も載せることにした」

すべて弊社社員、花嫁の同僚たちである。次はだれなのか?自分は知る由もない。

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ベトナムハノイの「おいしいキムチ」

2021-11-24 15:09:27 | ベトナム・ハノイ

 本日朝、経理&管理系の社員から「キムチ」を頂いた。

以前、昼食時おいしそうなキムチだったので「少しつまみ食い」したところ「大変おいしかった」ので

社長命令で「キムチ1パックの献上を命令した」 すでにそれも完食し、2,3日前に、彼女から

「キムチ終わりましたか?」との質問。間髪おかずに「はいもう終わりました」の返事、彼女は

ニコニコしながら「また作ってきます」との返事。

 そして本日「新作キムチ」を頂いた。なんでベトナム人である彼女が「キムチを手作りするのかは不明だが?」

確かに「おいしいのだ」 10年以上ベトナムに居て、確かにキムチは普通にスーパーに売っているのだが、

なかなか「おいしいキムチには出会えなかった」こんな近くに「キムチづくりの達人がいるとは、灯台下暗しである」

 こういう食材は本当に助かるのだ。ご飯を炊いて「何かメインになるおかずは何とか作るが、脇役が居なくて

いつもさみしいのである」そんな時「このキムチがあれば、大変うれしい」(時にはこのキムチが主役になる。

何もない時はこのキムチを小さく刻み、油でいためてご飯を投入、そしてこのキムチの汁を少し入れると

美味しいキムチチャーハンができるのだ」主役、脇役にもなれる「万能選手」である。

 社員に感謝である。キムチチャーハンが楽しみである。

余談だが、今日の昼食、時々「パンを焼いてくる社員からそのパンを頂き食べた」・・・「いつもながらおいしいのである」

 弊社の社員は70%女性である。こんなことは意図していなかったが、「キムチの達人、パン作りの達人、豚肉そぼろの達人

、ベトナムコーヒーづくりの達人、等々

弊社には多くの達人が在籍している、本当に人材豊富な会社である」(本業がダメでもきっとたくましく生きていける人ばかりだな。

と感じた。)

以前もいただいたのは左の「カクテキ」今回は「白菜キムチ」もいただいた。

しばらくは「脇役には困らない」

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ベトナムハノイの「ちっとも減らないコロナ患者」

2021-11-24 10:28:46 | ベトナム・ハノイ

 毎日「ベトナムコロナ感染状況」を確認するのが日課になってしまった。

日本は「急激な減少しているようだが?」

 ベトナムは「一時期、それなりの減少」が確認され、規制緩和に舵を切った。

それ以降、感染者の減少は鈍り、現在では増加に転じてしまった。

昨日は感染者11126人 死亡者167人 である。(人口を考えれば少なくない数字である)

 不気味なのは爆発的な感染を起こしていたホーチミンでは、多いものの1204名

ずっと多くても二ケタ台の前半だった「首都ハノイが260人」だということだ。

じりじりと感染者の波が北上しているのである。

 ヨーロッパでも一度減少した患者がオーストリアやドイツでは「ロックダウン」をするほどに

増加に転じている。アメリカでも同様だ。

少しだけ良い事は「患者数に対する死者の数が減ったことである」ベトナムでも同じで

これは「ワクチン効果であろう」

 さて、会社としては「日本に行かなければならない事、そしてベトナムに来たいお客様も少なくない」

しかし今の状況では「ベトナムの海外からの規制緩和はしばらく行われないのではないか?」と悲観的に考えざるを得ない。

興味があるのは「タイがどうなるかである。タイは身を挺して緩和を選択した」

「果たして吉と出るか凶と出るか」である。

中国のように完全に抑え込むのは限界があるだろう、「ワクチン、薬を早く確立し、

インフルエンザ並みの致死率を早く確立し、このウイルスと共存していくしかなさそうだ」 

 さっき管理社員が「**さん、同居者がF1(F0患者本人との接触者)になり、F2になったので出社を取りやめさせました」

との報告を受けて、そんなことを考えた。(すでにトータル5名の社員が、行動制限をかけられた。幸い患者は出ていないが?)

難しい時代になったものである。

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