7月24日午前6時をもってハノイ全体を「社会隔離」にする。
とお達しがあった。
金曜の深夜0時過ぎ、社員から連絡が入った。
「**さん、ニュース見ましたか? ハノイは今日の午前6時から社会隔離です。
在宅をするためのパソコンをこれから持ち出しに行こうと思うのですが?
鍵を貸してもらえますか?」 おいおい、少し待ってと、自分で内容を確認する。
その結果、すぐにすべてロックダウンされるわけではなく、まずは不要不急の外出の禁止
できるだけ在宅での作業が勧められている(強制ではない)ことがわかり
社員に連絡する。明日休日だが、関係社員を出社させるように指示した。
そして土曜日、状況確認の上、管理と経理も含め、全員の在宅勤務を決定し、同日
在宅で仕事ができる環境を構築した。(もう3回目なので慣れたものだ)
しかし今回は依然と状況が異なる。
南部ではすでにコロナが蔓延し感染が止まらない。
ベトナムは今まで厳しい措置で抑え込みに成功していたが「インド株」になってから
この守りは完全に崩壊した。1日の感染者数は日本より多い6000人~7000人を超えている。
死者もそれに比例して増えている。
これで医療が崩壊したら、日本よりも悲惨な状況になるだろう。
インドネシアやミャンマーなどのようなことになったら悲惨である。
駐在の知り合いなどはすでに日本への一時帰国の準備を始めている。
今回はそれほどひっ迫しているのである。
昨日普通に買い物に行った、アパートの地下にあるスーパーはごった返していた。
例の3歳の友人家庭ももちろん同じ状況、できる事はやってあげようと「買い物をかって出た」
しかし、頼まれたものがことごとく売り切れだった。これはちょっと「普通じゃない」
代替品を大量に買って、届けたが、友人から「遊ぼう!」とのお誘い、しかし私もすでに
100%安全ではないので「またあとでね」と言って泣く泣く断った。
このようにすでにハノイでも普通ではない状況になっている。
不要な外出者は「見回りの警察に注意される」又、安易に昨日フンエンという近郊都市に帰った
社員は「ハノイからの訪問者」ということで「現地で21日間の隔離になってしまった」
お粗末なことである。又、ホーチミンからの帰省者は全て、自宅ではなく「隔離施設での21日間の隔離」が
義務化された。つまり、ベトナムは感染区域からそうでない地域に行くのも戻るのも
自宅ではない「指定隔離場所」で21日間の隔離なのである。
日本で言えば東京にいた自分が群馬に帰るには「群馬の指定隔離場所で21日間隔離されないと
自宅にも帰れない」ということである。
今回ばかりは、少々気を引き締めてかからなければならない。外出も禁止
感染者が出た町は「すぐさまロックダウンされる」自分が恐れるのは、もし社員や同じビルで
感染者が出た場合、おそらくビルへの立ち入りも禁止されるだろう、その時になって
「さあ、パソコンや必要物を持ち出そう」と思っても、叶わない可能性があるということである。
弊社の場合は「パソコンと人」があれば何とか仕事はできる。(もちろんそれに付随した設備や取り決め
は会社の責任だ)だからこそ、「在宅勤務の決断は早め早めに行う必要があるのだ」
迷っていてロックダウンされたら、それこそ会社がつぶれる。経営者としても
非常に難しい決断だ。在宅と言えば聞こえはいいが、確認や教育の面では、それは
社内作業に大きく劣る、それを知りつつ「決断しなければならない」
難しい。
自宅のアパートからの写真、いつもは朝の通勤通学でごった返している主要幹線道路も
本日の午前6時からの「社会隔離」の影響で交通量が激減した。