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★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

個人で起業して「早14年目」普通にベトナムで「相棒ミッ(ポメプー犬)」と円安に苦しみながら、それでも何とか暮らしてます。

ベトナムハノイの「我が家のルーツ」

2025-08-20 16:30:23 | ベトナム・ハノイ

 先程「パソコンのデータを整理していたところ」以前「日本に住んでいる兄から送られてきた家系図」

を見つけた。自分の先祖のことなど「ついぞ興味もなく気にしてもいなかったが?」

 兄は自分と違い「実質長男」であるがゆえ、父が亡くなる前から「いろんな方法で我が家のルーツ」を調べていたらしい。

自分の記憶では「小さい頃は【お墓参り】というと父の車に乗り、時には車酔いしながら自宅から1時間ほどかけて前橋に行っていたことは

覚えている」そしてそのお墓は「普通の他の墓地と異なり、かなり広い敷地の中に高さ3メートル以上もある石板の大きなお墓を中心に

複数のお墓が建っているような場所だった」それが自分の先祖代々のお墓だったらしい。このお寺や「生き残っている親類縁者」から

兄は「情報を集め」この「家系図」を作成したらしい? いやはや「昔からよくできた兄だったが?」見事な事である。

 その後「自分の両親は自宅のある地に身内(生まれて間もなく無くなった自分の姉と兄を分骨し地元に立てたお墓にそれを移した)

のお墓を移した。従ってそれからは「あの広大な一族のお墓には行っていない」

昨年母が亡くなり「もう両親はいない」この「家系図にも母の死は未だ反映されてないが?」こうしてだんだんに

「我が家の家系図も増やされていくのだろうと思った」

「此の家系図を見ると15代前までさかのぼっている」我が家の先祖は「江戸時代まで前橋藩で武士をしており」

大政奉還後、前橋藩で行っていた「役職」を活かし「材木問屋」を始めたらしい。利根川を使い「群馬県の豊富な木材を

東京(江戸)に運んでいたらしい。本家筋の少し前の職業は「やはり材木屋ったようだ」しかし、跡取りが独身のまま時は過ぎ

もうその職も「本家筋」も途絶えてしまったようであると聞いた。 母も父も「先祖が武士だったせいもあり」時々

特に母は自分に「うちのご先祖様は武士だった」と再三言っていたのを思い出す。それがどんな意味で言っていたのか?

(だからすべての事に、あなたはしっかりしなさい!と言いたかったのかもしれない?)

直系の先祖は「父方の祖父は軍人(憲兵隊)だった、唯一覚えている写真は「馬に乗ってサーベルを下げた姿だった」

父方の祖母は早くに亡くなり、祖父も早く亡くなり、親戚に預けられた父は「鉄道学校を卒業し蒸気機関車の運転手だった」

父の弟は「硫黄島で通信兵として玉砕」しており、父は事業で成功すると「硫黄島訪問時にみんなで乗るマイクロバスなどを

寄付していた」 聞くところによると「兄もつい最近父の志をついで硫黄島に行ってきたということを聴いた」

出来た兄である。

その後「この一族、本家筋の従兄に誘われ父は鉄道員を辞し、群馬沼田の地で「砂砂利採集から生コン屋」になっていったのである。

そんな父の2人の息子は1名は出来が良く、アメリカに渡り10年、日本に帰国後は「世界のアメリカ一流企業」で勤め上げ、今は

「不労所得で不自由ない生活をしている」

片や「末っ子、三男坊」の自分は「世界一の金型屋」に就職したが、それも「タイのメーカに買収された」その後「CADメーカ」に

ヘッドハンティングされて、「世界進出を夢見たが、役員交代の影響でとん挫」52歳になってから一人「ベトナムで起業」し

「円安に苦しみながら」何とかベトナムに在住、14年目になっている。

まさか「ご先祖様も一族の端くれのがベトナムあたりに移り住んでるなどとは?」

夢にも思っていないだろうと思う? 人生とは「つくづく不思議なものである」

 パソコン整理をしていて「我が家の家系図を見ながら、そんなことを考えた」

個人情報満載なので「見にくくしてある」一部だが「大変良くできている」写真なども添付され

「ご先祖様が見たらさぞ喜ぶだろうと思う」15代前の「ご先祖様はどんな方だったのだろうか?」

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ベトナムハノイの「ローカルバイク屋の手際よさ」

2025-08-20 15:58:14 | ベトナム・ハノイ

 先週末、近くのイオンに出かけた、バイクで行ったので「カード取場でカードを取って、ゲート上がり行こうとした途端、

焦っていた「カップルのバイクが自分のバイクの後ろにぶつかった」 そこそこの衝撃はあったが?ベトナムではよくあること、

自分も渋滞の中でぶつかったりぶつけられたりは「頻繁だ」 そのバイクもいち早く姿を消した。そして自分お行きたい方向へ

走り出すと「カラーん」と言う音、止まって後ろを見ると「見事に自分のナンバーが落ちていた」 仕方ないので「一緒に脱落した

ナンバーとそのフレーム」を拾い、シート下の「収納スペースにしまった」 そして本日、午前中時間が出来たので「会社の通訳と一緒」に

いつも行っている「ローカルバイク屋に出かけた」 珍しく「ヒマそうにしている店員」 すでに事情は「通訳に話していたので」

「了解」と言って作業を始めた。 作業内容は、

① 衝突され「変形して脱落したナンバープレートとその外枠」そして一緒に脱落したが、幸いそのコードで

紛失を免れた「ナンバーを照らすための照明」を「方法はお任せで直すこと」

② 久しぶりの「オイル交換」

③ ブレーキ調整(以前から、ブレーキをかけた時の感触がおかしい?)

④ タイヤの空気圧確認と補充

⑤ バイク洗車

この5つである。

①【修理】おもむろに「ナンバープレートをハンマーでたたきまっすぐ平らに」 枠も同じ方法で治す。

脱落したライトは「幸い割れずに残っていたフレームのゆがみを直し、ボルトで固定」

②【補充作業】カストロールのオイルを交換

③【修理】 これが厄介だった、修理者も「感化君がおかしいのを発見」調べたら、以前も不具合が出ていた

ブレーキの「ゴム部分の部品」が摩耗していた。車種が特殊なため「すぐに部品在庫は無し」備品依頼をして

届いたら「交換に来ることで承諾」 

④ 【確認補充】走り出す前の「バイクを押す作業がやけに大変(思い)」おそらく空気圧不足が原因。

従って「空気圧確認して空気を補充」

⑤【洗車】 石鹸で「ブクブク」にして、手洗い、見違えるほどきれいになった。

これら①~⑤までを1名で「手際よくこなし、所要時間20分」

作業場横の椅子で「社員とお茶を飲みながら話をしていたら、すぐに作業終了」

いつもながら「手際が良い」、同じことを日本で頼んだら、3倍以上の時間がかかっていただろうと思う。

全て作業しオイル代の150,000VNDと合わせ合計200,000VNDだった。これもまた日本であれば

3から5倍の値段と、「下手をしたら、お預かり状況」になっていたのかもしれない。

いつも感心するのだが「ベトナムのバイク修理屋さんはすこぶる手際が良い」

 

 

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ベトナムハノイの「2025年9月2日のイベントに注意!!!」

2025-08-20 10:03:10 | ベトナム・ハノイ

9月2日には「建国80周年の盛大なイベントがハノイで行われる」

その規模は「本当に半端ない規模である」もしこの時期に「ハノイを訪れる予定の方々」は

充分注意してほしい。まずはホ宿泊施設、既に「イベントの行われる場所(例えばバーディン広場周辺)

のホテルはすでに一杯である」このイベントにはベトナム全土から「主にベトナム人が集まる」従って

比較的安価なホテルなどはすでに「満杯なのだ」 ネットに特別サイトも設けられ、既に「その予行演習などでも」

交通規制なども行われている。 そして「ハノイの中心街についても、交通規制が大々的に行われる」

なので、バスや電車、そして市民の足である「タクシーやGRAB」などは当日あてにはならないと考えたほうが良いだろう?

「イベント会場に行くのも帰るのも、基本は徒歩しかないと考えるべきである」(先日行われたホーチミンでのイベントでは

イベント終了後4~6時間たってようやくGRABを呼べたと聞いている)首都ハノイでのイベント規模はそんなものでない。

社員の話では、「この日はよほどの覚悟が無いと出かけないほうがいいです!」との事だった。そしてできれば

「食料も少し確保したほうが良い」とまで話している。本当に国を挙げての一大イベントなのだ。

社会主義国故に「国家イベントは半端な規模ではなく、まして発展著しいこの国が「国の威信をかけてのイベントなので」

この時期にハノイに来られる方は「覚悟して来ていただきたい」考えられる「注意点を記すと」

*イベント会場周辺の交通規制(ハノイの見どころへは行けないと思ったほうが良い)

*このために多くのベトナム人は「前日深夜から席の確保のために動き出す」(前日でもすでに交通規制がされている、

行きたい場所へすんなり行けない確立が高い。交通機関のぼったくりが横行するかも?)

*GRABやタクシーに乗っても「行きたい場所に行けない(観光名所やレストランなど)」事が考えられる。

(交通機関は当てにならないと思うべし)

*当日はもちろん、翌日、前日など「空港へのアクセス」も「確実ではない」充分余裕をもって行動したほうが良い。

*この時期の「レストランなども」臨時で休業する店も多い。(事前に確認したほうが良い)

*とにかくイベント会場周辺では「人混みがすごい」「スリ、ひったくり」置き引きなど、この機を狙っての犯罪も予想される。

(貴重品は持って行かない事)

*この日はベトナムでは「雨の特異日」つまり「雨が多い」 もしこのイベントに参加する予定の日本人は「かならず雨具持参の事」

(日よけとしても使える)

*ベトナムの9月は未だ日本の「夏」と変わらない気候、「熱中症対策も必ず行うように」当日、飲料水の購入も中心では難しい?

余裕をもって「水分を持参」

*このイベント前後に「当日予約で安い宿を探すのは無理」(良いホテルは外国人で一杯、会場近くの安宿【Nha Nghiと呼ばれる連れ込み宿まで

すでに一杯との情報】 この日にハノイに来るなら事前予約が必須

ざっとこんな感じである。自分も「ハノイ在住のベトナム人」も今回のようなイベントは初めてで、どのようになるのか?

全く予想がつかない? 案外すんなり終わるのか? 予想以上の混雑になるのか?

私の友人も「このイベントにベトナム人と共に行くと言っているのだが?」・・・まあ良い経験にはなるだろうが?

無事を祈るばかりである。 

(自分は相棒ミッもいるので、美味しいものとビールを買い込み、涼しい部屋でソファーに座って、テレビでイベントを

干渉しようと思っている。窓の外を見ればおそらくは「騒いでいる若者たちも見えると思う」(サッカーで勝利した時も

夜中まで米区で騒ぎまくるお国柄なので、きっと当日は夜遅くまでうるさいだろうと思っている)

 裏返せば「1945年に独立宣言をしてその後もベトナム戦争を凌ぎ、現在のような「成長著しい国」になったうれしさを

爆発させる機会なのだろうと思う。日本も戦後80年で一度は成長したが今は衰退の国になっている。反面教師として

ベトナムは「成長していってほしい」・・・頑張れベトナム。

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ベトナムハノイの「自分にとっての音楽」

2025-08-19 15:06:21 | ベトナム・ハノイ

 昼休みにソファーに寝転び「TIKTOK」を見ていたら1970年の「名曲12」と言うのをやっており「昼寝予定を忘れるほどのめりこんでしまった」

1970年と言えば「自分は12歳」一番「新しい音楽に興味をもって貪欲に没頭していた時期だったのかもしれない」(小学校6年生)

 自分の「音楽性」に大きく影響を与えたのは「友人の大竹正美君、と言うよりはその2人のお兄さんたちだった」

そのころ「一番上の信ちゃんは高校生、そして2番目の繁ちゃんは定時制の高校生だった」自分はこの大竹君の家に

毎日入り浸っていた。遊ぶのは「ミニカー等で遊んでいたが」広くない大竹君の家で「否応なしに耳から入ってきていた音楽」

これが自分の「音楽の志向」を決めたと言っても過言でない。

1970年の名曲

・Let It Be 自分が初めて買った「シングルレコード」(実は小学校低学年で鉄人28号の片面歌、片面物語のソノシートいう赤いペラペラの

レコードを買ったが「これは親に買ってもらった」従ってはじめて自分のお金で買ったのは「ビートルズの名曲 レット一トビーだった」

・大竹君の家では「頻繁にビートルズや、モンキーズ」等、そして「はやりのアメリカンポップス」などがBGMのように「かかっていた」

「霧の中の二人」「ヴィーナス」「悲しき鉄道員」「ミスターロンリー」「明日にかける橋」などなど・・・(調べてみたらほとんどが1970年だった)

・そして自分が中学になると「音楽性に大きな変化が起きる」繁ちゃんが「ギターを始めて、ひきやすいフォークの音楽が正美君の家に

流れてきたのだった「岡林信康(私たちの望むものは)、そして吉田拓郎(イメージの詩)、かぐや姫、フォーククルセーダース(花嫁)・・・

・そして自分も「この繁ちゃんにギターを習い、聞くほうから演奏するほうになっていった」 そうするとやはり「手軽に弾けるフォーク」を聴く

機会が多かった。そしてバンドのまねごとをはじめ「学校にギターを持って行くようなマセガキになっていた」(お別れ会や、クラスの

イベントにはギターをかき鳴らすようになっていた、学校行事のキャンプにもギターを担ぎ「夜、好きな人の前で【青春の影】などを

うたう、今思えば「いけ好かないマセガキになっていた」その後正美君はベースに目覚め

自分とバンドを組み、今までミニカーで遊んでいたのが「正美君の家でギターをかき鳴らすようになっていた」

(このころ好きだった典子さんには誕生日に「どういうわけか、小坂明子の【あなた】を送ったことを覚えている)

・そして、吉田拓郎、チューリップ、アリス、風、等々を経て、高校へ、このころ「正美君とは離れた」彼はロックへと移っていった。

「一番多感であるはずの高校時代は成績不良で、そんなことをしている場合ではなかったが?勉強と言いながら夜な夜な聞いた

深夜放送で「ビリージョエル(素顔のままで)、アンリ(オリビアを聴きながら)あいつ、聞いて良かった曲は今でも覚えている。

不毛な高校時代をすごし、一浪して大学へ入った、ここでまた自分の音楽性に大きな影響を与えた友人と出会う。「丸山君」という。

彼は「裕福な家庭のおぼっちゃま」でよく彼の自宅に「夕食をごちそうになっていた」 彼に影響を受けたのは「音楽にとどまらず」

田舎生まれ育ちの、めちゃくちゃなファッションセンスの自分に「もっとちゃんとした格好をしろ」と諭してくれたのも「丸山君だった」

そのころの「アドバイスは今でも残っており」 ちゃんとした洋服はアメリカントラッドになった、紺ブレはJPRESS,シャツはBD、

ネクタイはレジメンタル、靴はローファー、髪は短く、などなど

今も「シンプルな洋服が多いのはかれのおかげである」そして音楽は、大学1年の初夏、「彼から1枚の衝撃のレコードを渡される」・・・

「山下達郎の【FOR YOU】」である。これが自分の「音楽性を劇的に変えた」 このころから「幅広いジャンルを聴くようになった」

「今や大学医学部教授になっている桑原君からは【マイケルフランクス、クルセイダースなど】、結局大学を辞めてしまった船越君からは

「高中正義」、そして「あの頃、貸レコード屋の後輩からは【角松敏生】」そして「佐野元春」「大瀧詠一」等々、邦楽洋楽を問わず

「良いと思われる音楽を時間がある限り聴いた」今でも聞く曲に「エリック クラプトン(ベルボトムブルース、ワンダフルナイト・・・)

等がある。そしてベトナムに来て「有り余る自由時間を使い、自分で本当に好きな曲を選び、昔を思い出しアコスティクギターも

憧れの安い「マーチン」を買い、ジョンレノンが使っていたエピフォンのフルアコを買い、時々「ワンダフルナイト、ベルボトムブルース、

I remenber clifored ,などをつま弾いている」 しかし最近気づいたのは「この世には無数の音楽があり、自分が好きな音楽もとても一生で

聴けないほどの量があるのだ。ベトナムに来てからも「Chi anh hieu em, Loi Hua,などなど良い曲があり社員と一緒のカラオケなどで歌っている」

そしてYOUTUBEなどを見ていると「スペインや南米のバラードなど」良い曲は限りなくあることに気づいた。・・・

とても生きている間には「聞きるはずもなく」もっといろんな「良い曲」を聴きたいと心から思う。

掃除をするときも食器を洗う時も、「自分の選んだ機器でBGMを必ず流しながら」行っている。

大竹君の家から始まった「自分の音楽」は果たしてどこまで行くのだろうか?もうそう長くは効いていられないのだろうが?

そう思うと「たまらなく寂しくなる」

音楽とは「人間が作り出したかけがいの無いものだと思う」 

もうすぐ66歳になろうとしている、 日本から遠く離れたベトナムハノイの小さな事務所で

昼休みに「ふときいたTIKTOK」を見て、そんなことを考えた。

今年の夏の終わり66回目の誕生日には「ダナンのリゾートホテルを予約した」そこの人のいないプライベートビーチで

「山下達郎、角松敏生、大瀧詠一、高中正義 等を聴きながらビールでも飲んで来ようと思う」

*(記した曲名は自分にとっての思い出深い曲たちである)

 

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ベトナムハノイの「使えるフェイク品」

2025-08-19 13:32:59 | ベトナム・ハノイ

ずいぶん前「電動ドリルを購入した」 久しぶりに使おうとして「充電器」が無い事に気づいた。

色々探し回り「それらしき物を見つけた」 充電してみたが「バッテリーに充電ができない?」

安物だったので「バッテリーが劣化し、使えなくなったのか?」と考え、「メーカーに電話して、その旨を伝えた?」

しかし「自分お所有している型式は無いという?」 仕方なく「写真を数枚撮って送ると、衝撃的な答えが返ってきた」

「これは弊社の製品ではありません?」おそらく「フェイク品だと思われます」従って「充電器もバッテリーも正規品の物を

使っても【使える保証はありません】」とのこと。当たり前である。しかし「でかでかと製品の側面に入っているメーカーの物でない

「偽物」だとは思わなかった。確かに「想像以上に安かった」ので少しは疑っていたのだが?

それらしい充電器をネットで見つけてみたが「フェイク品のバッテリーを充電できる保証などどこにもない」・・・

そこで「決断した」 このフェイク品の「同じようなSET品」つまり「電動のドリル(ドライバー)SET」(今はずいぶんかっこよくなり

色んなドリルやドライバーの付属品も増え、バッテリーも2個ついている。)を購入しることにした。

 今までこの電動工具に関し「トルクや、バッテリー、動き」など「何一つ不満なところのない製品だったからである」

しかも「値段が半端なく安かった」確かSET品で「日本円で1500円」くらいだったと記憶している。

そしてオーダーすると「午後にはオーダーした品物が届いた」 早速使ってみると「以前と同じように普通に使えた」

そしてバッテリーに書かれている「ボルト数値」が異なってはいたが「よく見ると許容範囲」

ダメもとと思い「新しい付属充電器に古いバッテリーをつないでみると「普通に充電でき」異常も見られない?

結局は「新旧バッテリー共に使用できるようになり」「しかもバッテリーは新旧の本体にも使用できた」

 つまり我が家には「電動バッテリー工具」の似たものが「2SET所有しているのである」

ベトナムでは「フェイク品を見破るのは難しい」(安いものはもちろん疑ってかかるが?)

それでも今回のように「フェイク品でも普通に使える」とりたてて「不具合もない」

しかも値段も格安ならば「使えるフェイク品」として使い道も有るというものだ!

(もちろん道義上、よろしくないのだが? 買う時もまさかフェイク品であることの判断も難しい)

フェイク品=粗悪品 と言うイメージをいままでもっていたのだが? 

はたしてこの先「このフェイク品の電動工具、いつまで使えるのだろうか?」

ベトナム・・・いろんなことがある。

これがその「スーパーフェイク品」である。つくりもしっかりしていて

トルクや動きに問題はない。そういうわけで我が家にはこの「電ドルセット」が

2SETある。

 

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